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君に繋がる空

  
12、見つめた先の星空





夏前に部活を引退して、放課後を教室や図書館で過ごすことが多くなった。
吹奏楽は文化祭まで部活があったから、雄介たちはようやく部活から解放されたばかりだ。

志望校を進学校の泉峯に絞り込んだ俺たち――雄介、有菜、そしてとーこ――は、合格ラインギリギリの有菜に問題を出したりしながら、塾や習い事の時間まで一緒に過ごした。

クラスには他にも幾つかのグループが残っていて、まだそれほど差し迫った時期ではないから、今まで部活だとかで交流の少なかった男子と女子がようやく打ち解けてるような雰囲気があって"受験"なんてものは少し先、まだ言葉だけという感じだ。
もちろん、私立推薦組はもう少し立場が違ったけれど、中学受験なんてものとは無縁の田舎だから、高校受験が初めての"受験"で、切羽詰ったような空気は感じられなかった。

それでも、模試で一度も合格ラインに達したことがない有菜だけは、顔に"必死"と書いてあるかのような状態で、数学の参考書を開いている。
明後日行われる模試の結果次第で、志望校の見直しをするように言われているらしく、余裕がない状態だ。
そんな有菜だけど"どうしてもみんなと同じトコ行きたい"って想いはどうやら本気で、ここのとろだいぶ偏差値をあげてきてる。

「雄介、"正方形と扇形で囲まれている斜線部分の面積を求めなさい。"って、これはどうやるの?」
「・・・式に当てはめるの」
「その式がわからないの。」
「って、これと同じ内容の問題、昨日も教えたぞ!?」
「・・・でも、でも、数学っていろんな公式覚えるのに精一杯で、どれをどの時にあてはめて使うのかが・・・わからないんだもん」
「いや、だからさ・・・」

問題集から視線をあげ、雄介が溜息をついて参考書をめくりながら説明するのをくすくす笑った。
そんな俺に非難めいた視線を寄越して、雄介は「・・・有菜、直人に教えてもらって」と有菜のノートを俺の問題集の上に置いた。

「雄介・・・!」
「俺が教えるより、直人の方が有菜覚えられると思うから。」
「・・・俺はいいけど」

真っ赤になって雄介を軽く小突いた有菜は、俺に向き直るとおずおずと「宜しくお願いします」と頭を下げた。
「俺には頭下げないのに」と雄介が零すと、有菜は「イジワル!」と机の下にある雄介の足を踏んづけた。

「中谷居る?」

教室の後ろの扉ががらりと開き、3組の大井が教室を覗き込んだ。
「あ、はい」と、慌てて立ち上がった有菜を視線で捉えると、大井は無言で俺たちの前まで大股で近づき「困るんだけど!」と大声をあげ、片手で机をバンと叩いた。
有菜が小さな体をきゅっと萎縮させたのがわかる。
ノートの上にあった有菜のシャーペンがコロコロと転がって、床に落ちる・・・寸前でキャッチする。

なんだ?
何がどうなってる?

大井は先日まで生徒会長をやっていて、どちらかというとあまり感情を表に出すことが少ない奴で。
だからこんな風に誰かに怒るなんてのは、初めて見た。

「今日までだって、言ったよね?」
「・・・あ!」
「もう3回目だよ?それに、もう本当は俺は関係ないはずなんだ。なのに、なんでいつも君のことで・・・」
「ちょっと、大井、何?どうしたんだよ」

話の流れはなんとなくわかった。
多分、有菜が何かしでかして・・・もしくは何もしてなくて。
生徒会絡みってこと。
でも、内容が見えてこない。
俺は大井に訊ねて、とりあえず蒼白になった有菜との間に割って入った。

「報告書を提出しないから、冊子が作れないんだよ」
「報告?」
「あの、委員会の報告書、提出だったんだけど・・・」
「生活の?有菜書記だっけ」
「委員会って、先週末提出だろ?」
「その先週末どころか、今週になっても、まだ未提出なんだ!昨日言ったら"明日必ず"って言うから待ってたのに。毎回だよ?今回に限ったことじゃないんだ」
「ごめんなさい!家でまとめて、置いてきちゃって」
「わかってる?それを、またまとめるんだよ?生徒会で!」
「あの、今、取りに行ってくるね、本当にごめんなさいっ」

有菜は真っ赤になって泣き出しそうになりながら、大井に頭を下げた。
そして慌てて駆け出した。

「・・・ったく。今回は・・・何、中谷の保護者居なかったわけ?」

大井はそう言って、有菜が締めた扉を見て呟いた。
廊下から、くすくすと笑う声が聞こえる。

保護者・・・とーこか。

「昨日早退して、今日はそのまま休み」
「なるほどね。ここまで遅くなるの初めてだったから・・・羽鳥居なかったんだ」
「とーこが何?」

有菜の失敗は・・・まあ予想できる範囲で。
ちゃんと見やすいように書こう、って家に持ち帰って・・・それで持ってくるの忘れたんだろう。
悪気がないことだとは思うけど、だからって、確かに迷惑な話だ。
今回のことは大井に言われても仕方ない。
でも、とーこって何だ?

「羽鳥が居れば、せいぜい一日遅れるくらいだから。彼女、ちゃんと中谷に言ってくれるから。」

大井はそう言って、溜息を吐いた。
そういうことか、と納得して俺は小さく息を吐く。

「・・・それより、俺、お前が怒るとこはじめて見た。」
「え」
「本当だね。いつも冷静なのに。」
「そんなことないよ」

余程切羽詰っていたんだろうか?
それとも、後輩に泣きつかれたんだろうか。
冷静になれば、そんな怒鳴るほどのことでなかったと思ったのか、大井は急に赤くなって頭を掻いた。

「・・・中谷に悪いことしちゃったかな」
「有菜が悪いんだから仕方ないよ」

雄介が肩を竦めて言って、大井の背中をポンと叩いた。

「俺、生徒会室に居るから・・・中谷来たら持ってきてって言って。」

邪魔して悪い、そう言って、大井は教室を出て行った。
なんとなく成り行きを見守っていたクラスの連中も、ようやくほっと胸を撫で下ろしたのがわかる。
このクラスの人間なら、有菜のことでは大なり小なり同じような経験をしているから、大井が声を荒げた時には「あちゃー」という心の声が聞こえたような気がした。

「・・・とーこ、ちょっと手ぇ出しすぎなのかも。過保護っていうか・・・」
「違うよ、有菜が頼りすぎてるんだよ。とーこに。」

雄介は頬杖をつきながら、とーこの家のほうを見た。

「有菜、転んでないといいんだけど。」

女子から心配そうな声が上がり、俺は雄介と顔を見合わせた。
あまりにも鮮明にその姿が浮かぶところが恐ろしい。

「・・・俺、ちょっと様子見てくる」

そう言って立ち上がった俺に雄介は「直人も過保護じゃない?それとも・・・意味が違う?」と可笑しそうな視線を向けた。
「過保護、かも。とーこのが伝染った」

廊下には帰り支度をしたまま、話をしている女子の集団が居た。

「直人くん、どこ行くの?」

そう聞いてきたのは米倉だ。
俺が「ちょっと」と答えると、米倉が「有菜ちゃんのところ?」と嘲るような声が返ってくる。
それを無視して行こうとすると「有菜ちゃんはいいよね」とまた声があがる。

「どういう意味?」

振り返った俺に米倉は肩を竦めて「何やっても天然で許されるんだもの」と口端を引き上げて言った。
「天然かなあ?」
「計算されてる気がする」
「ホントだよね」
「結構迷惑かけてるのに」
「今日"保護者"居ないけどね」
口々にそう言って、「有菜ちゃんはいいよね〜」と笑っている。

「最後はとーこちゃんか、関くん・・・それに直人くんが助けてくれるんだものね!」

そう締めくくった米倉の顔は、笑っていたけど笑っていない。
そうか、さっき廊下から聞こえた笑い声は、米倉たちだったのか。

俺は静かに「そうだね」と頷いた。
反論する気もない。
それでも、思わず口にしてしまう。

「まあ、米倉たちが同じことしても、助けたいって思うかどうか・・・その差だと思うけど」
「!」

俺の言葉に米倉は唇を噛み締めて、真っ赤になって睨みつけている。
「じゃ、もう帰ったら?」と言って背を向けると、背後で「よね〜泣かないで」という言葉が聞こえた。
傷つきたくなかったら、俺に近づかなきゃいいのに。
後味の悪い気持ちを引きずりながら廊下を曲がる。

「うわっ」

誰かにぶつかりそうになって、慌てて立ち止まった。
それは、肩で息をしながら両手でファイルを抱えた有菜だった。

「有菜、はやかっ・・・」
「あの、直人くんまで・・・変なこと言われて・・・」

驚いている俺に、有菜が俯いたまま小さな声で呟いた。
さっきの、聞いてた?

「私、どうしてこうなのかな?いっつも、失敗ばっかり・・・みんなに迷惑かけちゃって・・・」

普段なら、何か言われても「えへへ」と笑う有菜なのに、俯いたまま肩を震わせてファイルをぎゅうっと握り締めている。
ゆっくり近づいて、震える肩を見下ろす。
あ、やっぱり転んだな?
擦りむいた手。
よく見れば、膝も赤く擦りむいてる。

「・・・雄介にも、とーこちゃんにも・・・直人くんにも。有菜・・・」
「そんなの、俺たちがどう思うかだろ?迷惑なんて、もう慣れちゃったよ」
「・・・直人くん・・・」
「大井が生徒会室で待ってるって。謝る相手が違うだろ?ほら、行ってきな」

ぽんと肩を叩くと、涙をいっぱい瞳に湛えて、有菜は俺を見上げた。
・・・放っておけないだろ?こんな有菜。
「困った奴」と頭を撫でると、有菜は指で瞳の端を擦って「えへへ」と泣き笑いして見せた。

「大井くんと、生徒会のみんなに謝ってくる」
「ああ、教室で待ってる。雄介と」

背中を押してそう言うと、有菜は「うん!」と元気よく駆け出した。
「転ぶなよ!」という俺の言葉が廊下に響く。

廊下を教室に向けて戻りだすと、米倉たちが慌てて反対の階段を下りて行くのが見えた。
また気をつけないと、有菜に対しての風当たりが強くなるかもしれない。
教室に戻ると、雄介が「容赦ないな」と苦笑していた。
米倉たちへの言葉だろう。
教室の片隅から「お疲れ〜」という声がかけられた。
俺は椅子に座り、大きく息を吐いた。




* * * * *





「ほら、ノート」
「ありがとう」
「明日までの英語の課題って終わってる?今日また言ってた。」
「うん。」

とーこは半身を起こしてノートを受け取った。
俺は椅子を引いて座り「熱は?」と訊ねる。
「大丈夫」
まだ熱が残る瞳、わからないわけないのに。


一昨日、塾が休みだった俺たちは、久しぶりに広場で星空を見上げていた。
もうすぐ、あと1ヶ月もすれば、ここにも雪が降り出すだろう。
コートを着込んだ俺たちは、とーこがポットに入れて持ってきてたココアで温まりながら星空を見上げていた。
その日のとーこは、いつもと違って言葉が少なかった。
流れ星を探しているようで、目を凝らして祈るような表情をしてた。
かなり長い時間。
『なんかあったのか?』と訊ねても『先に帰っていいよ』と言うばかりで、とーこはじっと中天を見上げて。
日付が変わる頃までねばったけど、流れ星は見つけられず、とーこは寂しそうに笑って『つき合わせてごめん』と言った。
『いいけどさ。ホントに・・・なんかあったんじゃないのか?』
『ううん。何もないよ・・・・・もう、しばらく、こんな風にゆっくり星を見る時間なくなるかな、と思って。』
確かに、受験が近づけば・・・それにもうすぐ冬だしな。
とーこの言葉に頷きつつ、微かに感じていた違和感。

なんでも話し合っていた俺たちだけど、ここのところ言いたいことが上手く伝えられない気がして、表面的な話ばかりしてた。
もう、子供の頃のように"何でも話す"という時期は・・・終わったのかもしれない。
それでも、やっぱり一緒に居ると落ち着く。
傍にいないと・・・落ち着かない。

あの日は、傍にいても・・・何故か落ち着かなくて、一人残すのが不安だった。
感じた違和感がなんだったのかわからない。

わかってるつもりだから。
とーこの気持ちも。

とーこもわかってる。
俺の気持ちを。

でも、・・・とーこは何を願いたかったんだ?



「夜中まで流れ星探してるからだぞ。俺たち一応受験生なんだから・・・」
「うん、ごめんね。」
「俺はなんともないからいいけど。」
「・・・いつかの逆だね。あの時は直人が熱出したのに」

シャラランと音がして、掛け布団からガムランボールが転がり落ちた。
俺はそれを拾い上げて小さく揺らす。
握り締めていたのか、微かに体温が残っていた。

「今日・・・何かあった?」

俺が揺らすガムランボールを見つめながら、とーこが探るような声で聞いた。

今日、とーこが学校に居たら・・・?
有菜はもっと早く忘れていることに気がついた?
米倉たちにあんなこと言われたりしなかったかもしれない。

・・・とーこに頼りすぎなのは、俺も一緒か・・・

放課後に起こった出来事を伝えた。
それを聞いていたとーこは「でも、有菜頑張ったんだ?」と微笑んだ。

「頑張ったっていうのか・・・?」
「直人のお陰かな。多分、あたしが居たら"生徒会までついて来て"って有菜言ってたと思うし。」
「どんだけ過保護なんだよ」
「・・・違うよ。ただ・・・いい人ぶってるんだよ。あたしは・・・。」
「とーこ?」

寂しそうに俯いたとーこは、だけどノートを開いて「あ、こんなとこまで進んでる」と呟き、「ここの説明してくれる?」と数学のページを指差した。

本当は、とーこの言葉に再び違和感を覚えていたけれど「今度の模試で出ると思う?」と言うとーこの問いかけに思考を中断した。
ガムランボールをとーこの机の上に置いて椅子をベッドサイドに移動させた。
鞄から教科書を取り出して「これはさ・・・」と授業を思い出して説明を始めた。


とーこの机の上に、幾つかの私立高校のパンフレットがあった。
俺はその時、さして気にもしなかった。
滑り止めの話、有菜としてた。
とーこに滑り止めは必要ないと思っていたけれど。


俺たちが、違う道を歩くなんて、考えてもいなかった。

ずっと、同じ星空を見ていたのに。
ずっと一緒だったのに。

いつの間にか、俺はとーこを見失ってた。





――見つめた先の星空

2008,1,23up





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