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君に繋がる空

  
31、空を焦がす想い





"恋しい"と思う気持ちを、押し殺すことの辛さを知った。
体の中で渦巻く感情が出口を求めて荒れ狂うのも、心臓が凍ってしまったと感じるほどの痛みも。

知らないでいたかった。
でも、知ってよかった。

それは全部、とーこがずっと抱えてきた痛み。
こんな痛みをどれくらいの時間抱えていたんだろう。
ココロが痛くて、麻痺しそうになるような感覚を何年も。

『・・・好き、とか、まだよくわかんない。だけど、とーこと一緒の時とは、なんか違うんだ。』
『とーこと一緒に居るのは"あたりまえ"で、有菜といると胸がドキドキする。』

あの時はその"あたりまえ"が、終わるなんて考えもせずに。
"好き"という気持ちが狂気を孕むと知りもしない、幼さで。

『・・・俺、この時間はずっと、とーこと一緒だ。とーこと俺は、ずっと一緒だろ?』

この先も、ずっと一緒に居たかった。
一緒だと思っていた。


頭から浴びていたシャワーの熱さは、だけど胸に残るとーこの泣き顔までは流してくれなかった。
祈るような気持ちで笑顔を求め目を閉じても。

汗と煤と煙の匂いから解放されて、すっきりしたはずなのに胸の中はいつまでもじくじくと痛んだ。

これからもずっと、熾火(おきび)のように留まり続ける痛み。
ずっと気づかないフリをしていたけれど、この熾火は小さな頃から胸にあったんだ。
凍えるような寂しさや悲しみも、いつの間にか温めてくれていた。
いつもいつもそこにあったから、その温かさが消えることはなかったから。
とーこは、俺の心の中に火を灯してくれた。
有菜のことで、とーこのココロが雪の中にとり残されていることを知っていたのに、"まだ大丈夫"なんて思い込んで。
とーこが温めてくれていた心が、誰かを大切に思う気持ちを呼び起こしていることを気づきもせずに。

窓から入ってくる風に携帯から外したガムランボールをかざす。
小さく奏でられる音。
今は胸の中で小さく爆ぜる熾火の音に思えた。

もう何年も胸にあったのに、失くしてから気づくなんて。

揺れる銀の星。
握り締めて目を瞑る。

とーこに返そう。
俺が持っている限り、とーこは痛みを胸に感じ続ける。
捨てることはできないから、俺はどうしてもとーこが好きだから、離したくないくらい好きだから、だから――

首にかけていたタオルをテーブルに置き、挫けそうになる気持ちをなんとか無視して立ち上がった。
今返したほうがいい。
今夜4人で星を見るときには、もう悲しい顔は見たくない。
笑顔は見れなくても、いい。
これ以上苦しめたくない。

玄関を開け庭先に出る。
西に傾いた太陽の光が、あたりを薄いオレンジ色に染めていく。
立ち止まって空を見上げる。
このオレンジは、泣き出したくなるような寂しさを思い出させる。
それと同時に優しさも。

寂しくて泣き出したボクに、手を差し伸べてくれたとーこ。
『ダイジョウブだよ!とうこがいっしょにいるよ?ほら、てつなごう』
差し出された手は、とてもあたたかで優しくて。
『・・・とうこちゃんがいっしょで、よかった。』
寂しさなんて吹き飛ばしてしまった。
『ひとりぼっちじゃなくて、よかった』

とーこと繋いだ手から伝わった温かさが、胸に火を灯した。
愛しさも、切なさも、あの時にとーこから貰っていたんだ。

「・・・っ。」

目を瞑っても辿りつける距離。
何度も訪れたとーこの家。
確かめなくても、今、とーこが家に居ることがわかる。
説明のしようがないけど、俺たちは離れていても互いの息遣いを感じ取ってしまう。
だから俺は、呼び鈴を鳴らさずにドアを開けた。

「とーこ?」

玄関先で呼びかけてみる。
答えはない。
ただ風が通っていくのを感じる。
その風に、とーこの小さな声が載って届く。

「・・・ったの・・・ないの」

本当に小さな囁き。
何か探し物でもしているかのような言葉。

「上がるよ?」

俺は声のしたリビングへと向かい、ソファーで丸まっているとーこを見つけた。
「とーこ?」
室内に入ってきても顔を上げるでもなく、何事か呟いているとーこに静かに歩み寄る。
名前を呼ぼうとして、とーこが眠っていることに気づく。

「誰・・・・・・・ないの・・・おこ・・・て・・・」

言葉にならない呟き。
眉間に皺を寄せて、纏わりつく何かに抵抗するように小さく腕を動かす。

夢の中で、何をそんなに苦しんでいるの?

ゆっくりととーこに近づき、とーこの前で屈みこんだ。
日に焼けた赤い頬。

川で・・・泣いたんだって?
抱きしめられて、あいつの胸でなら思い切り泣けた?

「眠っていても、苦しい表情しか見せてくれないんだな」

恐るおそる伸ばした指は、とーこの頬に触れると、まるでそこが求めていた場所だったかのようにぴたりとくっついた。
一瞬、苦しそうな表情が緩んだような気がした。
そこに居る存在を確かめるように動く指先が、苦しいくらいに喜びを伝える。

「とーこ・・・」

こんな風に触れられるのは、最後かもしれない。
とーこの睫毛が小さく震える。
先程緩んだ苦しそうな表情が、再び戻る。指が強張る。だけど手を引くことができなかった。

手を繋げなくなってから、とーこに触れるのはこんな風に眠っている――熱を出して寝込んだりしてる時だけ。
そんな時は決まって、幼い頃の恐怖が蘇った。
――今にも消えてしまいそうな母さん。
"すぐに元気になるわ"
そう言ったのに、母さんは永遠の眠りについてしまった。
だから、いつも元気なとーこが倒れている時は、そっとその頬に触れて"生"を確かめた。
元気になってと願いながら。

「俺、とーこはずっと、俺以外好きにならないと・・・・思ってた・・・ごめんな?」

ずっと言えなかった。
まだ、目を見て言えない。
これが今の俺の精一杯。
とーこの瞳が、俺を前にすると苦痛で歪む。それが怖い。
    
「とーこは・・・俺が有菜のことが好きでも、ずっと、とーこにとっては俺が一番で。」

言葉にするたびに、今までのことが思い浮かぶ。
とーこが変わらず向けてくれる感情に、容赦なく境界線を引いた時も。
何かに縋るように星空を見つめていた時も。

「だから、とーこが自分から離れてしまうなんて、思ってなかった。」

雪に捨てられた想い。
笑えなくなるほど、追い詰めた。

「何をしても許されるって・・・何様?だよな・・・」

声が届いているのか、閉じられたままの瞼は何度も震える。
無意識なのか俺が触れる指先に両手を伸ばして重ねてきた。
言葉に詰まった俺を励ますような仕草に、胸が痛くなる。

「とーこが傷ついてるってわかってた。有菜の話をすると表情が微かに歪むのも。・・・だけどそれすら、とーこがどれだけ俺を好きでいるのか試していたのかもしれない。」

いつからだろう?胸に巣食った狂気。
とーこへの残酷なまでの感情。
どこまでも試したくて。
呆れかえるほどの独占欲。
そうと気づかないまでの自信。

「――とーこが試験会場に居なくて・・・新しい生活にとーこが居なくて、それでやっと気がついた」

それもあの一瞬で砕けた。
触れていた手を離して、ポケットに突っ込んでいたガムランボールを取り出した。
掌から零れ落ちる星。

「俺が、俺で居れたのは、とーこが居たからだ。いつも傍で笑って怒ってくれてたから。とーこがいつも傍にいてくれたから、なんでもできるような気がしてた・・・」

目を閉じて懺悔する。
神様を信じない俺が、唯一信じている存在。

「とーこの"なんでもない""大丈夫"って言葉、昔っから俺を安心させる為に言ってるってわかってた。わかってたのに、本当は"大丈夫"なんかじゃないんだって。」

信じてた存在。
そんな存在を試させずに居られなかった。
歪んでたのは、俺のココロだ。

「とーこ・・・。」

名前を呼ぶ。
それだけのことで胸が震える。

「気がついた時には、もうとーこは隣に居なかった。」

頭を撫でて苦笑する。
笑わなければ泣いてしまいそうだった。

「俺さえ手を伸ばせば、いつでも繋がる距離でいた。俺さえその気になれば、いつだって手に入れられるくらいに思ってた。」

輪郭をなぞって、小さく呟く。
これで最後。

「・・・ずっと俺たちの手は繋がれてるって。」

とーこの肌から指を離す。
これで本当に・・・最後。

「酷いよな・・・苦しめてばっかで・・・ごめんな」

頭を下げながら、心の中でもう一つ「ごめん」と呟く。
最後で最悪の我侭。

「ごめん。」

とーこが望む通りにしてあげたいけれど、俺から振ることはしない。
それだけはできない。
ここでカッコよく、とーこの思い通りにしてあげられないところが、情けないけれど。

とーこが俺を振るんだ。
とーこから切って。

「最後くらい、嘘ついてやりたいけど・・・」

そんな嘘は見抜かれてしまうから。
それなら、嫌われた方がいい。
どこまでも残酷な俺なんて、とーこから切ればいい。

「なお・・・」

まだ、名前を呼んでくれるんだ?
思わず微笑んで、覚醒間近のとーこに背を向けて家を出た。
静かに扉を閉め、大きく息を吐いて寄りかかる。
「あ」
緊張していたのだとようやく気づく。
ガムランボールを握り締めたままだったから。
「俺、何やってんだよ・・・」
返しに来たはずなのに。
扉から体を起こすと、荷物を抱えたおばさんが「直人君!」と嬉しそうな声をあげた。
俺はいつも変わらずそうやって俺を受け入れてくれるおばさんに微笑んで「こんばんは」と頭を下げた。



■ ■ ■



いいながら おとこのこは かんがえました。
おかあさんが おしえてくれたことば。

このくにの どこかに
だれにでも ひとつ シアワセのほしがある

おとこのこは それは て のとどかない そらのうえにあるのだと おもっていました。
まっくらやみの ほしのないよぞらをみあげて "ぼくには シアワセのほしは ない"とおもっていたのです。

でも ならなかったまほうのすずが おんなのこにきこえたように
ひとりぼっちのさみしさが て をつないできえたように
ほしのないよぞらに ほしがまたたきだしたように
いくらふいても おとのでなかったフルートから うつくしいねいろがながれたように
とどかないはずの ほしぞらに にじのはしでやってこれたように

シアワセのほしは
シアワセは
そらにだけあるのでは ないかもしれない。

あしもとの まちあかりをみて おとこのこは むねのなかにうまれた あたたかなきもちを おもいました。

「そうね それに わたしはいま とっても"シアワセ"だわ。あなたにあえて こうして ほしぞらまで きたんだもの」
おんなのこが にっこりとわらって いいました。
「ひとりぼっちで たびしてきて あなたとあえて こんなにすてきなことが おこったもの!」
 
おとこのこも わらいました。
「ぼくも"シアワセ"だ!」



■ ■ ■



別れは悲しいけれど。
俺は、とーこと出会えて・・・やっぱりシアワセだった。
シアワセだったんだ。
とーこを思って燻り続ける熾火は、空さえ焦がしてしまいそうだった。





――31、空を焦がす想い

2008,3,30up





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