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君に繋がる空

  
3.温かな優しい空





「ただいま!」
勢いよく扉を開けると、甘い香りが立ち込めた。

「おかえり、直人。」

ふわっと笑って、リビングの向こう、キッチンに立つ人を見つめた。

「お邪魔しまっ・・・ぶっ」

とーこがすぐ後ろに続いて入ってきて、ぶつかった。
挨拶をしながら駆け込んできたので、ボクのランドセルに顔をぶつけたらしい。

「な、おと、なんで止まってんの」

イタタと呟く声を背中に聞きながら、ボクはくすくすと笑いながら「塔子ちゃん、いらっしゃい」と小首を傾げるその姿を見つめる。
ボクの顔を後ろから覗き込んできたとーこが、また後ろに回ってぐいぐいとランドセルを押した。
そして、止まったまま動けないでいるボクの足を前に進める。

「ほら、直人、早く!」

ボクはちらっと後ろを振り向く。
とーこが嬉しそうに笑う。
"ほらほら!"とその瞳もボクを急かす。
ボクはうんと頷いて、本当に久しぶりに家に戻ったお母さんに「ただいまっおかえり!」って抱きついた。

「ただいま」
ってボクの頭を撫でて、ボクの目の高さにしゃがんで微笑む。

お母さんの笑った顔は、ほわほわでふわふわだ。
ほわほわでふわふわ、だけど、どこか儚くて壊れそうで。
でも、病室で見るより、少し元気そうに見える。
ボクの頭に置かれた手は、細くて真っ白で折れてしまいそうだ。
とーこの柔らかくてあったかだった手とは少し違う。
とーこの手は、元気をくれる手だった。
だけど、お母さんの手は。
この手に触れられると、この笑顔を見ると"守ってあげなくっちゃ!"って気持ちになる。

「お母さん、大丈夫なの?寝てなくちゃダメだよ!?」

嬉しくて仕方ないけれど、ボクは不安になる。
戻ってきたばかりなのに、こんな風にキッチンに立ってるなんて。

「約束、したでしょう?」
ボクの慌てた声にちょっと困ったように眉を顰めて、だけどお母さんはまたふわっと笑う。
「直人の大好きなクッキー焼いてあげるって」

オレンジ色をしたオーブンから、甘く香ばしい匂いが溢れ出している。

「だって、直人はお母さんとの約束守ってくれたじゃない?『マラソン大会で1位になる!』って約束。」

凄い凄い、とお母さんはボクの頭をまた撫でる。
ボクは嬉しくて恥ずかしくて、真っ赤になって俯いた。

「だからね、お母さんもちゃんと約束守りたかったの。本当は、応援に行きたかったんだけどなぁ。」

寂しそうに呟いた声に、とーこが励ますような声で話しかける。

「直人ね、凄く頑張ったんだよ。『お母さんにメダルあげるんだ』って言って。途中で転んじゃったけど、膝から血が出てたけど、一番になったんだよ!」

とーこはテーブルの向かい側から、ボクが恥ずかしくて照れくさくて言えなかったことをばらしてしまった。

「うわっ、とーこ、ソレ言わないで!」

頬が熱くなるのを感じて、ボクは慌ててとーこの居る机の反対側に回り込んだ。
とーこが「ホントのことでしょー!」って逃げるのを追いかける。
とーこがお母さんの後ろに隠れたから、恥ずかしくて見れなかったお母さんと目が合ってしまった。
お母さんはエプロンのポケットからレースのハンカチを取り出して、それに大事そうに包まれていたメダルを出した。

「これは、お母さんの宝物よ」
ありがとう、と言ってお母さんは目の端を指で擦った。

お母さんが喜んでくれるなら、こんな風に笑ってくれるなら、ボクもっと頑張るよ?
伸ばされた腕の中に抱きしめられながら、ボクはそう思った。

「とーこちゃん、とっておきのナイショを教えてくれてありがとう」

とーこの頭も撫でながら、お母さんは「一緒におやつ食べましょうね」と立ち上がった。
ボクたちにランドセルを下ろして手を洗うように促し、テーブルの上で荒熱を覚ましていたクッキーをお皿に移して、コップを並べだした。

「直人のお母さんって甘い匂いがする。」
「ああ、きっとバニラエッセンスの所為ね。」
「匂いに騙されて、舐めちゃったら、苦かった!」
「そうそう、直人嬉しそうに瓶を振って舐めてたわ」

くすくすと笑うお母さん。
ボクらは二人で洗面所へ行き、手を洗う。

「直人のお母さんって可愛いよね」

とーこがそう言って、まじまじと鏡越しにボクを見た。

「な、なに?」

あんまりじっと見つめられて、ボクはなんだか鼻がむずむずする気がして、鼻の頭をぽりぽりとかいた。
足元もむずがゆくなるような感じがする。

「んー、直美ちゃんが言ってたのは本当だなって思って。直人ってお母さんに似てる。女子がねー直人のことカッコイイって言ってるんだよ。」
知ってた?

悪戯っぽく言われて、ボクは胸までむずむずしはじめて「そんなの知らないよ!」ってなんでもない風にして歩きだした。
ダイニングテーブルに3人分のおやつが並んでいる。

「おばーちゃんはとーこんちゃん家でおばあちゃん同士のお茶会してるから、3人でおやつにしましょう」

お母さんは、ふわっと笑った。



ずっと、こんな時間が続けばいいのに。



ボクはそう思った。






だけど、それは叶わない願いだった。





本当に優しい時間で、暖かくて、幸せな時間だった。





それからたった5ヵ月、お母さんは遠いところへ行ってしまった。





二度と笑いかけてくれない。
頭を撫でてくれない。
名前を呼んでくれない。








ボクはその日のことをよく覚えていない。
覚えているのは、とーこと夜空を見上げていたことだけ。



大好きなお母さんは、星になったの?
それとも、お母さんの星が地上に落ちてしまったの?

いつまでも続いてほしいと願ったあの日の空は、あんなにも温かで優しかったのに。



――ただ、流れ星の音が聞こえてた。





――温かく優しい空

2007,11,13up





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