君に繋がる空
7、変わっていく空
夏、有菜が川で溺れた。
溺れたなんていうと大げさで、正しくは足を滑らせた、という程度のことだったんだけど。
「どうした?直人。」
「ん?いや、夏休みのこと思い出して。」
木の陰に背を預けて座っていた俺の隣に、雄介は手袋を外して『はあっ』と息を吹きかけながら座った。
空からは細かな、発砲スチロールを砕いたような雪が降り続いてた。
少し離れた場所で、陽太たちが雪で作った壁に隠れてせっせと雪玉を作っているのが見える。
「ってさ、雪合戦してるのに、夏のこと思い出すわけ?」
雄介は呆れたような顔をして「直人って・・・」ってぶつぶつ呟いてる。
降り積もる雪に帽子が真っ白になり、座り込んでいる尻も冷えてきた。
1組男子vs2組男子の雪合戦。
どちらも雪玉が無くなり、小休止といったカンジでやけにシンと静まり返っている。
昼休みに校庭に出て遊んでるのは俺たちだけのようで、それぞれのクラスの教室の窓辺やテラスには、くすくすと笑う女子の姿が見える。
「そういえばさ、ここんとこ、とーこ参加しないよね」
雄介は肩の雪を払いながら、俺が見上げていた4年1組の教室を見て言う。
窓に張り付くようにして見下ろす有菜が、雄介と俺に気づいて笑顔で手を振る。
多くの男子がそうなんだけど、俺は有菜のこの笑顔に弱い。
陽太みたいに『めちゃくちゃ可愛いっ』って騒ぐほどじゃないけど、ふわって笑顔になんだか胸がきゅっとなる。
懐かしいような、泣きたくなるような、そんな感じで、とーこじゃないけど『守ってあげなくちゃ』って気持ちになる。
隣には、とーこが居る。空を見上げている風だったとーこは有菜に袖を引かれて、校庭を見下ろすと俺たちにあっかんべーをした。
《あ た っ ち ゃ え !》
口ぱくでそう言ったのがわかる。
俺は「誰があたるか!」って雪玉をとーこに向かって投げた。
窓に当たった雪玉に、有菜は驚いて、とーこは笑った。
有菜を驚かせるつもりはなかったから、手を合わせて謝る。
とーこは《 ば ー か !》って口ぱくした。
目が笑ってる。
「まあ、いつも一緒ってわけじゃないけどさあ・・・・ほら、直人もタマ作って!」
「・・・またなんか言われたんだろ。男子と遊んでばっか、とか」
「そんなの今に始まったことじゃないダロ。・・・ああ、そうか、バレンタインか!」
「・・・・」
思わず無言になって、雪を両手でかき集めてでかい雪玉を作る。
一昨日のバレンタインで、とーこは「直人クンに渡して!」ってチョコを頼まれて、「自分で渡したほうがいいよ」って断って、また悪く言われてる。
去年、とーこが頼まれてきたぶん、目の前で俺が捨てちゃったから。
いつまでも『カワイソウなナオトクン』になってるつもり、なかったから。
直接渡してきた女子にも「いらない」「捨てちゃうよ?」ってかなり酷いこと言った。
とーこはそんなこと知らないから、直接渡した方が捨てられないって親切で言ったんだろうケド、そんなの伝わる相手じゃなかったんだよな・・・。
「それに・・・有菜かな。あいつすぐ熱出すもんな。とーこと違って。なのに、とーこが外出ると有菜もついて来ちゃうから・・・」
「そうだな。とーこも有菜に夢中だし。」
有菜が「とーこちゃん!」ってどこにでも着いて来る姿は、無謀というかなんというか。
転校してきた初めての日に、刷り込まれてしまったんだろうか?
有菜はとーこの後ばかりついて歩いてる。
もともと男子顔負けの遊び方をするとーこだから、有菜のような"お嬢様"タイプが同じように遊べるわけがなくて。
とーこが世話焼くもんだから、有菜はそのうち加減がわかってきたみたいで最近は応援に回ったりしてるけど。
それでも、最初は女子にもかなり睨まれてた。
男子がみんなちやほやするし・・・まあ仕方ないけど・・・あのほわほわんとした無邪気な笑顔は反則で、男子に対してかなり効力がある。
転校早々、男子とばかり遊んでるってのがまずかったのか。
男子が明らかに有菜と自分たちとの扱い方が違うことに腹を立ててるのか・・・。
女子は俺たち男子には言えないような陰険なことしてたみたいだけど(んなの、とーこが黙ってるわけがない)、有菜は"大好きなとーこちゃん"にくっついて回ってるだけ。
そんな有菜だから、とーこはいつも有菜のことを気にしてる。
「有菜、妹生まれてからちょっと変だからな」
雄介は再び手袋をはめ直して、両手を組み合わせた。
「それに、あいつ変な負い目感じてんだよ。夏からずっと。」
俺はまた雪をかき集めて、大きな雪玉を作った。
「ああ、それで?それで今更夏のこと思い出してたの?」
雄介は『なるほど』ってすっきりした様子で俺を見た。
夏休みに入って、俺は毎日毎日、川に泳ぎに行ったり近所のシンたちと遊んで過ごしてた。
とーこも相変わらずで、ちょっと危ない飛込みだとかそんなのも一緒になって遊んでて、ついて来てる下級生たちの世話なんかもしたりして一緒に遊んでた。
夜には4年の課題になった『星の観察』を二人でして、星座早見表を持って広場に寝転んで。
それまでただ見上げていただけの星のひとつひとつに名前があって、太陽や月と同じように動いているいることや、流れ星の仕組みを知って、ますます星空を見ることが好きになってた。
8月に入ってすぐ、学年登校日ってのがあって、久しぶり有菜に会った。
「有菜のママに赤ちゃんが生まれるんだって!」って夏休み前は嬉しそうだったのに、あんまり元気がなくて。
心配したとーこは、「川に行こう」って誘ったんだ。
「きゃっ」
その日も、特に水量が多かったわけじゃなくて。
ただ深みに足をとられてバランスを崩したんだと思う。
ほんの一瞬。
有菜が水面から姿を消した。
「有菜!」
すぐに浅瀬になるってわかってたけど、有菜は初めての川遊びで。
テトラポットに居た俺は、だからすぐに飛び込んだ。
深いところは、ここが川だってことを忘れさせる青い世界で、清水が湧き出てるから凄く冷たい。
案の定、有菜はパニックを起こしてて手足をばたつかせてた。
何とか腕を掴んで、流れの緩やかなほうに引っ張る。すぐに足が着く。
「有菜、大丈夫?」
「っはっ ゲホゲホっ う、うん、あ、ありがと」
川原まで支えて歩きながら有菜を覗き込んだ。真っ青な顔でガタガタ震えてたけど、怪我はしてなさそうだ。
「直人、有菜ちゃん!」
「大丈夫かよっ!!」
「焦った〜」
陽太たちも血相変えてやってきた。
有菜はケホケホと咳き込んで、苦しそうに「ごめんねっ、足滑っちゃって」って目を潤ませた。
みんな有菜を見てほっとした顔をした。
俺も体中から力が抜ける気がした。
修が「まあ、有菜ちゃんらしいよね」って真剣な顔で言ったから、思わず笑ってしまった。
「とーこ?」
「うわぁぁぁぁぁぁんっ」
驚いたような雄介の声と、ほとんど叫ぶみたいな泣き声が響いて、俺は振り向いてその泣き声をあげている人物を探した。
「やだよぅっ、うえぇぇーーーーっ」
「・・・とーこ?」
「とーこちゃ・・・」
びっくりした。
泣きじゃくっていたのは、とーこだったから。
雄介が必死で宥めても、泣き止まない。そのままがくりと膝を折って川に座り込んで泣いていた。
しょっちゅう喧嘩してたから、とーこが泣くことはそれほど珍しくない。
あれで涙もろかったりするから、本読んだりして保育園の頃なんかよく泣いてた。
でも、こんな盛大に声を張り上げて泣くなんて、初めてかもしれない。
「ふぇええええん」
手で目を擦りながらガタガタと震えて、泣いている。
「直人!」
雄介が困ったように俺を呼んだ。
「有菜のことは引き受けるから、とーこ頼むよ」
それからしばらく、とーこは泣いてた。
とーこの着てきたTシャツを頭から被せて、なんとかテトラポッドのとこまで連れてきて、そのまましばらく付き合った。
有菜も心配して残るって言い張ったけど、多分、とーこはこんな姿誰にも見られたくないはずで――もちろん本当は俺にだって見せたくないんだろうけど――だから雄介と修、陽太と一緒に先に帰ってもらった。
川風が少し冷たくなる。水着はとっくに乾いてた。俺もTシャツを着た。
とーこは膝を両腕で抱えて顔を埋めている。ようやく泣き声は聞こえなくなった。
時折「ひっく」としゃくりあげる。
なんて言っていいかわからなくて、俺はただ黙って傍に居た。
こんなに頼りないとーこは初めてで、どうしていいかわからなかった。
とーこはいつも「ボク」の涙を止めてくれたのに、俺にはその方法がわからなくて。
でも、なんでこんなに泣いてしまったのか、それだけはわかってた。
怖かったんだ。
有菜が
俺が
死んでしまうことが。
「・・・約束、したよな?」
座ったまま、空を見上げた。
太陽が土手の向こうに沈んでいく。
ぽつりと呟いた俺の声が、川の流れる音に吸い込まれていく。
「俺も、頑丈だから」
身長ではとーこに負けてる。
だけど、なんでかな、初めてとーこが小さく思えた。
「とーこを一人にしないよ?」
泣き止んでほしくて言った言葉だったのに、「ふえ〜ん」ってとーこはまた泣き出してしまった。
「直人の馬鹿ぁ〜」
「なんだよ、それ!」
「うわぁあん」
「有菜も無事だったんだし、もー泣くなよ〜」
結局、そのままいつの間にか二人して寝てしまったんだけど。
心配して探しに来たとーこのお父さんに懐中電灯に照らされて起きたときには、もういつものとーこに戻ってた。
だけど、あれから、確実に有菜に対して負い目を感じてるんだ。
馬鹿みたいに。
秋に妹が生まれた有菜は最初こそ嬉しそうにしてたけど、とーこに『私の居場所がなくなっちゃった』って言ったらしくて。
とーこは有菜をよく家に呼ぶようになった。今まで以上に。
「有菜が溺れたのは、なんだか予想できたけど。とーこの所為じゃないのにね。」
「・・・とーこが泣き出したことの方がよっぽど心臓に悪かった」
「へ〜直人でもそうだったんだ?」
「おいっ!ここに二人居るぞっ!」
「おわっ、再開したのか!?」
雪玉が飛んできて、俺たちは木に隠れながら作った雪玉を投げた。
「雄介!あっち行くぞっ」
「了解!」
大きめに作った雪玉を持って、陽太の隠れてる壁まで走った。
「おめーらくんなよ!狙われるじゃん」
「うるさいよ、陽太!」
「ほら、囲まれるぞ!」
「こーいう時、とーこが居ると"突撃〜!"って飛び出してくんだよなあ」
陽太の言葉に、また教室を見上げた。
はらはらした表情で、窓辺からテラスに走って出るとーこの姿が見えた。
有菜が追いかけていく。
「ほらほら!いい加減にやってないで、ぶつかってけーーーーー!」
とーこの声が校庭中に響く。
「ほらな」
陽太が呆れたように言って笑った。
「だったら降りて来いよ!」
そんなやりたくてうずうずしてるくせに、そんなとこから見てるなんて。
時計をちらりと見ると、もうあと10分もない。
これくらいなら、有菜だって大丈夫だろ?
「ほら!」
「・・・よーし、待っててよ!?」
とーこが俺らを指差して、にっと笑った。
雄介が「有菜!ちゃんとマフラーもしてくるんだよ!」って声を張り上げる。
有菜は嬉しそうに「うん!」ってまたあの笑顔を見せた。
そして二人は顔を見合わせて、教室に駆け込んで行く。
俺も雄介と顔を見合わせた。
思わず互いの腕をぶつける。
「・・・おい、お前ら、これクラス対抗だってわかってるよなあ?」
背後から修の声が可笑しそうに響く。
「とーこはこっち(4−1)チームだからな?」
「有菜ちゃんだって俺らの応援だぜ?」
修たち1組の男子が、俺らを取り囲むようにして雪玉片手に見下ろしていた。
陽太が「だーーーっ!!お前ら、だからくんなって言っただろっ!」って立ち上がった。
それが合図だったように、俺らは総攻撃を受けて雪だらけになった。
「・・・なにしてんの?」
コートを着て長靴を履いて駆け出してきたとーこと有菜が、俺らを見て大笑いした。
何かが変わっていく気がしてた。
だけど、まだ。
このままでいたいと思った。
――変わっていく空
2007,12,8up