水無瀬の里

 歌織物は、実際にこの地上に存在する場所をきわめてリアルに描いている。その場所とは、新古今のふるさと、水無瀬の里、すなわち現在の大阪府三島郡島本町と京都府乙訓郡大山崎町あたりである。


大阪府三島郡島本町

 島本町は北摂山地を背に淀川の清流を控えた景勝の地で、ことに水無瀬あたりは古代の狩場で、鎌倉初期の正治元年(1199年)頃、のちの承久の変で隠岐に流された後鳥羽上皇の水無瀬離宮が営まれ、新古今集を撰した藤原定家らも来遊じた。将棋の水無瀬駒や小倉百人一首の里としても知られている。

玄関口

島本町役場

水無瀬神宮

水無瀬川

水無瀬の滝

若山神社

関大明神(関戸院)

西国街道
京都府乙訓郡大山崎町

 日本書紀に孝徳天皇が山崎宮という離宮をここに建てたと記されており、これが歴史のうえで初めて「山崎」という名が登場した時とされており、平安時代には山城の国の国府がおかれ、平安京の西の玄関口としてにぎわう。鎌倉・室町時代になると大山崎は荏胡麻油の販売による経済的な力をバックに自治都市としての繁栄を見せ、戦国時代を経て、秀吉と光秀の戦いの舞台となり、天下統一の流れが、ここからはじまる。

大山崎町 離宮八幡宮(河陽離宮)

 
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