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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 10 ―








「それじゃ、有菜、気をつけて」

あたしは直人の言葉に驚いて、あたしの少し前を並んで歩く二人をじっと見つめた。
有菜は事も無げに可愛らしく頷き、「今日はつき合わせてごめんね?」と楽譜の入った袋を少しだけ持ち上げてニコリと笑う。

「後でメールする。」
「うん」
「ちゃんとチェックしたとこ頭にいれて」
「うわーん、数学苦手だなあ。」
「だからヤマ賭けしたんだろ。」
「だ、ね、頑張る!また明日ね」

短い言葉と視線の交換の中に、確実に優しさや思いやりが含まれていて、そんな姿は胸を痛くすると同時に、何か温かなものが流れ込んでくる。
結局、あたしは微笑んでしまうんだ。
私の中で、やっぱり今でも直人は特別な存在ではあったけど・・・それを認めるのは辛いけど、さっき見たような光景が、あたしに悲しみだけじゃない何かを感じさせてくれるということは、私の中に小さな希望を抱かせた。
有菜と直人をきっと笑顔で見つめられるようになる。

「とーこちゃん、明日ね!」
有菜は振り向いて、少し離れた場所に居たあたしに手を振った。
「あ、うん。」
てっきり直人が送っていくものだと思っていたから、有菜が十字路で振り向き再び手を振り、その角を曲がるまで、見送る直人と同じようにあたしも立ち尽くしていた。

「・・・送らなくていいの?」
間抜けな質問だと思ったけど、気がついたら言葉にしてた。
もう有菜は行ってしまったのに、本当に間抜けだ。
「テスト中はいいって。」
直人は言いながらあたしの脇を通り過ぎた。
無視されると思っていたから、あたしは答えが帰ってきたことに驚いた。

直人の胸の上で跳ねるガムランボールが小さく鳴る。
「帰らないの?」
前を向いたまま立ち止まって、直人は言った。

掴まれた腕が、まだ痛い。
掴まれていたその場所は、赤くなって。
指の痕が残っている。

「・・・帰るよ。」
でも、あたしは動けなかった。
希望はある。
だけど、今はまだ向き合う自信がないのも事実だ。

「とーこ」
「帰るよ」

そう言いながら、でも、あたしはまだ動かなかった。
直人は大きな溜め息をつくと、あたしの方に回れ右した。
俯いているあたしの視界に、直人の靴が近づいた。

「さっきの」

声が掠れていた。

「坂本さん、だっけ?・・・とーこ、付き合うの?」

同じ電車の同じ車両に乗っていたのなら、有菜は気がついていなかったけれど、直人は聞いていたのだろうか?
司さんの言葉を。

「・・・そんなこと、言われてない」

わかってる。はっきりとは言われていないけれど、司さんはそう言おうとしたんだ。
でも、まだ、言わずにいてくれた。
それは司さんの優しさだ。
ゆっくり、大事に考えたい。あたしと司さんにそういう未来があるなら。

「・・・・・めだ。」
「?」

呟くような声は、言葉として耳に入ってこなかった。
あたしはようやく顔をあげて、直人を見た。
電車の中で向けられた、あの切なそうな辛そうな目があたしを見つめていた。
何故そんな目をするのか、あたしにはわからない。
あたしが困惑していると、直人はその瞳を怒りへと変化させた。
――あの冷たい眼差しに。

「付き合うなよ。」

初めて聞く、とても低い声。

「・・・何言ってるの?」
「ダメだって言ってるんだよ」
「意味わかんない。」
「からかわれてるんだよ。」

司さんが向けたあたしへの想いの片鱗は、嘘や、からかいではなかった。
凄く・・・嬉しかった。
それをそんな風に断言されたくない。

「なんでそんなこと言うの?」

随分か細い声になってしまった。
本当は、もっとはっきりと言いたかったのに。

「あたしが、誰と付き合っても、誰を好きになっても、直人に関係ない!」
「じゃあ、あの人のことが好きなのかよ?」
「・・・っ!」
「好きじゃなくても、付き合えるんだ?」
「好き、だよ・・・きっと好きになる。」

司さんが持っているあのメガネが、あたしにもあればよかったのに、と思う。
気持ちを隠せるなら、そんな方法があるのなら、誰か教えて欲しい。

さよならできると思った唯一の方法。

雪に捨てたあたしのココロ。
直人を好きな、あたしの気持ち。
自分で溶かしてしまったんだろうか?
あの雪の中に凍らせたココロを。
それとも?

「とーこのキモチは、今も俺にある」
「なっ・・・・!」
「とーこは、俺が好き」
「違う!何言ってるの?直人のことなんて・・・」
「お前があの日雪に捨てたチョコ、そのままにしたと思ってるの?」

あたしははっとして、一緒に捨てたガムランボールに視線を移した。
直人はそれに気づき、携帯を手に持つとぎゅっと握り締めた。

「な・・・に言って・・・」
「俺を好きなのに、他の奴と付き合えるの?」

ふざけているんだろうか?
あたしはガムランボールから直人の顔に視線を戻す。
その表情から、直人がそんな馬鹿げたことを本気で言っているのがわかって、あたしは愕然として一歩後ずさった。

「とーこは俺のことが好きなんだよ」

諭すようような口調に、あたしはまた一歩うしろに下がる。

「どこまで・・・自惚れてるの・・・!?」

言葉が震える。
馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

「どれだけお前と一緒に居たと思ってるんだよ?俺にお前の気持ちがわかんないとでも思ったの?
俺たちは・・・ずっと、一緒だって言っただろ?」
「いつのことを言っているの?」

そんな約束、あれから何年経ったと思っているのだろう。
直人が有菜を思い続けて、それをずっと見ていたあたしに、そのまま変らず、そこに居ろというんだろうか?
これから先も、そうやって過ごせと?

悲痛な想いで下した結論も、結局は意味を成さなかったの?
傷つくのが怖くて、逃げ出した。
本当に耐えられなくて辛くて。
逃げ出した。
それはいけないことなんだろうか?

「あたしは・・・直人の持ち物じゃ、ない」

何をされても、言われても、盲目的に直人に従うような、ロボットでもない。
だけど・・・直人にどう思われているのか、いまだにそんなことに捕らわれている自分に、気がついてしまった。
あの日ちゃんとさよならできなかったことで、自分を苦しめているのだと、わかってる。
「好き」という気持ちを伝えることも、決定的な「さよなら」を言われることも、同時に誤魔化した。
距離や時間が離れても、そこに置き去りにされた気持ち。
あの日、この道のどこかに捨てたあたしの気持ちは、とっくに溶け出してしまっていたんだ。

・・・まさか直人が見つけていたなんて。

「直人は有菜を好き」

あたしは涙が零れそうになるのを堪えながら、ゆっくりと言葉にした。

「それがすべてじゃない?」
「・・・」

直人は何も言わなかった。
握り締めていたガムランボールが指先から零れて音を立てた。

「とーこは、俺のものだよ」

どこか優しさがこもった直人の言葉に、あたしは首を振った。

「あたしは、あたしだけのものだよ」

大きく深呼吸して、あたしは一歩踏み出した。
直人に「じゃあね」と小さく呟いて、自転車置き場に向かった。
直人に背中を向けて、遠回りする道を選んだ。

自転車を押して歩きながら、あたしは空を見上げた。
昼と夜の境界線で星が光る。

乗り越えなくちゃいけないことも、何一つクリアしていない状況で。
胸の内側がじんじんと痺れて目頭がつんとしても、星は変らずに頭上で瞬く。

でも、そうなのかな?
変らないものなんて、何もない。
あの光りだって、あたしと直人が一緒に見上げていた光りではないんだから。

繋がれた手が、今では熱を持っていた。

遮るものがないような、こんな道じゃ、道を替えたところで直人の姿が見えなくなるわけじゃなかった。
ただ、同じ方向に向かって、違う道を歩いた。

馬鹿馬鹿しいことをしていると気がついていたけど、今はこんな方法しか思いつかなかった。
直人に言い返しながら、本当はちゃんとわかっていた。

いつまでちいさな子どもでいるつもりだったんだろう?
離れたくなくて、いつまでも見上げた夜空。
あの頃には戻れない。
本当は、直人だって気がついてる。
ただ、あんまり近くにいたから。


そう、だから、あたしはちゃんと失恋しなくちゃいけない。




2007,7,14


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