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君に繋がる空

  
32、君が連れてきた星空 ― 1 ―





どこで間違ってしまったのかな。
ずっと一緒に居たいと願う気持ちは、変わらなかったのに。

「それじゃあ、これをとーこに渡せばいいのね?」

おばさんはそう言って、俺が渡したガムランボールを揺らして見せた。
俺はこの期に及んで「はい」とすぐには答えられず、しばらく揺れるガムランボールを見つめた。
小さな音色が響くたび、胸に新たな痛みが走る。
そんな俺の姿を見上げるおばさんの視線にぶつかり、慌てて「お願いします」と呟いた。

「自分で渡さなくていいの?」
「・・・っ」

言葉を飲み込み首を横に振る。
渡すことができなかった。
自ら、とーこに渡す勇気もない自分が一層情けなく感じた。
あの日のように、目の前で捨てられてしまうかもしれない、そう思うだけで苦しくなった。

「持っていて欲しいから・・・ずっと」

思わず零れた言葉に苦笑して、俺は肩を竦めた。
今更、傷つくことが怖いなんて。
おばさんはそんな俺をじっと見つめていたけど、ゆっくりと頷き「じゃあ、確かに預かりました。」と微笑んだ。

「それにしても」
おばさんはそう呟いて俺を見上げると、どこか寂しそうに目を細め「みんな大きくなっていくのね」と溜め息混じりに呟いた。
「おばさんは・・・なんだか小さくなりました?」
わざとそう言えば、くすりと笑って「そうよ、年をとると縮んでしまうんだから」とわざと拗ねたような口調で返してくる。
悪戯が成功したときのように俺が笑えば、おばさんも嬉しそうに優しい声で笑う。
そうして腕を伸ばして俺の頭になんとか手を乗せると、昔よくしてしてくれたように頭を撫でられた。
とーこの優しさは、この人が育んだのだと疑うことなく思う。
とーこを傷つけていると知ったら、おばさんのこの笑顔は曇るだろう。

「・・・どうかしたの?」
訊ねられた言葉に、俺は首を横に振った。

「留学決まったんですか?」
何気ない風を装って訊ねたつもりなのに、声が掠れてしまった。
慌てて視線を逸らす。
「・・・そうなの。今朝連絡がきてね。」
「そうですか・・・」
「まさか本当に行くことになるとは思わなかったわ。」

おばさんは言いながら、俺をちらりと見ると「寂しい?」と覗き込んだ。
おばさんの言葉に、俺は思わず息を止めて顔をあげた。
「なに言って・・・」
予想外の言葉に、俺は笑顔で返そうとして失敗した。
おばさんは心配そうに見上げ、また頭を撫でる。
言葉が詰まり、おばさんのまっすぐな視線からも目を逸らして、鼻の奥がジンと痺れるのを誤魔化すのに必死になった。

俺、そんな寂しそうな顔してる?
どこまで情けないんだか・・・。

「・・・これで、とーこの夢、ひとつ叶ったんですね。」
声が震えた。それでもそう言葉にすると、胸が少し軽くなった気がした。

「まだまだ途中の夢、ね。」
「とーこなら、きっと、実現しますよ。」
「直人君は?」

返されて、俺は首を傾げる。

「まだ怖い?」
「おばさん?」

"怖い"・・・?
傷つくことが怖いって、おばさんにはバレた?

「それって・・・?俺が・・・?」

訊ね返す俺を見つめ、おばさんはガムランボールを揺らした。
「・・・もうあの呪縛は無効にしてもいいんじゃない?」
「おばさ・・・?」

その瞳は今目の前に居る俺を見ているのに、どこか遠くを見ているようだった。
遥か遠く・・・昔へと思いを馳せているように。
その瞳には、感情が宿る。
悲しみが揺れる。

「呪縛なんて言うと、恐ろしいわね。あんなに可愛らしい・・・直人君の決心だもの」
「・・・俺の?」
決心?

それが8年前を指しているんだろうということは、わかっていた。
あの瞳が意味するものを、それがどんな感情からか、知っている。
あの瞳。
とても馴染んでいたはずの――ボクに向けられる瞳。
母さんを亡くしてから、ボクを見つめる瞳は、誰も彼もがそうだったから。

悲しみと

憐れみ

おばさんは目を細め微苦笑した。
凍りついたようにおばさんを凝視する俺が瞳の中に映る。
そんな俺を気遣うように、おばさんが「大丈夫?」と小さく訊ねた。
大丈夫、と答えようとして口を開けた。なのに声が喉に張り付いて声にならない。
困ったように俺を見つめるおばさんは、溜め息混じりに言葉を紡ぐ。

「・・・とーこね、今の直人君と同じ顔してたわ。」
「・・・?」
「ギリギリで志望校を変えてまでしたかった留学のはずなのに、悲しそうに寂しそうに俯くのよ?」

おばさんの言葉を聞きながら、とーこの泣き顔が頭の中で蘇った。

とーこは離れたかった。
俺の傍にいることが、苦しくて、辛くて。

留学は考えてたんだと思う、ずっと前から。
だけど、とーこは俺から離れたかったんだ。
そうさせたのは、俺で。

「直人くんと離れたくないって、本当は思ってるのよ?塔子。」
「・・・・おばさん、俺・・・が、とーこを傷つけたんだ。だから・・・」

握り締めた掌に、爪が食い込む。
唇を噛み締め、目を伏せた。

「だから、俺、もー・・・とーこに見限られてる。」

あれだけ酷い仕打ちをしたんだ。
傷つけて、その傷を抉るような真似をして・・・。
当然だ。

「・・・"ごめん"って・・・ソレ渡すとき、伝えてくれますか?」

とーこは
ずっと一緒に居てくれると、言ってくれたのに。
8年前のあの日、重く暗い夜の闇に沈んでいたボクを、まばゆい星空の下へ引き上げてくれた。

『ずっと一緒だよ』
そう言って、背中に寄りかかったとーこの体温。
ひとりじゃないんだって、どれだけ安心したか。
それは本当に救いの手だった――・・・

「直人君・・・?」
「・・・」

8年前・・・

おばさんのさっきの言葉がリフレインする。

呪縛・・・
ボクがした決心・・・?

おばさんに視線を戻し、それがなんだったのかを探るように見つめた。
おばさんは不思議そうに小首を傾げた。
その瞳からは、もう憐れみは消えている。
そう・・・8年前もそうだった。
とーこやとーこの家族だけは・・・いち早くその色を消してくれた。
だからこそ、唯一・・・不安をぶつけることができた・・・。

「あっ・・・」

不意に、蘇る記憶。
幼い自分。
背中に走る冷たい汗。
体が震えだしそうで、思わず右手で左肩を掴む。

あれは、とーこと星空を見上げた翌日。

わかっていたはずだった"死"というもの。
だけど、その意味を本当に知ったのは告別式の後、遺体を荼毘だびに付す時だった。

『・・・どうして?ボクのかあさんを焼かなくちゃいけないの!?』
『ヤダよ!大好きなのに、大事なのに!』

・・・泣きながら、父さんの腕の中で暴れた。
それまでぼんやりとしていた"死"というものが、目の前に突きつけられた気がした。
母さんの体が、炎に包まれる。

『神様なんて嫌いだ!あんなにお願いしたのにっ、母さんを助けてくださいって、お願いしたのにッ・・・!』
『神様は、ボクのことが嫌いなんだ。だから、ボクの大事なものを、大好きな母さんを連れて行っちゃうんだ!』
パニックを起こしてしまった俺を外に連れ出して、付き添ってくれたのは・・・おばさんだった。

『ボクが、大好きだから、だから母さんは・・・・!』

泣いて、喚いて。
支離滅裂な言葉をぶつけた。
涙を耐えて震える腕で、抱きしめてくれたおばさんに。

『やだよ!おばさん、母さんを焼いちゃヤダ!!』

大事な人は、離れていく。
こんなにツライお別れなんて、イヤだ。
どんなに大好きでも、どんなに大切でも、抗いようもなく失ってしまう。

神様はボクが嫌いだから、ボクが大好きな人を奪ってしまう。
ボクがお願いしても、どんなにいい子にしていても。

わけのわからない恐怖に支配され、導き出した答え。

『おばちゃ・・・ボク、とーこちゃ・・・好きになら・・・ない。・・・とーこちゃん・・・はっ』

とーこが居なくなったら。
それが本当に怖くて。

『大好きに・・・ならない、よ。』
ボクは、とーこちゃんとずっと一緒に居たいから。

恐怖に支配されて、胸に刻んだ言葉。
ボクはそのまま泣きつかれて眠った。
高熱を出して。

目覚めた時、母さんはもう小さな箱の中に納まっていて・・・。
そして今まで、忘れていた。
――ボクの決心。
自分自身にかけた、ブレーキ。

好きじゃないなんて言い聞かせたって、心はずっと求めてたくせに。
気がつかないフリしてたって、何より大事だったのに。

『俺さえ手を伸ばせば、いつでも繋がる距離で。俺さえその気になれば、いつだって手に入れられる』

それだって、決壊しそうな気持ちを誤魔化すために使ってた。

「・・・っう・・・は」

止めていた息をなんとか吐き出し、おばさんを見る。
額に浮かんだ冷たい汗が、頬を伝う。
おばさんはガムランボールを持ち上げ、俺の目の前で再び揺らしながら「とーこに、返しておくわね。」と呟き、 そのまま背を向け歩き出した。

「おばさ・・・」

呼びかけた俺の声に振り向いたおばさんは、だけど俺より早く口を開いた。

「また、手を繋げばいいの。離してしまっても、また。――本当に手を離せない・・・大切なものなら。傷つけたのなら、尚更。」

笑顔で言って、おばさんは玄関の扉を開けた。
そして背を向けたまま「二人で、見つけに行くんでしょう?」と優しい声で訊ねた。

――二人で・・・

俺は扉が閉まるのを見つめながら、おばさんの言葉がゆっくりと体に染み込んでいくのを感じていた。
掌をゆっくりと開いて、その中に、ずっと前に手離してしまった小さな手を重ね見た。

優しくて、温かな手。

もしも、許されるなら。
とーこから俺を切ることができなかったなら・・・。
もう一度、手を繋ぐ事ができたなら・・・。

「塔子・・・」

とーこ

傷つけた君の心に 触れるチャンスをください。





――32、君が連れてきた星空 ― 1 ―

2008,5,19up





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