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星空の下で、さよなら &君に繋がる空 続編




binary star ― 連星 ―  5








雨粒が風で痛いほど強くあたり、着ているシャツもジーンズも靴の中もびしょ濡れになっていた。
雷はそのまま行く先を変えたのか東風に追いやられたのか、俺たちに近づくことなく遠ざかって行った。
その代わりとばかりに、雨は容赦なく俺たちを叩いた。


雄介たちと別れてから、俺たちは向かい風の中を手を繋いだまま走った。
木々の作る真っ黒い大きな影が、東風に煽られて揺れていた。


”まるで大きな怪物みたい”・・・

いつも優しいのに、風の日は急に怪物に変わるのが怖いんだって、とーこは言っていた。
『怖い、どこかに飛ばされちゃうよ。怪物が、さらいにくるよ』
『怖くないってば!とーこちゃん、カミナリとかオバケは平気なのに〜』
耳を塞いで震えているとーこに、俺は笑ってた。
いつもいつも助けてくれるとーこと、風の日だけは立場が逆転してた。


今ならとーこが恐れた理由がわかるような気がした。
あの頃の俺は怖いものはただ一つだったから、目に見えない、まして勝手に作り上げた怪物なんてものは怖いと思えなかったんだろう。
でも、今は・・・。

いつも見上げる星空を覆い隠すように伸びる木々の枝。
その影が風に煽られ、倒され、膨れたり縮んだりする。
風は足元を掬うかのように吹き、そのままここへ戻れないことを見せつけるかのように雲を飛ばしていた。
心許ない、俺の支えなんかじゃ、とうていとーこを繋ぎとめておけないと思えるくらいに。



互いの家が近づいてくると、俺たちはどちらともなく歩幅を緩め、走ることをやめて歩き出していた。
あと数メートルで、「それじゃあ」と言って手を離す。
わかっているのに、俺の手のひらは力を緩めることができずに、しっかりととーこの手を握りしめたままだった。

俺たちはどちらも無言で、濡れて重くなったシャツや髪が風に抵抗するように肌に張り付くのを感じながら、ついに立ち止まった。
心臓が激しく打つのは、走った所為じゃない。

怖かった。
この手を離したら、とーこはもう俺の手の届かないところへ行ってしまうような、そんな気がしてた。
実際、あと少しで、とーこはここから居なくなる。
頭の中で始まっているカウントダウンが、酷く俺を焦らせていた。

「・・・」
「・・・・直人?」

このままじゃ風邪ひく。
もう手を放さなくちゃ。

そう思うのに、指はまるで固まってしまったように動かない。
それどころか、俺はもう片方の手で、とーこを引き寄せてしまいたかった。

抱きしめて、放さないで。
腕の中に閉じ込めて。


――とーこは・・・今も。
無意識に俺と離れようとする。


土手で、有菜が振り向いた瞬間。
とーこは手を引いた。

雷が直撃したかのような衝撃を感じた。
咄嗟に指先に力を込め、その手を逃がすまいとした。
無意識なら、意識させなければと。


有菜と一緒にいる時に、それは顕著に現れる。
距離をとろうとする。
極力、俺から離れようと。

有菜とのことをなかったことになんてできないし、有菜の想いをずっと傍で見てきたとーこが、そういう態度になるのは仕方がないことだと思う。

だけど、瞬間見せる表情に、あの頃と同じ"痛み"が浮かぶのを見ているのはツライ。
傷つけたのは俺だし、とーこが今までそうやって距離をとってきたんだってわかってる。
それでも、わかっていても、その痛みを失くす方法を見いだせない。

今は、とーこだけ、なのに。
とーこは信じられないんだろうか?
俺はもう、とーこ以外の手を掴むつもりはないんだって、伝わらないのだろうか。







風に怯えているのか、俺に怯えているのか、とーこは小さく肩を震わせた。

とーこが怖がるものを全部取り去ってやりたい。
もう、こんな顔させたいわけじゃない。

なんでも、言ってほしい。
全部聞かせて。

こんなに傍にいるのに、もう怖がる必要なんてないのに、俺たちの心は随分遠くに離れていた。
暗闇の中で息を潜めるように震えるとーこからは、痛いくらいの緊張感が伝わって来てた。
何か言いかけたのか、とーこの唇が微かに動く。

「・・・・」

風の音はとーこの声をさらってしまい、俺の耳には届かなかった。

そう・・・――声が、聞こえない。

気にはしてた。
だけどもう少し気付かないふりをしていようと決めていた。
時間が経てば、あるいは拭い去れるんじゃないか、と。
あの頃のように、なんでも話せるようになるには、あとほんの少しだけ時間が必要なんだろうと。
そう言い聞かせて。

ぎりぎりと痛む胸に、奥歯を噛みしめる。
自分の考えの甘さを思い知る。

2月までは、なんでも話していた。
なんでも話していたつもりだった。
俺は、そう思っていた。
とーこのことなら、言葉にしない感情さえ、わかっているんだと。

言葉にできない想い。
させなかった想い。

――すでにあの頃ですら、本当はとーこの心を失ってたのに。

とーこが気持をぶつけてきたのは、バレンタインの夜だけだ。
すべて捨てようとしたあの時と、無理やりキスした夜だけ。

もっと、声に出してくれればいいのに!
全部・・・全部ぶつけてくれればいいのに!

勝手な想い。
とーこは本心を隠そうとしていたし、俺はそれを暴くことを避けていた。

なんでもわかってしまう。
言葉にしなくても、伝わる。
だから俺たちは、あえて言葉で想いを伝えることをしなかった。
それでもわかりあえる、なんて思っていた。
それが間違いだったと、本当の気持ち・・・苦しさなんて知らなかったんだと、気づいたのは受験当日で・・・。

「直人」

とーこの声にハッとして、暗闇を見つめたままだった視線をとーこに移した。
視線があうと、とーこは困ったように首を傾げて眉をしかめた。

「どうしたの?苦しそうだよ?」
大丈夫?

戸惑いが、指先から伝わってきていた。
俺は首を横に振って「なんで?」と訊ねた。
とーこは少し考えて「なんとなく?」と苦笑する。

「・・・とーこの方が、苦しそうに見える」
「え?そんなことないよ?」

とーこは笑って言ってそっと視線を逸らして俯いた。

きっと目を閉じてる。
気持ちを抑え込むようにぎゅっと目蓋を閉じてる。
それは、とーこが気持ちを隠すための儀式。
自分の感情を後回しにする時の。
ほんの数秒。

駄目だ!
もうそんなことしなくていいから!

言葉にするより早く、とーこは瞳を開けて悪戯な笑顔を浮かべた。

また、だ。

とーこは言葉を飲み込んだ。
笑顔の向こう、心がぐにゃりと歪んで・・・泣いているんだ。

「あー、ほら、服、雨で張り付いて、気持ち悪い!」

空いている方の手で自分の服をつまみながら、とーこは明るく言った。
それはもう、不思議なくらい"いつも"の姿で。
俺のシャツの裾をほんの少しだけひっぱって「ね?」と同意を求めた。

「今日は残念だったけど、また花火やりたいね。今日の花火は・・・きっともう湿気ちゃっただろうなあ。せっかく佐々木君、バイト代で買ってきたのにね。でも、夏じゃなくても、花火楽しいよね?あたし買っておくから、またみんなで集まろう?打ち上げ花火とか、ほら、昔よくやったロケット花火!・・・シンちゃんとか、たーくんとやったよね?パラシュート出てくるやつとか。あれ、夜やってどこ行ったかわからなくなったよね。」

繋がっている手を小さく揺らしながら、何かを振り払うみたいに、とーこは笑顔で続けた。
今までの分を取り戻すみたいな話し方だった。

「普通の花火もいいね。いっぱい、いっぱい、あたしが向こう行っちゃう前に。」

とーこの言葉に指先の力が抜けた。それまで掴んでいた小さな指先がするりと落ちた。

「とーこが、行っちゃう前に・・・?」

俺の声はいつもと変わらないトーンだった。
少し震えていたかもしれない。
ざざあっと大きな音をたててとーこの家の庭先のケヤキの木たちが揺れた。
雨の音がそこに重なる。
雨で濡れた体に風が吹き付けるから、体温が急速に奪われていく。

このままじゃ、とーこが風邪ひくぞ、と頭の中で声がする。
もう、いい加減にしろ!と、呆れた声も。
それなのに、"うん"と・・・"そうだな"と、頷くことがでなかった。

とーこは俺の言葉に一瞬詰まり、「・・・・そう、留学する前に」と壊れそうな儚い笑顔を浮かべた。





「シンがMってことは置いといて」
「置くなよ!Mじゃねえよっ!」
「Sじゃないことは俺が知ってる」
「って、おい!」

ドリブリしてそのままシュートを決めるまで、一度も手が伸びてこなかったことが不思議で、俺はボールを両手で持って振り向いた。
会話の内容とは裏腹な表情に、俺は「何?」と訊ねる。
まだ言いたいことがあるんだろう。

「なあ、マジでこのままってのはよくねえだろ?直人が苦しむのはいいとしてだな。」
「とーこに今までのこと話したのか?説明っていうか、さ」

シンと拓はコート脇のベンチへ移動しながら言った。

「お前の行動の意味を、とーこは知らなかった。それで傷ついてたんだ。それに、だ、まだ不安要素はあるだろ?」
「その辺、さっさと理由話せば、とーこだってわかってくれるぜ?」

俺たちってとことん直人に甘いな、と大げさに肩を竦める二人に、俺は首を横に振った。

「・・・都合よすぎだろ、それじゃ」

俺のしたことは、自分勝手で最悪だ。

「つーか、とーこ、何も聞いてこねぇの?」

シンはギョッとした顔で振り返り、すぐに首を横に振って「聞かねえだろうな」って肩を竦めた。

「どんなおまえでもいいんだろうし」

溜め息交じりに呟くその口端が、これ以上ないくらいに優しくなっているのを俺は見てた。
シンにそんな顔させられるのは、とーこだけだって知っている。

「おまえらってさ、なんでそうなんだろうな?」
「そうなんだろう、って?」
「お互いに影響されまくってるんだよな。」

くすくすと拓は笑って「連星みたい、だな」と呟いた。

「連星?」
「空間的にも接近してて、互い同志の引力で引き合って、軌道をえがいて回っている星たち」
「へー」

拓の説明に、シンが気のなさそうな声をあげた。

「全部」
「?」
「全部ぶつけられたら、とーこラクになれるのに、な」

拓は慈しむように瞳を細めて呟いた。
シンが静かに頷く。そしてにやりと笑って言った。

「泣いて喚いて、直人のことぶっ叩いて」
「そうやって、吐き出してしまえたら」

シンと拓の言葉に、俺は頷きながら立ち上がった。

とーこの全部を受け止めるのに。
悲しみも、痛みも、今まで苦しい気持ち、全部。

「おまえら、ホント、変なとこ似てる」
「・・・は?似てないって」

答えた俺に、シンが「どうしようもねえ!」と苦笑した。





二人の言葉を思い出していた。

「それじゃ、ね?」

とーこがぎこちなく笑って片手をあげた。



引き合って影響しあって、互いに軌道を描いている。
俺たちが"連星"だというんなら。
引き離された後は、どうなってしまうんだろう?



星空のない空を見上げ、俺は心の中で訊ねていた。
答えてくれる人はいないのに。









2008,10,22up





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