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君に繋がる空

  
21、虚空





体育祭を明日に控え、校内はいつもとは違う空気に包まれていた。
中学の頃と違い教師の手がほとんど加わらない所為か、前日でもすでに気合の入ってる先輩がふらりとやって来ては掛け声をかけたり、衣装やボードの仕上がりを確認したりしている。
まだ経験のない俺たち一年は、そんな先輩たちの熱の入れ方に少しばかり面食らっていた。
昨年までは、各学年クラス毎にカラーが決まっていて縦割りで組み分けしてたらしいが、今年は一クラス減って俺たちの学年は6クラスしかないから、1年はクラスに関係なく振り分けられた。
俺も雄介も有菜も、同じ青組で、中学の頃と代わり映えしないね、なんて有菜は笑った。

先程一年男子が担当していたボードは出来上がったのでペンキやら刷毛を片付ける手を休め、午後から振り出した小雨を窓越しに眺めていた。
昨晩のことを思い出し、細かく落ちてくる雨粒に気分が滅入っていくのを感じた。
暗く重い雲は俺の胸の中のようで。

堕ちてこなかった星空、沈んでしまいたかった星の海。
逃げ出すことが許されない現実。


「直人、ちょっといいか?」
廊下から雄介が顔を出して、俺を呼んだ。
俺は持っていた刷毛をひとまとめにして、ケースに放りこみ廊下へ出た。
昨日とーこと居た雄介を見た所為で、気まずさを感じてしまう。
「なに?」と訊ねる俺に「ちょっと・・・」と言葉を濁し、雄介は特別教室棟に足を向けた。
並んで歩きながら雄介を見ると複雑な表情を浮かべていた。

有菜が雄介に言ったんだろうか?
それとも、とーこのことか・・・?

音楽室のドアを開け促され、普段訪れることのないその教室に足を踏み入れた。
最初から五線譜の描かれた黒板の前まで行き、ドアを閉める雄介に向き直る。

「こんなとこまで連れて来て、一体なんだよ・・・?」
俺の言葉に、雄介は表情を固くして顔を逸らした。
溜息を吐いて、雄介は椅子に座り「直人も座れば」とピアノの椅子を指差した。
「・・・いい。で、何?」
俺はポケットに両手を入れて、ピアノに寄りかかり俯いたままの雄介を見た。

しばらく考え込んでいた雄介は、意を決したように顔をあげる。
その表情は、やはり複雑だ。
怒りと悲しみ・・・そして不安?

「・・・アルバム回ってるの知ってる?卒業アルバム」
「中学の?」
「そう」

突然見当違いのことを言われ、肩透かしを食らったような気持ちになりながらも俺は「ああ」と答えた。
連休を過ぎた頃から、イロイロな中学の卒業アルバムがクラスで回されていたのは知っている。
卒業アルバムの写真を見て、合コンで呼んで欲しいコだとか紹介して欲しい奴なんかをピックアップしているのだと聞いた。
顔と名前、両方わかるんだから、なるほど効率的だと思う。
想い出を残すだけのものじゃないのだと、アルバムを見て盛り上がる集団を見て感心してたくらいだ。
俺たちの中学のアルバムが回っていてもおかしくない。
俺達の他にも、泉峯に来てるやつは居るんだし・・・。

「それがどうかしたのか?」
「・・・今日、クラスの奴に聞かれたんだ。」
「うん」
「米倉とか・・・有菜のこととか」
タイプは違うけれど、昔から二人とも人目を惹く存在だった。
だから俺は「わかる気がする」と頷いた。

「あとは・・・とーこのこと。」

雄介のその言い方に、俺は目を見開いた。
すぐにある言葉が浮かぶ。
そして、何故言いにくそうにしていたのか、雄介がこんな風に苦しそうなのか、俺は察知してしまった。

『直人がずっと手離さなかったくらいだからな、よっぽどイイんだろ?』

脳裏になっち先輩の声が蘇った。

「とーこのこと紹介してって言われたよ。"付き合いたい"ってのもあったけど、そうじゃないんだ。・・・その・・・」
「・・・言わなくていい。」

手を伸ばし首を横に振り、雄介の言葉を遮った。

「・・・知って、た?」
「・・・言われたよ。直接。」

喉に張り付いた声を引き剥がすようにして、答えた。
言葉がそのまま突き刺さったかのような顔で、雄介が見つめ返した。

「"都合のいい幼馴染が居ていいな"って」
「それで、直人は・・・」
「そんなんじゃないって言ったよ。」
「俺も否定したけど、だけど!」

否定したところで、噂話なんて他人の興味が働く部分はそのまま広がっていく。
なるべく冷静でいようと、俺は俯きながら静かに答えた。

「知ってから、だからここのとこイライラしてたのか?・・・いや、表面上はいつもと同じだったけど・・・」
「・・・」
「直人ととーこは・・・本当は・・・」

雄介はそこまで言って口を噤んだ。
言葉にしてしまったことへの後悔が、沈黙に姿を変えて二人の間に横たわったようだった。

俺ととーこを一番近くで見てきた雄介。
俺が有菜を見ていて尚、俺の傍に居たいと思ったとーこ。
それがどんなに酷なことかを、雄介はさり気なく伝えていた。
・・・それでも強く言わなかったのは、俺ととーこの目に見えない結びつきを一番強く感じていたから。
多分、雄介は俺なんかが気がつくよりずっと前から知っていた。
憧れに似た瞳で、俺たちを見てた。

そこに体の結びつきもあったのか?

そう考えてしまった自分を責めているような表情。

「・・・直人は、有菜を選んだんだよな?」

重く低い声が、ゆっくりと雄介の唇から零れた。
俺は答えられず、ただじっと見据えるその瞳を見つめ返した。

「・・・直人、もう、とーこを解放しないか?・・・とーこをこれ以上傷つけるのはやめよう?とーこが、どれだけお前を大切で大事に思っているか・・・わかってるだろう?」

言葉が刃になって胸にざくりと突き刺さった。
呼吸が止まる。

「でも、直人はそれに応えられない。お前の隣で、とーこがどれだけ"大丈夫"なフリしてたか・・・わかってるよな?」

わかっている。
俺はそれに甘えて、自分の気持ちにさえ向き合っていなかった。
ある部分で、俺は本当にとーこを"都合のいいオンナ"にしてたんだ。

「今までは、とーこの気持ち尊重してたし・・・直人も本当は心の深い場所でとーこのことを・・・って思ってたんだけど」

雄介は立ち上がり、動けずにいる俺の前まで来ると自嘲的な笑みを浮かべて告げた。

「とーこがずっと好きだった。・・・直人はずっと知ってたと思うけど」

知っていた。
だから無意識に牽制してた。
とーことの繋がりを誇示するようなことをしてきた。

「とーこを選べないなら、もう"さよなら"してやれよ。・・・離れてまで直人に縛られてるなんて・・・・あんな噂・・・とーこに届いたら・・・」
「・・・っ」

耳に入れるつもりなんてない。
それでも、どこからか漏れて聞いてしまうかもしれない。
とーこは笑い飛ばすだろう。
"そんなことありえない!あたしたちはただの幼馴染だよ"
気にしない風を装って、笑顔で言うだろう。
そして、笑いながら、大きな傷を抱える。
氷の中で泣くとーこが鮮明に浮かぶ。

「俺、は・・・」

その先を言葉に出来ず、今度は俺が口を噤んだ。

とーこが好きだ

そう言えない。
有菜と約束した。まだ、誰にも明かさないと。

足元から凍り付いてくような感覚。

「さよならなんて、しない」
そう吐き出すように言うと、雄介は目を見開いて俺を見た。
真意を図りかねているようだった雄介は、だけど俺の目を見て首を振った。
それは"理解したくない"とでもいうような仕草だった。

「なんでそんな悲しそうな目するんだよ!?どっちも、なんて、そんなことできないんだぞ!」
「・・・・ってるよ」

俺の言葉に、雄介は溜息を吐いた。
俺は自嘲し、ポケットの中でガムランボールを強く握り締めた。
離せない・・・。
雄介の言葉通りにできたなら、とーこを傷つけずに済むと・・・わかっていながら。





* * *



かろうじて雲の淵に雨粒が留まっているような空の下、体育祭は行われた。
なんだかんだと足が速いことを理由に、いろいろな競技に借り出された。
仮装競争で「ナース」の恰好をさせられ、記念写真まで撮られた俺は、退場門近くに居たシンに捕まり、止めの大笑いをお見舞いされた。
うんざりしながら応援席に戻ると、人一倍大きな体が視界に入り、有菜の嬉しそうな声が聞こえる。

「もーばっちり!見る?」
「有菜えらいっ!」

修が言って手を叩く。

「なーにを見るって?」

嫌な予感がして、少し離れた場所から思わず言った。
すかさず陽太が「直人〜!お前の勇姿をだよ〜。久しぶり!」と笑いながら手を挙げた。

「お前ら、泉峯を漁りに来たんだろ?」
「おう、直人紹介しろよ〜。」
「直人君、さっきのナース姿!!一番に見せたげるから、早く早く!」

有菜はそう言いながら、俺のもとへ駆けて来て、にこにことデジカメを差し出した。
そこにはスカート姿で走っていく姿が納められ、来賓テント前で強要された投げキッスの様まで写されていて、俺は恥ずかしさで苦笑した。
「俺たちにも見せてよ〜」
そう言って有菜のもとに近づく陽太と修の後ろに、今、ここで会いたくない人間の姿を見つけて凍りついた。

とーこ・・・!

雄介の後ろに隠れるように佇むとーこの姿に、俺は思わず舌打ちした。

なんで、来たりするんだよ!?

雄介に昨日聞かされたこと。
あの噂が写真付きで回されている事実。

なんでここに居るんだよ!!

あのアルバムを見て、雄介に紹介しろと言った奴は誰だったんだ!?
今、この場に居て、とーこに気がついたら!?
気がついたって、何もできやしない。
そう冷静な自分が囁くけど、俺は心臓がどくんどくんと打ち付ける痛みに顔を強張らせた。

来ちゃ駄目だ・・・!

射るような視線をとーこから逸らせず、背中に嫌な汗が伝う。
とーこは、そんな俺の視線を避けるように雄介の背中に隠れた。

どくん

また大きく心臓が打ち付ける。
その光景は、俺が初めて見るもの。
とーこが、他の誰かに助けを求める。
俺以外の奴・・・雄介に・・・!

受け入れられない光景。

どうして!?

蒼白になり、今にも崩れ落ちそうなとーこの表情。
そこに浮かんだのは――怯え

怯え!?
とーこが俺に怯えている・・・!?

それまでうるさいくらいに叩きつけていた心臓が、一瞬きゅっと小さくなって、そのまま動きを止めたような気がした。
隣ではしゃぐ陽太の声も、つられて笑う有菜や修の声も、聞こえなくなる。

ッーーーーーーーーーン

音にならない無音の響きが脳に走り、突き抜けていくのを感じた。
世界が止まった、そんな錯覚。

だけど離れていても、とーこの震えだけは見えていた。
その震える手が、縋るように雄介のシャツの裾を掴むのも。

「・・・!!」

色が消えていく。
何かが目の前で弾けて、今度はサァーーッと引いていった。
何もかもが麻痺してしまったようで動けなかった。

どんなに喧嘩したって、あんな怯える表情なんて見せたことがない。

とーこが俺に怯えるなんて・・・!

それがほんの数秒の出来事だったのか、何十分もそうしていたのかわからない。
いや、多分ほんの少しの出来事なんだろう。
視線を雄介に移すと、肩を竦めて小さく首を振っている。

「とーこちゃんも見て!」
有菜の声にはっとして、動きを止めた。歩き出そうとしていたことに気がつく。

ポツンと頬に何かが落ちてきた。
「雨だ・・・」
雄介が空を見上げて呟いた。
見上げると、ついに落ちてきた雨粒が無数に降りかかってくる。
顔に落ちてくる大粒の雨に目を閉じる。

「ごめん!あたし、洗濯物外に干したままなの。今日、誰も家に居ないから、帰るね。」
とーこの声に慌てて視線を戻す。
心配そうに覗き込む雄介に何か囁いていた。唇の形は「大丈夫」と言っていた。

「それじゃ、またね」
「とーこちゃん、傘!」
「使って!それじゃ、またね!」

持ってきた傘を有菜に渡し、とーこは振り返らずに走って行った。
追いかけようとする足は、とーこの瞳を思い出して動かせなかった。

とーこ・・・!

これは、俺がとーこにしてきたことへの報いなんだろうか?
とーこにとって、俺はもう怯えさせることしかできないんだろうか・・・。
心が引き裂かれるくらいに、とーこを求めてるのに。





預かってきたとーこの傘の柄を握り締めながら、とーこの家の玄関の前に立った。
何度もチャイムを押しかけてやめた。

また、あの瞳で見つめられたら、怯えた瞳を向けられたら――

そう考えると、血の気がひいていき、指を下ろした。
ドアの脇にそっと傘をたてかけて、柄を掴んでいた右手をゆっくりと離していった。

ぱたりと落ちた右手が、もうとーこの手に辿りつけないと感じて冷たくなっていた。





――21、虚空

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