観普賢菩薩行法経 (7)
  
世尊
 「諸仏
諸尊 十力じゅうりき  無畏むい  十八不共法十八ぶぐほう  大慈だいじ  大悲だいひ  三念処を具そな えておられて
  
最上の尊い相すがた をもって 常に世間におられて 衆生を温かく見守っていられます。 ♪それなのに あ~それなのに
  どうして 自分は 仏さまと共にあるという本当の自覚を 得ることができないのだろう
  
私には どんな宿業があるのでしょう
心の中で念じ 真剣に諸仏に教えを求める衆生や
  あるいは 諸仏に向かい大きな声で 懺悔の発露ほつろ (心の中をことばに出す)を行う衆生たちは……
  仏の道の高い境地を目指す向上心を もって 日々暮らしている衆生たちなのです。

  すると 徹底的に反省し
心からの懺悔を行う その衆生の前に 普賢菩薩が出現されるのです。
 この境地を得た衆生の側には 就寝時も覚めている時も いつも 普賢菩薩がおられるのです。
  そして
普賢菩薩は 衆生が活動している最中でも 夢の中でも その衆生の心に直接教えを説いてきます。
 
普賢菩薩から直接 教えを聞いた衆生は 法を聞く魂の喜びが常に心に持続して 忘れることはありません。
  この時 衆生は 普賢菩薩と自分の心は
常に 通い合っているという自覚を得るのです。
  この自覚の心が
三十七日間持続すると 善を保ち悪を打ち砕く陀羅尼だらに の力が 相等身につくのです。
  その衆生が
つづけて 大乗の教えを読誦していくと その陀羅尼の力が周囲の人々へ波及していき
  周囲の他の衆生を良く感化する
 旋陀羅尼せんだらに の力も 会得できるのです。
  この境地を得た衆生は
諸仏菩薩の説く無上の教えが心に浸透していて もう忘れることはありません。

  この旋陀羅尼せんだらに を得た衆生は 過去の七仏かこのしちぶつ 夢に見ることが多くなります。
 そして
衆生に直接法を説く仏は 釈迦牟尼仏しゃかむにぶつ であることと ほかの諸仏も
 
釈迦牟尼仏の説く大乗の教えを 口々でお褒めになるということを 理解するのです。
 つまり この衆生は
釈迦牟尼仏だけが 娑婆世界の衆生に直接法を説く仏であることを 確信したのです。
 即ち 過去の七仏や諸仏も まことに尊い仏であることを理解した衆生は
 
無限の過去から実在する宇宙の本仏真理の教えは
  釈迦牟尼仏を通じてのみ
衆生は知ることができるという真実を ハッキリと自覚したということです。
  同時に
衆生が釈迦牟尼仏へ帰依きえ することは すべての諸仏への帰依であることも 理解できたのです。
 このように 常に 自分は仏と共にある という自覚を得た衆生のみが 仏の姿を夢に見ることができます。
  夢に仏の姿を見た衆生は
ますます喜びに満ちて あまねく十方の諸仏を礼拝するようになります。
  だから
口に自ら発露ほつろ 心の中やことばに出して行う懺悔するのです。

 すると 普賢菩薩は この境地まで到達した衆生の目の前に再び現われ その衆生が なぜ今まで
 仏を見奉ることができなかったのか?という理由を 教えてくれるのです。
 つまり 普賢菩薩は その衆生の
宿世の業縁すくせのごうえん を説き教え その衆生の過去の黒悪こくあく (心の罪)
 
仏の発露 ほとけのほつろ の力で 明るみにさらけ出して 光を当てて 消滅してくれるのです。
 
仏の発露が終了すると
 衆生の心は洗い清められ
その内面の仏性がますます磨かれて 大きな輝きを増していくので
 諸仏は常に自分と共におられるという自覚を
しっかりと安定して保ち持つことができるようになります。
 この境地
 ー仏がいつも自分と共にいる自覚の境地 諸仏現前三昧 しょぶつげんぜんさんまい の境地といいます。
 この諸仏現前三昧
しょぶつげんぜんさんまい の境地を得た衆生は
 東方の
大日如来だいにちにょらい 阿閦仏あしゅくぶつ 十方の諸仏と その国土を見るようになります。
その衆生は 次に 大白象の頭の上に非常に強い金剛力士こんごうりきし が乗っている夢を見ます。
 夢の中で 金剛力士は
手にもつ金剛の杖を その衆生の「六根」の穢けが れに突きつけてきます」。 (8)へ