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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 20 ―








「傍に居て、直人が有菜に惹かれていくのを見ていました。有菜が直人を好きになっていくのを感じていました。」




『とーこ、お前覚えてる? 星空に虹をかけるって話』
『"男の子と女の子が幸せの星を拾いに夜空に虹をかける"お話?』
『そう。あの女の子に有菜って似てると思わない?』

あたしは、おばちゃんが送ってくれた絵本を思い出した。
栗色の髪の、目の大きなかわいい女の子だった。
その女の子は、魔法のフルートを持っていて、両親を亡くした男の子を励ますためにフルートで夜空に虹の橋を架ける・・・

『そういわれれば、似てるかも。髪といい、あの大きなくりくりの瞳といい・・・』
『お話の中の人物なのにな。面白いよな』




あたしたちが星を見るきっかけになった絵本。
その中の男の子と女の子。
直人はきっと、自分と有菜にあてはめていた。

「直人にとって、有菜は特別なんです」
「・・・だからって、塔子ちゃんがどうでもいい存在だってわけじゃないでしょ?」
「有菜を悲しませるなんて、あたしっ・・・・」
「塔子ちゃんっ!」

司さんは言葉であたしを制して、ひとつ大きく息を吐いた。
「君は、傷ついてもいいの?」
ずきんと、また胸が痛む。

仕方ないと思う。
私が傷つくのは。
直人が傷つくのは。
でも、有菜は巻き込んじゃいけない気がしたんだ。

「人の気持ちって、そんな、割り切れるもんじゃないよ」

ふっと視線を空へ向け、司さんは寂しそうに呟いた。

「僕はオトコだから、オンナノコの気持ちがわかるわけじゃないけど」

司さんはそう前置きして、あたしを覗き込んで・・・やっぱり辛そうに笑う。

「塔子ちゃんと彼の間にどんな想い出が積み重なっているのか僕は知らない。それでも、長い間、ずっと彼を好きだったことはわかる。苦しくても辛くても、ずっと好きだった。例え彼が彼女を好きでも・・・・彼女が彼を好きでも。」
「・・・・・・はい」
あたしは小さく頷いた。
「・・・・でも、苦しくて。あたしは、想いを捨てたんです。捨てたつもりだった。雪の奥深く、もう融けださないように、ずっと凍らせたままで・・・せめて友達でいたかったから。それすら、もう資格がないけれど・・・・」

司さんの目が、優しく悲しく覗き込む。
それは初めて見る瞳だった。
黒い縁取りの中の茶色の瞳の中に、あたしが気持ちを凍らせようとした冷たい雪が見えた気がした。
今は夏だし、そんなはずはないのに。

だけど、あたしにも司さんにも、ココロの中に冷たい何かが突き刺さっている気がした。

「資格なんて・・・・・・自分を苛めすぎなんだよ・・・・・塔子ちゃんは。僕は、そんなに酷いことをしてるとは思わない。ずるくなんてない。・・・耐えられなくてあたりまえだとも思うよ?」
「司さん・・・?」
「そんな、優しくてあったかいココロなのに、ずっと凍らせておくなんてできないよ。・・・僕の中の氷まで融かしてきているのに・・・」

彼の瞳の奥に、あたしじゃない誰かが居る気がして、それが司さんの辛そうな瞳の原因な気がして、あたしは恐る恐る指を伸ばした。

ぐんぐんと上昇していく気温に汗が流れる。
冷えていた指先にも温かな血が流れる。
何もかも熱で溶けてしまいそうだった。

それでも、融けてほしくなかった想い。
融けだしてしまった想いは、昇華させてしまえばいい。
大気に戻して、空に散らばればいい。
それができたら、どんなにラクだろう・・・?

「好きで、どうしようもなく好きで、例えどんな状況にあっても、大事で・・・。
そんな自分でもどうにもできないような感情だっていうのに、塔子ちゃんは3人の気持ちを一人で引き受けちゃってる。」

触れることを拒まれるんじゃないか?と想いながら伸ばした指が、ようやく司さんに辿り着き頬に触れた。
そんなあたしの指先をそっと握って、司さんは苦笑する。

「そんなの無理だよ。塔子ちゃんは一人しか居ないのに、3人分も想いを受け止められるわけないでしょう?」

言いながら、あたしを見つめる司さんの瞳には、他の誰かが映っている気がした。

「彼を弁護する気なんてさらさらないけど、塔子ちゃんを失いたくないって気持ちは、すごくよくわかるよ。」

こんなに悲しそうなのは・・・
あたしの所為?
それもある・・・でも・・・もっと何か・・・・?

この人も、胸に苦しい想いを抱えているような気がした。
それは、あたしに対してではないだろうということも。

あたしは胸の奥が締め付けられて、苦しくなった。
苦しい想いを、司さんもしたことがあるんだ。
まだ癒えない傷跡が、こんな風に悲しい目をさせている・・・?

「ほら、ね。こうして、塔子ちゃんは、僕の中にある感情まで引き受けちゃう。・・・・でも、それがたまらなく愛しい気持ちにさせるんだって、気がついてない。もう、ずっと前に失くしてしまった気持ちを蘇らせる・・・・」
「司さん?」
「抱えきれなくなるのに、いつも自分を押し殺して。"ダイジョウブ"って君が言うたびに、無性に苦しかった。
・・・僕は、何気ない君とのやり取りの中にそんな君を見つけて、惹かれたよ。
もう誰かを好きになることなんてないと思ってたから。」

言いながら笑って、だけどやっぱり悲しそうな何かを瞳の奥にくすぶらせていた。
それを隠すように、あたしに気づかれるのを恐れるように、冷たい唇を指先に押し付けた。

「僕が、塔子ちゃんを笑わせたかった。大事にしたくて、同時にめちゃくちゃにしたかった」

あたしがその言葉と仕草に驚いて指を引きかけると、司さんは悪戯っぽく首をすくめた。

「・・・好きって、残酷な気持ちも持ち合わせてる。身勝手で我侭で、見苦しい。」
そう思わない?

司さんはにっこりと笑って、同時に自分の気持ちを内側に仕舞い込んだ。
・・・ような気がした。
もう、覗き込んでもあの悲しそうな色は、雪は、見えなかった。

「僕は、塔子ちゃんが好きだよ。・・・言わないで後悔することを僕は知っている。大切なものを傷つけても、その気持ちに替えがきかないことも、ね。」

ふっと自嘲的な笑みを零し、戸惑いながら見つめているあたしの手をぎゅっと握る。

「塔子ちゃんが傷ついたままでいてほしくない。それに、必死に守ろうとした友達も、きっともう、傷つけてしまっている。だったら、ちゃんと向かい合ってみたら?」
「あたし・・・」
「ああ、なんだか敵に塩を送ってる気がしてならない。僕は本当に塔子ちゃんが好きなんだけどな。」

やるせないな、と呟いて、だけどとても優しい瞳であたしを見つめると頭をそっと撫でてくれた。

「僕には、まだチャンスがあるし。どんな塔子ちゃんでも受け入れる準備はできているよ。」
言って、テトラポッドに飛び乗ると、あたしの腕を掴んで立たせた。

「これが、最後のデートにする気はないからね?これからも僕たちには時間はたくさんあるんだから」

司さんはそのままあたしをすっぽりと抱きしめた。
「ごめん、しばらく、こうさせていて・・・」
その声は、掠れていた。
ぎゅっと腕に力が込められて「大好きだよ」とゆっくりと耳元に囁かれた。
「だから、塔子ちゃんには、幸せになってほしい。」

司さんの言葉は、あたしのココロの中に流れ込んできた。
最後に残っていた、あたしの氷のかけらを融かしてくれているのを感じた。

あたしは、あの日雪に捨てたあたしのココロを――うずくまって泣いていた、あたし自身に手を差し伸べた。


ごめんね、あたしが、あたしを捨てちゃ、いけなかったよね。


もう一人のあたしが顔をあげて、あたしの手を握った。
そして胸の中で凍えていた小さな光を差し出した。

それは、多分、もう一人のあたしが、ずっと流れ星に願い続けていたこと。
あたしは、願うことを諦めてしまったけれど。

とても

シンプルな願い。


"ずっと一緒に笑っていられますように"


「・・・司さん、ありがとう」

時間がかかっても、また笑い会える日がくるかもしれない。
もしかしたら、有菜も失うかもしれないけれど。
嘘をつき続けることもできないあたしだから、今更だけど、有菜にも伝えよう。

「背中、押してくれてありがとうございます。」
「うん」

今夜、あたしは、ちゃんと向かい合うことができる。
留学すること、直人のこと、有菜のこと、関君のこと。

顔をあげて、あたしは司さんに訊ねた。

「イギリスでも、星空は見えますよね?」
「ここと同じくらいには、見えたよ?」

「よかった」と呟くあたしに、司さんは不思議そうに首を傾げた。

「あたし、今日みんなで流れ星見るんです。留学中にも星が見えれば、きっと寂しくないですよね。・・・空は繋がっているから。」
「寂しくなんてさせないよ。だって僕も一緒なんだから。」
「ええ、みんなで見ましょう?向こうで」
「みんなで、ね」

司さんは苦笑して、ゆっくりと腕を解いた。

「駅までは、ね。デートだよ?」
「はい」

手を繋いで、あたしたちは川原を後にした。
川風が背中を押してくれていた。

シャララン・・・・シャララン・・・・

水音が優しく流れる。
胸を掻き毟ったあの音色は、今は優しく受け入れられる。

繋いだ手。
この手を今選べなかったこと、それは本当に苦しかった。
優しいこの手が、あたしを救い上げてくれた。
だけど、あたしはこの手を選べなかった。


司さん、今夜流れ星に、あたしはひとつ願いごとをします。
あなたの胸に刺さっている、あたしと同じような、冷たい氷が融けますようにって。


駅までの道のりは、穏やかで優しい空気に満たされていた。
あたしに勇気をくれる、そんな時間だった。






『とーこちゃん、もうかくれんぼやめる。だって、だあれもみつけてくれない』

物置の影に隠れて、あたしたちは二人小さく身を寄せ合っていた。
もうすぐ日が暮れる。
遠くで「みーつけた!」って声が聞こえてる。

『ダイジョウブだよ!とうこがいっしょにいるよ?ほら、てつなごう』

あたしが手を差し出すと、直人は嬉しそうに手を重ねた。

『・・・とうこちゃんがいっしょで、よかった』

繋いだ手に力が篭る。

『ひとりぼっちじゃなくて、よかった』

泣きそうだった顔に、小さな笑顔が浮かぶ。
あたしはほっとして、もっと直人を安心させたかった。
直人のお母さんが、また入院したって聞いていた。
入院って、病院にお泊りすることだっておばあちゃんが教えてくれた。

『あのね、おばちゃんがえほんくれたんだよ?シアワセのほしをさがして、おとこのことおんなのこがてをつないでいくの。』
『ふうん、それで?』
『おとこのこはユウキがでるマホウのすずをもっててね。おんなのこは、おそらににじをかけることができるフルートをもってて』
『フルートって?』
『ふえみたいなやつ。ことりがなくみたいなおとがするんだよ』
『へえ〜』
『おほしさまのかがやくそらに、にじをかけるの。そうしてふたりで、にじをのぼっていくんだよ・・・あとでいっしょによもうね。なおとくんにかしてあげる』
『うん、ありがとう。おかあさんにもみせてあげていい?』
『いいよ。』
『ありがとう、とうこちゃん。』

直人が笑った。
あたしも笑った。


ただそれだけで、あたしは嬉しかった。








2007,10,24


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