如来寿量品 (26)

 
経文:我浄土不毀 而衆見焼盡 憂怖諸苦悩 汝是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁  ★30ここの経文
  「我が浄土こわ れざるに しか  衆生は焼け尽きて 憂怖うふ 諸々苦悩 充満せりと見る。
   諸々の
罪の衆生 悪業の因縁を以って 阿僧祇劫あそうぎこう を過ぎとも 三宝さんぽう 御名みな を聞かず」

 
世尊
 「仏の世界
浄土というところは 毀こわ れも焼けもしません。
  しかし
衆生の目には この娑婆世界は大火に焼かれ 不安
恐怖苦悩に満ちた世界と見えているのです。
  こういう 罪を負った衆生は
悪業あくごう 真理の法を無視した悪い行いを積み重ねていくので
  無量に長い
阿僧祇劫
あそうぎこう の年月を経ても 三宝さんぽう の名を 聞くことはありません。
  罪を積み重ねる衆生とは 生命向上を積極的に行わない衆生のことです。
  仏
ほとけ を目指して進む 生命の歩みを止めることは 仏の教えに反する罪業ざいごう であるのです。
  人
生き物を殺生したり苦しめることは 生命向上を阻止する大きな罪造りなのです。
  三宝
さんぽう とは のことで 仏の弟子のよりどころです。
  三宝
の名を聞かずとは 仏に出会う縁に恵まれない 悪業の衆生のことです。
  悪業の因縁を断ち切ると
仏の教えを聞く縁が生じます。 依って 仏の弟子仲間になれるのです」
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 経文: 諸有修功徳 柔和質直者 即皆見我身 在此而説法 或時為此衆    ★31ここの経文
  「諸々の功徳くどく を修し 柔和質直にゅうわしつじき なる者は 即ち皆 我が身 ここ にあって法を説くと見る。
  或時
あるとき  此の衆の為に
仏寿無量ほとけむりょうじゅ なりと説く。
  久しくあって
いま し 仏ほとけ を見たてまつる者のため 仏には値い難がた しと説くのです」

 世尊

  「衆生の中で 正しい教えを求め 業の因縁を断ち切り 世のため人のための善業功徳を積み
  心のすべてが 柔和にゅうわ 質直しつじき になった者だけが  仏を見ることができるのです。
  このような衆生だけが
法を説く仏に 出会うことができるのです。
  仏は
 あるときは 仏の寿命は無限であり 永遠不滅 無始無終の存在であると 説きます。
  又
長い年月を経た後に 仏の教えに出会うことができた衆生や 修行の怠け癖が抜けない衆生には
  仏の教えに出会うことは
容易なことではないから 怠らず修行に励みなさいと 説くのです」
                
    修行の怠け癖が抜けない衆生とは オイラのことだ 反省 …… ボサツマン
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 経文: 我智力如是 慧光照無量 壽命無数劫 久修業所得 汝等有智者     ★32ここの経文
  「我が智力ちりき かく の如ごと  慧光えこう すこと 無量むりょう 壽命無数劫じゅみょうむしゅこう なり
  久しく業を修して得る所なり
 汝等なんじら あらん者 此に於いて 疑いを生じることなかれ。
  当
まさ に断じて なが く尽きしむべし 仏語ぶつご (仏の言葉)は実じつ にして むな しからず」

 世尊

  「仏の智慧の力は このように大きいのです。その智慧の光で照らされる衆生は 無量の数なのです。
  つまり
 仏の智慧の光 すべてを照らし すべてを救うのです。
  仏は
久しく 善業ぜんごう を積み重ねた結果 無限の寿命を得たのです。
  
真理の智慧を求める衆生は 仏の智力 智慧光 寿命は無量であることを 疑ってはなりません。
  仏が滅度するという方便に関しても
衆生は心の迷いを 永遠に断じ尽くさねばなりません。
  また
仏は常にあらゆる所にて 衆生を済度さいど している 仏が言う言葉仏語ぶつごは真実であり
  けっして偽りではない
(虚しからず)ということを 理解しなければなりません。
  つまり 宇宙に遍在する久遠実成くおんじつじょう の「本仏ほんぶつ 寿命無限であります。
  且
 娑婆世界に出世された迹仏(釈尊)寿命無限であります。 
  これは
真実ですので 衆生は心の迷いを 永遠に断じ尽くさねばなりません」。
    
世尊 オイラは 心の迷いを断じたと思ったら 翌日には また 迷いがでるのです スイマセン……ボサツマン   つづく