君に繋がる空
11、いつもと違う、空の下
特別身体が弱いというわけではないのだと思う。
それでも、有菜は体調を崩して学校を休むことが度々あった。
普段は明るくて笑顔が絶えないのに、ふとした時に体調を崩す。
そのギャップはかなりあって、弱っている時の有菜は守ってやらなきゃと思う。
少し前まで、いつもそんな風に思っていたことを思い出す。
とーこも同じようで、そんな時は心配そうに有菜のことを話した。
ノートをとって、部活のスコアにも何かいっぱい書き込んで。
塾の帰りにそれを届けていた。
長年の付き合いってほどではないにしろ、有菜が倒れる前兆をとーこは感じるようになっていて、そんな時は人一倍気を使っていた。
それは、多分、あの川でのことがトラウマになってるんだろう。
俺も、有菜が熱で倒れる場面には心臓が止まりそうな思いをしたことがある。
だから、変な咳をし始めた時には、嫌な予感はしてたんだ。
嬉しそうに地図を見てたりしてたから、「もう帰ろう」って言い出せなかったし、尚更。
「有菜ちゃんカワイソウ!あんなに楽しみにしてたのになぁ」
「・・・で、なんでお前が俺らのトコ来てんだよ?」
「うわっ、直人酷いっ!せっかくの修学旅行、お前、親友と一緒に回りたいだろ?」
「誰が親友だ、誰が。」
「陽太楽しみにしてたもんなあ、有菜と同じ班だ〜!って。ご愁傷様です」
「何気に、雄介が一番酷いっ」
『みんなで一緒にまわろうね!』
そう嬉しそうに地図を見ていた有菜は、一昨日熱を出して修学旅行には不参加となった。
『小学校の旅行も熱出しちゃったから、やっとみんなと行ける〜』と無邪気に笑っていたのに。
可哀想に、今回も有菜は参加できなかった。
きっと、悔しくて寂しくて、また泣いてるだろう・・・。
「ねえねえ、あたしたちあそこでお茶してく。いい?」
わざと雄介に抱きついてぎゃあぎゃあ騒いでいる陽太を見ていた俺のブレザーの裾をとーこが引っ張って言った。
俺は振り返って「わかった」と言い掛けて、思わずまじまじととーこを見下ろした。
有菜の泣き顔を思い浮かべていた俺は、健康そのもののとーこを見て、なんだか複雑な心境になった。
普段結んでいる髪をそのまま肩に垂らしてるから、随分髪が伸びたんだなって思う。
不意に、昨晩の仲間たちの言葉を思い出して、俺はなんだかイラッとする。
半分八つ当たりみたいなもんか?
まるでそれが通じたかのように、とーこは眉を顰め「何?」と訊ねた。
(髪、しばっとけよ!)
言葉にするのは躊躇われて、視線を逸らして「何が?」と問い返す。
自分でも驚くほど冷たい声が出て、思わずとーこに視線を戻した。
握っていた裾から弾かれたように手を放し、とーこは「や、なんでもない」と手を振った。
その一瞬見せた表情に、ずきんと胸が痛む。
「とー・・・」
名前を呼ぶ前に、とーこは笑顔を作って「どうする?女子はお茶してくけど?男子は?」と雄介たちの方に体を反転させた。
「お茶って、お団子でしょ?そこ?」
「そう。せっかくだから食べて行こうって」
「ねー、とーこ、私たち先行ってるよー?」
「うん」
田中が声をかけると、斉藤がちらりと俺を見た。
俺は気づかないフリして、土屋と山崎と話す修に並ぶ。斉藤はこっちに来てからずっと俺をちらちらと見ては、何かを窺っている感じで・・・多分、俺に何か言いたいんだろう。
夜に呼び出されたのは昨晩だけで3回あったし、だから察しがつく。
「どうする?俺たちも行く?直人は?」
「あー俺パス。あんこ苦手」
「あんこだけじゃないのに。修君は?」
「やーいいや。女子だけで行ってきなよ?俺たちその辺ぶらぶらしてるからさ」
「佐々木くんは?どう?」
「有菜ちゃんいないからいかないー」
「それは失礼しました。土屋くんと山崎くんは?」
とーこが覗き込むように訊ねると、土屋は「どうしようかな・・・」と少し考える素振りをした。
雄介と一瞬目が合って、昨晩のことがまた頭に蘇る。
山崎も本気で悩んでいるような顔で、とーこを見てる。
――何も知らないとーこは「行く?」と首を傾げて二人を交互に見ている。
また胸がざらついてくるのを感じる。
「せっかくとーこが誘ってくれてるんだから、行けば?」
陽太がどうでもいいやという口調で言うから、とーこは少し肩を竦めて「はいはい、有菜がいなくちゃつまらないっと。・・・じゃー1時間後にここでいい?」と、雄介に向き直った。
適当に勘違いしてくれたらしい。
山崎はズボンのポケットに手を差し込んだまま「夜なら遊びに行くけど?」と笑いながら言う。
とーこは「あーじゃあ直美ちゃんたちに聞いておくよ。あたし班長会あって呼び出されてるから。」と請合ってる。
「そーじゃなくて」と言いかけた山崎に「じゃ、また後でね」と、とーこはさして気にせず笑顔で答えて、「お抹茶セット頼んだよー!」と大声をあげる田中たちの下へ駆け寄っていった。
「・・・じゃーヤローばっかで何する?」
「公園で昼寝でもするか?」
「わー寂しい。」
「班長会かーやだなー」
「関班長、頑張れ!」
男6人というむさくるしい集団で、俺たちは観光客や修学旅行生が歩く街道を同じように歩いた。
俺がみんなより歩調をゆっくりにして歩いていると、雄介が立ち止まり俺が追いつくのを待った。
隣に並ぶと「山崎、本気みたいだね。昨日のこと」と呟いた。
昨日のこと。
男ばっかりの旅館。話すことなんて大概決まってる。
「・・・みたいだな」
「昨日から・・・」
「ん?」
「そんな不機嫌そうな顔して。」
雄介がくすくすと笑って、俺の真似だといってぶすっとした顔してみせる。
俺そんな顔してたか?
・・・してたかも。
急にフラッシュをたかれたり、呼び出されては泣かれたり、有菜も居ないし。
何より・・・とーこは無防備だし。
「知らなかった?とーこって意外ともてるんだよ?」
「は?」
「面倒見いいし。サバサバしてるから話しかけやすいし?」
そう、昨晩も旅館でそんな話題になった。
最初は有菜の話題で。
休みなんて残念だーとか、やっぱり一番可愛いだとか、天然だけどそこがいいだとか。
なんだかんだ、クラスのヤロー全員集まってたし、2組と3組の奴らもいた気がする。
誰がバスト一番大きいだとか、誰と誰ができてるだとか。
まあ、下ネタがほとんだった。
米倉はキレイ系で有菜は可愛い系だとか、そんなことで盛り上がって。
俺と雄介は部屋に碁盤を見つけて、二人で碁を打っていたんだけど。
不意に山崎が「とーこもいいよな」なんて言うから、俺は自分の耳を疑った。
有菜のことは今に始まったことじゃなく、クラスの奴らも何人か告白しては断られ・・・なんてのを見聞きしてたから、流していたんだけど。
「有菜ちゃん休みって言った時の落ち込み方、なんか俺ぐっときたんだよ。」
(前日のはしゃぎすぎに、とーこは「熱出しそう」って心配してたからな。)
「有菜といるとあの天然天使でかすんじゃうけど、結構可愛いんだよなあ・・・」
(おいおい)
「・・・一途だし?」
(・・・まあな。)
そこでふっと会話が途切れて、心の中で突っ込みを入れてた俺は視線を感じて碁盤からみんなのほうへ視線を移した。
じーっと見られてることに気づき「何だよ?」と答える。
みんな知っているんだ。
とーこが誰を好きか、なんて。
山崎が布団の上から半身をこちらに動かし「直人さー」と、急に真面目な口調で訊ねた。
「直人、とーことできてんの?」
「はぁ?」
「お前らいっつも一緒だろ?」
「いっつもって」
「俺、先週お前らが夜二人で駅に居るの見たぞ。コンビニの帰り!」
「神社の境内で二人で話してるのも見た!」
何人かがそう言って、俺の周りにずりずりと匍匐前進してくる。
「ったって、こいつら幼馴染じゃん」陽太の声に、山崎は「幼馴染ってだけかよ?」とまた質問を重ねる。
「だいたい、有菜ちゃんも直人の傍にいつもべったりなのに、なんだよ、直人、お前一人いい思いしずぎ!」
「さっきもさっちゃんに呼び出されただろ!?2組の!告られたんだろ?」
「だから、何!?イイオモイなんてしてねーぞ。」
「ぐわーこいつ、マジで腹立つ」
「羽鳥と付き合ってるのに、有菜ちゃんにまで手ぇ出してんのかよ?」
「どっちにも手なんか出してねーよ!なんだよ、ソレ。大体、俺ととーこは・・・」
「じゃ、いいよな!?俺、修旅中に告るからな?」
「・・・山崎だけじゃないかもね。告白しようとしてるの」
「雄介、お前・・・」
「直人は?有菜に告白しないの?好きなんでしょ?」
「・・・って、今居ないし。」
「いいじゃん、帰ってからでも。お土産渡しながら、とか?」
「あー・・・・んー」
「ま。告白は置いといて、有菜喜ぶと思うよ?お土産。」
昨夜のこととごちゃごちゃになった頭に、有菜の笑顔が浮かぶ。
「今頃、何してるんだろ?もう熱下がったかな?」
「きっと"ツマンナイー!"って叫んでるんじゃない?」
その姿を容易に想像できて、俺は雄介と顔を見合わせて思わず噴き出した。
俺と雄介が笑いながら歩く少し先のほうで、陽太のデカイ体がぴょんぴょんと跳ねるのが見える。
「直人っ、へるぷみー!」なんてふざけたこと言いながら。
思わず俯いて「恥ずかしいからやめてくれ・・・」と、ぼやいてしまう。
「まあでも本当に困ってるみたいだよ?」
雄介の冷静な言葉に視線を戻せば、陽太と同じくらいガタイのいい外人さんが3人、ガイドブック片手に奴を取り囲むようにして何か話しかけている。
よく聞けば、たどたどしいながらもちゃんと日本語を話しているのに、陽太の奴はパニクってしまってるらしい。
あんまり大きな声で呼ぶものだから、周囲の旅行者や学生の視線まで集めて、俺は頭を抱えたくなる。
修と土屋、そして山崎は知らん顔で先を歩いている。
「このまま俺らも知らん顔して通り過ぎるか?」
「もっと騒ぐんじゃない?」
「だよなあ」
溜息を吐きながら、俺と雄介は泣きそうな顔の陽太に近づいた。
予定していた名所巡りも終わり、集合場所に向かう途中、とーこがまた俺のブレザーを引いた。
「今度は何?」
「有菜にお土産買ってかない?ここ、なんか可愛いなあって。」
とーこはすぐにブレザーから手を放して店先を指差した。
「あ、俺もなっちゃんに買ってこう〜♪」
「彼女にかよ、修。いいなよあ。あ、でも俺も有菜ちゃんになんか買ってく」
「なっちゃんって、2年の?」
「あれ?そのこって、直人が階段落ち助けた子じゃなかった?」
「ちゃっかりしてるな〜小林って!」
「チャンスは最大限にいかすんだよ!俺は!」
「あ、私も見てく〜私は自分に買う〜」
修たちが中に入っていくと、山崎がとーこに「一緒に見よ?」って腕を引いた。
驚いて「わっ」ってつまずきかけながら、とーこは山崎に誘われて店内に入る。
またざらりと嫌な感じが胸の中で沸き起こる。
店内で困った顔しながら、それでも陽太や修の言葉に笑うとーこを見てると、イラついた。
「また、不機嫌な顔」
雄介の言葉に、思わず苦笑する。
自分の中の、とーこに対しての感情が原因だ。
自覚してる。
とーこは俺を好きなんだよ。
俺ととーこは、ずっと一緒なんだよ。
それは、とーこがそう望んでるから。
俺たちは、ずっと一緒だって、約束したから。
それだけ。それだけだけど、何より強い結びつき。
昨夜と同じように、また呼び出された俺は、なかなか話を切り出せずに居る相手・・・斉藤を前に焦れていた。
答えは決まっているし、柱の影でにやにやしてる奴らの気配は駄々漏れで。
今日の宿は小さな中庭を挟んで男女に部屋分けされていたから、こんな中間点にいつまでも立ってたら今以上に野次馬が増えるだろう。
・・・斉藤が嫌な思いするだけなのに。
「明日、帰りの新幹線の時間までの・・・あの、バスの中とか・・・と、となりに座ってもいい?」
斉藤はそう言って、真っ赤な顔をあげて俺をじっと見た。
もう泣きそうな顔していて、俺は溜息がでそうになる。
「・・・それって、深い意味あるってこと、だよな?」
「あ・・・の、う、うん」
「ごめん、俺、斉藤をそういう対象として見れない」
真っ赤なまま唇を噛み締めた斉藤は「・・・うん」と俯いて、目元を指で拭った。
柱の向こうで「ひでー」という囁きが聞こえる。
「俺もう行くけど。いい?」
「うん。あ、ごめんね?」
「じゃ」
何に対して謝ってるんだろう?傷ついたのは、斉藤なのに。
だけど、俺は背を向けて柱の向こうに隠れてる陽太たちのところへ向かった。
まったく、覗きなんて悪趣味だってーの!
俺に気がついて、バタバタと部屋に戻る後姿を確認すると、温泉から出てきたとーこと鉢合わせた。
もう風呂の時間はとっくに過ぎていたけど、そういえば班長会だったんだっけ。
「終わったんだ?」
「うん、今日の自由行動の報告だった」
あたしと関君、口裏あわせ大変だったんだから!
そう溜息を吐くとーこは、湯上りで頬がほんのりと色づいている。少し濡れたままの髪は一つにまとめ、同じように色づくうなじが目に留まり、思わず目を逸らした。
うわっ、なんだこれ?
こいつ、こんなカッコでうろつくのかよ!?
見飽きるほど一緒に居たはずなのに、有り得ない事に、心臓がどくんと跳ねる。
「なんなの?今日、あたしなんかした?」
むっとしたような声で逸らした視線の先に入り込むとーこに、俺は右手で口元を覆った。
「なんでもないよ」
「すっごく避けられてる気がしますが?」
「避けてねーっよっ」
「・・・そりゃ、有菜居なくて寂しいのわかるけど・・・」
むくれていた顔が寂しそうに曇り、声が小さくなる。
だから、そんな顔するなっての。
「・・・風邪引くと悪いから、さっさと部屋行けって。」
「はいはい。もうーすぐ点呼だからね?」
とーこはくるりと背を向けて、パタパタとスリッパの音を鳴らしながら廊下を走って行った。
思わずその場にしゃがみこみそうになって、壁に寄りかかった。
あれは誰だ?
今までも、とーこが変わっていくのをなんとなく寂しく思いながら見てた気がする。
だけど、あれは?
オンナじゃないか?
そんな風に思う自分に内心焦る。
幼馴染だと、自ら引いた境界線がはっきり見えてるのに。
場所が違うと、違う感じに見えるのか?
風呂上りって言ったって、ジャージだぞ?
風呂上りなんて、何度も見てるのに?
「どーした?どっか悪いの?直人?」
「あ?・・・雄介」
男湯から出てきた雄介が、タオルで髪を拭きながら俺の前で怪訝そうな顔をした。
「・・・直人が逆上せたみたいに見えるんだけど・・・?お前って風呂ずっと前に上がってるよな?」
雄介の言葉にまた頭がくらくらする。
見慣れたはずの俺ですら、心臓が跳ねるのに、他の奴らはどう思うんだろう?
昨晩、あんな話聞いたからだよな・・・。
整理のつかない気持ちを抱えながら、部屋に戻った俺は、また集まっていたクラスメイトにさっきの斉藤のことでイロイロ言われた。
一番うるさいであろう陽太は、隣の部屋に避難してるらしく、まだ戻ってきてなかった。
「ひでー」なんて声をあげたのはあいつだけだったからだろう。
なんだかイロイロ言われたけど、ほとんど上の空で。
だから話題はころころと変わっていった。
山崎が「これからとーこに告りに行く!」と叫んだ言葉反応してしまった。
「マジかよ!?」
立ち上がった山崎に、他の連中の視線が集中する。
「マジ、今、言ってくる。"明日俺と一緒に・・・"」
「とーこは・・・」
はやし立てられて立ち上がった山崎に、俺は思わず声をかけた。
「?」
「とーこは、俺以外選ばないよ」
一瞬、シンとした部屋の中で、俺は自分でも驚くくらいにはっきりと声に出していた。
自分でも、なんていう態度だ!?と思う。
でも、あんなとーこを誰かに見られるのは・・・嫌だ。
「とーこと俺は、ずっと一緒なんだよ」
とーこが誰を好きかなんて、みんな知っている。
だから、誰も何も言わなかった。
そうと知っていて、言葉にした。
山崎でさえ、他の奴らの視線に肩を竦めて諦めたように笑って見せてる。
「やっぱりな」なんて溜息交じりの声が聞こえた。
「携帯!借りてきた!有菜ちゃんに電話しようぜっ」
何も知らない陽太が隣の部屋から嬉しそうに戻って来ると、何かが弾けたようにみんな話し出した。
雄介だけが「酷い奴だな」と頭を叩いた。
「ああ・・・」
わかってる。
俺、最低だ。
――いつもと違う、空の下
2008,1,11up