5 翻訳者
法華経を翻訳したのは 「鳩摩羅什 くまらじゅう 」中国の人。
鳩摩羅什は 法華経のほか般若心経などの経典も 数多く翻訳しました。
彼は 7歳で出家してインドへ留学し 須梨邪蘇摩すりやそま を師匠として 大乗仏教を学びました。
師は、すぐに 鳩摩羅什の特段に優れた才能に気づき、尽力で教えました。
鳩摩羅什が仏教をマスターして 中国へ帰国する時 師は 鳩摩羅什の頭を撫で蓮華経を授けました。
ー仏 日西に入りて遺耀いよう まさに東に及ばんとす この経典は東北に縁あり 汝謹んで伝え広めよーと激励しました。
当に 師匠の言葉の通り インドからみた東北の日本で 法華経は広まったのでした。
インド語にも堪能たんのう な 鳩摩羅什くまらじゅう でしたが
仏の教えを正しく伝える為 語学者・国王・信徒・も加え 充分に討議を尽くし 経典を翻訳しました。
今 オイラたちが 簡単に法華経を読めるのは 鳩摩羅什の苦労のおかげです‥‥‥ボサツマン
6 鳩摩羅什の逸話いつわ
鳩摩羅什は 出家して独身を通していたが 国王がその才能と人物に心から惚れて ぜひ、
鳩摩羅什の子孫を残して欲しいと願い 彼が断わるのも押して 無理やり結婚させました。
その後 鳩摩羅什は 出家者の立場でありながら結婚したことを 生涯・後悔しておりました。
その鳩摩羅什が 入寂にゅうじゃく の時
ー私は 戒律を破り妻をもったが 今までに私が口で述べたことは 仏の御心であると堅く信じている。
故に 私の身体を火葬にした時 ー舌だけは焼けずに残るだろうー と言い残していました。
火葬すると 舌だけが焼けずに残り 青蓮華の上で輝かしい光を放ち残っていた という逸話がある。
7 法華経の広まり 「天台大師の教え」
鳩摩羅什の舌が焼けずに残った、という噂が広まり 法華経の支持は勢いを増していきました。
まもなく 法華経は 国中の誰もに知られる経典と成りました。
後 小釈迦しょうしゃか と呼ばれた天台大師てんだいだいし が ー仏陀の真意は法華経にありーと説いて
法華経の解説書・(法華玄義・法華文句・摩訶止観)を世に出し 法華経はさらに広がりをみせました。
8 日本では
法華経は 577年に 朝鮮を経て難波(大阪)に入ってきました。その38年後に、
聖徳太子が 法華経の解説書/法華経義疏ほけきょうぎじょ (現存する1番古い書物)を 世に知らしめました。
太子は 法華経の精神と思想を基にし 17条の憲法を作成し 国の法・社会の法として浸透させた。
9 法華経の救いとは?
ー人間が心から求める本当の救いとは 生きている自分自身が今 救われることであるーと説いている
法華経の教えは 生活のまま実行できる救いの精神が凝縮されている尊い教えです。
普通の社会生活を営みながら 法華経の教えを理解し・信じ・実行していく衆生は
次第に 人生の悩みや日常の苦しみに とらわれない心境へ 近づいていきます。
人と人とが仲良く暮らし 人の為・社会の為に尽くそうという気持ちが 自然と起きてくる教えです。
たとえ1日でも わずかな時間でも そういう気持ちを持つ人は 健康も・環境も好転していくのです。
10 人間の/本願/究極の願いとは何か?
人間の究極の願いとは 生涯苦しみが無く・平和で・健康で・長く生きていたい です。
人間の究極の願いを達成するには 法華経の教えを学び実行すること と釈尊は説いています。
法華経の本願ほんがん は 世界中の人間が皆 平和で幸せに・暮らすこと と釈尊は説いています。
11 本仏・釈迦牟尼仏 迹仏・釈迦牟尼仏
約2500年前に釈尊が説いた法華経は 今も 人間尊重の教えとして 多くの人の心に生き続けている。
法華経とは 宇宙の本仏(大生命)が 迹仏・釈迦牟尼仏を通して説いた 万民救済の法なのです。
これからも 永遠に人類の魂に訴え続けていくに違いありません。 合掌・ボサツマン
無量義経へ‥‥ or 妙法蓮華経へ‥‥