信州の鉄道音景CD つれづれ草page.2
鉄韻居士の  ハチャメチャつれづれ草       page.2
  目次
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  第八話 わが心の八重垣姫
  第九話 加速度の不可思議
  第十話 姫川考
  第十一話 安曇野に出た幽霊
  第十二話 野辺山国立電波観測所からの帰還
  第十三話 中央線のビル・ゲーツ氏の謎
  第十四話 銀河第7鉄道・珍念君騒動記
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  第八話 わが心の八重垣姫
 上諏訪駅から直ぐの諏訪湖岸にはさまざまなモニュメントがある。中には岸辺と いうよりも湖の中に置かれているものがある。その一つが八重垣姫の像である。 八重垣姫といってもピンとは来ない人が多いであろう。歴史や歌舞伎の好きな人、 また、甲信越の中でも更に限られたエリアに住んでいる人にしか知られてはいない。 あまり有名な姫ではない。

 この姫の像というのはかなりのものである。
 かなりというのは、芸術的な素晴らしさではなくて、その体格である。およそ姫 というイメージから想像するものとは大分懸け離れている。ややこしい表現になるが、 諸姉の一人が諸兄の一人をつれてこの湖岸を歩けば、大抵は自分を美しき痩身で あるかのが如くに錯覚させ得る。

 逆に、諸兄はこの場にいる随伴者を永遠の伴侶となすべきものか軽々しく決定 してはいけないのである。脂身の人より細身の人を好む場合に限った話ではあるが。 とにかく、他の場所でもう一度じっくりと見直した方が良いのである。

 どのくらい立派な像であるのか、これでもピンとこない人のために三元寸法を 計ってみよう。胸囲182、腹囲182、臀囲182。単位はセンチメートル、 ずん胴である。いや、諏訪湖はまだ寒いので家の庭に置かれている錆びたドラム缶を ちと計ってみた。まあ、これくらいのものではなかったか、あるいはもっとか、 といま思い出しているのである。

 諏訪市に知己のいない筆者には、どうしてこのような像−−いうなれば八重垣おばさん像−− が建立されたものか確かめる術はないが、可憐なロマンの主人公である姫は本当はもっと 愛らしい筈なのである。

 越後と信州北半を支配していた上杉家に生まれた姫は、甲州と信州南半を支配していた 武田家の勝頼の許婚けを押し付けられた。自然発生的な(笑い)相思相愛の仲というので なく、政略的婚約であったけれど、勝頼とその父に心の誠を尽くす悲恋の物語の主人公 なのである。

 実の父母より勝頼と義父に尽くす点では現代的ではあるが、まあ昨今では 絶滅してしまった一途な女性なのである。あのような像を建てられたんでは、沈んで いないとは言え、浮かばれないではないか。湖が凍ったとき、載せて沈まないくらい 華奢なお姿でないと湖面を渡る物語のクライマックスとも合わない。 抱える兜も重そうに見えなければいけないのである。

 姫というのはとにかく細くなければいけない。天を見上げて吠える風であったり、 妙にそっくり返ったりしていてもいけない。民下々に合わせるが如くにちょっとばかり猫背で、 前かがみでなければいけない。どこか憂いがなければいけない。・・・と、どうしても 筆者の頭の中では、あの田島某女先生に叱られるような女性像となってしまうのである。

 諏訪市に予算があったら別の場所にもう一つ建て直してみては如何だろうか。 八重垣姫 Ver.2?
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  第九話 加速度の不可思議
 慣れというものは恐ろしい。昔からみんなウンコをしていたのだけれども誰も 万有引力には気が付かなかった。ニュートン先生でさえそうなのである。 彼が便秘でない限り、恐らく毎朝、ニューッ、トンとはやっていたのだろうけれども、 りんごが落ちるのを見るまでは万有引力を発見できなかったのである。 それくらい習慣というものは物理学の敵なのである。

 以下をよく読み、新しい理論に発展させたならば、将来必ずや、脳減る賞の受賞 くらいは間違いなしである。でなくても、電車に乗っていて退屈なとき、加速度を 感じたらこんなことを考えてみるのも一興かも知れない。ボケ予防にはなるであろう。

 言わずと知れたとおり、1905年、アインシュタインというお方が突如登場して、 それまでローレンツ先生がこつこつ脂汗を垂らして完成を期していた電磁気学を ねもとからひっくり返してしまった。

 とにかく、詩才に恵まれた彼は、因と果とを反転した「相対性理論」という詩を 書いてしまったのである。あまりに美しい詩であるがゆえに皆だまされてしまった。 当時も今も難解と言われているこの詩は、なぜ難解かというと、間違いだからである。

 何度でも言うけれど因と果がひっくり返っているのである。この世界の空間の性質、 もう少し具体的に言うと、エーテルの性質はローレンツ先生がもう少しで究め尽くした 筈のとおりなのである。エーテルは捨ててはいけないのである。筆者の分際でこんな 不穏当なことを言えるわけは、フランスにおられたマッハ(文朱とは違うマッハ)と いうど偉い先生を力強い味方としているからなのである。−−−きんさん、ぎんさん風に 「どえりゃえー先生」と言ったほうが説得力が増すかもしれない。

 この世界は、ローレンツ理論の導くその『 結果として 』、ガリレオ変換とも電磁気学 とも矛盾しない相対性が成立し、光速も一定に見え、従ってミンコフスキーが明らかに したような4次元的対称性が成立しているのである。くどいけれど『 結果として 』 なのである。

 相対性や光速不変が『 原因ではない 』のである。勿論、特殊相対性理論が扱う現象に 関する限り、ローレンツの電磁気学を援用してもアインシュタインの詩を援用しても 計算結果はまったく同じである。エーテルなんか考えなくても何の不都合もない。 じゃあいいではないか。確かにいいのである、ただし加速度について考えていない内は、 ・・である。

 さて、一般相対論では、加速度は万有引力(正しくは重力)と同等に扱われる。 詩人の彼はこれを「等値原理」と名付けた。加速度と重力とを同等なものとして扱い、 空間(4次元)の各微小部分では相対性と光速不変とが両方成り立つようにするために、 彼は実に偏頗な理論をレビ・チビタらとこさえてしまった。偏頗というわけは、相対性 と光速不変を先験的な原理とすることに異常にこだわっているからである。やはり、 これも奇特なる詩というべきか。使った微分幾何学という数学は実に難解なこと 極まりない。

 難解な割に検証できたとされる実験結果は少ないのである。重力場の局所でそんな 相対性や光速不変が成立しているということを直接証明できる実験はまったくないの である。とにかく熱くて暑くて出来ない。検証できたとされている間接的効果も、 あまりに微々たる現象で、異論もいまだに依然あるのである。この一般相対論は、 一応、業界(物理学社会)では正論と認められている。が、実は本当に理解できている 御仁は同業界でさえ実に少ない。希少種である。トキよりは多いがパンダよりは 少ないであろう。極論すれば、みんな白ばっくれて、正しい、正しいと分かったふりを しているだけなのである。

 だが、さすがに湯川秀樹先生ともなると「一般相対論は、極めてアインシュタインの 個性が反映した理論、他の人ならまた違ったものとなったであろう」という趣旨の ことをおっしゃっている。やはり不出来ではない秀樹先生なのである。傑出した お方である。人間一般としての勇気もおありである。尊敬に値するお方である。 日本の誇りである。

 ま、この問題は、筆者のような素人の馬鹿もんが岡目で思ってみるのには、もっと 素直に考えた方がいいと思うのである。加速度によって生じる慣性力こそは、エーテルと「一部の物質」 の目に見える相互作用なのである。「一部の物質」とは、「質量現象のある物質」 をちょっと気取って言ってみただけであるが。あまりに卑近で慣れすぎた現象ゆえに この簡単な事実になかなか気が付かないのである。冒頭の万有引力に関するウンコの例を 思い出して欲しい。これと同等の原理なのである(「等痴原理」・・・笑い)。

 今後の物理学としては、とにかく、相対性と光速不変を「原理」とするのは止め、 エーテルをまた素直に認め直すことである。その上で、もっとずっと分かり易い理論 を作ることである。そのためにはこのエーテルに高エネルギー粒子を叩きつけ、 なぜ絶対速度は観測できず、なぜ加速度だけは観測できるのか、それにはエーテル そのものにどんな仕掛けがあるのかを徹底的に研究することなのである。業界の人は 是非とも頑張って欲しい。
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  第十話 姫川考

 松本から糸魚川までを大糸線という。一口にそう言っても、現在は、南小谷以南は JR東日本が管轄し、以北をJR西日本が管轄している。では南小谷駅はどちらの JRに属するのか。トイレと改札口は東日本で、出札口と駅長室は西日本。 枕木のうち北側96本とその上にあるレールが西日本、あとは全部が東日本と そういう風にはなってはいないようである。どのようにしているかはさっぱり 分からない。ただ、お金の分け前の問題でもめたという話は聞えてこないから 随分と平和にうまくやっているのであろう。

 この南小谷駅は、いわゆる県境の駅ではない。白馬北東の栂池高原への入り口であり、 関東の人でも関西の人でも山好きの人であれば1度ならず利用したことがあるであろう。 ちょっと南に当たる白馬駅などとともに白馬観光にはなくてはならない駅である。 が、たんなる観光専門の駅ではない。荒々しい自然探訪のメッカ駅でもある。すぐ脇を 流れる姫川の河床には大岩、大石がごろごろし、山腹は脆く弱い。自然災害の多発する 場所である。やはり、プレート達がここでせめぎあっているのだな、と実感できるのである。

 小谷の村人にとっては偉く迷惑な話であるが、山なんか霞んで見えない都会から来た 人達にとっては、この辺の景色は堪えられないくらい素晴らしいものであるのだろう。 不謹慎な輩が酔った勢いで「小谷は今日も地すべりだった」と歌って小谷村から生還 しなかったという話は聞いていないが、場所によってはそのくらい地すべりも多い。

 さて、ここで問題である。こんな荒々しい河川がなぜ「姫」川なのか。鬼川とか魔川 とか荒川とかでなく姫川なのである。

 そこで直ちに検索エンジン goo にアクセスして見る。ディレクトリー系は、この際 は避ける。ヒット数が少ないからである。姫川には情報の洪水のほうが似合うだろう。 goo なら出る。いっぱい出る。出過ぎて困るくらい出る。情報を絞ろう。カタカタカタ、 カタカタカタ、すいすい、カタカタ。自慢ではないが筆者は真のブラインドタッチである。 真のブラインドタッチというものは、画面は見ない。キーボードの方を主に見る。だから、 「真」なのである。

 何々、姫川の源流は、神城辺だと。ということは、そうか青木湖の水はそのままは 来ていないのか。よかった。・・・というのは以前マイカーで出かけたときのことである。 青木湖の辺で我慢できず小用を足した後、小谷で水を飲んだことがあったからである。

 何々、糸魚川で日本海にそそぐ。そんなことは知っているわい。糸魚川辺には翡翠を 産する、先史時代から勾玉が造られ、大陸へも渡っていた。なーるほどー。この辺かな、 姫との関わりは。だが結局、これなら goo という答は見つからないのであった。
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  第十一話 安曇野に出た幽霊
 武蔵野、すすき野、安曇野、野を末尾に付す所には美しい所が多い。武蔵野は面影が美しく、 すすき野はネオンが美しい。安曇野は、正真正銘、まだまだ自然のままで美しい。汚れて しまった所もあるが、汚れていない所は汚れぬままである。当たり前か。

 大糸線で往き過ぎる夏の日の午後、やや日が傾き、背景である山腹が黒さを増した頃、 少しく集まったむら雲の間から数条の光線が指し射り、うすく霞んだ里の空気を分けている あの光景は、安曇野ならではのものである。

 ところで諸兄諸姉は、むかしこの安曇野に幽霊がいたことをご存知であろうか。 筆者は知らない。

 今よりさらに美しい水と森のあった頃の話である。幽霊というものは水、それも清らかな 水を好むものらしい。安曇野で清らかな水といえば、なんといってもワサビ田である。 アルプス、当時はそんなハイカラな名ではなく土臭く飛騨山脈と呼ばれていた。その山腹の 清冽な雪解け水がそそぐワサビ田の水は、夏でも非常に冷たい。このワサビ田に湧く清らかな 水を好んで夜な夜な女の幽霊が出ていたらしいのである。

 年のころは17、8。白いかたびらをまとい、なかなか美形の面ばせであったらしい。 よくあるタイプの幽霊であるが、三角頭巾をかぶってはいなかった。背中半分まである長く 美しい黒髪は、新月まぢかのか細い月の光の中で、それはそれは美しく光っていたらしい のである。しかし、これもよくあるタイプの話である。

 普通、幽霊というものは、前に両手を半ばに上げ、手のひらを自らの側としつつ指先の 方を下に向ける。そうしてやや上目使いにうつむき加減にして立つか、漂っている筈の ものである。これが標準のポーズである。いわゆる、うらめしやのポーズである。あまり、 派手に動くことは、まず無い。

 しかるに、このワサビ田に出ていた女の幽霊というのは、ときどき前に少しかがみ、その 長い髪の中に顔が隠れたと思うとまた引きつったように、あるいは狂ったように上を向く、 この動作を間欠的に何度も何度も繰り返していたらしいのである。夜目、恐る恐る遠くから これを見ていた村人は、狼の遠吠えのようでもあるが、この世のものとは思えぬほど恐ろしい 光景であったと証言しているのである。確かに、何も知らずにこの姿を初めて見たら、普通の 幽霊には大抵慣れている筆者といえど、多分、さぶイボが出たであろう。

 だが、いま当時の文献にある別の者の証言記録をよく見て、なるほどと思う。その女の 幽霊は、遠吠えをしていたわけではなさそうである。狂人の如く顔をしかめつつ、声にならぬ ような押し殺した低い声で「はあ」とか「ひい」と言っていたとある。いや、さしずめ息を 発していたというべきか。とにかく、これを読んでやっと得心がいったのである。さすがに 安曇野の幽霊である。それも好んで清冽なワサビ田の水に出る幽霊である。どこか普通の 幽霊とは違う。ただものの幽霊では無い。心がけが異なる。

 どうやら、その女の幽霊はワサビを好むタイプの幽霊であったとみえる。いわゆる世に 言うワサビ女である。何度も何度もワサビを食いちぎっては「はあ」、「ひい」やるタイプ の幽霊だったのではなかろうか。このタイプの幽霊の特徴は、辛くて辛くてツーンときた ときのオーバーアクションにある。だがやはり、幽霊にしても、何にしても、安曇野の ワサビは「ひい」となるほど本当に辛いのである。

 しかしながら、いま冷静になって思うと、ときどき上を向いては、ツーン「はあ」、 ツーン「ひい」を繰り返す幽霊というものはなかなかのものである。会ってみたくなる ほど面白い。

 最近、都会の寿司屋では明るい内から、こんなワサビ女をよく見かけるようになった。

        後日談(第十八話)を読む
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  第十二話
     野辺山国立電波観測所からの帰還


 小海線の野辺山駅のやや近くにある国立宇宙電波観測所から帰還した夏の夜の話である。 野辺山高原の涼しい空気と違い、筆者の暮らす上田の空気は夜でもまだ妙に生ぬるく、 珍しく寝苦しい夜であった。帰還という表現は少々大げさに聞こえるであろうが、たんに 訪ねて帰って来たわけではない。今回は文字通り、ある使命を遂行しての帰還なのである。

 この観測所には、実にさまざまなパラボラアンテナがある、小さいものがおびただしい 数並んでいたり、縦横に張り巡らされた超広軌のレール上には複数の実に巨大なパラボラが 載置されている。超広軌のレール群は、観測対象に応じて有効開口率(f数)や実効開口 方向を変える目的から、2台以上のパラボラを適宜相互移動させるためのものである。 だだ広いスペースは、まるで異惑星に迷い込んだかのような錯覚を覚えさせる。現在、 誰でも無料で見学可能である。子供や天文ファンにはたまらなく興奮できるスペースで あろう。でなくとも、レールを見ると血の騒いでしまう鉄道ファンにとっても、十分、 十二分満足できるスペースである。

 さて、使命と帰還の話である。実はいま筆者はCIAのエージェントをしている。エー ジェントという言葉に馴染みの無い人に説明しておく。エージェントとは日本語に訳すと 代理店とでもなろう。だが、使い古しのピストルやショルダーベルト、果ては墜落した 機体のかけらなど、いわゆるCIAグッズを売る代理店ではない。誇りあるCIAのれっき としたスパイなのである。あまり大きな声では言えないが、れっきとした売国奴なのである。

 と、このとき、電話は入らない。かわりにTAのメール着信ランプが点く。やはり、 CIAも最近は電話は使わない。Eメールを専ら多用している。予算が削減されているから である。足もつきにくい。暗号化し易い。それはともかく、メールを見ると、CIA、 NASAサポートプロジェクトチーフコミッショナー、アルファベータ・ガンマスィータ からのものである。変な名前であるが、勿論、仮名である。実名を出せば、筆者は、即、 消されてしまう。それがこの世界の掟なのである。

 メールにはこうあった。

   ハヤクシラセロ、ワンムキ、ヨロタ

 早く知らせろ以外は、諸兄諸姉には何のことか分からないであろう。ワンとはお椀、 パラボラのことである。ムキはムキムキとかでなく向きのことである。ヨロタとはよろしく 頼むという意味である。CIAの暗号というのはこのくらい発達しているのである。だが、 内容はパラボラの向きを早く知らせろ、というだけの意味である。

 こんなことをここに発表してしまうわけは、実は筆者は日本のためにアメリカのスパイ をしているからである。日本政府からはビタ1円ももらっていないから、いわゆる二重スパイ ではない。アメリカより本当は日本を愛しているのである。いや、地球を愛しているのである。

 なにごとでも1番でなければ気が済まない、2番には甘んじられない、というどこかしら 幼児性の残存するアメリカが唯一の超大国となってしまった現代は、地球にとってとても つらい時期なのである。筆者は微力ながら、この哀れな地球のためにあえて危険を承知で 働いているのである。

 アメリカのNASAは今この野辺山の観測所が気懸かりでならないのである。先を越されて しまうのではないか。アメリカの観測成果が2番煎じになってしまうのではないか。戦々恐々、 びくびくばくばくなのである。

 天文観測で一番大事なのは向きである。方向である。明日の方向を観測すべきなのに あさっての方向を向いていた日には、観測者に明日はないのである。科学者といえども アメリカではそれくらい厳しい日々を送っているのである。いい観測をして初めて身分 が保証されているのである。日本とは大分違うのである。だから、スパイでもポパイでも、 便りになるなら猫だって豚だって何だって使っても、他国が出し抜かないように、いつも 自分達が1番であるように情報収集しているわけである。

 筆者はメールを書く。カタカタカタ。第10話を読まれた諸氏は、また「真のブラインドタッチ」 だなと思うであろう。だが、どっこい。今日ばかりは違う。世間のままのブラインドタッチである。字数の少ないこともあるが、諸氏も憧れるブラインドタッチである。カタカタカタ、続ける。出来たー。

   199X年7月49日午後61時96分へびつかい座E189、OVER

という意味のことを若干冗長度を高めながら英語に翻訳し、さらにコード化して送信した のである。上の詳細は説明を省く。諸兄諸姉には関わりがないからである。だが、明日の 方向でなく、故意にしあさっての方向になおして報告したのだということだけは記しておこう。

 このあと、筆者はムヒッと心で笑ったのである。これで一年は、野辺山はアメリカの追随 をかわせるな、と。・・・・というところで目が覚めた。夢の世界からまた現し世の 「真のブラインドタッチ」の自分に戻ったのであった。暑苦しい夜に「ふーー」という 深いため息とともに。
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  第十三話 中央線のビル・ゲーツ氏の謎

 JR東日本管内の信州には、信州ホリデーパスというフリー切符がほぼ通年発売されている。 軽井沢〜篠ノ井間は「しなの鉄道」であるが、この区間も一緒の対象となっている。筆者も ときどき利用させて頂いているが、さして用もなく鉄道そのものの軽い旅を味わいたいとき には、たいへん重宝な切符である。ただし、利用は土日、祝日などに限られている。
  ・・・残念ながら、2002年からは発売されていません。 詳しくはJR東日本長野支社 のホームページをご覧ください。

 筆者がその切符を利用して信州北半を右に回っていたときのことである。初夏であったか 、晩春であったか、生まれてこのかた年に三日以上日記をつけたことのない筆者には何年前 の話かも定かでない。とにかく、中央東線で小淵沢から松本に向かう途中のことであった。

 上諏訪駅に電車が止まると、鼻と背の低い日本人数人と鼻と背の高い白人数人が一団と なって乗り込んできた。そして、筆者と向かいの横並び式の座席に座ろうとしたのである。 もっとも、その座席には既に女子大生と思われるグループ3人が座っていた。空いている 席は日本人なら4席であるが、それら白人では3席に相当した。あまり背は高くなく、 風体もVIPには見えない白人一人を中心に、脇を固めるが如く、上背のある白人二人も その席についた。

 白人、白人とはいうが、顔の色は桃人とか橙人とか赤人の類である。 それはともかく、どうも態度から察するに、その真ん中の男がボスらしいのである。最初、 サングラスを掛けていたのですぐには気付かなかったのであるが、あのビル・ゲーツ氏に よく似ているのである。まさか、と思いつつもしばし観察をおこなう。

 傍らとなった女子大生達はと見ると、妙にしゃっちょこばっている。さっきまでの我が輩を 馬鹿にしたような屈託ないおしゃべりはピタっと止めて、妙に気どり始めている。どうも、 日本の女というやつは、外人をみると自分が日本を代表する女であるが如き風になるのが 多いわい、などと心の中で苦笑しつつ何駅かが過ぎた。

 と、そうこうしていると、習いたての英語を試したい衝動にかられてか、女子大生の一人が たまりかねたように、白人達に話しかけた。勿論、拙い英語である。筆者は自慢ではないが 英語は話せない。が、拙い英語か、上手い英語かくらいは肌に来る振動で分かる。どうにも 振動具合のよくない、下手な英語であった。白人を見掛けると自らの英語力を無分別に試す、 こういう手合いの婦女子は昔よくいたものであるが、このときはまた久しぶりに見たのであった。

 話しかけられた白人のうち脇の二人はうさんくさそうに無視する風であった。だが、サービス 心をどこそこ感じさせる顔の、ビル氏またはビル氏もどきだけは、しばらく、気の毒そうな目で 見ていた。が、やにわにサングラスをはずし、両手を広げて、首をすくめたのである。 「Oh I can't understand, sorry!」と愛敬のある目をしばたたきながら言った。この目がまた ビル・ゲーツ氏そっくりであった。人なつこく口を少しとがらせてしゃべるあの独特の顔の 作動態様もまたそっくりであった。

 と、何語か分からない言語で話し掛けていたその女子大生も、相手がビル・ゲーツ氏当人で あると判定したものらしい。大分びっくりした風である。かなり、びっくりした様子である。 そして、いきなり立ち上がって「Oh! Are you Mr.Bill?」とやる筈のつもりであったらしい。 が、まずいことに立ち上がりついでに「プ」と軽くではあるが屁をこいてしまった。軽くでは あるがかなりのものである。かなりというのは何がというと臭いがである。列車は塩尻駅に入り、 ドアが空いた。日本人と白人の一団はそそくさと降りて行ってしまったのである。

 一時は筆者も閉口と唖然がない混ぜになっていた。が、やがて我が輩には大疑問が残った。 この大疑問は、忽然と生じて後、悶然としてずーっとしばらく残ったままであった。筆者小居士は この疑問を思い出すと、今でも、床についてもなかなか寝つかれぬことがある。彼ははたして ビル・ゲーツ氏その人であったのか、・・・ではない、そんなことではない。筆者が知りたいのは、 先の一団がそそくさと降りていった理由である。つまり、彼の女の放った屁の臭いに辟易した ためなのか、それとも、塩尻にあるエプソン社かどこかの会社を訪ねるためだったのか、 ・・・である。それにしても「塩尻」とは妙な符合であった。

 なお、この件でマイクロソフト社に問い合せされるのはご遠慮頂きたい。
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  第十四話 銀河第7鉄道・珍念君騒動記

 子供の失敗談は書いてはいけない。知っていても秘すべきである。将来にさし障るからである。

 よし書くとしてもできるだけフィクション風に書くべきなのである。まず、当然、実名は 避ける。事件に登場する環境や背景さえモザイクをかけるべきである。近親の人が見てさえも 誰かわからないようにしなければいけない。

 で書く。やはり、書いてしまう。近頃めったにない面白い珍事であったからである。上の 条件を守って書く。

 筆者がアンドロメダ星雲から銀河第7鉄道で家に帰ったときのことである。初夏の夜で あった。ローカル線である第7鉄道の電車の車内は適度に混雑していた。まだ、時季的に エアコンは稼働していないためか、車内は若干蒸し暑く疲労感が増したが、幸い座る席を 得ることができた。

 通路を隔てた向かいの席はと見ると、かわいい1人の男の子がドアと運転室の間の3人 掛けの横席を一人で占領していた。年の頃は、9、10、11、12、13。はっきりと 鑑定できないし、先の理由から特定もしない。彼をときに珍念君とでも呼んでおこう。

 その珍念君、座席に大々的に菓子を並べ、浅く横座りになりながら、一杯やっている のである。とはいえ、さすがに小学生?、アルコールではない。かなりの大きさのボトル 入り紅茶ミルクまたはミルク紅茶である。が、問題はその飲みっぷりである。明らかに酒を 飲む大人を真似ている。様になっているというか、慣れた風というか、菓子をとる手つきと 飲み物をちびちびやる雰囲気は、もの真似を超えた絶妙なものがあった。うまそうである。

 彼のすぐそばには、半コギャルの娘御2名がいた。遊び疲れた帰りのせいか通路にしゃがむ 風にしていた。近頃は聖なる銀河第7鉄道にもコギャル達が乗ってくる。半といったのは、 顔は茶黒くしているが、まぶたの皮や眉毛に銀粉をまぶしてはいなかったからである。 まともな方である。いや、たんに健康に日焼けしただけの子ギャルであったのかも知れない。 見掛けだけでは判断できない。

 と、珍念君、何を思ったか、その娘御達に無言で菓子を差し出した。その差し出し方が また絶妙である。筆者の力では描写は不能である。速記録のみとする。

 珍念君「・・ッ   ・・ッ」
 娘御1「え、いいのー。  ありがとー。 」
 娘御2「ありがとー。   僕、シブイねー。」
 珍念君「   しぶいさー。   しぶいさー。   しぶいさー。 ・・・」

たぶん娘御がシブイと言ったのは、珍念君の飲みっぷりなどであろう。シブイと言われて 珍念君、嬉しかったのかショックだったのか。何故か間をおいて何度も反復した。

 こうして娘御2人はもらった菓子を食べ始めた。
 変に大人びた横目でチラチラとその娘御達を見ていた珍念君、

 「ねえねえ、おねーちゃんたち、歳いくつー、結婚してるのー、おうちどこー」

とのたまった。日頃、同趣旨の戯言を何度も聞かされ慣れている筈の、その娘御達もこれには 思わず金属的な嬌声を反射的に発した。やや遅れ、周りの乗客達もどっと笑った。このおうち のお尋ねはしばらく続き、盛り上がっていた。

 「夕べは善光寺に泊まってさー」

などと大人が仲間うちで昨夜の悪行をひけらかす風にいうのである。多分、珍念君は酒席の 大人の口ぶりを無邪気に真似ていただけなのであろう。

 「あのさー、校長先生によー、長靴焼かれちまってよー・・・・」

などと、あたかも酔っぱらいの口調で、わけの分からないことも言う。話の内容は無邪気では あるが、口ぶりが子供らしくないのである。実にこんな風に怪態で滑稽に、銀河第7鉄道の夜は ふけていくのであった。

 しばらくは、携帯電話もどきのおもちゃをピッピッピッとやりながら、高笑いしたり、よく 分からない歌を歌ったりと、大分ご機嫌であった。しかしやがて、何か感ずるところでも あったのか、突然の沈黙があった。と、先の娘御2人がやおら後続車両に駆け去っていって しまったのである。

 最初、筆者は何が何だか分からなかった。が、すぐに猛烈な臭いがして きたのである。低い筆者の鼻も曲がるほどのものである。どうも、しゃがんでいた先の娘御達は、 ポジションから察するに、もろに顔にかけられてしまったらしい。飛んで行くわけである。 プーとかスーとか音はまったくなかった。なかなかのテクニシャンである。ただし、彼に故意 などの悪気はなかったことは確かである。また、幸か不幸か、適度な湿度がこの珍事に「鼻」 を添えていたこともまた確かである。

 筆者の話はどうもあちらというかこちらというかそちらへ落ちるようで、上でなく下に向かう ようで、まことに恐縮である。が、事実であるから仕方がない。

 でも、彼の名誉のために言っておく。紅茶ミルクまたはミルク紅茶と自家製ガスの酔いから 醒めた彼は、とても素直な良い子であった。明るいし、人おじもしない。それに何といっても 立派な化学砲1門を自装している。いざというときは敵を撃退できるであろう。鬼に金棒である。 将来、大物となることは間違いない。

 だが、子が育ち切るまでは親も自戒あるのみである。みだりに酒席に子を招き入れては いけない。変なまねをするようになっては困る。また、校長先生もみだりに生徒の長靴は 焼いてはいけないのである。
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