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君に繋がる空

  
34、君が連れてきた星空 ― 3 ―





とーこと別れた後、買い物に出かけたまま帰宅しない父さんたちの夕飯を作り、自分も軽く食事を摂った。
片付けが終わる頃に父さんとばあちゃんが帰宅した。
ばあちゃんの買い物に久しぶりにつき合わされた父さんは「ああ疲れた」とソファーに座り込む。
車で出かけたんだ。ばあちゃん、ここぞとばかりにあちこち連れてってもらったんだろう。
父さんとは対照的に嬉しそうなばあちゃんの顔がすべてを物語っているようで、俺は思わずふきだしてしまった。
口元に拳をあてて笑う俺に、父さんがじろりと恨みがましい視線を向ける。
ここのところ忙しくて、今日は久々の休日だったんだから本当はゆっくりしたかっただろうけど、偶には親孝行しなくちゃだろ?
そんな風に思いながらわざと肩を竦めると、父さんは不貞腐れたような顔をして見せた。

「・・・つまみ作ってあるから」
「お!?今日は何作ったんだ?」

俺の一言にぱっと明るい顔を見せる姿に、いくつだよ!?と突っ込みいれたくなる。
苦笑しつつ冷蔵庫を開け、素揚げしてつけ汁に浸してた茄子の入ったタッパーや冷えたビールを出すと、父さんがいそいそと食卓に近づいてくる。
グラスを出して置くと、嬉しそうに椅子に座りビールの栓を抜く。シュワシュワと心地よい音をたてながら、グラスの中をビールが満たしていく。
ただグラスに注いだだけなのに、めちゃくちゃ美味そうに見える。
夏はまた特別に。

「・・・お前も飲むか?」
「や、これから出るから」

俺の思考を読んだかのように、背中越しに訊ねられたけど軽く首を振る。
タッパーの茄子を大皿に移し、細切りした大葉とネギを載せてると、待ちきれなかったのか父さんが後ろから覗き込んで「美味そう!」と顔を綻ばせてる。
こんな表情を見せられると、作ってよかったなと思えるから・・・俺って単純なんだろうな。

「メインは?」
「冷しゃぶ。」

冷蔵庫を再び開けて、ラップしておいた皿とタレを淹れた器を二つ出す。
「タレは二種類。好きなほうで食べて」
ゆっくりと椅子に座るばあちゃんに「そのままにしてていいよ、帰ったらやるから」と伝えた。
すると二人は同じタイミングで俺を見て、にっこりと笑った。
そっくりな笑顔で。

「星かい?」
「そうか、ペルセウス!」
「いつもの、だね」

テーブルに置いていた携帯を持つ俺に、父さんもばあちゃんも疑いもせずに言う。
ぴくりと身体が強張る。

いつもと同じ。

俺が夜外に出るのは、星を見るから。
そして――・・・

「とーこちゃんに宜しくな?」
「たくさん見えるといいわねぇ」

当然のように続く言葉。

とーこと一緒。

ふと見上げた先、微笑むその人の声までも聞こえる気がする。

"直人"

それは、聞こえるはずのない声。

"本当は、ずっと一緒に居たいのよね"

「・・・」

母さんの声。
記憶の中で優しく響く声。

「直人?」
「どうかしたか?」

気遣わしげな声にはっとして振り向けば、黙ってしまった俺を、父さんは口元まで運んだグラスを宙に漂わせ、ばあちゃんは箸を置いてじっと見つめていた。
俺は苦笑して「なんでもない」と首を振った。

「行って来るよ」

搾り出すように言って、俺は廊下に出た。
玄関まで歩き、そのまましばらく立ち止まった。
ダイニングからは、父さんとばあちゃんが話す声が聞こえる。

いつもと同じ。

言い聞かせるように、頭の中で何度も繰り返す。

いつもと同じ・・・だったなら・・・。
――・・・こんなに苦しくなんてないのに。

胸の痛みに目を瞑り、小さく息を吐いて目を開け、扉を見つめた。
壊れてしまったブレーキの所為で、湧き上がる感情に溺れそうになる。
それまで感じていた恐怖より、もっとずっと強い。
抱えきれないほど想いが溢れている。
だから・・・失うことが怖くて記憶を心の奥深くに静めていたのに。
ずくんと胸に重く落とされる痛みは、今朝与えられた痛みも引き出した。

今日は・・・陽太に殴られることから始まった・・・。
もっと殴られておけばよかった。
そっと殴られた場所を擦れば、まだ鈍い痛みが走る。
太陽の下で暴かれた想い。
――忘れていた・・・記憶。

そして、久しぶりにこの扉を開けたとーこ。
見つめ合ってしまえば、想いが流れ込んでくる。
特別な感情を抱えてくれてるとわかる。
だけど、辿りつかなかった指先。

長い長い一日。
でもまだ終わりじゃない。
短い夜が訪れる。
さよなら・・・の?

きつく握り締めていた携帯のサブウィンドウを覗く。
「・・・約束の時間、だ」
逃げ出すことはできない。
とーこがどんな答えを出すとしても。

携帯をジーンズのポケットに押し込み、玄関の扉を開けた。
微かな明るさを西の空の端に留めた空を見上げ、小さく呟いた。

「・・・本当は、一緒に居たい、よ」

とん、と誰かに背を押されたように、俺の足は前に出た。
背中に柔らかな笑顔を感じる。

"いってらっしゃい"

歩き出した俺に向かって、母さんの声が響く。
それは空から降って来た様に、体中に染み込んでいく。
見上げた空にはまだ淡い光を放つ星たちしか見えない。
だけど、知ってる。
もうすぐ、落ちてきそうなほど、たくさんの星たちが瞬きだすことを。
星空が、すぐそこに迫る。

「最後に、伝えてもいいかな?」

空に向かって訊ねる。
答えは返ってこない。
それでも、西日の名残を追いかけ約束の場所に向かった。
――最後になるかもしれない。
また苦しめるかもしれない。
だけど。
俺の手は、ずっととーこを求めていた。
失いたくないのは、とーこなんだって・・・伝えたい。

伸ばしかけ、掴み損ねた指が落ちた場所へ向かう。
星空の下へ。




すでにみんな集まっていて、その横顔はオレンジ色に染まっていた。
とても懐かしい光景に感じた。
とても大切な時間だったのだと、気づく。
4人で過ごした時間。
今まで、こうしてこれたことが、どれだけ特別だったのか。
これが、とーこが守ってきた時間。
自分の気持ちを押し殺してまで、守ってくれた・・・。
見つめる先、とーこは有菜に抱きしめられて、いつものようにその肩をぽんぽんと叩くのが見えた。
その瞳が柔らかく慈しむように細められる。

「あ、直人君!こんばんは、久しぶり〜」

俺に気づいた有菜が、ぱっと笑顔を見せ手を振り、とーこから離れて駆け出した。

「走ると転ぶよ、有菜」

言った傍から「わっ」とコケかけるから、思わず笑ってしまう。
有菜は苦笑して、それでも転ばずに隣に来ると「えへへ」と照れたような顔をして首を傾げた。

「・・・元気・・・そうだな」
「うん!毎日球場行ってたから、日焼けしちゃって凄いよ?」

有菜の笑顔に頷いて、そっと視線をとーこに向ける。
「うわっ、ごめん!」と慌てたように駆け出すとーこに「俺も手伝うよ」と雄介が後を追う。
隣に立つのが自分でない事が悔しい。
ふと視線を感じて有菜を見下ろせば、先程とは打って変わり、どこか緊張した面持ちで俺を見上げている。

「ゆう・・・?」
「有菜ね・・・今まで、とーこちゃんと直人君と雄介と4人で居るのが当たり前だって思ってた。」

とーこと雄介の後姿に視線を送りながら、有菜は目を細めた。

「いつもいつもとーこちゃんも直人君も有菜のこと大事にしてくれて・・・それが嬉しくて・・・。だけどね、佐々木くんに言われちゃった。"友達だったら、もっと気持ち考えろ!"って。」

ふっと視線を落とし、有菜はそのままそこに座って大きく息を吐いた。
「陽太、そんなこと言ったんだ・・・。」
今朝の陽太を思い出し小さく呟くと、有菜が「座って?」と視線で隣に座るよう促した。

「"とーこが直人のことどう思ってるか知ってるのに、嘘つき続けるなんて有菜ちゃんらしくない!"・・・って言われちゃった。"騙して、嘘ついて、それで誰が得するの?""それで満足なの!?"って・・・」

しゅんとうな垂れて告白する有菜の隣に座り「・・・一番酷いのは俺だから」と零す。
有菜は首を振って膝を抱えながら手首をぎゅっと握り締めて、また口を開く。

「違う。・・・酷いのは・・・有菜だよ。わかってたんだもの。"誰が得するか"なんて・・・。」
「そうさせたのは、俺だろ?」
「・・・得したのなんて・・・有菜だけに決まってる。」

俺は有菜が泣き出すんじゃないかと思いながら、小さく震える肩を見つめた。
大きな瞳から涙が零れる、そんないつもの姿を想像してきゅっと唇を引き結ぶ。
だけど、俺の予想は外れ、顔をあげた有菜の瞳には涙はなかった。

「少しでもながく・・・直人君と繋がっていたくて・・・」
「・・・」
「"このままこんなことしてるなら、有菜ちゃん、とーことも居れなくなる"って佐々木くんに言われて・・・」

そう言った瞬間、有菜の瞳に涙が浮かんだ。
でも、なんとか零すまいと必死になってるのがわかる。
有菜はぐっと唇を噛み締めて、大きく息を吸い込んだ。

「とーこちゃんが敬稜行って、ほっとしてた。寂しかったけど、直人君に有菜だけを見てもらえるって、そんなこと思ってた。・・・けどね、もう一つ、嬉しかったんだって・・・気がついたの。」

そう言った有菜の表情が、痛々しいほどに歪む。

「・・・とーこちゃんが・・・有菜を選んでくれたんだって、そう思った。直人君と離れることで、有菜を選んだんだって。佐々木くんに言われるまで、気がつかなかった。でもね、とーこちゃんと居れなくなるって言われて、それでわかった。」

有菜は俺を見て「ごめんね」と呟き、泣き笑いのような表情で言った。

「直人君に振られたときより、その方がツライって思ったの。・・・ずっと、こっちに転校してきてからずっと、とーこちゃんと一緒で、いつも一緒で、大好きで。そんなとーこちゃんの"特別"な直人君が羨ましかった。そして、直人君も、とーこちゃんを心の中で大事にしてるのが・・・羨ましかった。私も、その中で大事にされてるんだって、わかってたのに、それでも嫉妬してたの。」

有菜が空を見上げた。

「・・・今日、ちゃんと話す。佐々木くんに電話したんだ。ちゃんととーこちゃんに謝るって。"謝って時間が戻るわけでも、傷つけた事実が消えるわけでもない"って言われちゃったけど。・・・その通り、だよね。でも、ちゃんと言うよ。嫌われちゃっても、それでも、ちゃんと。」
「とーこは・・・嫌ったりしないよ」
有菜が大好きなんだから、とーこは。

とーこは、有菜を丸ごと受け入れる。
疑いようもないことだ。
有菜は俺の言葉に眉をしかめ、「だからこそ・・・酷いことした自分がキライ・・・」と呟く。

ああわかる。
だから、俺も、自分がイヤだ。

「あのね・・・」
有菜は涙を拭くと「佐々木くんのこと、ちょっと見直しちゃった。」と笑った。

有菜を見て、勝手な想いだけど"大丈夫だな"ってほっとした。
俺が傷つけたことは許されないことだけど、有菜ならこれからちゃんといい奴を見つけられるだろう。
そう、有菜のこと、特別に思ってる奴は多いんだから。
その筆頭が――陽太だろう。

「陽太、有菜のこと大事に想ってるから・・・」
「うん!間違いを教えてくれるなんて、大事な友達だよね!」
「え・・・あ、まあ、そうだな。」
「とーこちゃんも直人君も優しいから何でも許しちゃうもん。佐々木くんって面白いだけじゃないんだね」
「いい奴だよ。本当に。」
「そう思う!」

にっこりと笑う有菜に、思わず頭を抱えたくなった。
陽太、頑張れよ!と心の中でエールを送る。
散々邪魔してて、今更だけど。

だけど、そんなことを考えていた俺に、有菜がばさりと斬りつけるような言葉を発した。
「直人君も頑張ってね。有菜の所為で、強力なライバルが出現しちゃったけど」
「!」
「サカモトさん、だったっけ?」
悪気のない有菜の言葉が、胸に突き刺さる。
現実を突きつける。
息が止まる。
「だ、大丈夫?」
「な、なんとか・・・」
心配そうな有菜の表情に、無理やり笑顔を作る。

・・・選ぶのはとーこだ。

「持ってきたぞー!」
心地よい風が吹き、背後から雄介の声が響いた。
「わーい、ありがとう!」と有菜が立ち上がった。
と、同時に「ほら!」と何かが放り投げられた。
咄嗟に腕を伸ばしキャッチする。
ブルーシート?
これを取りに行ってたのか。

「何すんだよっ」
笑って投げ返すと雄介は「"ありがとう"だろっ!」と有菜にもシートを投げた。
「わんっ、ちょっと、雄介!」
慌てた有菜がシートを落とす。
「ドジ」と雄介が言うと、有菜がシートを拾い上げながらぷうっと頬を膨らませた。
そんな姿に、俺も雄介も思わず笑い出してた。少し離れたところで立ち止まっていた・・・とーこも。

「雄介のイジワル!」
有菜が投げ返したシートを今度はとーこに投げながら、雄介は「本当のことだし?」と肩を竦める。
「とーこ、有菜にパスしてみて。ぜったい落とすよ!」
「そんなことないもん!!」

そんなやりとりをしながらシートを投げ合い、深まっていく藍色の空間で俺たちは久しぶりに歓声をあげてはしゃいだ。
初めは硬かったとーこの笑顔も、次第に柔らかくなっていった。
自然に、ごく自然に、とーこが振り向いて「直人!」とシートを放り投げた。
笑顔で。

泣き出してしまいそうだった。
抱きしめてしまいそうだった。

シートを握り締め、思わず顔を隠した。
情けない顔してる!絶対。

「直人?」
「どうした?」
「直人君?」

名前を呼ぶ声に、心が震える。
俺は深呼吸して「なんでもねーよ!」と雄介に思い切りブルーシートをぶつけた。

そうして、いつの間にか広がったシートの端を持ち、4人で広げて草原に敷いた。

「あちーっ!」
「なにやらせんだよ!」
「ぐしゃぐしゃ!」
「はー疲れたぁ」

口々に言いながら、広げたシートに寝転がる。
円を描くように寝転んだ俺の隣には、とーこが居た。
真っ直ぐに夜空を見つめている。
息遣いが聞こえる。
自分の鼓動が高まるのを感じ、俺も空に視線を移した。
今まで薄っすらとしか光を放っていなかった星たちが、勢いをまして輝きだしていた。

「・・・ペルセウスはまだ見えないね」
とーこがぽつりと呟いた。
「まだ随分下のほうだからな」
中学の校舎のほうを指差しながら、俺は答えた。
とーこが頷いたのが気配で感じた。

「そいえば、去年はさ、有菜が寝ちゃったんだよな。いつの間にか」
雄介の言葉に「そうだったね」ととーこがくすくすと笑いながら答えた。
「だってね、一番安心するんだよ?こうしてとーこちゃんの隣に居ると!」
有菜の言葉は、そのまま俺の言葉でもあった。


星の光が降り注ぐ草原で、俺たちはしばらく懐かしい昔話をした。
話しに耳を傾け笑いながら、俺は感じていた。

この優しい時間――星空は、とーこが連れてきてくれたんだ、と。






――34、君が連れてきた星空 − 3 −

2008,6,19up





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