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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 9 ―








「今度は、第1で・・・一緒に勉強しようか?」

言って司さんはメガネを外して、あたしに笑いかけた。
メガネくらいじゃ隠しようがないくらい、もともと整った顔立ちだと思っていたけれど、司さんはメガネを外すと眼差しが強くなり、オトナっぽくて、・・・その、とても魅力的だった。

普通は、メガネをかけるとオトナっぽく感じるのに、司さんは反対だ。
優しいだけだった瞳に、他の感情が宿る。
あたしはそんな司さんに戸惑ってしまう。
今まで上手く誤魔化してくれていたから。

「とーこちゃん?」
あたしのそんな様子に司さんはメガネを差し出して、「これは魔法のメガネ」とくすっと笑う。
「?」
「これをかけてると、気持ちを隠せるんだ。・・・一種の暗示なんだけどね。」
そんな魔法のメガネがあるなら、あたしも欲しいくらいだ。
きっと、司さんも、今までいろいろあったのかもしれない。
「だから、塔子ちゃんの前では、メガネを外そうかなって・・・・・・意味、わかる?」
冗談なのか本気なのか、どちらともつかない口調に、あたしは困って司さんを見つめた。
――瞳は嘘をついていない。
「ええと、それは・・・・」
「とりあえず、選考試験が終わるまではこのまま、ね?」
あたしが困惑しているのを知り、司さんはメガネをかけ直した。
あたしはズルイとわかっていたけれど・・・ほっとして、小さく頷いた。

今はどうしていいかわからない。これ以上イロイロなことを考えるのは、ちょっと無謀だ。

だけど、司さんが伝えようとした、意味はわかる。
本当のことを言えば、嬉しかった。
嫌われていないということが、好意をもってくれていることが。

ドキドキと内側から叩きつけるような心臓の音が、強くなる。
「塔子ちゃん?イヤだった、かな・・・」
あたしは首を振って、そんな司さんに、今の気持ち・・・イヤじゃないって伝えようと口を開きかけた。
「っと」
電車が大きくカーブして、あたしはバランスを崩した人たちに押されて、倒れそうになった。
いつもならちゃんと身構えている場所なのに、今日は油断してた。
「ひゃっ・・・!」
あたしは司さんの胸に倒れこんだ。
背の高い司さんの胸の中にすっぽりとおさまってしまい、彼の胸もあたしと同じくらいドキドキしていた。
思わず見上げて、目が合って、あたしたちはお互いに恥ずかしそうに笑った。

その時、あたしの耳に、シャラランという音が聞こえた。
耳を澄まさなければ聞こえないはずの、耳元でしか聞こえない音色。
聞こえるはずがない。

なのに、聞こえる。
こんな混雑した、雑音の溢れる中で、あたしの耳には、聞こえていた。

「ごめんなさいっ」
「役得。」

だから、あたしは慌てて司さんから離れた。

ちょうどその時、電車はホームに滑り込み、大きなブレーキ音が車内に響いた。
開いた扉に人が集まり、あたしたちは一度ホームに降り、また乗り込んだ。
「混んできましたね。」
「ホントだ。」
今の駅で多くの人が乗り、身動きできないというほどではないが、人の数が増えた。
「あ、やべ!」
大きな声をあげて、男の人が慌てて扉に向かって走って来て、あたしの肩にぶつかった。
「!」
「とーこちゃん!」
落ちるっ!
そう思ったあたしの右腕を司さんが、そうしてもう一人、誰かが、あたしを抱えるように抱き上げて、車内へ引き込んだ。

「危ないだろ!」
ぶつかってきたはずの男の人が、閉まるドアの向こうであたしに怒鳴りつけた。
「どっちが・・・!」
司さんは言い返そうとして、やめた。
動き出した電車、そして相手はもう背をむけて歩き出している。
「大丈夫だった?」
「はい。」
さっきあたしを抱き上げた腕は、ゆっくりと外された。
あたしはお礼を言おうと、振り向きかけた。

だけど、あたしの左手に、その手が絡みついて、ぎゅっと握り締めた。

冷たい、その手は、一瞬であたしの心臓を掴んで潰した。

誰の手か、あたしは知っていた。
馬鹿みたいだけど、わかってしまった。
あたしは手を握るその人の方を見て、息を飲んだ。

じっとあたしを見る二つの瞳。
冷たい、眼。
――じゃない、なんでそんな切なそうな辛そうな目をしてるの?

一気にあたしの体温を奪っていく。

「なお・・・・」
「どうかした?」
震えるあたしを司さんが不思議そうに覗き込んで尋ねた。
「怖かったよね?」

あたしは彼から視線を逸らして、何とか手を振り払おうと、強く引いた。
ぎりっと力を入れられて、あたしは思わず顔を顰めた。
ちょうど車体が大きく揺れて、あたしは俯いて表情を隠した。

「とーこちゃん!」
あたしの手を離さない、その人の隣にいるであろう、その声を聞いて、あたしは頭が真っ白になった。

有菜が居るのに、何してるの・・・・!?

あたしは司さんに支えられるような感じで振り向き、有菜の方を見た。
「有菜!どうしたの?」
あたしは顔が強張るのを必死で隠しながら尋ねた。
「うん、フルートの楽譜探しに行ってたの。明日からまた練習始まるから。」
「それじゃあ、ずっと乗っていたの?」
「うん。向こうの方。でもとーこちゃん居るって気がつかなかった。ちょうど直人君が壁になってたみたい。さっき、直人くんが顔色変えて手を伸ばすまで、わからなかった。」
怯むかと思った手の力は、まったく変わらず、強く握り締めている。

それじゃあ、さっき抱き上げたのは、直人だったの・・・?
有菜は気づいていなかったみたいだけど、直人はあたしに気づいていたの?

ちょうどあたしたちの間には1人の女の子が居て、その陰に隠れていて、手を掴まれているのは見えないようだった。

――直人、お願いだから離して

あたしは視線で訴えたけど、直人はあたしじゃなくて、あたしを支えている司さんのほうをじっと見ている。
何でそんな目で見るの?と尋ねたくなるくらい、怖い目つきだ。
直人の胸ポケットから、ガムランボールが出ていて小さく揺れている。
「同じ中学のコ?」
司さんがあたしに尋ね、あたしは慌てて視線を司さんに戻した。
「はい、同級生」
あたしは笑おうとしたけど、やっぱり失敗してしまったようで、司さんは顔を曇らせた。
「塔子ちゃん?」
また、直人があたしの手を強く握る。

心臓がおかしくなるんじゃないかと思った。
止りかけたり、速くなったり。

「こんばんは」
有菜はぺこりと頭を下げると、司さんに笑いかけた。
「敬稜?」
「そう、先輩の坂本さん。・・・・司さん、えっと、友達の有菜と・・・有菜の彼氏の直人、くん、です」
「坂本です。はじめまして。」
司さんが微笑むと、有菜は嬉しそうにあたしの顔を見た。
「お邪魔しちゃったかな?」
「そんなんじゃない、よ」
「いつも一緒だから、気にしないで」
そう言いながら、でも、司さんはあたしを見下ろして、気遣わしげに見つめた。
「とーこちゃん、明日でテスト終わりだよね?部活ある?」
有菜はウキウキした顔で「明日夏休みの予定電話していい?」と言った。
「あ、うん、もちろん」
あたしは答えながらも、繋がれたままの左手と、痛む胸にまた顔を顰めた。
「とーこちゃん、調子悪いの?」
「なんでもないよ」
「でも・・・ここのところ、とーこちゃん元気ないなって・・・あ、でも、今はテスト中なんだから当たり前だよね。」
有菜は言って、直人の方に視線を向けた。
「テスト中も元気なのは、有菜くらい」
直人はさっきまでの険悪な表情なんて微塵も見せずに、有菜を柔らかく見つめた。

手は離さずに。

駅につくと、ようやく手が離された。
あたしは直人の手と同じに冷たくなった左手をぎゅっと握り締め、歯を喰いしばった。
「それじゃあ、坂本さん、また」
有菜は可愛く微笑んで、先に降りた。すぐ後に、直人が。
そして、あたしの腕を引っ張った。
「ちょっと・・・!」

司さんの顔が、何かを悟って目を細めた。

「塔子ちゃん、君が泣いた訳は・・・」
彼の所為?

あたしは泣きたくなりながら、先輩を乗せた電車を見送った。
あたしは振り向いて、腕を掴んでいる直人を睨みつけた。
「泣いたのか?」
「どうして?」
あたしは思わず声に出してしまった。

泣いたのか?
泣いたのか??
直人がそれを聞くの?

あたしは直人の腕を払おうとした。
だけど、直人はまたきつく腕を握った。
「イタッ・・・!」

もう、何がなんだか、わからないよ。

「なに?どうしたの?」
有菜が振り向いて、あたしと直人を見た。
「ぼーっとしてるから、とーこが。」
な?とあたしの方を見て、やっと手を離した。
「試験勉強で疲れてるんだよね?」
有菜が嬉しそうにあたしのところへ駆けてきて、ぴょんと跳ねて立ち止まる。
「なんだか、嬉しいな。さっきのヒト、とーこちゃんの彼氏?」
「違う、よ。」
「優しそうな人だよね。ね、直人くんもそう思うでしょう?」
「さあ、とーこは昔から男の趣味悪いから。」
直人は有菜の脇を通り抜けて笑った。
「でも、本当に、とーこちゃん高校行って変ったよね?まあるくなったっていうか・・なんていうのかな、女の子らしくなった!よね。」
やっぱり恋でしょ?
ウィンクしながらあたしの腕にぶら下がって、有菜は内緒話をするように耳元で囁いた。

「そんなこと・・・」
ないよ。

「明日詳しく話すけど、今年はキャンプして流星群見ようって。なんなら、あの先輩も呼ぼうか!」
「帰るぞ」
はしゃぐ有菜に、珍しくイライラした声で、直人は言った。



2007,7,11


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