novel top top




雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 17 ―








『今、駅に居るんだ。出てこられる?それとも、迎えに行こうか?』

受話器の向こうで、司さんはそう言ってくすっと笑った。

『・・・ごめん、"会えない"って選択肢、あえて入れなかったんだけど』



あたしは駅まで行くと伝えて、慌てて身支度を整えた。

「大丈夫?あんまり寝てないんでしょ?」

洗濯籠を抱えたお母さんが、ちょっと心配そうな声で溜め息をつく。
あたしは「大丈夫」と苦笑して、真夏の太陽の下に飛び出した。
自転車を出して、なんとなく吸い寄せられるようにあたしは直人の部屋の窓を見た。
窓は開け放たれ、両脇のカーテンが揺れている。
頭も胸もずきずきと痛んだ。
また、声が聞こえてきそうな気がして、あたしは頭を振った。
ペダルを足に引っ掛けて回転させ、あたしは駅に向かって漕ぎ出した。

太陽が照り付け、寝不足の頭がくらくらする。
一瞬景色が真っ白になる。

真冬みたい・・・

ぼうっとする頭は、冬の日の記憶を、まるで昨日のことのように甦らせた。





「有菜っ、もういいよ!?後はあたし探しておくし。レッスンの時間でしょ?行って行って!」
「え、でも・・・!」
「それに、有菜手袋ないじゃん!やめなよ?指、動かなくなるから。ほら、帰って!」
「とーこ先輩、有菜先輩っ、もういいですっ、山口に正直に言って謝りますっ。」

吹奏楽部の後輩の会田沙耶ちゃんが、私の手を掴んで言った。

2月。私立や推薦での合格者がちらほら出てきた3年生の教室は、程よい緊張感とくすぶる想いがないまぜになって、独特な雰囲気を醸し出していた。
だから、後輩たちがわざわざ顔を出すのは稀で、その稀な内容はたいてい告白であったりするから、沙耶ちゃんが顔色を変えて教室に入ってきたときには、誰に告白!?なんて視線が集中した。

「部長!・・・じゃなくて、関先輩居ますか?」

きょろきょろと辺りを見回す沙耶ちゃんは、関君の姿が見えないと判断すると、すぐさまあたしを見て「とーこ先輩〜!」と泣きついてきた。
秋から新部長になった沙耶ちゃんは、前部長の関くんのところへちょくちょく相談に来ていたけれど、年が明けてからは部長としての自信もついたようだし、受験一色に染まっていく3年の教室には近づきがたくなっていたようだったので、あたしも久しぶりに抱きつかれて驚いた。

「関君なら、今職員室だよ?」
「先輩、私、鍵なくしちゃったんです」

事情を察したクラスメイトは、途端に興味をなくしたようで、皆帰り支度を始める。
吹奏学部の顧問の田村先生は、今日は午後から研修で、沙耶ちゃんは鍵を預かり、新しい楽譜を配って目を通すように言われたと言う。
「男子がふざけて取っちゃって、わざと教室で投げて遊んで・・・」
偶々掃除の為に開けていた窓から、中庭へ・・・。
「落ちちゃった、てわけね・・・」
窓から下を覗けば、中庭は降り積もった雪で覆われている。
「どうしよう〜先輩、準備室開けないと、楽譜も楽器も出せないのに。それに、鍵、探さなくちゃいけないし・・・山口にバレたら、きっと反省文ですよね・・・!?」

責任感の強い沙耶ちゃんは、そうとう混乱していて、なんだかあたしはそんな彼女が可愛くなってぽんぽんと肩を叩いて笑った。
「大丈夫、なんとかするから」

とりあえず、部活ができるようにあたしは担任の平野先生から予備の鍵を借りてきて、音楽準備室の鍵を開けた。
沙耶ちゃんは部員のみんなに楽譜を配りながら「今日は終了時間まで、各自この楽譜目を通して練習ね」と言って、そのまま中庭へ駆けていった
鍵は部活終了後に生活指導の山口に返しにいかなくちゃいけなくて。
「あたしも探すから」
「とーこちゃん、私も!」
一旦、沙耶ちゃんのコートを取りに2年生の教室に行ったあたしに有菜は言って、あたしたちは鍵探しを手伝った。

生憎、今日は朝から綿雪が降り続いていて、プレートのついている鍵とはいえ、見つけるのは困難に思えた。
昨日までの雪は凍みて固まり、人が乗っても沈むことはなかったけど、一日中ふわふわと舞っていた雪が鍵を隠してしまっていた。

「先輩、いいです、もう、あきらめます・・・反省文書きます」
「山口、今日機嫌悪くなかった?それに、沙耶ちゃんの責任じゃないでしょ?その男子たちはどうしたのよ?」
「みんな『部活だー』ってすぐに居なくなっちゃって・・・」
「も〜、誰と誰?あとでガツンと言わなくちゃ・・・!ね、有菜はホント、時間だから帰りなよ。レッスン行く前に、フルート取りに帰るんでしょう?」

手袋を忘れた有菜は、真っ赤な指先をさすって「あと10分!」と、また降り積もっていく綿雪を手で除ける。

あかぎれができちゃうよ。指大事にしなくちゃいけないのに。

あたしは見かねて、自分の手袋をとって有菜に渡そうとした。

「ほら、有菜・・・」
「これつかって。」

あたしが振り向いたそこには、直人が立っていて、有菜に自分の手袋を差し出していた。
「指、痛そう。」直人が眉を顰めると、有菜は「嬉しい」と、にっこりと笑って直人の手袋を受け取った。
あたしは慌てて手袋を自分の手にはめ直す。
胸がちくりと痛む。
あたしは自分の胸の痛みから目を背けるように、直人の後ろにいる後輩たちに視線を向けた。
「どうしたの?」
直人は後輩たちに、「ほら」と目配せして促した。

「会田、わりい・・・」
「俺らも手伝うよ」
「木田、五十嵐・・・相馬も」
「悪かったな」

3人はバツの悪そうな顔で頭をかき、沙耶ちゃんと私たちに頭を下げると雪を掻き分けだした。
有菜が直人の手袋にそっと手を入れていた。
直人は「お節介やき」と口端をあげてあたしの隣まで来ると、「うるさいな」と背を向けたあたしの頭の上の雪を払った。

「関が"手伝えなくてごめん"って。あいつ今日塾だから。」
「さすが元部長。気にかけてくれてたんだ。でも、直人はなんで?」
「ああ、こいつら会田と同じクラスだよな〜って思って。部室に聞きに言ったら、自分たちが犯人だって言うから。」

直人は事も無げに言いながら、足で雪を払う。
本当に、ムカつくくらい、こんな時の直人は・・・。
思わずあたしが舌打ちすると、直人はくすっと笑った。
きっと、またあたしの心の中なんて、お見通しなんだろう。

「見つからなかったら、お前ら会田の変わりに山口んとこ行けよ?」
「えええええ・・・!」
「先輩、やばいって、今日山口、火野がやった落書きのことでめちゃくちゃ機嫌悪いぜ?」
「ゲッ!」

それから暫く探しても鍵は見つからなかった。
あたしははっとして、窓から図書室の中を覗き、そこにある柱時計を見た。

「有菜!レッスンの時間!」
「あ!」

有菜はあたしの声に弾かれたように時計を見て、それから直人の許に駆け寄った。
直人の目の前で「きゃっ」と声をあげて転びそうになり、慌てて直人が腕を掴んだ。
「ありがとう」
ほっとした直人の表情に、優しさが浮かぶ。
「有菜のドジ」
「うん、えへへ。あ、手袋、洗ってから返すね?」
「いいよそのままで」
「ううん。」

二人のやりとりが気になるのか、沙耶ちゃんが切なそうに振り向く。
そう、沙耶ちゃんも直人好きだった。

バレンタインに直人が雪に捨てたチョコの中には、沙耶ちゃんのチョコもあった。
・・・あたしも沙耶ちゃんと同じような顔をしていたんだろうか?

それから有菜は「ごめんね」とみんなに声をかけ、「とーこちゃん、先に帰る。ごめんね!」と手を振った。
有菜の手には似合わない、大きな手袋が、不自然に揺れる。
「とーこは?お前昨日の夜、ね」
「もう大丈夫だから。直人こそ帰りなよ、課題終わんないよ?・・・有菜も帰ったし、当事者にまかせてさ。」
「んなの、お互い様、ダロ」
いよいよすっかり日も落ち、校舎の明かりを頼りに雪を払った。

「うおおお、指イテェ・・・!」
「手袋も靴下もアウトだ」
「・・・俺、山口に謝りに・・・」
相馬君が言いかけた時。
「っ・・・!おおおおい!あった!あった!!!!」
木田君が白いプレートを握り締めて立ち上がった。

有菜が帰宅してから10分、漸く鍵が見つかったこの時には、手袋はもうびしょ濡れで、足元もすっかり冷え切っていた。

「とーこ先輩、直人先輩、ありがとうございました!ああ、びしょ濡れに・・・!どうしよう〜先輩たち受験生なのに・・・!ごめんなさい〜。」
「まだ先だから。」
「大丈夫大丈夫。平気だって。でも、よかったよ、見つかって!」

申し訳なさそうに頭を下げる沙耶ちゃんの背中を押しながら生徒玄関に入るあたしの後ろで、「よくやった!」と直人の声が響き、木田くんたちのジャージの背中に雪を突っ込んでいる。彼らも負けじと雪玉を作って投げる。
そんな姿に私も沙耶ちゃんも笑った。

3年生の教室のある3階は、ひっそりと静まり返っていた。
とっくに教室の暖房は切られ、あたしたちは急いで帰り支度をした。
指がかじかんで、思うように動かず、あたしは「はー」っと息を吹きかけた。
直人がポケットからミニカイロを取り出して、ぽんとあたしに投げて寄こした。

「さんきゅ・・」
「帰るか」
「うん」

あたしたちは並んでこの道を歩いた。

「とーこ、ホントに熱大丈夫かよ?」
「何よ、いつも"丈夫なだけがとりえ"って言ってるの、直人じゃない?」
「だろ?」
「・・・ま、ね。有菜の方が心配かな。ここのとこ受験勉強追い込み中って感じだし。」
「有菜、すっげー寒そうだったからなぁ。・・・・なんていうか、とーこのお節介が有菜にも伝染してる気がする」
「人をウィルスみたいに言うな!」
「しっかし、よく降るなぁ」
「手、冷たくないの?・・・なあんて、聞くだけ野暮?」
「うるさいよ」

真っ赤になって足早になった直人に、あたしは後ろから雪だまをぶつけた。
バレンタイン一週間前の出来事だった。
あたしはその晩、熱を出してしまったのだけれど、一晩でおさまり、翌日はいつもと変らず登校した。
有菜は風邪を引いて2日間、学校を休んだ。
直人はめちゃくちゃ心配してたっけ。





何故、こんな真夏に、あの冬の出来事を思い出したんだろう?
あたしは中学の校舎の脇を自転車で通り過ぎる時に、あの時鍵を探した中庭に続く道を見つめた。

今は、もう、夏。

耳に蝉の鳴き声が戻ってくる。
汗が首筋を流れ落ちた。

駅に着くと、駐輪場に見慣れないバイク(原付バイク)が停まっていた。
日曜日だから、駐輪場もガラガラだ。
ここは、どれが誰の自転車やバイクであるのかがわかるような所だ。
誰かがバイク買ったのかな・・・?
あたしはそのバイクの隣にスタンドを立てて自転車を停めた。

「おはよう、というより、もう"こんにちは"だね。」

背後からの声に、あたしはほっと息を吐いて振り向いた。
そこで初めて、自分が酷く緊張したままでいたことがわかった。

「塔子ちゃん?」
「こんにちは、司さん」

あたしは振り向いて「待たせちゃってごめんなさい」と頭を下げた。
顔をあげると、「急に呼び出したのは、こっちだよ?」と司さんは苦笑した。
今日は、いつもと雰囲気が違う。
そっか、あたし、私服の司さんと会うのは初めてだ。
制服を崩さずに着る人だから、タンクトップにシャツを羽織り、黒いジーンズ姿の司さんに不思議な感覚を覚える。
それは司さんも同じだったようで「制服以外の塔子ちゃん、初めてだよね?」と笑った。
急いでいたせいもあって、チュニックにジーンズ。ラフな格好だ。
司さんはメガネをしていなかった。

「・・・もしかして、このバイク司さんのですか?」

司さんは長い指にひっかけるようにしてヘルメットを持っていた。
「そ、二人乗りはできないけど」と、司さんは笑ってミラーにメットをかけた。

「バイクって禁止じゃなかったですか?」
「登下校での使用は禁止されてるよ。ちなみに、免許を取得するする前に、学校長から許可をいただかないと駄目なんだ。
あ、もちろん、僕は校則守ってるよ?」

ぽんぽんとシートを叩いて、司さんはその腕をあたしの頬に伸ばして困ったような顔をした。

「今日の教頭からの電話の所為じゃないよね・・・・・これは、決着つけた所為?」

目の下のクマをなぞられて、あたしは答えに困って・・・苦笑した。







2007,9,13


backnext



novel topへ 星空の下でさよなら top



topへ





Copyright 2006-2009 jun. All rights reserved.