世尊 修行者の心構えを説く
 「薬王よ
我が所説の経典 無量千萬億 むりょうせんまんおく にしてすでに説き今説きまさ に説かん。
  しかもその中において
この法華経最も難信難解 なんしんなんかい 教えなり。
  この法華経は
 諸仏の秘要の藏ひようのぞうなり分布して授与すべからず
  この法華経は、諸仏諸尊が守護したもうなり。 昔よりこのかた
今だかって顕説けんぜつ せず。
  しかも
この法華経は如来の現在すら尚怨嫉 おんしつ 多し況やいわんや 滅度めつど の後をや尚‥‥」。
  意味:
 「私世尊無数の教えを説いてきたがこれまで説いた教え現在説く教え今後に説く教えなど、
  そのすべての教えのなかで
 この法華経が1番難信難解信じ難く解りにくい教えである。
  また
この法華経は諸仏が心の中で深く信じている秘要の藏(秘法)であるから
  
分布して人に授与じゅよ すべからずー 
  つまり
生半可の理解程度や、自分勝手な解釈で法(教え) 説いてはならないのです。
   この法華経は諸仏が最も大切にしている教えですので、
  私
世尊 昔より今まで大衆の前でハッキリとすべてを打ち明けて説いたことはありません。
  なぜなら
私でさえ法華経を説くことは今の現在でもうら みや妬みねたみ  受ける心配があるのです。
  ましてや
私が滅度した末世 まつせ の時代ではもっとひどくなることが考えられるのです」。
 ボサツマン 手を挙げて 世尊 脅かすのはヤメテくださいよ
  「今
世尊はこの法華経は 最も難信難解
 なんしんなんげ ーの教えなり‥‥と説いてくれました。
   でもオイラには
え?と疑問が生じました。
   世尊は
法華経の教えはだれでも修行を積んでいけば仏になれる教え以前説いていたでしょう」
 世尊 ボサツマンの早とちりの癖を正す
 「ボサツマンよ
君は早とちりが過ぎます。 それを直すには話を最後まで聞く気持ちを持つことです。
  法華経がなぜ
難信難解なんしんなんげ の教えなのかという理由をこれから説くのです。
  衆生は
自分では理解したと思ってもすぐグラグラと 心が動揺しやすいものです。
  
妙法華の教え前世からの因縁が熟した衆生だけが心の底から理解し信じることができる教えです。
  因縁が熟した衆生とは
素直な精神の持ち主の衆生をいいます。
  前世
ぜんせい からの因縁熟していない普通の衆生たちには困惑が生じるのです。
  
だから難解なんかい 過ぎる教えと受けとってしまうのです。 これが理由なのです。
  
困惑した衆生は疑いの念が強まり嫌気が起き挫けそうになり教えから離れようと思いやすいのです。
  だが
そんな衆生でも諦めずにこの教えを受持し読誦していくと必ず信心に至る尊い教えなのです。
  つまり
法華経が難信難解教えといわれる理由は衆生の因縁が皆違うことに起因しているのです」。
 
  ボサツマン
  「世尊実はもうひとつ質問があります。 それは、怨嫉
おんしつ 多しについてですが、
   
なぜ?尊い法華経の教えにうら みや妬みねたみ が生じるのでしょうか。教えてください」。
  
世尊
 「
ボサツマンよ素晴らしい良い質問です。 今からその理由を説きましょう。
  法華経の高くて正しい教えを信じる人が
低い教えを信じている人にこの法華経の教えを説いたとき
  その低い教えを信じる人の心には、妬
ねた み心やしゃくにさわる感情がしばしば起きやすいのです。
  つまり
教えを信じる人の心に自分より高い教えを信じる人への嫉妬心しっとしん が起きるのです。
  だが
こういう怨嫉おんしつ の衆生たちにも自信をもって法華経の教え解説げせつ してやってください。
  なぜなら
如来がこの教えを説く衆生を衣をかぶせて護ってあげると約束しているからです。
  末世
まつせの衆生たちよ安心してこの教えを説いてください。迷うことは何もありません。
  ボサツマンよ、君にも、お願いしますよ」。
               
ハイ了解しました……でもオイラ大丈夫かな……いいか返事しちゃったし………ボサツマン
 
世尊 高原穿鑒の譬えこうげんせんしゃくのたとえ  説く 
 「法華経の行者は高原穿鑒の譬えを学び不退転の心で一心に法を求めて一筋に進みなさい。
  水のない砂漠で喉が乾いて悩んでいる人が
水を求めて砂漠に井戸を掘るとします。
  掘っても掘っても
 土が乾いているあいだはまだ水の水源までは 掘れていません。
  さらに
辛抱強く掘りつづけるとだんだん湿った土になってやがて土がどろどろしてきます。
  ここまでくると
いよいよ水が近いことは誰の目にもわかります。 
  ついに
地球の内部から水が自分の目の前にし み出てきます。 やった!と嬉しい瞬間です。
  同じように
失望や迷いに負けず一生懸命に菩薩の修行を行うことが 仏に成る近道なのです。
  現世で
法華経に出会うことができた衆生はもう迷うことはありません。
  少しの修行で
水がでてこないからといって法華経をやめて ほかの土を掘ってみようと思う衆生は、
  いつまでたっても
喉の渇きを うるお ことはできません。
  この道一筋に
忍耐強く掘り下げていくと必ず悟りの道に達するのです」。  ‥‥‥合掌
                                             
六煩悩/増上慢」:「薬艸諭品第5
  
世尊   しつ え ざ 三軌さんき 説く
 「薬王よ
如来の滅後の善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにんが大衆の為に法華経を如何いかに して説くべきか‥‥
  それは
善男子善女人は如来の室にょらいのしつ に入り如来の衣にょらいのころも を着て
  如来の座
にょらいのざ に坐してしこう していまし大衆の為に広くこの法華経を説くべし‥‥です。
 
 如来の室にょらいのしつ とは 1切衆生の中の大慈悲心だいじひしん のことです。
  つまり誰でも入室できる大きな部屋のことで
善人悪人問わず皆同じく救う大慈悲心をいうのです。
  如来の衣とは柔和忍辱にゅうわにんにく の心なり。 つまり増上慢ぞうじょうまん の心を捨ててという意味です。
  如来の座とは一切法空ほうくう の心なり。つまり仏の目で衆生を平等に見る心をもってという意味です。
  この三軌 さんき に安住してしこう して不懈怠ふげだい の心で菩薩と共に四衆に法華経を説くべし。
   法師の衆生たちよこのをよく守り自信をもって法華経を説いていきなさい」。
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