世尊
「では、次に、五つの濁よどみ の世・五濁の悪世ごじょくのあくせ を、説きましょう。
1 劫濁 こうじょく 同じ時代が長くつづいたために起きてくる 濁悪 じょくあく の現象。
世の中も、同じ状態が長く続くと さまざまな要因により さまざまな弊害が起きてくる。
2 煩悩濁 ぼんのうじょく 煩悩(迷い)に犯されて 人間として間違った行いをする 濁悪 じょくあく の現象。
3 衆生濁 しゅじょうじょく 衆生の機根が皆違うので 各々が自欲を主張し対立し起こる 濁悪 じょくあく な闘争現象。
4 見濁 けんじょく 衆生の機根が皆違うために 世の中が乱れる濁悪 じょくあく な現象。
衆生が皆、自己本位の狭いものの見方を主張するので、くい違いが起きるのだが、
皆、仏の教えを学び、ものごとの正しい見方になれば、平和な世界になるのです。
5 命濁 みょうじょく 生命が有限だと考える衆生皆が 目前の利益や自分に有利な結果だけを追い求め
コセコセ・ギスギスした関係となって 世の中に争いが生じる 濁悪 じょくあく の現象。
人間の命は永遠であることを自覚することで、命濁から解放される。
上記のような五濁の悪世の末世まつせでは、仏が最初から最高の教えを説いても、衆生は理解しません。
そこで、仏はまず 方便の三乗 ほうべんのさんじょう から説くのです。
声聞乗 しょうもんじょう 仏の教えを聞いて迷いを取り去る、学習主義の教え。
縁覚乗 えんかくじょう 自分で身をもって体験して 気づき・悟る・体験主義の教え。
菩薩乗 ぼさつじょう 自他共に救われることが本当の救いであるという行動主義の教え。
仏はまづ衆生に、教えの門としてー方便の三乗ーを説いてから、段階を経て導いていくのです。
この教えの門の方便を理解した衆生は、信の心が生じ迷いなく仏の道を進んでいくのです。
この入り口(教えの門)は いたるところにあります。
仏舎利ぶっしゃり を供養することからでも良いし、仏塔ぶっとう を建てることからでも良いのです。
又、子供が砂を集めて、仏塔に似たものをつくることでさえも、仏の道のー門ーなのです。
とにかく、仏の道を進むには、良いと思う事をできるところから行うことです。 この気持ちが大切です。
修行を怠ることなく続け功徳を積み重ねて、大悲心だいひしん を会得して、ついにー仏ーになるのです。
○ー来世に仏道を成ぜんと記すー つまり これが、仏の悟りの世界に通じる道なのです。
来世に仏道を成ぜんとは、修行を積んでいくと、いつかは必ず仏に成れる、という意味です。
決して、死んだ後の、あの世で仏に成れるという意味では、ありません。
人間の命は永遠だから、肉体は滅しても生命は永遠なので、人間は必ず仏に成るのです。
次に、
○ー終についに 小乗を以って 衆生を済度したまわずーの意味を説きましょう
小乗の教えでは、最高の救いまでは引き上げることができなかった、という意味です。
私(世尊)が苦行を捨てた直後に得た悟りは、まだ、小乗の悟りでした。
その時、私の前に梵天が現れ ー釈尊よ、衆生のために大乗を説けー と、語りかけてきました。
私が衆生のために、大乗の法を説くことを決意したのは、この梵天の声を聴いたときでした。
「釈尊の苦行」:「大乗を勧めた梵天」
舎利弗しゃりほつ よ、諸仏の教えはたいへんの尊いものであることを、理解しなければなりません。
仏は、数限りない方便をもって、その人、その場に応じた教えを説いているので、
衆生は、その方便の教えを、くりかえしくりかえし学び習うと良いのです。
そして、その方便の教えを日常生活の上に、日々・実行してゆくことが肝心なのです。
今、皆さんは、たいへんに素晴らしい仏の一大事いちだいじ つまり
○ー仏はだんだんに教えを説いて ついにはすべての人を 仏と同じ境地に導き入れるー ということを知り得ました。
もうまもなく、あなたがたの心の中の疑いは悉く消え失せ、大きな歓喜で心がいっぱいになるでしょう。
そして、自分も仏に成ることができると、自らの心の底の自信を得ることでしょう。
それは、私(世尊)にとっても、大きな楽しみなのです」。
世尊から力強い励ましの言葉をかけて貰った大衆の皆は、大きな感動を受けました。
オイラも少し理解できたよ、これからも、世尊の説法が楽しみです ‥‥‥ ボサツマン
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