観普賢菩薩行法経 (21)
世尊
「人間の身体の様々な ”はたらき” は周囲の事情により 大きく変化します。
その変化は まるで 塵が風で吹き飛び散るような有様で 当まさ に千変万化せんへんばんげ するものです。
衆生の身体の中では 六根の我儘わがまま な欲望である 六賊ろくぞく が気ままに暴れまわっているのです。
誤った欲望のこの六賊を滅して 諸々の迷いから離れ 身も魂も本当に平和で安らかで
他人に求めることの無い 憺怕たんぱく な心を受持していたい衆生は
ひたすらに 大乗経典を読誦し 仏の慈悲心を 念じると良いのです。
世の中の益えき となる方法の勝方便しょうほうべん は こうして 諸法の実相を観じることで限りなく生まれます。
真理の法の力が 衆生の六賊の六情根ろくじょうこん を正すことで 勝方便が誕生するのです。
衆生たちよ 一切の業障ごうしょう は 皆 顚倒てんどう した妄想もうそう から 生じるのである。
自分の業障を懺悔したい衆生は 静かに端坐たんざ し大乗経典を読誦し 諸法の実相を深く考えることです。
諸法の実相を深く考えるとは つまり「十如是」じゅうにょぜ を観じ 「三宝印」さんぽういん を観じることなのです。
衆生たちよ 罪というものは 元来 存在しておりません。 つまり 無いのです。
衆生が 罪とよんでいる 衆生の心の迷いから生じた仮の現われは 霜や露のようなものなのです。
太陽という智慧(仏の教え)が射しこむと たちまちのうちに 消え失せてしまうものなのです。
ですから ひたすらに 大乗の経典を読誦し諸法の実相を観じて 六情根が洗い清まったならば
衆生が それまで 有ると思っていた(本当は無い)罪は またたくまに 消え消え失してしまうのです。
☆ 仏教の神髄しんずい を 如実にょじつ に表わす句を 紹介しましょう。
若し懺悔せんと欲ほっ せば 端坐たんざ して実相を観ぜよ 衆罪しゅざい は霜露そうろ の如し 慧日えにち よく消除す
衆生よ これが仏の教えのすべてです。 この尊い言葉を よくよく 胸に刻むが良いのです」。 (22)へ