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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 19 ―








川を流れる水音は、流れに抵抗できないような低く力強い音と、川底で転がる石たちの奏でる少し高いくすぐるような可愛い音がない交ぜになって紡ぎだされる。複雑な流れでその速さや強弱を変えながら奏でられるその音は、優しく力強く途切れることなく続く。

足の裏をくすぐるように湧き出ている水音は、はっきりと耳に聞こえるわけでないのに、確かに頭の中に直接響き、あたしの胸を焦がす音色に変る。

シャララン、シャララン・・・

金属片が舞い落ちるような透明な音――ガムランボールの音。


気がつかなければよかったのに。
あたしは、ずっと手を伸ばしていた。
直人と繋ぐ為の手を。
心ごと掴むあの掌。


痛いくらいに強く抱きしめられた司さんの腕の中で、胸の奥から熱い塊がせり上がってくるのを感じた。
吐き出してしまうことが恐ろしくて、あたしは司さんの腕の中で、両手で口を塞ぐ。
そんなあたしに気づいたように、司さんは身体を少し放してあたしの両手を掴んだ。
きゅっと軽く力を入れて、自分の背中にあたしの腕をまわさせるように手を引き、後ろ頭と肩を掴むと隙間がないようにして抱きしめた。
あたしは両手を彷徨わせる。
防げなくなった唇から、息が漏れる。
司さんの腕の力が優しい。
まるで赤ちゃんをあやすかのように、ぽんぽんと背中をさすられた。

「!」

それが合図だったように、あたしの瞳は涙が溢れ視界がぼやけ、唇からは嗚咽が込み上げた。

「ふぇ・・・っ、うっ・・・・っ、う・・・ぁっ・・・くっ・・・・」

胸の奥の熱の塊が一気に喉めがけて駆け上がってくるような苦しさに、あたしは司さんのタンクトップを握り締めた。
これは、多分、ずっと胸の中で蓄積されたあたしの苦しさで、本当はこんな風に吐き出しちゃいけないもので。
なのに司さんは「我慢しなくていいから」と呟いて、腕の力をほんの少し緩めた。
ちょうど、あたしが大きく息を吸い込めるくらいに。

「うっ・・・・ふぅっ・・・・っ・・・・・うぁぁん」

鉄橋の上を少し速度を落とした電車が通る。
あたしのあげた最初の泣き声は、その轟音がかき消してくれた。
こんなに大きな声をあげて泣いたのは、凄く久しぶりだった。
声を殺す術を覚えてからは、声をあげて泣くなんてことできなかったから。
昨晩、直人の前であれだけ泣いたのに、涙は枯れたりしないようだった。

電車が通り過ぎるまでのほんの1分ほど。
「うぁぁぁあん・・・・!」
あたしは大きな声をあげた。

近くで川遊びをしていた男の子たちには、あたしが泣いているのがわかったようで、何があったんだろう?と話すのが聞こえる。
大声で泣き出したあたしを、きっと好奇の目で見ているだろう。
だけど、一度決壊してしまったあたしの心の堰は、涙と嗚咽を溢れさせた。

「なんか、ちっちゃい子を苛めてる気分。」

くすくすと司さんは笑いながら言って、よしよしと頭を撫でた。
あたしの手を強く引き、その腕に閉じ込めようとした先ほどの荒々しさは少しづつ薄れ、今はただあやすように手が動く。
それは彼特有の優しさと気遣いで、きっとあたしが安心して泣けるようにしてくれているのだと、感じていた。
あたしは、だから、本当に小さな頃に戻ったみたいに、泣いた。

男の子たちが「うわあ」とか「すげえ」とか、そんなことを口走っていたけれど、司さんはまったく動じる素振りはなく、ただ優しく頭を撫でたり、頭上にそっと口付けしたりしていた。
―その度に、歓声にも似た声が大きく上がったけれど。
あたしはしばらく涙を止めることができず、ただ司さんの腕の中で泣き続けた。





散々泣いた後、あたしは小さくしゃくりあげながら、昨日からずっと抱えていた異常なまでの気持ちの高まりが静かに修まっていくのを感じた。
替わりに。
泣きすぎてガンガン痛み出す頭と、冷たさで感覚がなくなったような爪先。
がくっと膝から力が抜けた。
「うわっ、とっ」
くず折れ川面に座り込む前に、司さんはあたしを抱え上げて、慌てるあたしをテトラポッドの上に座らせた。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫?」
ちょうど司さんと同じ目線になり、あたしは今更ながらに恥ずかしさが込み上げ、真っ赤になって俯いた。

本当に、小さな子どもみたいだ。
きっと顔はぐしゃぐしゃで、目は真っ赤だ。
司さんには、なんだか情けない姿をたくさん見られている気がする。

「昨日寝てないみたいだし、やっぱり、炎天下デートは、キツカッタよなー・・・」
ごめんね、と呟いて、司さんは軽々とテトラポットに飛び乗り、あたしの隣に座った。
日陰のその場所でも、テトラポッドはじりじりと熱を伝えた。
「落ち着いた?」
「・・・・・泣き過ぎて、頭がガンガンします」
苦笑して、頭を押えて答えると、司さんはちょっと驚いたような顔をした。
「?」
だけど、すぐに「そっか」と言って微笑んだ。

「キツカッタら、横になってもいいよ?枕になってあげる」
「え?」
「・・・は、きっと恥ずかしがるだろうから、肩貸してあげるよ?」
よりかかれば?

笑顔で言われたけれど、あたしは流石に首を横に振った。
頭は痛かったけれど、心は少し軽くなっていた。

恥ずかしいくらい泣いて・・・あたし、どれくらい溜め込んでいたんだろう?
ここのところ、泣いてばっかりだけど。
多分、あんなに声を出して泣いたのは、小学生の頃以来だ。

あたしは視線を流れの速い向こう岸へ向けた。
そうだ、ここで、だ。
小4の夏。
・・・有菜がここで溺れて、直人が助けた時、だ・・・


前触れもなく起きたアクシデント


「直人!」
ほんの一瞬水の中に沈んだ二人に、あたしは身体が動かなくなった。
向こう岸は、流れが速い。
悲鳴ごと有菜を引きずり込んだ川面に、直人が躊躇いもなく飛び込んだ。
あたしは、有菜の悲鳴に、伸ばせば届いたはずの腕すら動かせなくて

直 人 と 有 菜 が 死 ん じ ゃ う !

一年前の、直人のお母さんの葬儀が頭に浮かんで
ほんの数分前にケンカして、もう直人となんて口利かない!なんて言い捨てた後で。
凍りつく気がした。
時間も何もかも。
二人がすぐに浅瀬で立ち上がるまでのほんの数秒の出来事なのに。
あたしは悲鳴をあげて泣き出したんだ。
助かった二人を見て、安堵と同時に恐怖が襲ってきて、泣きじゃくった。

自分でも、なんであんなに取り乱したのかわからない。
溺れかけたことも、ひやっとすることも、もっと・・・結構、たくさんあったのに。

・・・あれ以来だ。

「塔子ちゃん?」
はっとして、あたしは顔をあげた。
「やっぱり、今日はもう帰ろうか?顔色悪いし、いっぱい泣かせちゃったしね」
司さんはテトラポッドから飛び降りると、川の中で冷やしていた缶ジュースを掴んであたしにぽんと放ってよこした。

「とりあえず、いっぱい水分出しちゃったから、補給しないと。うわーホントに冷たいっ」

両手で受け止めた缶ジュースは、よく冷えている。
指が震えていて、プルタブを引き上げられそうになかった。
あたしは目にあてた。
「気持ちいい・・・」
「それ、飲んだら帰ろう?」
司さんはあたしの前に来て、プルタブを開けた缶ジュースをあたしに差し出した。
「少しは、すっきりした?」

下から見上げる司さんの瞳は、やっぱり優しくて。
手にしていた缶ジュースを脇に置いて、司さんが開けてくれたソレを受け取った。
石の上に置いた携帯をジーンズのポケットにねじ込むと、彼はシャツに袖を通した。
あたしはカラカラに乾いた喉をジュースで潤し「少しだけ、すっきりしました」と小さな声で言った。

「・・・で、残りのすっきりできない気持ちはどうしたい?」
「?」
「僕が、忘れさせようか?それとも、やっぱり忘れたくない?」

言って、司さんは肩を竦める。
「ううんと、違うな。忘れられるわけない。」
言いながら、長い腕を伸ばしてまた頬に触れた。
「涙のわけを教えて」

思わず息を止める。

「自覚してる。まだ、僕じゃ、塔子ちゃんを本気で泣かせることなんてできないって。そこまで深いところに、僕はいない。だけど、こうやって涙を受け止めることはできる。泣き虫の共犯には、なってあげられるから。」
でも、と司さんは大きく息を吐いて腰に手をあてる。
「今日じゃなくていいから」

「昨日、」

あたしは、ぎゅっと缶ジュースを握り締め、視線をプルタブに落とした。
言っちゃいけない、それこそ、そんな酷い甘え方はしちゃいけない。
そう思うのに、あたしの口からは言葉が零れる。
想いが零れる。

「ちゃんと告白して、振られようとしたんです。司さんも知ってますよね。直人、と、有菜は、付き合っていて、あたしたちは、友達で。直人とはずうっとずうっと一緒で。小さな頃から、大好きで。
――あたしは身動きできずに、二人から逃げ出しました。」

浮かんだ言葉を口にするから、けしてわかりやすく話すことなどできていない。
だけど、司さんは黙って耳を傾けてくれた。

「直人はずっと有菜が好きだったから・・・だけど、昨日、もう一人の友人から告白されて、そのすぐ後、今度は直人があたしのことが・・・・す、すきだって・・・あたし、が、みんなを滅茶苦茶にしてる気がして。そう思うことすら、傲慢で、嫌なヤツだなって思って・・・」

あたしはそこまで言って、胸が苦しくなった。
吐き出したからと言って、胸の中が空っぽになったわけでも、想いが枯れてしまったわけでもない。

「・・・幼馴染なんだね・・・ずっと、塔子ちゃんは彼を好きだったの?」
司さんはテトラポッドに寄りかかるようにして立っていた。ちょうど、あたしからは肩甲骨から上だけ見える。
触れたら柔らかそうな髪が川風に吹かれて揺れる。
太陽の欠片が川面できらきら光る。

「・・・ずっと。あたしにとっては、当たり前のように近くに居る存在でした。気がついたら、もう好きになっていました。」
「彼は知っていたの?塔子ちゃんの気持ち」
「知ってました。あたしたちは、近すぎたんです。」
「・・・じゃあ・・・あの子は?有菜、ちゃん。彼女は知ってるの?塔子ちゃんの気持ち」
「・・・・」

あたしは膝を抱えてぐっと腕をきつく握って、心許ない自分自身を抱え込むようにした。
前を向いていた司さんが振り向いて、あたしがきつく握り締める指をといていった。

「友達を騙してるみたいでつらかったの?」
「・・・有菜は、あたしの気持ち知ってます。」
「え?」
「隠せておけたなら、きっと、もっと上手に"幼馴染"で居られたと思います。どんなに苦しくても。」






『とーこちゃん、これ、直人君に渡してくれる?』

目の前に紙袋を差し出されて、あたしは一瞬ドキッとした。
トイレから帰ってきたあたしに、有菜が真剣な顔で覗き込んでいる。

『え?』
『えっと、この間借りた手袋なの。・・・それと、バレンタインチョコ。』
『有菜が渡しなよ?今は・・・あー・・・また呼び出されてるのかあ・・・もうすぐ卒業だし、今日は放課後まで捕まらないかもねぇ・・・』

あの日の直人は、朝から後輩や同学年の女子に呼び出されて、授業中しかクラスに居なかった。
教室に戻ってくるたび、紙袋やら小包を手にしていた。
――物凄く、不機嫌な顔で。

『・・・とーこちゃんに、お願いしたいの。』

有菜は、ことさらはっきりと言って、唇を噛み締めた。
あたしは何かで頭を叩かれたような気持ちになって、そんな有菜を見つめた。

『有菜?』
『・・・酷いよね?とーこちゃん、毎年、それだけは自分でね!って、みんなに言ってるもんね』

あたしと直人の関係上、直人へのプレゼントをあたしに頼む子は多かった。
だけど、あたしは、直人がそれをその後どうするか知っていたから、それだけは引き受けられないと断っていたから。
それに、有菜は、毎年、あげていたはずだ。
関君や修君や佐々木くんたちにあげるのと同じに、直人にも。

『とーこちゃんの気持ち、わかっちゃったから・・・』
『!』
『だから、あえて、とーこちゃんにお願いするの』

泣き出しそうな有菜の、真剣な表情。
小さな声で、『卑怯でしょう?』と呟き、俯いた。
でも、と有菜はぽろんと涙を零した。
『塔子ちゃんが言ってくれるの待てなくて、ごめんね』

卑怯だったのは、あたし。
二人の気持ちを知っていて、真ん中で邪魔していた。


ズルカッタノハ、アタシモ、ダ





どっちも失いたくない、なんてのは言い訳で、あたしは、それでも直人の傍に居たかっただけ。
有菜のように真っ直ぐにもなれなくて、あたしはそれまで痛みを無視して、直人の隣で居ることにしがみ付いてた。

「・・・塔子ちゃん」

直人が、自惚れるのは仕方ないのかもしれない。
それくらい、傍に居たかったんだから。

「有菜の気持ちも、直人の気持ちも、知ってたから・・・引き受けました。
断らなかったのは、小さな賭けをしてしまったからです。
もしも嬉しそうな顔じゃなく、直人が困ったような顔をしたら、って。
あたしはずるくて。
だけど、直人は凄くいい顔で笑いました。一瞬、あたしに向けられたと勘違いしそうになるくらい柔らかな笑顔で。
・・・・・本当に二人が付き合いだすのを笑顔で見てる自信は、なかったんです。
直人だけじゃなく、有菜があたしの気持ちを知っていることに、あたしは耐えられなくなってしまった―・・・」

有菜までつらい想いをさせた。
もう、あの時みたいな、寂しそうな顔させちゃいけない。








2007,10,5


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