2月は嫌いだ。
「先輩、受験、頑張ってくださいっ」
生徒玄関で靴を脱いだら、いきなり視界に真っ赤な袋が飛び込んできた。
視線を上げれば、その袋に負けないくらい真っ赤になった耳が見えた。
深々とお辞儀をするような感じで顔を下げているから、誰なのかもわからない。
ただ上履きには丸っこい字で1−2とマジックで書かれていたから、1年生だということはわかった。
「・・・受け取れな・・・」
「ハイ・・・!」
全て言い終わらないうちに、俺に袋を押し付けるようにして、一年生は廊下を駆けて行った。
登校して来た後輩たちやクラスメイトの視線が集まる。
「おお、もうこいつチョコ貰ってるよ!くそーいいなぁっ」
吹き込む雪を避けるように傘を差したまま生徒玄関に入ってきた陽太が、傘についた雪を俺に向かって飛ばしながら大きな声をあげた。
また視線が集まる。
「馬っ鹿!やめろよっ、外でやれ外で!」
「今年第1号か?いいよなあ、直人は」
思い切りかけられた雪を払いながら、踵を踏んづけたままの上履きをちゃんと履き、スニーカーを靴箱に入れた。
「机の中に、もう入ってるんじゃない?」
「今年は何個くらいだろうな?」
「よーすっ!雄介!修!」
きちんと玄関前で払った傘を畳みながら、雄介が「おはよ」と肩を叩く。
修は「今日さみいよなあ〜」とガチガチと歯を鳴らしながら靴を履き替えた。
「・・はよ」
挨拶しながら、押し付けられてしまった袋を見下ろして溜息が零れた。
目ざとくそんな俺を見つけて、陽太は「今年も言うのか?"好きなヤツ以外のチョコはいらない"って」やれやれと肩を竦める。
「そんな事言ってるから、ロッカーとか机に入れてくんだぜ?」
廊下を歩きながら、こそこそと柱に隠れる女子に視線を走らせ「ほら」と顎を向ける。
そんな陽太の後ろをついて歩きながら、俺は気がつかないフリを決め込んだ。
手にはさっき押し付けられた・・・中身はチョコだろうと思われる袋を持って。
「直接渡してく子なんて、もっと引き下がれねぇよなあ」
「押し付けるなり、その場所に置いてくなり・・・"捨ててくれていいですから"って泣き出したりね。」
「いいじゃん、せっかくなんだから、全部ありがたく貰っておけよ。『受験勉強しながら食べるよ』って言っとけば、みんな喜ぶぜ?」
陽太の言い分はもっともで、そうすれば泣かれたりすることもないってわかってる。
それでも、欲しくないものは欲しくない。
善意とか、好意とか、そういった類の押し売りみたいな行動には、嫌悪すら覚えた。
それがいつからなのかは定かじゃないけど・・・。
「俺からしたら、うらやましいだけなんだけどな〜」
陽太が両手を頭の上で組んで呟く。
「俺、今年は確実に一個もらえるからいいや」
修の言葉に、陽太は「なんかムカつくっ!」と階段の上段から修に蹴りを入れようと右足を伸ばす。
「あ、ぶねぇっ!」
さっと避けて、修は持っていた手袋を投げつける。
「いいじゃん、きっと有菜がお前にもチョコくれるよ」
「義理チョコだろ・・・!俺も本命チョコがいいんだよ!有菜ちゃんの本命チョコ!!」
喚いてる陽太だけど、俺は知ってる。
去年、あいつだって何人かの女子に呼び出されてた。
でも、貰わなかったんだ。
義理チョコだよ、友チョコだよっていうチョコは貰ってたけど。
教室の手前で思わず立ち止まった俺に、雄介が神妙な顔つきで告げた。
「まあ、覚悟しておくんだね。中学生活も後僅かなんだから、相手だって必死なんだよ?」
雄介の言葉は、それでなくても気が重くて動かない足をさらに重くしてくれた。
俺は返事をする元気もなくて、また溜息を吐いた。
そして、雄介の言葉は、けして誇張でも大袈裟でもなく、今日一日何度も何度も、俺は噛み締める事になるのだった。
だから、二月は嫌いなんだ・・・。
「・・・直人、それ、どうするんだ?」
色とりどりの袋、そして包みが詰まった大きな紙袋二つを見ていた俺に、雄介が訊ねた。
チョコだけじゃなくて、ケーキなんかも(陽太が確認済みだ)あった。
ここ一ヶ月、視界の端にあった手編みのマフラー、それにお守り。
それはありがたいと思うより、一人ひとりの想いが強すぎて、それがこんな一塊になって目の前にあると思うとげんなりしてしまう。
・・・だからといって、ここにこうして置いて行くわけにもいかない。
「・・・焼却炉に入れてく」
「おまえ、それ酷くねえ?」
昼休みに彼女から貰った包みをいそいそと開けていた手を止め、修が叫んだ。
教室に残っていた女子も非難めいた視線を寄越す。
俺は「いらない」って言ったんだぞ?
足元に置いて逃げたり、机に置いて行ったりするのをどうやって防げばよかったというんだ?
「うわーん!!!!今年、有菜ちゃん、チョコくれなかったっー!」
大きな声をあげて教室に飛び込んできた陽太が、小さな紙袋を3つ、俺の紙袋の上に載せながら叫んだ。
「おい、これ、なんだよ!?」
「え?今そこで米倉たちから預かった。直人に渡してくれって」
「おまっ・・・・!」
受け取ってくるな!と叫びたかったけれど、とうに気力がなくなっていた俺は頭を抱えて俯いた。
「そんなことより、今年、有菜ちゃんチョコくれなかったよなっ!?もう帰っちゃった!?俺だけ?貰ってねーの」
「ああ、有菜、今年はやらないって。ほら、あいつこの間まで熱で寝込んでただろう?」
「鍵探したんだろ?この雪の中!くそーっ木田のやつら、許せねえ!」
「でも、明日クッキー作ってくるって言ってたよ。クラスのみんなに配るとかなんとか。」
「一日遅れだな。・・・ってことは、もう、明日渡すものはバレンタインには関係ないってことだ。"本命じゃないよ〜"って」
「そんなあ〜!」
「陽太、いい加減諦めたら?」
俺の隣の席にぱったりと倒れこんだ陽太に、修と雄介が声を揃えて止めを刺した。
ようやく顔を上げた俺と対照的に、陽太は「う〜」と唸って机に突っ伏している。
陽太は、ずっと有菜のこと・・・好きなんだもんな・・・。
そうか、今年は有菜のチョコないんだ。
陽太じゃなくても、がっかりしてる奴は多いだろう。
俺だって・・・寂しく思うんだから。
多分、もらって素直に嬉しいと思えるのは、有菜からのプレゼントかもしれない。
廊下から足音が聞こえ、陽太が開けたままにしてた教室の扉の向こうから、有菜ととーこが並んで教室に戻ってきた。
まだ帰っていない事は知ってたけど、そういえばどこに行ってたんだ?
不思議に思って目で追ってしまう。
・・・?
二人の様子がおかしい。
有菜の目が心なしか赤い。
とーこも・・・?
いつもとまったく違う雰囲気の二人の様子に、俺は胸がざわつくのを感じる。
こんな二人は、出会ってから初めてだ。
喧嘩したとか、そういった雰囲気でもない。
なのに、余所余所しさが漂う。
とーこは俺の視線に気がついたのか、手にしていた何かを慌ててカバンに入れた。
有菜は泣きそうな顔で雄介に視線を向けた。雄介は呆れたような顔をして、ちらりと俺を見た。その表情はとても複雑で、俺は「何?」と思わず訊ねた。
「・・・いや、何でもないよ?俺たちレッスンの予約時間なんだよ。先帰るぞ?」
「あ、ああ、また明日な。」
雄介が立ち上がると、有菜もカバンとフルートの入ったケースを持って来た。
その表情はもういつもの有菜で「佐々木くん、どうしたの?」と突っ伏している陽太を覗き込んだ。
「あ、有菜ちゃん!え、もう帰っちゃうの?」
「うん。熱で休んじゃったレッスンの振り替えで、今日は二日分レッスンがあるの。」
「そっか〜・・・気をつけてね?」
「うん。雄介が一緒だから!それじゃ、また明日ね!」
そう陽太と修に笑顔を向け、最後に俺を見て「直人君も、また明日」と小さく手を振った。
どこか不安そうな、恥ずかしそうな、そんな顔で。
そんな顔されたら、気になってしまう。
「とーこちゃん、また明日!」
有菜の視線につられるようにとーこへと視線を移す。
有菜と同じように、とーこも先ほどのつらそうな表情ではなく、笑顔に戻っていた。
まぶしすぎて目を開けられないときのように、目を細め「うん。頑張ってね」と手を振った。
「ごめんね」と小さく有菜が呟いた気がした。
とーこが驚いて目を見開き、次には困ったような笑顔で首を振る。
やっぱり何かあったんだろうか?
「ばいば〜い」
「じゃあな!」
二人が帰る姿を見送った後、陽太はじっと俺を見て溜息を吐いた。
「・・・今度はなんだよ?」
「なあ修、今日直人ん家行かねぇ?俺、今日の宿題わっかんねーんだよ」
「はあ?」
「あ〜俺もあれわからねえ。教えてくれよ。・・・このままここに残ってると、部活終わりの後輩にも捕まるだろ?」
「いいだろ、直人」
修と陽太の申し出を断る理由もない。
「・・・しょうがねえなぁ」
俺が立ち上がると「とーこ、羽鳥、いるかぁ?ちょっと職員室来てほしいんだが・・・」と担任の平野ちゃんが教室を覗きこんだ。
「はーい、居ますよ」
とーこはコートを羽織ながら平野ちゃんのところへ駆け寄った。
平野ちゃんは廊下へ出ながら「提出してきたか?」と何か訊ねている。とーこが「はい」と小さな声で答えるのが聞こえた。
「・・・じゃ、俺らも帰るか。」
「直人の宿題写しに。」
「自分でやれよ。教えるから!」
とーこのあの表情が引っかかった。
泣き出すかと思った。
笑いながら。
玄関の靴箱に、2つ小さな包みが入っていた。
紙袋に突っ込むと持ち手が破れた。抱えるように持つ。酷く滑稽だ。
雪が舞う。
冷たい北風が吹きつけた。
「・・・で、直人、この中にお前の本命は居たのかよ?」
車の轍を辿って歩く陽太が、いつになく真剣な声で訊ねた。
だから、俺は素直に「いいや」と答えた。
答えて、抱えていたプレゼントたちが急に重さを増した気がした。
「直人、お前、有菜のこと・・・」
言いづらそうに呟く陽太の前で、俺はついに抱えていたものから手を放した。
どさっと音を立てて、雪の中に紙袋が埋まる。
幾つかはまわりに飛んだ。
真っ白な雪に、隠しきれない想いが散らばる。
「直人!勿体無い!」
「何やってんだよ」
二人は驚いて、立ち止まって俺を見た。
「・・・好きなやつから以外は、いらない。」
言って、俺は轍のない道路の真ん中を歩いて二人を追い越した。
「おい、待ってて!」
「直人!」
バレンタインなんて、大嫌いだ。
――雪舞う夜空 ・ さよならへの序章
2008,1,31up