分別功徳品 (7)
天台大師てんだいだいし (中国の高僧)は 四信五品 ししんごほん を説いた。
在世の四信 ざいせのししん とは 信仰する在家の善男・善女に与わる 四つ功徳。
1 一念信解 いちねんしんげ 仏の無限の寿命を一念でも強く 心に信解することで得られる功徳。
2 「略解言趣」 りゃくげごんしゅ 3 「広為他説」 こういたせつ 4 「深信観成」 じんしんかんじょう 。
「滅後の五品」めつごのごほん は 初随喜しょずいき 読誦どくじゅ 説法せっぽう 兼行六度けんぎょうろくど 正行六度しょうぎょうろくど の五つ。
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世尊 「在家の五戒」:「六波羅密/布施波羅密」
「では 次に 在世の四信ざいせのししん / 一念信解いちねんしんげ を説きましょう
ある衆生が 仏の智慧を得るために 八十万億那由他劫なゆたこう もの長い間 五波羅密を行じていました。
さらに その長い年月の間 仏や弟子の縁覚えんかく や多くの菩薩衆に 布施と供養をつづけていました。
珍味・美味の食べ物や飲み物 上質の服や寝具など 惜しみない布施ふせ を実行していました。
香りの良い栴檀せんだん の木で 仏の説法の場/精舎しょうじゃ を建て 美しい花園や林を造りました。
このような様々な布施を 長い年月の間ず〜と 欠かさずに行ったとします。
そして この布施が仏道の広まるのに役立つように‥‥と願い 念じていました。
又 戒律を守り・心が清らかで迷いは無く 諸仏が確立した無上道むじょうどう(悟り)を 求めつづけていました。
又 その衆生は 忍辱にんにく を行じて、争う心が無く 常に周囲と調和している境地に達していました。
たとえ 他から諸々の悪い仕打ちを受けても 動揺しない心も 持ち得ていました。
又 法を充分心得たかのような振る舞いをする 自己満足だけの増上慢ぞうじょうまん の人々から
軽蔑されたり 正法しょうぼう を非難されても 常に平常心へいじょうしん を保っていました。
その衆生の志しは固く、長い年月の間中 一心に仏法を求めて修行に励んでおりました。
且つ 限りない年月を、静寂な場所に坐り、瞑想を深めたり 歩きながら法を思索しさく したりして、
智慧の眠りを除きつつ 心を引き締めておりました。
この衆生は こんな努力を重ねていくと 禅定ぜんじょう の境地に達することが 可能になってきます。
そのようにして、長い年月を過ごすと、心が完全に安定してきて 乱れる心は少しも起きなくなります。
この衆生は 精神集中による功徳をもって、仏の境界へ到達することを願いつづけて、
仏の智慧を得て 禅定ぜんじょう の極致きょくち を求め 修行をつづけておりました。
こんな多くの功徳を 長い年月を通して行じたその衆生は 非常にすぐれた立派な人間です。
ところがです!
ここにいる・かしこにいる・どこにでもいる・普通の善男・善女 ぜんなんぜんにょ が
仏の寿命の無限であることを聞き 一念ですが深く信じ、ありがたいと思う心、を強く心に刻みました。
すると この善男・善女には 今のべた衆生の福よりも はるかにすぐれた福(幸)が 与わるのです。
ー仏の寿命は無限であるー という教えに対して1切の疑いを持たず 須臾しゅゆ (しばらくの間)でも
深く信じたすべての衆生は 皆 素晴らしい福を受々することができるのです。
とくに 諸々の菩薩たち すなわち無量の年月において 菩薩道ぼさつどう を実行しつづける衆生は
大乗の教えの精神を良く理解しているから 仏の寿命は無限であることを、すぐ 信受しんじゅ できるのです。
このような衆生たちは この尊い教えを受けたからには 自分も未来にて 仏と同じ無限の寿命を得て
衆生を救おうという願いが 自発的に起きてきます。
現在 私(世尊)が釈迦族の王として 道場にて信じるままを恐れることなく 説いているのですが
これと同じように 彼らも自分の未来で 1切の衆生に導師どうし と仰がれて道場で説法する時は
私と同じく 仏の寿命の永遠不滅を説こう という願いを起こすのであります。
本当に仏法を求める衆生は 精神が清らかであり 飾り気が無くて質直しつじき であります。
精神が清らかで 飾り気が無くて質直しつじき な衆生は
多くの仏の教えを聞く心・多聞たもん をもち 悪を止め善をすすめる力・陀羅尼だらに を保ち
仏の教えを 総持そうじ ー身に行うーことができる 仏法の心が深い衆生なのです。
これらの衆生は 仏の教えの言葉の意味を完全に理解し 法の根本も会得されているのです。
つまり これらの衆生は 今までの私の説法を 少しも疑うことはありません。
一念信解とは 仏の寿命は無限であると 心に信解することで得られる 大きな功徳をいいます」 つづく