あとからあとから流れ落ちるとーこの涙に、俺はただ「ごめん」と言うしかなかった。
その涙を止める術を持たず、何度も「ごめん」と言葉を落とす。
それ以外の言葉は言えなかった。
放してやれなくて、ごめん。
シャツ越しに感じるとーこの吐き出す息も、涙も、胸を締め付ける。
涙で濡れていくシャツが夜風で冷たくなる。
とーこは抱きしめられたまま、力が抜けたように足元が崩れていく。
ずるずると草の上に座り込んだとーこを、そのまま抱き寄せて背中をそっとさすった。
何度も、何度も。
こんな風に泣きながら、それでもとーこはまだ本当に泣いているわけじゃない。
声を、殺している。
笑顔を引き出すこともできない。
ちゃんと泣かせてやることもできない。
俺の前で、気持ちを隠してきたから・・・俺がそうさせてきたから・・・とーこはちゃんと泣くこともできない。
泣きたくないのに、涙が出そうになる。
堪えようと、空を見上げた。
中天の一番暗い場所。星ではなくて、その暗闇を見つめる。
2人だけの星空だった。
2人だけで見る星空は、今日が最後になるかもしれない。
「・・・明日、流れ星、見れるといいな。」
思わず零れた言葉。
しゃくりあげながら上下していた肩が少しずつ治まり、とーこは頷いた。
そして、腕の中で小さく笑ったとーこは、深呼吸して唇を開いた。
「・・・直人が、好きだった。」
「うん。」
「ずっと、好きで・・・。」
「・・・うん。」
「だから」
「・・・」
「・・・ちゃんと、失恋させて」
震える背中に回していた俺の腕を解いて、とーこはゆっくりと顔をあげた。
暗闇でもわかる、痛々しい泣き顔。
"好き"でいることが苦しい、と、とーこの瞳は訴えた。
こんなに悲しい結末が待っていたんだ。
あんなに大切だった時間が、終わる。
それでも、知って欲しかった。
とーこは、俺が本当にとーこが好きだということを信じられずに居る。
それが、自分を否定して傷つけてるってことも、自信を持てずに居る原因だってことも。
気がつけないほどに、傷ついてる。
全部俺の所為。
「俺にとって、とーこは・・・」
"誰より愛しい存在"
そう言っても、とーこは信じられないだろう。
有菜を好きだと思ってるんだから。
今までも、今も。
言葉を続けることが出来ず、俺は大きく息を吐いた。
まだ、言えない。
俺が言っても、信じられないだろう・・・有菜から聞かなきゃ・・・。
見慣れたはずの夜空。
どれだけ一緒に見上げたんだろう?
「なんでって、聞いたよな?」
「・・・うん」
とーこの言葉、全部答えて、そうしたら少しは信じてもらえるんだろうか・・・?
「チョコを拾ったのは、とーこの気持ちを捨てられなかったから。・・・あれが、とーこが初めて本命だって言ってくれた・・・バレンタインチョコだろ?」
とーこを見つめて、言葉を探す。
「・・・そんなこと言ってない」
「言ったよ。"あたしの好きな人は、あたしを好きじゃない"って。"その人は好きなコ以外からは、受け取ってくれない"そう言って、お前は雪の中に捨てたんだ。その好きな人って、俺だよな?・・・・それまで、義理チョコだって言っていて・・・そうじゃないって知ってたけど、やっと、自分から言ったんだ。それを捨てられるわけ、ないだろ・・・」
あの時、あんなに必死に探したのは、とーこのチョコだから。
そんなシンプルなことに、俺はなんですぐに気がつかなかった?
ずっと、毎年、とーこのチョコを心待ちにしてた。
バレンタインが嫌いだなんて言いながら、とーこからのチョコを楽しみにしてたくせに。
「雪の中で探しながらとーこの言葉が何度も頭の中で繰り返されたよ。やっと見つけて・・・しばらくは開けられなかったけど、包みを開けて、中にガムランボールが入ってて・・・拾ったこと、黙ってたんだ。」
ジーンズから携帯を取り出して、ガムランボールを揺らす。
とーこは辛そうに視線を逸らした。
「・・・これが入っていたってことは、とーこが俺から離れようとしてるってわかったよ。」
わかってたのに、今も足掻いてる。
「試験会場にお前が居なくて、どんだけ焦ったか・・・。」
「直人は、有菜を・・・」
一瞬息が止まる。
とーこにとって、有菜は・・・可愛くて仕方ない・・・妹みたいな存在。
いつまでも"守ってあげたい"という存在。
もう、有菜は、何も出来ない、とーこに頼ってばかりの女の子じゃなくなったのに。
それは罪悪感からくる・・・過剰なまでの保護。
・・・俺も同じだ。
「ああ、好きだったよ。」
「そして、有菜からのチョコを受け取った」
「ああ。」
だけど、それは、間違いだったんだ。
すり替えてただけだ。
ずっと、とーこが好きだったのに、いつの間にか、有菜を大事にしたいと思うとーこと同化してた。
母さんみたいだった、あのふわふわの笑顔。
それを守れるならって・・・。
言葉に出来ない。
「それだけ聞けば、じゅーぶん」
何かを吹っ切るように、とーこははっきりと言った。
「あたしは、直人を好きだった。」
「・・・」
「直人は有菜が好きで」
「・・・」
「あたしは見事に失恋しました・・・って、ずっと失恋してたんだけどね。」
そう結論付けて、とーこはなんとか笑おうとしていた。
星を見上げて、そこに懐かしい何かを探すように。
「とーこは・・・・・失恋、したかったんだろ?」
「え?」
「有菜の気持ちも俺の気持ちも知っていたから」
無理に微笑もうとしているとーこの頬に、そっと触れた。
また心の中で「ごめん」と呟く。
無理に笑おうとするとーこ。
もう、俺にそんなことしなくていい。
いいんだ。
嫌っていいよ。
もう、嘘をつけないから。
俺はとーこも有菜も傷つけたから、雄介も陽太だって・・・
だけど
「・・・失恋、させてやらない。自分で、嫌いになればいい。俺は、とーこが好きだから。」
せめて、自分を否定することをやめて欲しい。
だから、だから・・・。
「ど・・・して、そんなこと?」
とーこがガタガタと震え出す。
拒否反応・・・・・・?もう触れられたくない・・・・・?
「友だちとして、好き、とか?だったら、それで・・・」
「まさか」
「幼馴染として?」
「違う」
「からかってるの?」
「どうして?」
「なにか・・・あたし、悪いことした?」
「なんでそうなるんだよ?」
「あたしが、直人から離れるのが、そんなに悔しい?」
また、だ。
とーこは自分を傷つける言葉しか見つけられない。
そうしてしまったのは、俺。
震えるとーこがそのまま壊れてしまいそうで、俺は慌てて抱き寄せた。
とーこの頭を抱えて、俺の肩に押し付ける。
「とーこは、俺を好きなんだろ?」
だから苦しんでる。
俺が、とーこを振ったって、とーこは自分を傷つけることを止めない。
「直人、ズルイよっ!直人が好きなのは、有菜で、あたしじゃないのに・・・!」
「それは」
「それでもいい、なんて、あたしは言えない。もう言えないよ・・・!隣で笑っていることがどんなに苦しかったか、直人は知らないでしょう!?」
「それでも、とーこは傍にいた」
「も、苦しいの。」
とーこが、俺を嫌いにならなくちゃ・・・
「好きだから、傍に居たかった。だけど、一番近くに居たら、苦しくなった。息ができなくなるくらい。」
「・・・」
「直人は、ずっと、知ってたでしょう?あたしが、ホントは、どんな気持ちで居るか・・・馬鹿なことしてたって、笑ってたって、あたしがどう想ってるか、知ってた。」
「・・・」
「・・・有菜のこと、話す直人が凄く嬉しそうで、そんな顔が見れる一番のポジション、あたしは嬉しくて、でもやっぱり辛かった。」
とーこの本音。
本当の気持ち。
俺が見えないようにしてた、気づかないフリしてた、とーこのココロ。
悲鳴が聞こえる。
今まで押さえ込んできた、とーこの感情。
震え続ける体を抱きしめて、俺も目頭が熱くなる。
ごめんな。
ごめん。
「直人、有菜、だよ」
声をあげてしまいそうで、俺はぐっと唇を噛み締めた。
携帯から光が浮かぶ。
「直人、出て。有菜、待ってる。」
震える声で、それでも必死に自分の気持ちを押し殺して、とーこは言葉にした。
有菜じゃなくて、とーこが大事なんだって、どうしたら信じてもらえる?
信じてもらえなくても、せめて、とーこはとーこだって、とーこだって大事な存在なんだって気がついて欲しいのに。
「あたしじゃ、ダメでしょう?・・・バレンタインに・・・有菜のプレゼントを渡した時、直人の表情、凄く・・・柔らかくて優しい笑顔だった。
・・・あんな顔、させられるの、有菜だけ。」
「・・・」
「直人は、さ、今まで一緒にバカやったりしてた幼馴染が離れようとしてるから、ムキになってるんだよ・・・」
「・・・とーこ」
「だから、好きだなんて言うんだ。あたしの気持ちに揺さぶりをかけて・・・!」
「とーこ!」
「あたし人形じゃないよ?。傍に置いて、何にも感じない人形じゃない。何をされても、傷付かない、人形じゃないんだよ?」
「!」
ここまで言わせるなんて!
「ムキになってるわけでも、人形にしたいわけでもない。とーこ、そんな風に思ってたの?」
最悪だ・・・。
「そんな風に思うわけないだろう!?ずっと傍に居て欲しいのは、人形なんかじゃない、怒ったり笑ったりする、とーこなんだから。」
やっぱり、俺の言葉はもうとーこに届かない。
「嘘だ!」
嘘じゃないよ、本当なんだ・・・よ。
だけど、届かない。
「あの日、本当は、とーこは、どうしたかった?・・・ずっと、幼馴染のままでいたかった?
違うよな。アレが入ってたってことは、とーこは幼馴染から脱却しようとしたんだろ?
それは、さよならする為?それとも、有菜じゃなく、俺を選んだからか?」
なんとか伝えたいのに、言葉は空回りする。
自分の言葉に打ちのめされて、とーこを掴んでいた指先からも力が抜けた。
とーこの傷はどこまでも深い。
「どういう・・・?」
「・・・そこまで追い込んでたんだって、試験会場でようやくわかったよ。雄介にも、散々言われたし、な。・・・だけど」
だけど、ここまでの傷を与えて、あんなに輝いてたとーこの自信をなくしてしまうなんて、そんなこと望んでいたわけではないのに。
「・・・・・・・・・俺のことなんて嫌いになればいい。失恋じゃなくて、とーこが俺を振ればいい。」
何を信じられなくても、とーこは自分自身を信じて欲しい。
遠く旅立ってしまう前に・・・。
肩に置いた指がすべり落ちる。
無言のまま草の上に落としていた携帯を拾い上げ、立ち上がる。
「俺は、とーこが好きだ。信じてもらえなくても。・・・だから、俺がお前を振ることはない、よ。悪いけど。」
とーこが一番望むものは、俺の言葉?
違う。
俺から離れたいなら・・・とーこは・・・。
傷ついた瞳で見上げるとーこの瞳には、情けない俺の影が映る。
まるでとーこにしがみ付く亡霊のような姿に、思わず自嘲する。
呆然と座り込むとーこの腕を掴み引き上げるようにして立たせる。
歪んだ顔に、俺は指先の力を抜く。
「痛かった?」
訊ねるのもおかしい。その痛みを与え続けているのは俺なんだから。
なのに、とーこは「・・・大丈夫」と呟く。「痛くない」と。
「・・・痛かったよな。ごめん」
「こんなの、なんでもない。」
「なんでもない、か。・・・・・・・"大丈夫""なんでもない"って、言うんだな。俺にも。」
「え?」
あいつなら、とーこを包んでやれるんだろうか?
頭に浮かんだのは、射る様な視線を向けた男の顔。
とーこを笑顔にすることができる、あいつ。
「雄介の言う通りだ。こんな酷い状況でも、とーこはやっぱり、そう言うんだ?」
一緒に居ても苦しめるだけ。
そして、とーこはずっと前に俺から離れたがっていた。
手を伸ばしたくなるボクを抑えるように、ぎゅっと携帯を握り締める。
ここに居ちゃいけない。
動けなくなる前に、ここから立ち去らなくちゃいけない。
歩き出した足元で、蛍がふわりと飛び立つ。
昔は、もっと居たのにな。
「あんま、遅くなるなよ・・・?おばさん、心配する・・・」
みんな居なくなってく。
握り締めてた携帯がまた光を放ち、サブウィンドウを覗く。
「・・・メール」
携帯を開いてメールを開ける。
「雄介・・・」
何も知らなかったのに、あんなこと言って悪かった。
とーこに全部話せたか?
昔から、とーこは一番欲しいものでも、我慢してしまう。
直人は・・・おばさんが亡くなったあの日から、必死に願うことをやめてしまってたよな。
わかってたのに、俺も見ないフリしてた。
有菜のことも。
とーこに全部話せよ?
ごめん。
「雄介・・・んなこと・・・ても・・・」
そんなこと言っても、もう、俺の言葉は、とーこを傷つけるだけ。
願いは叶わない。
それを一番知ってるのは、ボク、だったよね・・・そんな大事なことを忘れるなんて。
「ごめんな」
もう、とーこを、苦しめたりしない。
とーこが噛んだ唇に触れて・・・心の中で呟いた。
――29、星空に願いを、言葉は胸に
2008,3,12up