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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 5 ―








「おはよう」
今ひとつすっきりとしない天気とは裏腹に、電車に乗り込んだあたしを明るく爽やかな声が出迎えた。
司さんだ。
「おはようございます。」
朝早い時間のこの電車は、それほど混みあう事もなく、あたしは司さんが座る席の隣に座った。

同じ時間の同じ電車で通学していたのに、乗り込む車両が違うだけで、あたしは今まで同じ学校へ通う人が(それもあたしより遠くから)居ることを知らなかった。
司さんの方は、先頭車両に乗ることが多くて、あたしがホームに立つ姿を見ていたという。

あたしが彼の肩を借りて眠ってしまい、その上傘を届けてくれたあの翌日から、司さんはあたしが乗り込む車両に居て、一緒に過ごすようになっていた。


「世界史ですか? ・・・近代史?」
一緒に通学・・・といっても、遠距離通学特有の"時間を有効的に"使おうとするあたしたちは、お互い教科書や参考書を広げていて、勉強の合間に会話を交わしていた。奇妙な関係だったけれど、ひとりきりで座っているより二人でいるほうが気持ちが楽になるような気がした。
今日も司さんは長い足を窮屈そうに折り曲げて、その腿に広げていたのは世界史のノートだ。
几帳面な文字と線で、丁寧な年表が書かれている。
「うわぁ・・・凄いですね。あれ? もうこんなとこまで進んでるんですか?」
歴史って、一番古いとこから順に授業あるんじゃないのかな?
あたしが不思議そうに覗き込んでいるのを見て、司さんは「これは違うよ」と笑った。
「去年、2ヶ月だけ留学したって言ったでしょ」
「はい。」
司さんはこんな風に、留学した時の話もしてくれる。
「その時ね、寮で聞かれたんだよ"司は日本の侵略行為について、どう思ってる?"って。正直答えられなかった。なんとも思ってない、とはさすがに言えなくて。でも、みんなしっかり自国のことを勉強してるんだよ。この戦争に参加したのは間違いだった、とかね。」
司さんは苦笑しながら窓枠に右腕を乗せて、頬杖をついた。
「ああ、ちゃんと日本のこと、勉強しなくちゃいけないんだなって、その時思ったんだよね。塔子ちゃんも勉強しておいた方がいいよ? 自分の意見、ちゃんと言えなくちゃ。」
「はい。」
あたしは答えて、それからもう一度司さんの手の中のノートを眺めた。
「・・・司さん、これ・・・」
「後でコピーしてあげるよ」
「ありがとうございます!」
思わず顔が綻ぶ。司さんも微笑んだ。

初めて会った日に思った通り、司さんは頭の回転がよい人だ。
話も上手いし、笑顔も絶やさない。
必要以上に入り込んだりしないけど、困っているとさりげなく声をかけてくれる。
それに、その外見は、あたしが考えていたよりずっと人を惹きつけているようだった。


乗り換え駅まで一緒に行き、そこからはそれぞれ友人たちと合流して別々に行動するのだけど、初めて一緒になった日、真由利は目ざとく見つけて、駆け寄ってきた。
『ちょっと・・・! 何!? 坂本先輩と一緒って、どういうこと?!』
小声ながらも興奮して、真由利はあたしの腕をぎゅっと掴んだ。
あたしは電車に忘れた傘の話をすると、目を輝かせて両手を組んだ。
『なんて美味しい展開なの!』
電車を待つ司さんの背中を見つめながら、真由利は呟いた。
そして唐突にあたしの方へ向き直り、両手であたしの肩をがしっと掴んだ。
『塔子、あんた相手が坂本さんだって、自覚してる??』
『はい?』
あたしはなんのことかわからずに、首を傾げた。
それから真由利は、学校で彼がどんなにみんなに慕われているか、狙っているお姉さま方がどれほどいるかを得々と話した。
『でもね、みんな断られてるのよ。「携帯が圏外になるような僻地に住んでるから、デートする時間もないんだ」って言われるらしいの。酷い振り方はしないけど、メアドさえ教えてくれないし、絶対に付き合ってくれないってキャプテンも漏らしてたでしょ?』


あたしは真由利の言葉を思い出して、思わず笑った。

確かに、司さんの住んでるところは、電波が届かない。
本当に、携帯が使えないのだ。
だから、司さんは携帯は持っていない。
メアドなんて、教えられるはずがないのだ。
あたしも持ってないけど。

「? 何、どうかした?」
私がくすくすと笑っているのを見て、司さんは尋ねた。
「いえ、あたしたち、随分不便なところから通ってるんだなって自覚したんです。」
「そうだね。目的の為とはいえ、ね。」
爽やかに笑顔で返されて、あたしも笑顔で頷いた。

電車が乗り換駅のホームに近づき、あたしたちはカバンに教科書を詰め込んだ。
「明日から期末だね。」
立ち上がったあたしがちょっとふらつくと、司さんが腕を掴んで支えてくれた。
ありがとうございます、と言うと、また笑う。
「とーこちゃんって、律儀だよね。そういうとこ・・・」
司さんはそこで区切って、少し考えて「僕のばーちゃんみたいだ。」と悪戯っぽく笑った。
「おばあちゃんと同じですか。」
「いい意味で、だよ?」
悪戯っぽく笑う司さんは、多分あたしが腕を掴まれどきんとしたことをちゃんと知っていて、わざとリラックスするような言い方をしてれたのだろう。
「それにしても、期末の後すぐ判定試験って、本当にハードル高いよね。」
「でも、頑張らなくちゃ、ですね。」
「そう、その時は」
あたしたちはホームに降りて、向かい合い
「ライバルだ」
「ライバルですね」
声を揃えて言った。




試験が始まると、朝の電車も心なしか学生の姿が増えた。
朝早く行って、テスト勉強をするのだろう。
周辺の高校は、一斉にテスト期間に入るので、電車の中も皆静かで単語帳をめくる人や何かをブツブツ呟く人が目立った。

3時間で試験は終わるので、今日は早く帰れると言った私に、朝、司さんが苦笑しながら言った。
「帰り、わざと時間ずらしたほうがいいよ?」


朝、司さんに言われた意味を、あたしはようやく理解した。
乗り換え電車を待つホームは人で・・・高校生で溢れている。
世の中には、こんなに学生がいたのか! と感心するほど、帰りの電車は驚くほどの乗車率だ。
時期が同じな上に、どこも部活がない。そして、みな明日の試験に備えたいのだ。
「これって・・・乗れるの?」
真由利が不安そうに停車中の電車を見つめて呟いた。
「塔子、本当にこれ乗るつもり?」
「う〜ん・・・明日から、図書館で勉強して帰ろうかな・・・」
とりあえず今日は、明日の教科の準備もしてきていないし、昼も用意して来なかったから・・・。
中間テストは微妙に時期がずれていたらしく、ここまでの混雑は初めて見た。
「家に来る? こんなに暑いのに、あの密着率は考えられないよ〜」
車掌さんや駅員さんが奥につめるように声をかけて、まだ乗れずに居る乗客を扉に押し込んでいる。
「今日は、覚悟して帰る。明日からは対策練るよ。」
あたしは真由利が見送る中、これが東京とかじゃ毎日なんだろうな、なんてことを考えながら、今だけの満員電車に乗り込んだ。

人と人の間に埋もれるような感じで、あたしは掴まるところもなく、ただ電車がカーブするたびに右へ左へと揺られる。
俯いていると誰かが肩を叩いた。
「とーこ」
小さな声になんとか顔をあげると、クラスメイトだった直美と香織が同じようにぎゅうぎゅうと押される中で笑顔を見せた。
「直美、香織〜ひさしっ・・・・とと・・・・久しぶり、元気?」
この状況で聞くことではないのだけど、なんとなく聞いてしまう。
「元気だよ」
「とーこは?」
二人も同じようで、あたしに尋ねてくる。
「元気っだけど・・・これはツライね」
あたしたちは苦笑して、今日はなんのテストだったの?なんて話をこの殺人的な電車の中でできてしまうから、可笑しい。
一駅ごとに人は少なくなり、ようやく身動きがとれると思った頃、今度は工業高校がある駅に到着して、降りた人の倍の人数がホームに立っているのが見えた。
「奥行こう、奥!」
さすがに男の子が圧倒的に多いその光景に、直美が言ってあたしたちは慌てて奥へと避難した。
「とーこじゃん! おーーーい!」
手を挙げることすら暴力になるこの空間で名前を呼ばれ、あたしはぎょっとして声のするほうを見た。
顔を顰める人を掻き分け、頭一つ抜け出た佐々木君の顔が見えた。
佐々木君が無理やり開けたスペースの後を修君がついてくる。
「いててててっ」
「佐々木君、無理しちゃ・・・」
言っている間に電車は動き出し、あたしは知らない男の子の背中に思い切り顔をぶつけてしまった。

「ごめんなさい〜!」
「とーこ、どうせなら俺らの胸に飛び込んできなよ!」
佐々木君が「なあ?」と修君に言った。
「なんだ、香織と中野じゃないか。久しぶり〜」
「テスト期間は同じ電車だな。」
「泉峯の体育祭以来だから、一ヶ月ぶり!」
「私たちも行ったんだよ。でも会わなかったね。」

佐々木君と修君の二人はさりげなくあたしたちのスペースを確保してくれて、あたしは申し訳ない気持ちで二人を見上げた。

「久しぶりだね。テスト、どうだった?」
「うわーーー聞かないでくれ!」
「いいんだよ、赤点じゃなきゃ。」
「俺、やばいよ、どうしよう、夏補習で潰れちゃうかも・・・!」
くううっと片手で顔を覆って、佐々木君はうな垂れる。
「海、お前抜きで行くからな」
「やだよ、俺、海の家でバイトするつもりなんだから!」
「やとってもらえるのか?」
「赤点とらなきゃな・・・って、修〜どうしよう〜」
抱き疲れた修君は「暑苦しいからやめろ!」と言いながら、佐々木君のことを小突いた。
あたしは二人のやりとりを聞いて笑いながら、いつしか周囲の人たちもくすくすと笑っていることに気づいて、二人のシャツを引っ張った。

「佐々木たちって、変わらないね。」
「ホント、いいコンビ。」
「じゃあさあ、女子高の二人にお願いするんだけど・・・」
「紹介ならお断り〜」
「え〜なんでだよう!」
佐々木君の言葉にあたしたち4人は苦笑して、スピードを落とし始めた電車の窓の方を見た。
あたしはまったく見えなかったけど、車掌さんのアナウンスで次の駅を知った。
「泉峯だ・・・」
「もう乗れないだろ・・・」
呟いた彼らも乗ってきたことを考えると、きっと益々ぎゅうぎゅう詰めになることが簡単に予想できた。

案の定、なんとか二人が確保してくれたスペースなどなくなり、あたしたちはお互いの息がかかるほどの距離に、息を潜めるようにして過ごした。


「はーーーーーー空気がうまい〜!」
それから約20分後、あたしたちは満員電車からようやく開放された
ぐったりして、駅に降りると深呼吸をした。
懐かしい顔ぶれが次々と降りてくる。
それぞれ試験中なのだから、一瞬立ち止まってきゃあきゃあと声をあげても、すぐに帰宅していく。
「じゃあね、また!」
あたしも4人に手を振って、その場を去りかけた。
「有菜ちゃんー!」
佐々木君が声を張りあげるのを背後で聞いて。
あたしは思わず振り向いてしまった。
そのまま、帰ってしまえばよかったのに・・・。

振り向いた先。
あたしに向かって真っ直ぐに――手を繋いだ二人――有菜と直人が、歩いて来た。

心臓が止る。

そんな衝撃が、あたしを襲った。





2007,7,2


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