分別功徳品 (10)
世尊
「阿逸多あいった よ これから滅後の五品めつごのごほん の 第1/初随喜を説きます。 良く聞きましょう。
如来の滅後にこの教えを聞いた衆生が、疑うことなく、そしることなく、素直に
ありがたいという心が起きたならば、その衆生の信仰の段階は 深信解じんしんげ まで進んでいるのです。
深信解は 仏の無量寿を信解できた衆生の信仰の姿だから その衆生は 真実の信仰を得たのです。
つまり、頭だけで理解する段階を越え、心の底からーあ〜ありがたいーと魂の喜びを感じた時、
その瞬間が真・まこと・の信仰の世界へと 踏み込んだときなのです。
初随喜・しょずいき・とは、”ありがたい”と初めて起きた喜びの心です。
衆生の皆さん 私(世尊)は 「随喜功徳品第18」でも 初随喜の功徳を説くので 楽しみにいてください」。
「塔を建てる目的」:「梵天/釈尊に懇願」
第2/読誦どくじゅ
初随喜の心が起きた衆生は、真実の信仰の扉を開いた衆生なのです。
その衆生が、さらに、その教えを受持し読誦していくと、真実の信仰の温度がますます高くなります。
ここまで信仰が高まった衆生の肩には 如来が留とど まっておられるのです。
これは真実なのです。
これらの衆生は もはや 仏のために仏塔ぶっとう や寺を建てることも・僧房そうぼう もつくる必要もありません。
衣服えぶく 飲食おんじき 臥具がぐ 湯薬とうやく などを用いた僧たちへの供養も 必要もありません。
なぜならば この教えを受持し読誦すること=イコール仏塔や僧房をつくり、衆僧を供養することなのです。
例えば、壮大な七宝塔を、梵天ぼんてん まで届くほどの高さまで建てて、仏舎利ぶっしゃり・を祀まつ り
煌きらび やかな飾りつけをして、諸々の供物くもつ や焼香しょうこう や音楽や舞踊などで供養したならば、
天の天女てんにょ たちは 美しい歌声で誉め称え 感謝の気持ちを 現わすことでしょう。
確かに、このような供養は、まったく至れり尽くせりを尽くした、最上の供養とも言えるでしょうが、
この至れり尽くせりの最上の供養を 無量千万億劫むりょうせんまんおくこう の長い間、つづけた価値と
仏のこの教えを 受持し読誦する価値とは 同等の価値なのです。
経典を繰り返し声に出して読誦どくじゅすることは 教えを心で味わい・深く学ぶことです。
故に 衆生がこの教えを受持し読誦することは 最上の供養に値するのです」 つづく