君に繋がる空
8、見上げる空
それまで、とーこの『今日の有菜ニュース』(って勝手に俺がネーミングしてたんだけど)を――有菜の言動がどれくらい可愛かったか、とかそれを見ていた男子がどんなリアクションをしたか、なんかだけど――ほぼ毎日聞いていた所為で、5年でクラスが一緒になったときには、『ああ、これか!』と一人こっそり笑ったり頷いてたりした。
幾分、とーこの贔屓目というか守ってあげなくちゃフィルターがかかってることは否めなかったけど。
有菜は段差がないとこでつまづいたりして鈍くさいとこがあった。座って何かをすることは本当に上手いのに、体を動かすのは苦手。だから、とーこにくっついて歩くと必ず何かやらかしてくれる。
涙目になりながら「とーこちゃあん」って助けを求める姿に、陽太なんかは骨抜きだ。
傍に居るとわかる。するりと内側に入り込んでくるような感じだった。
6年になっても、有菜は転校してきた時に見せた赤ちゃんのような笑顔を見せる。
俺は、その笑顔を見ているのが楽しくなっていた。
「とーこちゃん、本いっぱい貸してくれてありがとう。これ、お礼」
本の入った、多分手作りだと思われる手提げと、リボンでラッピングされた袋を差し出して、有菜はほわんと笑った。
甘い香りがふわりと漂う。
「なんか凄く美味しそうな匂い!」
「昨日ね、お母さんと焼いたの。クッキーだよ。はい、直人くんと修君にも」
有菜はそう言うと、とーこに渡した袋より少し小ぶりな袋を俺と修にもくれた。
「手作り!やった〜!陽太に自慢してやろう」
修はそう言って、忍び笑いした。
俺たちの袋にもちゃんとリボンが巻かれている。
とーこにはピンクのリボン、俺たちには水色。
レースやリボンなんて、くすぐったくなるような物だけど、有菜がやるとしっくりする。
とーこなら・・・って考えて、とーこを見ると「わー、有菜ってホントこういうの上手だよね」って早速リボンを解いてクッキーを取り出している。
そう、とーこはどっちかっていうと、俺たちと一緒。
とーこがリボンとかフリフリなもの持ってたら、ちょっと怖い。
思わず想像して噴き出してしまった俺をじろりと見て「今何考えてた?」と、とーこがクッキーを頬張るのをやめて訊ねた。
「なにも?」
「・・・嘘だね。その笑い方は私を馬鹿にした笑い方だもん」
「ええ?そうなの?そんなことわかるの!?とーこちゃん!」
変なことに感心しながら、有菜が目を輝かせてとーこを見た。
「違うって」
「違わない。・・・きっとあれしょ?"とーこには作れそうにないな"とか、そんなことでしょう?」
じっと睨まれて、俺は「ああ、そう言われればそうだよなあ」って頷いた。この間、有菜がドーナツ作ったって聞いて、とーこも作ってみて・・・悲惨な結果に終わったのを思い出して。
「うわっむかつくっ。もっと酷いことなんだ?」
「馬鹿にしたわけじゃないよ。とーこはリボンとか似合わないなって思ったんだよ」
「・・・・・・ああ・・・・確かにそうだね。」
とーこは大きく頷いて、ふいっと目を逸らした。
その目が、少しだけ寂しそうに揺れた。
あれ?気にしてたのか?
「でもさ、本を貸したくらいでお礼なんていいんだよ?」
「うん。でも本当におもしろかったの。とーこちゃんっていろんな本持ってるんだね」
「なんだよ、漫画本じゃないの?」
修がバックから本を取り出す。
見慣れた本が何冊か見えた。絵本もある。
修はその中の一冊を手にしてパラパラとめくった。あの虹の話だ。
つい昨日、とーこに『あの女の子に有菜って似てると思わない?』って言ったのを思い出して、顔が赤くなった。
それがバレないように、俺も見たことがなかった本を手にとって開いた。
とーこが俺を見てるのを感じて、背を向けた。
「これ、最初から無理だよな。夜空に虹はかけられないもんな?絵本って時々残酷だよな〜」
修はそう言いながら絵本をめくる。
とーこは「って、絵本なんだからさー修君って夢がないな〜」って苦笑する。
「あ、でもね、有菜ゴールデンウィークにハワイ行ったときにね、夜でも虹でてたよ!んーとね、ムーンボウって言うんだよ?月の光でも虹って見えるんだって」
「へ〜!そうなんだ!?」
「ムーンボウか・・・見てみたいな」
「いいなあ、有菜ちゃん、いいもの見たね」
修が置いた絵本を手にして、久しぶりのそれを開いた。
ひとりぼっちのおとこのこが出会うおんなのこ。
その挿絵の女の子。
栗色の髪、ふわふわとした髪で、大きな瞳の女の子。
・・・やっぱり有菜にそっくりだ。
「ありがとうね。有菜。でも、本当に気にしなくていいんだからね?」
「うん。えへへ、本当はね、作ったお菓子を誰かに食べてほしいだけなの!」
「もちろん、そういうことなら喜んでいただく!ね、有菜、食べていい?」
「うん。食べてみて。」
さっきの寂しそうな瞳は見間違いだったのか、何事もなかったような笑顔を有菜に向けると、とーこは大きな口を開けてクッキーを食べた。
「うん、おいしー!修君も食べてみなよ〜。有菜どんどん上手になってる!」
修も「ホントだ。売ってるのとかわんねー!」って言いながら口に運び「有菜ちゃんおいしい!」と顔を綻ばせた。
有菜は「直人くんも食べてみて?」ってちょっと心配そうに首を傾げた。
「あれ?もしかして嫌いだった?」
「そんなことないよ」
俺は絵本をバックに戻して、蝶々結びのリボンをほどいて袋を開けた。甘い香りが広がる。
「結構上手くできたつもりなの。」
「あ、それは心配してないよ?手作りのクッキー、前はよく食べてたんだ。」
いただきますって口に運ぶ。
あ、おいしい。
「どう?」
「うん。おいしい。」
「わーよかった!また作ってくるね?」
有菜はちょっと頬を染めて、小首を傾げた。
「ずるい!俺も食べたい〜!」
「私も〜!」
喜多嶋と田中がとーこの後ろから顔を出した。
気がつけば、いつの間にかクラスのほとんどの人間が俺たちの周りに集まってきていた。
今、林先生が来たら全員怒られるな・・・。
とーこが「有菜、あげてもいいかな?すっごくおいしいから、本当はあげたくないけど〜」って目を細めておどけながら訊ねる。
有菜は「うん!」ってとびきりの笑顔で頷いた。
「今度はもっといっぱい作ってくるね!」
「ちょっとした仕草が"女子"っていうより"女の子"だなあって思うんだよな。」
「・・・・」
「女子ってのは、なんだかうるさい感じ。女の子ってのは・・・うーん、有菜みたいな存在」
「わかるよ。その感じ」
塾の帰り、俺ととーこは並んで歩きながら今日のことを話した。
夕方から雨が降っていたから、街灯の明かりだけで辺りは真っ暗だ。
今日は寄り道しないで帰る事になりそうだ。
「直人、女子は苦手だよね」
傘を差しているから、とーこの顔は見えなかった。
声もくぐもって聞こえる。
雨脚が早まって、ぼつぼつという傘にあたる音が大きくなる。
表情はわからないけれど、声は明るく聞こえた。
「苦手って・・・わけじゃないけど」
「・・・まあね。直人の気持ち、わからなくもないかな。でもね、女子だって"女の子"なんだよ?」
「わかってるよ。イメージの問題」
俺が答えると、とーこは「う〜ん」と不満気な声を漏らした。
「・・・それでいったら、まさにあたしは"女子"だ」
小さな声で、雨音に消されそうだった。
俺は驚いて「まさか!」と傘をずらして立ち止まった。
「とーこは・・・・」
そう言って、思わず言葉を捜した。
女の子・・・そんな風に見たことない。
昼間思ったように、有菜と同じリボンだとかレースだとかそういうものと、とーこはかけ離れている。
だけど、とーこは、女子だけど女子じゃない。
そういう存在じゃないんだ。
いつも一緒で、男子とも遊んで。
友達・・・仲間・・・どれもしっくりこない。
幼馴染、これだって、シンや拓たちと一緒になる。これもだから少し違う。
「・・・わかってる。そんな悩まなくていいよ。ごめんごめん」
とーこも立ち止まって、傘を後ろに傾けるようにして顔を見せた。
「女子ってよりは、男友達って感じだよね。」
そう言ってあははって笑った。
そしてくるりと背を向けて、また歩き出す。
胸がなんとなく痛む。
慌てて追いかけて、とーこの前に回りこむ。
驚いた顔のとーこの目をじっと覗き込む。
やっぱり。
まただ。
寂しそうに揺れてる。
「ど、どうしたの?」
とーこは一歩後ずさった。
同じように俺の目を覗き込んで、バツが悪そうな顔で笑う。
上手く言葉で伝える自信がなかったけど、なんとか口にしてみる。
「オトコって思ってるわけじゃないぞ?」
とーこが困ったように頷く。
「当たり前だよ。オトコだって思ってるんだったら、殴ってるよ!」
傘を振り上げて、むっとした顔を作ってる。
そう、作ってるだけで、その奥は違う表情だ。多分。
「・・・有菜は特別だよね。だからすごくよくわかるよ?あたしが男の子だったら、有菜のこと凄く好きになってるもん。あ、今でももちろん凄く好きだけどね」
直人だってそうじゃない?
そう言って、とーこは肩から下げたバックの中に手を入れた。
中から、有菜からもらった袋を出した。
内心どきりとした俺に、とーこがくすっと笑った。
何か諦めたみたいなフクザツな表情。
ここのところ、とーこはこんな顔をよくする。
そんな時は、とーこが知らない人になったみたいな気がして、なんだか胸がざわつく。
「クッキー、実はまだあるんだ。食べる?有菜がくれたの帰り際に。関君には家に帰ってからまた作るからって。」
傘の軸を顔と肩に挟んで、リボンをほどいた。
とーこはリボンをバックに入れると「ん」とクッキーを出した。
「・・・懐かしいよね。直人のお母さんのクッキー思い出しちゃった」
「ああ。」
「・・・・・教えてもらいたかったな。」
そう言った後、とーこはばっと俺を見た。
「ご、ごめん・・・!」
「?」
泣きそうな顔、罪悪感でいっぱいの顔。
「・・・馬鹿だな。いいんだよ、とーこは。クッキーもらうぞ?」
そう言って、袋に手を伸ばして・・・途中で向きをかえてとーこのおでこにでこピンした。
「ったあああああ!!!」
「もーらい!」
クッキーを袋ごと取って笑った。
「明日は晴れるといいな」
「・・・そうだね」
傘を差したまま、二人で空を見上げた。
雨は小雨に変わっていた。
――見上げる空
2007,12,11up