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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 11 ―








いつもより少し早めに家を出たあたしは、朝日を纏って青く輝きだした山並みを見つめながら歩いた。
ジョギングがてら犬の散歩をしているおじさんも、すれ違う軽自動車も、自転車ですれ違うおばさんも、いつもと同じ、変らぬ風景。
道路脇の草は朝露できらきらと光り、少しづつ高くなる太陽に熱せられたアスファルトから目に見えない蒸気と独特な匂いが立ち上る。

足元で小さく鳴く虫たちや、風が吹きぬけていく、この道が大好きだった。

駅までの・・・中学校までの道のりは、ただただ真っ直ぐで、振り返ればあたしの部屋の窓まで見えた。
その奥には、直人の部屋の窓も見える。

例えば熱を出して学校を休んでも、朝、みんなが登校して行く姿を見送って、チャイムが聞こえては今は何を勉強しているのか時間割を頭に思い浮かべた。
休み時間には風に乗ってみんなの笑い声が届く。
放課後には音楽室から吹奏楽の練習曲が聞こえる。

窓を眺めていると、チカチカと教室の窓の向こうで何かが光る。
(また、直人だ)
それが直人からだって知っていたから、あたしは熱を出すのも悪くないな、なんてくすくす笑って。

直人が休みのときは、あたしが鏡で同じようにしてみた。

――そんなことが、何より楽しかった。

何気ない日常には、いつも直人が居た。
辛くて、直人に見えないところで泣いたこともあったけど。
それでも、手放したくなかったのは、そんな日常だったんだろう。

一人ぼんやり歩く日もあれば、直人の背中を見ながら歩く日もあったし、二人並んで歩く日もあった。

朝も昼も夜も。
晴れた日も、雨の日も、風の日も、そして雪の日も。
毎日毎日。

それでも、どうにもならないココロの溝は、深く広がっていった。

直人を好きだという気持ちが、何よりあたしたちの溝を深く深くしてしまった。

直人の引いた<ライン>の向こうに行けない事は、救いようのない事実で。

雪・・・・あの雪の中から、直人がチョコを拾い上げていた。
夜の闇の、仄かに青白く光る雪に、投げ捨てたバレンタイン・チョコ。
力いっぱい放り投げたソレを、直人は一体どれくらいの時間探したのだろう?
雪の中に埋もれたものを探すなんて、無謀だと、あたしは、あたしたちはよく知っている。
それでも、あたしの捨てたソレを何故直人は捨ておかなかったんだろう・・・・。

『とーこは俺のことが好きなんだよ』

悔しいけれど、馬鹿みたいだけれど。
受け入れがたいことだったけれど、それは本当のことだ。
自分に嘘をついても、いくら気持ちを凍らせようとしても、そんなことはできるはずがなかったんだ。
呆れるくらいに、ただ直人が好きで。

でも。もう終わりにしなくちゃいけない。
今度は気持ちを捨てたりしないで、ちゃんとぶつけよう。
もう一人のあたしが、闇の中で泣きながら本当のキモチを探したりしないように。

直人とあたしがとり憑かれている想い。
それは同じで、だけど異質なもの。

上手く言葉にするのは難しいけれど・・・

駅までの15分ほどのその道のりは、考え事をするにはちょうどよい距離で。
冬には聞こえなかった用水路を流れる水音に、あたしははっとして苦笑した。

静かな朝の空気が僅かに振動して、電車の走る音が聞こえてくる。
「ぼんやりしすぎ」
あたしは中学校の校舎の脇を走り抜け、大好きなこの道を駅に向かって急いだ。

―― どんなに辛くて、苦しくても、やっぱりこの道を行くしかない。
そして、どんなに悲しい想いをしても、やっぱりこの道が大好きなのだから。

改札口を潜り抜けると、電車が空気を切り裂くような鉄の音を響かせて、ホームに入ってきたところだった。
あたしは肩で息をして、呼吸を整えようと深呼吸した。

扉が開くと、心配そうな表情でドアの脇に寄りかかるように立っていた司さんが身体を起こした。
昨日、あんな別れ方をしたのだから、司さんが心配するのも無理はない。
「おはよう、塔子ちゃん」
少し緊張した司さんの声に、あたしは思わず苦笑した。
「おはようございます、司さん。」
それでも笑顔を作ることができると、司さんは表情を和らげ、空いている椅子に座るようにあたしを促した。

「今日で終わりだね。勉強はできた?」
あたしが座ると司さんはあたしの前に立ったまま尋ねた。
ラケットケースを肩からかけて、つり革に手を通して掴んでいる。
「結果はわからないですけど、とりあえず、できるだけのことは。」

上半身を曲げるようにしてあたしを見下ろす司さんに、「座らないんですか?」と隣の椅子を指さして尋ねた。
真っ直ぐ見つめられるのがなんだか恥ずかしかったのに、司さんは首を振って「このままでいいよ」と笑った。
今日は教科書を広げる気はないということだ。

でも、司さんはあれこれ聞き出そうとはしなかった。
メガネをかけている司さんは、上手く気持ちを隠してくれていた。

あたしはそんな司さんに感謝して、もう一度「座ってください」と椅子をぽんぽんと叩いた。
「その方が、安心します」
あたしの言葉に、司さんはちょっと嬉しそうに口元を緩めて「じゃあ座ろうかな」とラケットケースを下ろして座った。

あたしたち以外の高校生は、みんなノートや単語帳を眺めたり、壁や窓に寄りかかりながら眠っている。
ちらちらと盗み見られるのは、余裕があるように見えるのだろうか。
それとも、司さんを盗み見ているのかもしれない。

司さんも視線に気づいたようで、「僕たち、きっと随分余裕あるように見えるんだろうね。」と囁いた。
本当は、結構崖っぷちだったりして。
悪戯っぽく笑う司さんは、ちっとも崖っぷちなんかじゃないって誰でもわかる。

「でも、期末が終わっても、また試験なんですよね」
「うん、明後日。」
「合否って、いつ頃わかるんですか?」
「8月の2日・・・3日だったかな?んーもっと遅かったかな・・・」
「2週間後ですね。」
「その後オリエンテーションがあって、10月の頭には向こうに行くんだよ。」
「新年度が微妙にはじまってますよね?」
「そうだね。でも、受け入れるほうも少し落ち着いた10月くらいがちょうどいいみたいだね。」
「10月・・・」

小さく呟いて、目を閉じた。
直人の誕生日、10月5日。
その頃、あたしは、ここには居ないかもしれないんだ。



乗り換え駅に到着して、立ち上がりかけたあたしの手を司さんが掴んだ。
「?」
そして、そのまま座っている彼のほうへ引寄せられた。
「?」
あたしたちの脇を次々と人が通りすぎていく。
降りる人の邪魔にならないように司さんに一歩近づいて、あたしは不思議に思いながら少し俯き加減の司さんを見下ろした。

「司さん?」
「・・・・」
「どうしたんですか?」

あたしの問いに、司さんはようやく顔をあげた。

「今日から部活、だよね?」
「はい。司さんもですよね?」

ラケットバックを見て、司さんに視線を戻す。
その視線を絡めとるように司さんは頷いて、にこりと笑った。

「ランチ、一緒に食べよう?今日は天気も良いし、屋上で。どう?」
「いいですよ。」
「部活終わったら図書館で勉強していかない?」
「はい。今日は練習早く終わるから、実はそのつもりでした。」
「・・・第一で?」

悪戯っぽく笑う司さんだったけど、掴んだ手に力が籠るのがわかった。
胸がチクンと痛む。

「・・・・・・・・・あたし、ズルイ・・・」

大きな温かな手に視線を落としながら、無意識に呟いた。

あたしは、ズルイ。
司さんの優しさに、甘えている。

自覚してしまうと、それは罪悪感に変る。

『好きじゃなくても、付き合えるんだ?』

昨日直人に言われた言葉が、その気持ちに拍車をかけた。

「いいんだよ。」

小さな声だった。
いつもより、ずっと低い、それでいて優しい声だった。

「塔子ちゃんと初めて話した日、「ぼくの肩、いつでも貸してあげるよ?」って、言ったよね?」
覚えてる?
椅子に座ったまま、あたしを覗き込むようにして司さんは尋ねた。
あたしはこくんと頷く。
「あの日言ったのは・・・本心からだから。塔子ちゃんになら、いつでも貸してあげる。僕でいいなら、いつでも。」
再び握られた手に力が籠る。
「だから、ずるくていいよ」
そんな風に言わせる自分が、酷く嫌な人間に思えた。

それでも、手を握る司さんの温かさはあたしを特別な何かに変えていく。

あたしでも、いいんだろうか?

「塔子ちゃん?」
「・・・・・第一で」

喉に張り付いていたような、掠れた声にあたしが一番驚いた。
搾り出すような声に、あたしは自分を励ましながら、司さんを見つめた。
あたしは司さんの手をそっと握り返して。

「一緒に、勉強しましょう」

言って、笑うことができた。





2007,7,19


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