「うわっ」
昼休み。
階段から何かが落ちてきた。
それが人であることに気づいて、思わず腕を伸ばして・・・そのまま一緒に落ちた。
「直人!」
驚いて振り返る修と陽太の顔がスローモーションのように見えた。
「ってぇ・・・・」
左足首捻挫、全治2週間。
地区予選前日。
洒落にならない。
「先輩っ本当にすみませんでしたっ」
異常に腫れた左足に、養護の先生に付き添われて整形外科へ行った。
幸い骨に異常はなく、捻挫と打撲と診断された。
だけどちっともありがたくない。
試合に出れないことは決定事項で、変わらない事実だったんだから。
午後の診療開始時間が遅かったのと、病院が意外と混んでた所為で5時限も終わり、みんな部活や帰り支度をしている頃、ようやく学校へ戻ってこれた。
松葉杖で帰って来た俺に、待っていた1年の女子が頭を下げた。
「お、重かったし、痛かったですよね・・・っ」
踊り場でふざけていた男子がぶつかって、彼女は階段を踏み外した。
ちょうど階段を上ってた俺たちの目の前。
何か降ってくる!と反射的に身構えた俺だったけれど、それが制服を着ている「人」であることに、焦って腕を伸ばした。
転がり落ちるまでのほんの数秒。
庇うようにして下敷きになった俺は、足を捻って打ちつけていた。
・・・らしい。
一瞬だったから、気がついたら痛みが走ってたってのが一番正しい言い方だ。
「いいんだって、気にしなくて。」
「カッコつけようとして手ぇ出したんだから」
一応心配してくれたらしく(マジで心配してくれてるんだろうけど)修と陽太、そして庇った彼女とその友達と思しき2人の女子は、こうして保健室で待ってくれていた。
陽太が丸椅子を跳び箱代わりに跳んで、先生が無言で陽太の頭をファイルで叩く。
「・・・あの時、咄嗟に避けただろ?陽太。」
「反射神経いいからなー俺」
陽太はケラケラと笑う。「そのわりに、今は避けられなかったわね?」なんて先生に突っ込みを入れられても「今のはわざとですよー」なんて軽口を叩く。
「三上先輩、明日試合なんですよね?」
泣きそうな顔で言われて、思わず修と陽太を見てしまう。二人ともさっと視線を逸らした。
余計なことを言ってくれたらしい。
「・・・えっと、君の所為じゃないんでしょ?ぶつかってきたヤツの所為なんだし。そっちこそ怪我しなかった?」
さすがに、ここでにっこり笑えるほど性格はよくないから、肩を竦めるしかない。
「はい、掌すりむいただけですみました。」
きゅっと目を閉じて、また頭を下げてる。顔の筋肉が全部硬直してしまったみたいだった。
「怪我しなくてよかったじゃん。それに、こいつらがちゃんと順当に勝ち進んで、2週間後の県大会まで行ってくれればいいんだ。問題ないよ」
「うっわー!」
「今、さらっとすげぇーこと言った!」
俺の言葉に修と陽太が、ぎょっとした顔で悲鳴に似た声をあげる。
「と、いうわけで、俺2週間練習できないから。俺が復帰するまで負けないように」
二人を見据えて言うと「ぎゃー!」「やばい、こいつマジで言ってる!」と立ち上がった。
ぎゃーぎゃーと喚きながらも、笑っていいのか思案している1年に「気にしなくてもいいんだよ、こいつ案外いい奴だから」なんて耳打ちして、修と陽太は保健室から走り出して行った。
空気が明るくなって、沈んだ表情だった女子も頬の筋肉が和らいでいる。
あいつらが一緒でよかった。・・・余計なこと言わないでいてくれたらもっとよかったんだけど。
とりあえず、その場に残された3人組に「だから気にすることないから。」ともう一度言うと、何故か3人揃って「ありがとうございました」って丁寧に頭を下げて保健室から出て行った。
養護の剣持先生は賑やかな(主に陽太だけど)一団が去っていくと、「災難だったわね」と優しく俺の肩を叩いた。
俺も「・・・ですね」とがっくり肩を落として溜息を吐いた。
「どうする?家の人、誰か迎えに来れそう?」
父さんは出張中。ばーちゃんに来てもらっても、支えてもらうのも・・・無理だろうな。
誰も居ないなら送っていこうか?と先生は言ってくれたけど、俺は首を振って松葉杖を指差して「こいつと帰ります」と言った。
「おい、怪我したんだって!?」
保健室のドアが、勢いよく開いて雄介が顔を出した。
「あー・・・うん。」
「えええ!?明日試合なのにぃ〜!!」
すぐに有菜が心配そうに顔を覗かせる。
「1年の女子を助けたんだって?駄目だよ!ちゃんと着地まで決めないと!」
「また無茶苦茶なことを言うなって!とーこ!」
最後にとーこが俺の言葉に「えー」と不満気な声を上げ、口を尖らせながら現れた。
「"えー"ってなんだよ、"えー"って。」
俺とバスケ部2人は2組。この吹奏楽部3人は3組で、今年は「キレイに部活毎にクラスが分かれたね」って驚いた。
いつもは一緒に遊ぶ昼休みも、バスケ部は呼び出されてて、明日の試合の準備で部室に行ってたから、今頃情報が伝わったらしい。
「それじゃあ、私は久保先生に報告してくるから、気をつけて帰るのよ?今日は部活休みなさい。」
「・・・はい。ありがとうございました。」
「先生、さよーなら」
「さようなら」
剣持先生が居なくなると、有菜が心配そうに包帯で巻かれた左足を見て「折れちゃったの!?」と泣きそうな顔になった。
さっきの女子のようだ。
「いいや。折れてないよ。捻挫。」
「よかったー!・・・あ、ううん、よくなーい!明日試合なのに・・・!」
有菜がほっとしたり顔を歪めたりするのを見て、思わず噴き出してしまう。
陽太たちといい、有菜も場を和ませる力があるな、と改めて感じた。
「でも、残念だな。せっかくレギュラーだったのに」
「しょうがないよ。」
雄介が俺の前の椅子に座って、左足をじっと見た。
メンバーの中で、2年は俺一人だった。
「歩けるの?」
有菜はしゃがみこんで、包帯に巻かれた足を見つめ「痛そうだよぅ」と眉を顰めた。
「歩けるよ。こいつと一緒ならね、俺の相棒」
机に立てかけておいた松葉杖を引っ張って、ハラハラした様子で見ている有菜の前で歩いて見せる。
床に着かなきゃ痛くない。
・・・うっ・・・や、ジンジンズキズキ・・・するな・・・。
でも、俺は松葉杖に寄りかかったまま「上手いもんだろ?」と笑った。
「帰り、荷物持ちしてあげるよ。」
それまで黙っていたとーこが外を見ながら言った。
横顔を伸びた髪が隠している。
雄介が「でも、部活あるよ?まさか休むの?」と訊ねた。
雄介が驚くのも無理ない。
吹奏楽は明日、野球部の試合の応援に行くって言ってた。
今日は最後の練習だもんな。
とーこは室内に視線を戻し、雄介を見てきょとんした顔をした。
「だーいじょうぶ。だって、直人部活出るんでしょ?」
そして俺に視線を合わせて「ね?」と当たり前のこととばかりに見ていた。
「え?」
「今日は帰るんでしょ?」
「先生もそう言ってたよ?」
今度は雄介と有菜が「だよね?」と俺を見る。
俺は2人を見て首を振った。
帰る気なんて最初からない。怪我したって、スコアつけるくらい出来る。
明日は迷惑かけるといけないから行かないだろうけど。自転車で会場校まで行かなくちゃだし。
「でるよ。見てく。休めないよ。」
俺の言葉に、とーこは「荷物持っててあげるよ、体育館まで」と修が持ってきてくれていたバックを持ち上げた。
「問題ないよね?」
とーこが笑うと、雄介は苦笑して「ないね。なんにも」と肩を竦めた。
明日はほとんどの運動部が試合があるということで、どこも遅くまで残って練習してた。
だけど、バレーボール部の会場校になってることもあり、バスケは一足先に練習を終えた。
いつの間にか、ずっと聞こえていたはずの吹奏楽の音楽も聞こえない。
体育館から中庭を挟んだ音楽室を見上げると、すでに電気は消されていた。
「直人、お前どうやって帰る?俺送ってこうか?」
陽太が汗を腕で拭きながら駆け寄って、ベンチを温めてた俺に訊ねた。
修は掃除当番で、モップがけをしていた。
「いや、とーこが荷物持ちしてくれるから」
「でも、かなりあるじゃん?10分・・・15分くらいは歩くだろ。学校から電気点いてる部屋の数までわかるくらいでも、距離はあるんだぜ?」
陽太は眉間に皺を寄せて見下ろしている。
ふざけたことばっかり言ってるけど、自分は避けてしまったこと、こいつなりに後悔してるんだってすぐわかる。
根はどこまでもいい奴だから。
「気にすんなって!それよか、お前明日レギュラーなんだからな?ゆっくり休めって!」
俺が手を掲げると、陽太は大きな手で俺の手をパンと叩いた。
「明日、負けんなよ!」
荷物を置いておいた体育館の入り口まで行くと、とーこが廊下を駆けてくるのが見えた。
マラソン大会の後のように、汗だくで俺の前に立つとはあはあと肩で息をした。
どう見ても、かなりの距離を全力疾走してきたように思える。
「・・・どしたの?とーこ。」
俺が唖然としていると、床に置いたままの荷物を持って「帰るよ」と促した。
「一旦、家に帰って来たの。バスケまだ練習終わらないみたいだったし。」
何度か呼吸を飲み込みながら、とーこは俺の歩調に合わせるように隣に並んだ。
「それで、自転車乗ってきた。・・・痛いんでしょ?足。」
「・・・え」
「二人乗りして帰ろ?大丈夫、見つかんないよ。職員室から見えないもん」
「その為にわざわざ?」
俺が唸るように言うと、とーこは「わざわざって、当たり前でしょ?」と驚いたように目を見開いた。
「本当はお父さんが帰ってたらいいなーとか思ったんだけど、まだ帰ってなくて・・・。振動、足に響かせないように気をつけるから」
とーこは俺の下足箱から靴を右側だけ出して、左側は荷物と一緒に持った。
「・・・・それで、行きはマラソン、帰りは競輪選手してきたの?」
「そうだよ。腿が太くなったら、直人の所為だからね?」
くすくすと笑うとーこの背中を見ながら「お世話になります」と呟いた。
自転車の前かごに荷物を入れて、自転車に跨るととーこは「いいよ」と後ろを見た。
「座って。あ、松葉杖持てる?」
すでにとーこの身長を超えてしまった俺は、自分より小さなとーこに全て委ねなくちゃいけない状態に苦笑した。
なんとか横向きに座り、片手で松葉杖を持つ。
「いい?」
「・・・多分」
なんとも不安定な感じで、めちゃくちゃ怖い。
とーこは少し考えるように俯いて、リアキャリアを握っていた俺の右手を引いて自分の腰に導いた。
「お、落ちると悪いから。ちゃんと掴まってて。」
とーこが恥ずかしがっているのが伝わる。流石に、俺も心臓がバクバクする。
それでも、安定感を求めて、俺は抱えるように力を入れた。
腕を回して、また驚く。
なんでこんな軽がると腕が回せるくらい細いんだ?
強張った身体を隠すように、とーこは明るく「じゃ、行くねー」と言って、ペダルを漕ぎ出した。
「お、わっ」
「ひゃっ」
最初の数mは、ふらついて二人して変な声上げてしまった。
知らず、腰に回した右手がとーこの制服の上着をぎゅっと握り締めてた。
それでも、スピードが定まればほとんどふらつかなくなり、必死に握り締めていた手の力をそっと抜いた。
めちゃくちゃカッコ悪い。
「あのねっ」
とーこが急に声を出した。
緊張に、沈黙に耐えられなくなったのだろう。
「有菜が、明日お菓子作ってきてくれるって言ってたよ。凄く・・・心配してた」
「・・・そっか」
有菜・・・
レギュラー決まったって言ったとき、めちゃくちゃ喜んでくれたっけ・・・。
「・・・明日、あたしたち自転車で球場まで行くんだけど」
「うん」
「直人早起きできるなら、朝乗せてくよ?学校前までだけど。」
父さんは出張だし、その申し出は凄く助かる・・・んだけど。
「大丈夫なのか?」
「何が?」
聞き返されて、何が"大丈夫?"と聞いたのか、自分でもよくわからずに言葉に詰まった。
とーこは少し俺の言葉を待っていたけど「大丈夫だよ」とはっきり言った。
俺にとって、とーこって凄く大切な存在だと強く感じてた。
それでも、これ以上はきっと、境界線を越えてしまう。
かけがえのない存在。
温かく感謝でいっぱいの気持ち。
その裏側で生まれてた気持ち。
「治ったら、練習付き合うからね?」
「・・・さんきゅ。とーこが幼馴染で、凄くありがたいよ」
「!」
とーこが息を飲んだのが、背中越しに伝わった。
そんな風に突き放しながら、俺はとーこの腰に回した腕に力をこめた。
自分でも何をしているのか、よくわからない。
「・・・じゃ、明日7時半に迎えに行くね」
明るさを取り繕ったとーこの声が、すっかり暗くなった空気に吸い込まれていった。
それまで見上げることも忘れていた夜空には、薄い三日月が悲しげに浮かんでいた。
――夜空に浮かぶ冷たい月
2007,12,21up