信州の鉄道音景CD つれづれ草page.1
鉄韻居士の  ハチャメチャつれづれ草       page.1
  目次
  ・・・・・・・・・・・・  目  次  ・・・・・・・・・・・・
 【page.1】
  第一話 思い出の草軽電鉄
  第二話 小諸なる古城よ
  第三話 真田は本当に強かったのか
  第四話 おしゃべりエネルギー
  第五話 耳よりの話
  第六話 姨は本当に捨てられたのか−非公式姨捨考
  第七話 駅そばラプソディー
 【page.2】
  第八話 わが心の八重垣姫
  第九話 加速度の不可思議
  第十話 姫川考
  第十一話 安曇野に出た幽霊
  第十二話 野辺山国立電波観測所からの帰還
  第十三話 中央線のビル・ゲーツ氏の謎
  第十四話 銀河第7鉄道・珍念君騒動記
 【page.3】
  第十五話 登山鉄道狂想曲
  第十六話 摩擦運転と粘着運転
  第十七話 終電に出た電車わらし
  第十八話 クレーム対策記
  第十九話 お諏訪様縁起
 【page.4】
  第二十話 鉄・「人間原理」・宇宙


  第一話 思い出の草軽電鉄

 むかし昔、群馬県の草津温泉へは、長野県の軽井沢から「草軽電鉄」という 野趣溢れる小鉄道が通じていた。筆者も子供の頃、親に連れられて一度乗った 経験がある。まだ、マイカーは勿論、バスすらも一般的ではない頃の話である。

 電鉄といっても、電車でなく電気機関車が引いていた。また、機関車といっても かわいらしいもので、黒部峡谷のトロッコ電車の機関車に似ており、「かぶと虫」 の愛称で親しまれていた。集電架構は普通のパンタグラフではなく、上下動式の 簡単なものであったがスピードが出ないので、そうそうスパークすることはなかった。

 架線が低いので、現在なら感電する人もいるかもしれないが、当時は、みんな 背が低く、栄養状態も悪くて今の人のようなみずみずしい体ではなかったので、誤って 感電死する人などは一人もなかった(・・・と勝手に思う)。

 実にのどかな電車で、窓から手を延ばせば、線路脇の小枝の葉は容易にむしることが 出来た。夏の季節、青葉若葉の木漏れ日の中をのそのそと行く電車は、今ではまったく 味わえない素晴らしいものであった。熊でも乗り込めるほどのスピードではあったが、 熊が無賃乗車したという話も、切符を買って乗ったという話も、どちらも新聞で見た ことは無い。熊は、元来、マナーが良い方なのである。

 軽井沢から草津へはほぼ半日がかりの旅となるので、今で言えば、ちょっとした 外国旅行にも匹敵するが、軽井沢や草津よりも、この電車の旅そのものが夢の世界で あった。

 今の日本の交通機関は、どれもこれも便利でスマートになってしまった。野趣を 求めて、わざわざ後進国の鉄道を求めて旅する人も多い。だが、目的地までの時間と お金、現地の治安と衛生状態など、気軽な旅とは言い難い。

 いっそ、 横川〜軽井沢〜草津温泉間に「草軽電鉄」を復活したらどうであろうか。こういう 鉄道があってこそ経済大国の貫禄なのである。東南アジアや台湾、大陸中国の人達も 遊びに来てくれるかも知れないし、もしかすると今度はほんとうに熊も懐かしさの 余りに乗り込んでくれるかも知れない。
↑目次に戻る

  第二話 小諸なる古城よ
 以前、浅間山下山中に諸国漫遊中の若いイギリス人に出会い、小諸城のことを 「Only Gate」と拙い英語で説明したら妙に納得して上田方面へパスしてしまった のを思い出したのであるが、小諸城の城跡は現在、城門とそれには不釣り合いな 小館しかない。

 ただ、門は実に立派である。また、苔のまつわる石垣も古城の名に恥じない。 城門は小諸駅に開く形に位置している。城跡と駅が隣り合ってあるのは全国的にも 珍しい。

 島崎藤村のお陰で小諸の城址は「懐古園」というゆかしい名前とともにすっかり 有名となっている。このごろは北陸新幹線の停車駅にならなかったり、藤村自体が 過去の文人となりつつあったりで小諸にとってはさえないことも多い。あの柴又の 「寅さん」記念会館を城跡外に造ったりしているが、評価はそれぞれであろう。 筆者小居士には小諸のイメージに沿うものとは思えない。

 史跡に建物があまり残っていないと、却って歴史のイメージを膨らませる。 なまじのものが復元したりしてあるとがっかりということは多いものであるが、 この点、小諸城址は素晴らしい。が、実のところ、お城そのものにまつわるロマン には少々事欠くのである。悪口を言えば、島崎藤村あっての古城・小諸城址なので ある。

 だが、その藤村が「砂まきかえる」と歌った千曲川を睥睨するかのように 配された粗末な四阿屋、やや広い、何も無い馬場を石垣とともに巻き取る古桜の 並木など、それらの風情には実に詩情溢れるものがある。信州の中でもさらに遅い桜の 季節(四月下旬)に訪れてみられては如何だろうか。

 このお城は駅と合い隣る以外にも珍しいお城である。およそ戦国向きのお城では ない。南は、素晴らしい眺めの千曲川の断崖となってはいるものの、城門の残る 北側は敵よ攻めよとばかりに浅間山の大傾斜が城に向かって下っているので ある。城下町よりお城の標高が低いのである。どういういきさつでこんな場所に 城を築いたものか、初代城主は相当の風流人であったのかも知れない。類は友を 呼び、幾星霜隔だつとも、その霊と呼応したのが 島崎藤村であったのかも知れない。
↑目次に戻る

  第三話 真田は本当に強かったのか
 信州上田といえば真田、真田といえば信州上田というくらい、上田には 他には何も無いのである(笑い)が、豊臣存亡の決戦時には家康公の首にもおよぶ 戦ぶりをみせた勇猛の戦国武将として真田幸村の名は依然高い。

 幸村の父の昌幸は、今で言うゲリラ戦法に長けた人で、諜報活動の重要性にも いち早く気付いた軍略家であった。戦国の世の田舎小藩であることをよく自知 した人であり、孫子をよく知りぬいた人であったと思われる。が、その機略ゆえ に卑怯者の汚名を着せられた人でもあった。しかしながら、それだけのことでは 後世に名は残らなかったであろう。昌幸の勇名は、徳川の大軍を2度に渡り、 上田で打ち負かしたことにある。

 これについては、彼の奇策たるや秀吉並みで、土地の花火師に命じて1夜にして 数百門の偽の大砲を段丘に並べた、とかいうまことしやかな話もあるが、あの時代 に花火師が既にいたものか、ましてや当時こんな田舎に火薬が多量にあったものかと、 眉毛につば塗る次第なのである。

 そうではなくて、昌幸の高名=碓氷峠、と言ったら、少しは鉄道がらみの話に なるだろうか。

 徳川3万の大群が、この上田に大挙してやってきたことを具体的に想像してみて 欲しい。筆者小居士は寡聞にして、当時の碓氷峠に鉄道があったとか、戦国の世に EF63重連などという強者があったとか居たとかいう話はつゆ知らない。 よし居たとしても全く走る術もなかった。鉄道線路というものが無かったからである。 僅か4百余年前のことではある。

 さて言わずもがな、鉄道がないこの峠を徳川方はひたすら徒歩で越えたのである。 馬もあったろうけれども、兵卒は徒歩なのである。「すたこら」ではなくて 「ひたすら」なのである。20キロ以上の急坂を10キロ以上の重荷を負って歩いた 経験のある人には説明不要の話であるが、へとへとなのである。漢字で書くと 兵徒兵徒とでもなるのか。

 そんなときにすぐに迎え打たれたんでは、いくら強くとも 徳川様、この戦に勝ち目はない。土台も天井も勝てるわけが無いのである。 真田軍がとくに強かったわけではないのだ。太古の昔より上州と信州をくっきりと 隔ててくれていたこの峠のお陰ゆえなのである。上田の人は昌幸らの勇猛を誇り語 る前にこの辺のことをよく弁えないといけないのではなかろうか。ただ自戒あるのみ である。

 それにしても近頃では江戸と上田とは随分近くなってしまったものである。 だが、碓氷峠には新幹線より重連のEF63が似合う気がするのは筆者だけだろうか。
↑目次に戻る

  第四話 おしゃべりエネルギー

 マイカーでなく鉄道の旅の場合、場合によっては女の子達のもの凄いおしゃべり パワーに遭遇して辟易することがある。静かな旅を好むときは本当に憎らしく感じる ことが多いが、反面、鈴を転がすような美声の群れの可愛いおしゃべりに遭遇した 場合には、ときとして聞き耳をたててしまうこともある。

 それにしてもあのパワーはいったい何カロリーなのか。簡単な計算をしてみる。
 人間の基礎代謝は成人の場合、大体1200栄養学カロリー/日という。1栄養学 カロリーは1キロカロリー(物理学、工学)であり、また、W=JQ(ただしJ=4.2 ジュール/カロリー)ゆえ1カロリーは4.2ジュールである。よって、1200 栄養学カロリーは4.2X1200X1000ジュールである。つまり、5040キロ ジュールである。

 1W(ワット)とは1ジュール/秒である。1日は24X3600秒であるから 5040キロジュール/86400秒=58が、人間の基礎代謝を電球並みにワット で表した値である。以外と少ないのである。

 さて、一寸したラジオやテレビのスピーカは3W前後である。人間の音声もこれくらい かも知れない。このスピーカが1日中しゃべっていたとしよう。カロリーは、今度は逆算 して(3/4.2)X24X3600カロリーつまり61714カロリーである。栄養学 カロリーではほぼ62カロリーに相当する。本当に少ないのである。イモか駄菓子か なんかをほんの少し食べただけで十分足りるカロリーである。

 発音機構の効率がよい場合を仮定しての計算ではあるが、妙に納得してしまう筆者で あった。
↑目次に戻る

  第五話 耳よりの話

 この話は、耳よりな話でなくて耳偏りの話である。鉄道がらみの話でなく 我々の耳に少しく偏り過ぎた話である。あまり面白くないので退屈している 人だけが読んで欲しい。

 我らが音景CDなぞを聴いて、そこにいる臨場感を味わえるのも、まずは 耳のお陰である。耳が不自由でないことを感謝しなければならないが、感謝 する対象は宗旨、思想、信条などによりさまざまであろう。人によりそれは 神であったり、仏であったり、あるいは偶然や運などであるであろう。

 耳というものは、とにかく凄いものらしい。電話やマイクやアンプなどの ローテク品とは異なり、超ハイテクの機能群から構成された素晴らしいもの らしいのである。連続的に聞えている感じではあっても、無数のくし型フィ ルタにより同時並行的な周波数分析が絶えず行われているらしい。分析結果 は最後には瞬時にまとめられて脳内で意味解析に掛けられるというわけである。

 こういう最先端の研究をしている人ほど、実は神の存在を信じているよう である。生命の諸機能の成立を説明するのにダーウィニズムやネオダーウィ ニズム、はては木村式中立浮動説などの唯物論的説明だけでは納得がゆかぬ もののようである。ただし、これらの人達の場合、神がキリスト教などのよ うな絶対超越神であるものとは限らぬようである。我々を遥かに超えた何ら かの知性体により地球上の生命が造られたと観る考え方が現在増えつつある ようである。

 尤も、絶対神を認めない立場では、神もどき高度知性体も、もとは 進化論的な方法により出来上がったと説明しない限り、絶対神と同じ由来と なってしまうのであるが、いずれにしろ、生命などについての知見が増せば 増すほど、却って、神の存在是非の問題は簡単には解決できそうにないよう である。

 ところで、そういうむずかしい問題はさておき、諸兄諸姉におかれては、 バーチャルな体験をできるのは、視覚、聴覚いずれであろうか。筆者は聴覚 の方がより優っているように思われる。目をつむって聞く場合はその気には なれるけれど、耳を塞いで見ているだけのときは、現実感が強く、とても臨 場感には浸れない。また、耳から入るノイズは僅かでも我慢がならないけれ ど、ビデオや映画の一寸した傷線などはどうということもない。

 そう言えば、 昔の映画などは雨のように縦筋が入っていたけれど、結構気にしないで見て いたものである。視覚より聴覚のほうが鋭敏なのか、シリアルな情報ゆえな のか、情報量としては少ないためなのか、詳しい人がいたら教えて欲しい。 ただ、mp3でも我慢できるという人には教えて欲しくない。
↑目次に戻る

  第六話 姨は本当に捨てられたのか
                 −非公式姨捨考


 姨捨は、高速が並走しても、マンションがちらほら点在するようになっても まだまだ十分の風情を留めている。この最も信州らしい山里がなぜ「姨捨」なのか。

 ガングロヤマンバが懲らしめと更正のために捨てられたのではない、老慈母、 老祖母が捨てられたのである、ということなのか。これは一体どういうことなのか。 あまりに悲しい話ではないか。こんな話には救いがないではないか、夜店の金魚とは 大いに違い、我々は救われたいのである。世知辛い世にいい孝行話などを聴いて一時の 慰めを得たいのである。

 そこで謎を解くため姨捨を歩いて見る。旧家の土蔵などに眠る古文書などにその答え はないか。
 と、ぼろぼろの戯れ書きに一縷の光明を見つける。

   姨捨てて悔い無き里や月数う (詠み人知れず)

とあり、ついで、知れぬ詠み人に、とあり、

   矩に一句書きて立ち去るどぜうかな

とある。思うに先の句を作った方の古人は、どうやら、どじょうひげの持ち主らしい。 後の句はあきらかに芭蕉の「田一枚植えて・・・柳かな」を意識したからかいの返句の ようである。それはどうでもよい。問題は先の句である。どじょうひげの作った方の 句である。

 変な句である。分かったようでわけの分からない句である。数えた月とは、 年月なのか、田毎に映る美しい月影なのか、この「や」の用法は適切なのか。まったく わけの分からない変な句なのである。が、「悔い無き里」という中落ちに筆者はピンと 来たのである。日頃、マグロの中落ちを好きで食ってきた甲斐があったというべきか。

 「悔い無き里」とは、母を置いてきても悔いないほどの美しい風情と人情の里とも 解せる。つまり、安心な理想の里と瞬時に理解できてしまったのである。まことに勝手な話では ある。が、これも日頃マグロの・・・・。多くを語る必要はないであろう。DHA、EPAの 話はいまや日本国民の常識である。近頃ではネコだって知っているのである。

 さて、話は逸れてしまったが、それほど素晴らしい里なのである。天に至るほど営々と 耕す民に悪者、不孝者がいるわけは無いではないか。こんな美しい里に生きるものの心に 悪心が生じるわけが無いではないか。ミョー〜に納得できてしまったのである。だが、本説 を発表したのは如何にも軽率に過ぎたかも知れない。いや、発表して諸説興るのを待つも よい。・・・などとは偉そうである。僭越に過ぎる。

 いやはやここはやはり諸先生方のお叱りを待つことに決めた。・・・・なお、先の両句 は筆者小居士のまったくの創作です。すいません。
↑目次に戻る

  第七話 駅そばラプソディー

 腹の空いた昼下がり、駅構内の立ち食いそばのスタンドを横に見ながら通り抜ける ことのできる人は、人生ゲームの勝者となる資格が十分ある。筆者からすると羨望 よりむしろ尊敬に近い目で拝顔するほかはない。

 私ごとで恐縮であるが、筆者は高血圧ねずみと同じ遺伝子を持っているらしく、 自慢にはならないが、血圧の高さは超がつくほどのものである。薬を飲まなければ 200は軽い。飲んで160なのである。薬を飲み始める前には患者より備品を 大切に考える模範的な看護婦殿から、血圧計を破損しないように注意されたくらい なのである。とにかく、どのくらい高いってそのくらい高いのである。

 だから、駅そばなんか食べてはいけないのである。汁を全部飲み干した日には 筆者に明日は無いのである。半分飲んだとしてもあさっては無いのである。 だが、ときとして美味い駅そばに当たった日には、どうしても汁を干す誘惑に負けて しまうのである。

 駅そばは蕎麦ではないという人もいる。いわゆる蕎麦通の人である。 これに反論するつもりはない。だが、駅そばは麺ではなく汁である。汁が勝負である。 そばの麺は延びていてかまわない。というより延びざるを得ない事情の食べ物である。 ぼそぼそでもよい。断面が丸くたっていい。汁が良ければ十分満足して食べられる のである。

 コロッケそばというのが中央線沿線で流行っているようである。てんぷらそばとは また違う趣のものらしい。食欲をそそる組み合わせである。考えた人は エジソンほどでないにしてもかなりの天才である。ときとして油の切れていない てんぷらよりもさっぱりとして食べれるものかも知れない。松本駅にもあるそう なので、筆者も今度松本に行ったときには食べてみよう。場合によってはこれだけの目的で 松本へ行ってしまったりする筆者というのは、人生ゲームの敗者の資格十二分ではある。 
↑目次に戻る  .
【page.2】へ進む→
【page.3】へ進む→
【page.4】へ進む→



↑このページのトップへ戻ります.
←トップページへ戻ります.
飾り罫線
無断転載はご遠慮ください。