Outcrop
秘境やかつては秘境(いいえ,Resortかも)と呼ばれた場所に向かうために使われていた
交通手段,乗り物を紹介します。
関西汽船,関西−沖縄航路の若潮丸(5,489t),1974年神戸中突堤で撮影
関西汽船,若潮丸(5,489t),1974年神戸中突堤で撮影
大阪・神戸−沖縄那覇港を結んでいました。
1979年にはさんふらわ7に改造。
若潮丸の出航です
関西汽船, 若潮丸の出航です
出航風景で欠かせなかったのは,ドラの音とテープでした。
また,1975年の海洋博に向けたマークが見えます。
十島村村営,第3十島丸(496.79t),1978年悪石島で撮影
第3十島丸(496.79t), 1978年悪石島で撮影
鹿児島港−十島村各島−名瀬港を結んでいました。
昭和46年から運行し,昭和60年に新しい十島丸へ
バトンタッチ,平成12年からはフェリーとしまが
就航しています。
はしけ,1978年十島村平島で撮影
はしけ(十島村平島), 1978年撮影
かつて港が整備されていなかったために,このような
はしけで,本船と島を行き来していました。
クイーンコーラル(6,386t),1974年鹿児島港で撮影
クイーンコーラル(6,386t), 1974年鹿児島港で撮影
1972年鹿児島-茶花航路として就航した旅客重視の
貨客船。沖縄本土復帰に伴い,鹿児島-奄美大島-
沖縄航路に,1986年10月まで運行されていました。
引退後,ギリシャで活躍,後に解体。
おとひめ丸(2,990t),1974年那覇港で撮影
おとひめ丸(2,990t)
1974年那覇港で撮影
1966年就航,1976年売却。
復帰運動の騒乱の舞台にもなりました。
姉妹船?ひめゆり丸(2,640t)が,売却先のフィリピンで1987年12月20日タンカーと衝突炎上,4,000人の乗客乗員とともに沈没したニュースは沖縄で報じられました。

フェリー屋久島2(3,392t),宮之浦港で撮影
鹿児島港と屋久島宮之浦港をおおよそ4時間で結ぶフェリー屋久島2(3,392t),宮之浦港で撮影
上屋久町営のフェリー太陽(408t),宮之浦港で撮影
種子島(島間港)-1時間5分-屋久島(宮之浦港)-1時間40分-口永良部島を結ぶ上屋久町営のフェリー太陽(408t),宮之浦港で撮影
ホバークラフト「蛟龍」,1974年石垣港で撮影
八重山での高速輸送を担ったホバークラフト「蛟龍」
1974年石垣港から撮影
遠すぎて,見難いですが,左手奥です。
リタイヤ後は,西表大原に置かれていました。
ホバークラフト「蛟龍」の乗船券
ホバークラフト「蛟龍」の乗船券
1974年当時,船で30分の石垣港-竹富を5分で結んでいました。ただし,料金は約3.5倍,当時竹富港には上陸スロープが無く東海岸の砂浜に上陸していました。
沖縄海洋博協会発行の観光地図より「蛟龍」
沖縄海洋博協会発行の観光地図より
1975年当時の「蛟龍」時刻表と写真,ちなみにこの地図では石垣島と竹富島の通常船舶の運賃は70円でした。
巡視船「宗谷」艦上の搭載ヘリ「ベル212」,1979年尖閣諸島魚釣島沖で撮影
巡視船「そうや」艦上の搭載ヘリ「ベル212」
1979年尖閣諸島魚釣島沖で撮影
宗谷は,約3,100t,速力20.0kn
ベル212は,速力約90kn,航続約360M
砕氷船「ふじ」(5,250t),1970年鹿児島港で撮影
砕氷艦「ふじ」(5,250t),1970年鹿児島湾で撮影
1965年進水,1984年除籍
砕氷艦独特の船首
ななさんまる対策済みヘッドライトのトヨタ「クラウン」MS60
トヨタ「クラウン」MS60
鉄道網の無い(当時)沖縄での大切な移動手段
ところで,ヘッドライト(外側ロービーム)のシールは,730(ななさんまる)対策済みのライトです。1978年7月30日に沖縄では人は左,車は右から本土並みになりました。730までにヘッドライトは無料で左側通行用に変更されましたが,右側通行でしたのでライトの中心に幻惑防止用のシールが貼ってあります。右側フェンダーミラーは,ご愛嬌
ななさんまる(730)のシール
ちなみに,これが730前に配布されたシールです
直線上に配置