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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 4 ―








午後から降り出した雨は、しとしとと降り続いていた。
学生や仕事帰りの人で混みあう電車の中で、あたしは窓の外を見ていた。
長時間電車の中で過ごすあたしにとって、ココは案外居心地のよい場所だった。
教科書を広げてちょっとした復習をしたり、読書をしたり、不足した睡眠を補ったり・・・。
だから、嫌いではないのだが。
梅雨の時期の電車内は、濡れた制服が素肌に張り付いたり、皆が持ち寄る傘の水滴で靴が濡れてしまって、あまり好きじゃない。
濡れてしまった制服が冷房で冷たくなって、寒気を感じたりすることもある。
あたしは冷気があたる濡れた腕をハンドタオルで拭いて、膝の上のバックに戻した。
換わりに英語の教科書を開いてめくった。

泉峯の体育祭の日の帰りみたい・・・。



あの夜、あたしが急に帰ってしまったことを残念がる有菜から電話がかかってきた。
雨脚が強くなったので、その後の競技は中止となったが、リレーだけ行われたらしい。

『直人君がね、凄かったの。3人抜きして、1位になったの!』
有菜は興奮して話していたが、『リレー、一緒に応援したかったナ。毎年応援してたでしょ。離れちゃったから、有菜ツマンナクて・・・』と電話の向こうで少し寂しそうな声を出した。
「・・・昔から、足だけは速いから。」
『傘ありがとうね。とーこちゃんは大丈夫だった? 直人君に頼んだから、きっと持って行くと思うから。』
「・・・」
『またみんなで会おうね? 今度は夏休みに海行こうって、修君たちが話していたよ。』

電話の後、そっと玄関のドアを開けて見た。
傘は、玄関の脇にポツンと立てかけてあった。
その光景は、言葉には言い表せないほど、寂しくて悲しく見えた。

もう必要ない。

そう言われたみたいに。

あたしは傘を握り締め、直人の家のほうを見た。
30秒とかからない距離の幼馴染は、もうどこか遠く、また直人の方があたしに<ライン>を引いたんだと感じた。
特別な存在であったと、そんな風に自惚れていたあたしへの、直人からの答え。

あたしは静かに玄関のドアを閉めた。
2月に捨てた気持ちより、友達であることも拒絶された今のほうが、胸が痛んだ。

もう、どんな顔で会ったらいいのかわからない。
――・・・会いたくなんて、ないのかもしれない。



「塔子、どうかした?」
教科書を開きながらまた窓の外を見つめていたあたしに、クラスメイトでチア部の真由利――新庄 真由利しんじょう まゆりが、覗き込むようにして尋ねた。

あたしは、もう2週間も前のことを思い出していたことに苦笑した。
「なんでもないよ。」
窓の外から視線を車内に戻すと、真由利が眉を顰めた。
「塔子ってすぐ"なんでもない"って言うんだね。」
全然"なんでもない"って顔してないのに。
真由利は頬を軽くつねって持ち上げた。
「わかってる? チアって信頼が第一なんだよ?」
「イタタ・・・わかってる、わかってるよー」
あたしは曖昧な笑顔になる自分に辟易しながらも、自分の気持ちすら上手く伝える自信がなくて、「ホントに"なんでもない"の」と繰り返した。

真由利は苦笑して手を離すと、開いていた英語の教科書をパタンと閉めた。
そして、仕方ないな、という顔で肩を竦めると、もうそれ以上聞き出そうとはしなかった。
「塔子、今回留学判定受けるの?」
「うん。そのつもり。真由利も受けるんでしょ?」
あたしも開いたままでちっとも見てはいなかった教科書を閉じて、カバンに入れた。
「どうしようかと思って。チアのサマーキャンプにも出たいし・・・正直、期末勉強で手一杯で、判定テストまで気が回らないんだよね。」

真由利はうーんと伸びをして、隣に座っていた仕事帰りのおじさんに嫌な顔をされて「ごめんなさい」と頭を下げた。
「やっちゃった」舌を出して、真由利は苦笑する。あたしはくすくすと笑ってしまった。

「まだ雨降ってるね。」
真由利はいいながら窓の外を見た。
窓にこまかな雨粒があたり、涙のような跡を残して流れ落ちる。
「今日は早く帰れてよかったね。塔子、遠いから。」
「そうだね・・・まあでも、帰りは乗り換えの時間がちょうどよくて、朝ほど時間かからないんだ。それに、一人になったら寝ちゃうし。」
あたしたちは言いながら立ち上がり、スピードを落とす電車に合わせるようにドアへと向かった。
「ねえ、あの人。今日も乗ってるよ? いつもと時間違うのに。」
真由利はあたしの耳元で、背後を気にしながら囁いた。
「あの人、赤いTシャツの人。さっきからじーっとこっち・・・とーこのこと見てる・・・・社会人にも見えないし・・・学生かなあ?」

電車が止ると、少しの衝撃。
あたしたちは手すりに掴まってバランスを保ち、開いたドアから降りた。

「塔子、気をつけなよ?」
「大丈夫、きっと偶然だよ」
「大丈夫じゃないの! 寝ちゃダメだからね?」
「はいはい。」
「まーったく、どうして塔子って自覚ないんだろ? 高校入って、何回呼び出されたり、つけられたりしたと思ってんの?」

真由利は眉間に皺を寄せてブツブツ呟く。

「それは真由利の方じゃ・・・」
「だって、塔子、今まで告白されたことないって、全然本気にしてないでしょ? 大体それがうそ臭い!」
「何が? 告白? そんなのされたことない!」
「かっこいい人もいたじゃない? ほら、付属の須崎先輩とか、隣のクラスの速水くんとか」
「ぴんとこなくて・・・」
「贅沢〜!」
真由利は言いながら「あたしならOKだけどなあ」と呟く。
「からかってるんだって」
「だーかーらー・・・」

改札口に向かう真由利は、はがゆそうに言いながら、あたしの背後に威嚇するような視線を向けた。
赤いTシャツの男の人が、そそくさと改札を出て行くのが見えた。
「いい? 今まであんたの周りに居たオトコどもは、目が極端に悪かったんだろうけど、そろそろ『今』に目を向けなさいよ」
あたしは立ち止まり、心底心配そうに熱弁する真由利の肩を両手で叩き、「わかったわかった」と頷いてみせる。
「ありがとうね、真由利。」
もーと、不満そうな真由利は「・・・でも、ホントに気をつけてね?」と念をおした。
「うん、また明日ね!」
私はそんな真由利に手を振り、乗り換えの電車のホームへと足を向けた。

混み合うホームに、電車が滑るように入ってきて、ドアが開くとどっと人が降りた。
あたしはゆっくりと中に入りドアのとなりの席に座って、再び英語の教科書を開いた。
「本当に、今まで告白されたことなんてないんだけど・・・・」
小さく呟いて、苦笑した。

『そろそろ"今"に目を向けなさいよ』

目を背けているつもりではなかったけど・・・。
あたしは留学したくて敬稜を選んだんだ。
新しい出会いを求めたのもあるけど、今はそんな余裕がない。
誰かと付き合う気分にはなれない。
誰かを好きになれる気がしなかった。

あたしを「好き」と言ってくれる、その言葉が信じられなかった。

・・・だって、一番、あたしを知っている人が、あたしを拒絶した。

そんなあたしの、どこが「好き」だというんだろう?

真由利やクラスメイトは「とにかく、つきあってみなくちゃわかんないよ!」とあたしの背中を押してくれていた。
だけどね、付き合って嫌われたらどうする?

それは、ちょっと、キツイかな。

強烈な眠気が襲ってきて、あたしは瞼を閉じた。

寝ちゃダメって言われたんだっけ・・・

規則正しく揺れる電車の中で、あたしはいつの間にか眠ってしまった。
カタタン、カタタン、カタタン。
――それは、久しぶりに心地よい眠りだった。



「ねえ、きみ、ここで降りるんじゃないの?」
誰かに手を引かれて、はっとして目を開けた。

男の人と目が合って、あたしは慌てて開いているドアを見た。
「あ!」
それは見慣れた風景。
「降りなくちゃ!」

慌ててカバンと教科書を掴み、眠っていたあたしを起こしてくれたその人にお礼も言う暇もなく、笛の音に急かされるようにドアから降りた。
「忘れ物!」
言われて振り向くと、ちょうどドアが閉まった。
「あ!」
一人の男の人が、あたしの傘を持ち、しまった! という顔でゆっくりと動き出した電車を見送った。
「ああ、ごめんなさいっ!」
「いや、大丈夫。それより、はい、これ」
「ありがとうございます」
傘を差し出され、あたしは受け取りながら、起こしてくれて、その上忘れた傘を届けてくれた人をようやくしっかりと見た。
背が高くて・・・真由利が見たら「イケメン!」と叫びそうな人だ。
黒髪がさらさらと揺れるメガネをかけたそのイケメンは、敬稜の制服を着ていた。

「あれ、敬稜?ですか?」
「うん、2年だよ。」
「あたしが一番遠くから通ってると思ってました。ああでも、本当にごめんなさい」
あたしが頭を下げると、その人はくすくすと笑っている。
「いや、ほんと、役得したから。きみの寝顔、可愛かったしね。」
やけに心地よかったことを思い出し、あたしはおずおずと尋ねた。
「あ・・・の、まさか、あたし・・・」
「ぼくの肩、いつでも貸してあげるよ?」
「やっぱり!」
頬が熱くなって、あたしはまた頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
「気にしないで?」
顔をあげると、電灯の下で穏やかに微笑みながら、彼はあたしを見下ろしていた。

「雨」
「はい?」
「雨、やんでよかったね。」
しとしとと降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。
空を見上げると、雲の切れ端から月の光りが淡く漏れる。

「僕は、坂本 司さかもと つかさ。きみは?」
「あ、羽鳥 塔子です。一年の。」
思わずまた頭を下げた。笑い声が頭の上から降ってくる。
「そんなに頭下げないでよ。」
坂本さんは言って、腕時計を見て「次の電車、すぐ来るから。羽鳥さんもう帰りなよ」と微笑む。
次の電車は30分後だ。帰宅時間ということもあって、昼間のように1時間待ちではないけれど、やはり気が咎めた。
「付き合います、電車来るまで。・・・あたしでよければ」
この時間は無人になる改札口を指差して、あたしは苦笑した。
「大丈夫だよ? 本当に気にしなくて・・・・・・・でも、そうだな・・・付き合ってもらおうかな?」
「はい。30分、お付き合いさせてもらいます」
並んで歩きながら、あたしは傘を両手で握り締めた。



坂本さんは、この駅より2つ先の駅から通っていた。

「4月にこの駅から敬稜の子が乗るの見て、親近感持ってたんだ。」
長い足を投げ出して、坂本さんはぐるりと待合室を見回した。
「ぼくのとこの駅より、ずっと立派だね」
今にも崩れそうなんだよ、山奥だし。
にこりと笑う坂本さんにつられて、あたしも笑った。

「羽鳥さん、もしかして留学希望?」
英語の教科書をカバンにしまうあたしの手元を見ながら、坂本さんは尋ねた。
「はい。だから敬稜選んだんです。」
「ぼくもだよ。今年二度目のチャレンジ。」
「そうなんですか?」
「そう。去年一回留学したんだけどね、じーちゃんが倒れて、2年留学断念して帰国したんだ。」
坂本さんはちょっと寂しそうな表情を見せて、「2月に天国に逝っちゃったんだけどね」と苦笑した。
「だから、今年、再挑戦。」
ここからじゃ不便なのに敬稜に行ってるのは、きっと留学したいからかなって思ってたんだ。
坂本さんの言葉に、あたしは静かに頷いた。

ホントは・・・それだけではなかったけど。

「坂本さんは・・・」
「司でいいよ。」
坂本さんはあたしの顔を覗き込んで笑う。

心臓に悪いような、そんな素敵な笑顔を見せる坂本さんが、多分、それをちゃんと理解して笑っていることに気がついて、あたしは少しどぎまぎしてしまう。
きっと、頭の回転が速い人だ。

「つ、司さんは、なんでイギリスに留学したいんですか?」
「んーこれかな。」
司さんは肩にかけていた黒いラケットバックを指さした。
「テニス? ですか?」
「うん。テニス。テニスで留学・・・なんてほど上手じゃないから、でも、向こうでテニスしたくてさ。」
「頭で勝負したんですね」
あたしが言うと、司さんは頷いた。
「寮生活だし、むこうのテニスクラブに、うちの卒業生が居るんだ。」と、続けた。

「今しかできないこと、チャレンジしたいから」

その言葉に、あたしは俯いた。

あたしも、そう思っていたのに。

黙ってしまったあたしを静かに見ていた司さんは、ベンチから立ち上がった。
「ありがとう、羽鳥さん。そろそろ時間だ。あっという間だった。」
あたしも立ち上がって、「塔子、で、いいですよ。」と気まずく笑った。
「うん、塔子ちゃんね。そうだ、君も判定試験受けるなら、今度一緒に勉強しようか?」
司さんは「どう?」と顔を近づけて尋ねた。
「是非。心強いです。」
「決まりね」

電車がホームにゆっくりと入ってきて、鉄の擦れる音をさせて止った。
降りてくる人を待って、司さんは電車に乗った。
「コレ、ありがとうございました。」
傘を持ち上げると、司さんは微笑んだ。
「きっかけくれたソイツに感謝。」
「え?」
閉まるドアの向こうで、司さんは手を振った。
あたしは同じように手を振って、ぺこりと頭を下げた。

覆っていた重い雲はなくなり、月明かりが静かに辺りを照らしていた。
あの日以来、重かったあたしのココロも、少しだけ軽くなった気がした。






2007,6,29


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