世尊 つづける
「この大通智勝如来は 仏に成る前は 某国の王子で 16人の子供をもつ子煩悩こぼんのうな父親でした。
大通智勝如来は 仏に成るため すでに 王子時代から多くの善行ぜんこう を行い功徳を積んでいました。
その16人の子供たちは、高価なオモチャもたくさん買ってもらい、楽しく遊んで裕福に暮らしていたが、
父が仏になられたと知って、自分たちも仏(父)の許へ出向き、修行を始めることを決意しました。
さっそく、子供たちは、大好きなオモチャも捨て、家を出て仏道の修行に入りました。
母や親戚の人々は、もう二度と戻って来ない子供たちを想い、大粒の涙を流し泣き崩れています。
その16人の子の 末っ子の名は 智積ちしゃく といいました。
さらに、子供たちの祖父で 大通智勝如来の父である 徳の高い転輪聖王てんりんじょうおう も
大臣や人民を大勢引き連れて 大通智勝如来の許へ、馳は せ参じたのでした。
そして、如来のまわりをグルグル回り、さまざまな供養を行い 如来の御足に頭をつけ何回も拝礼し
如来に最高の礼を捧げ、熱い眼差しでじっと如来を仰ぎ見て合掌しておりました。
この如来は、長い年月、ず~と道場に座ったまま、厳しい悟りの修行をたゆまず行った結果
540万億那由他 なゆた という、とてつもなく長い寿命を授かりました。
修行中の如来には、やはり、摩の軍団があの手この手で襲ってきたのだが、ことごとく打ち勝ちました。
如来の修行は 最高の悟りの境地のすぐ手前まできていましたが、まだ、完全な悟りは得られず
じっと端座たんざ したまま、約10万年もの間、瞑想と修行をつづけておりました。 「摩/魔事/魔民」
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※豆知識 ○ 菩提樹 ぼだいじゅ 釈尊がこの木の下で菩提(悟り)を開いたので菩提樹という。
○ 那由他 なゆた 1
○ 由旬 ゆじゅん 1由旬とは、現在の約10キロメートル。 ○ 忉利天 とうりてん 「天上界」にある帝釈天の住む世界。
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如来の修行中、忉利天とうりてん の天人たちは、大きな期待を膨らまして如来を温かく見守っていました。
その間、天人たちは、如来が最高の悟りを得た時に座ってもらう、師子しし の座を作成していました。
菩提樹ぼだいじゅ の木の下に創り始めた師子しし の座は、1由旬いちゆじゅん という大変な高さのものでした。
それが、今、ちょうど完成したところなので、天人たちは、如来に真心をこめて、
ーどうぞこの座にお座りになって 悟りを得てくださいーと、申し上げました。
そして、師子の座に座るのを見た天人たちは、喜び、その周りに美しい花を いっぱい降らしはじめます。
その花が積もると、香り高い風を吹かせて花を吹き払い、また新しい花を繰り返し降らしつづけました。
このようにして、天人たちは悟りを得やすい最高の環境を作り、心ある供養を、惜しみなく行っていました。
さらに十万年もの間、悟りを得て如来となる日を待ち望み、天人たちは供養をつづけておりました。
その間、四天王してんのう とその部下たちは、天の鼓つつみ を打ち鳴らし美しい曲を奏でつづけていました。
その美しい曲は、仏が入滅されるまでの十万年間も、奏でつづけられたのでした。
このように、天上界の天人たちは、心から如来への帰依きえ と讃歎さんたん の意をもって、
大通智勝如来が最高の悟りを得られることを、心願しんがん し捧げつづけておりました。
四天王とは、持国天じこくてん 広目天こうもくてん 増長天ぞうちょうてん 多聞天たもんてん です。
持国天は東方の守護を、広目天は西方の守護を、増長天は南方の守護を、多聞天は北方の守護を
それぞれ担当しています。 また、多聞天のことを、毘沙門天びしゃもんてん ともよびます。
彼らは、帝釈天の家来衆で、「下天」げてん にて、天界の守護を担っているのです」。
つづく