novel top top
雪に捨てたバレンタイン
星空の下で、さよなら ― 6 ―
無防備だったあたしの心臓は、悲鳴をあげて、あたしを締め付けた。
――イタイ・・・
苦しくて、思わず胸を押さえた。
一瞬、本当に動きを止めたようだった鼓動は、次の瞬間、耳の奥まで響くように速く打ちつけた。
あたしを見つけた有菜が嬉しそうに微笑み、直人を引きずるようにして歩いてくる。
そんな有菜とは対照的に、直人は憮然とした表情で視線は逸らしたままだった。
「とーこちゃん!」
あたしは足に杭を打ち込まれたみたいに動けなくて、頬の筋肉が強張っているのを感じながら笑顔を作ろうとした。
二人が近づくにつれ、あたしはいいようのない焦燥感に駆られ、直人を直視する自信がなくて、視線を下に落とした。
そして。
二人が手を繋いでいる、絡めあった指先に釘付けになる。
あたしは二人の前で笑っていることが普通だった頃を必死に思い出そうとした。
まだ、そんな昔ではないはずなのに・・・
――どうやって笑っていたのか、わからない。
笑えていたことが、今では奇跡のように思える。
体育祭の日に、直人が引きなおした<ライン>は、あたしたちの間にきっちりあって。
・・・新しい<ライン>を設けられてから、直人に会っていなかったから。
離れて過ごす毎日の中で、そんなことは考えずに済んでいたから。
なんでもないって言い聞かせて。
会わずにいれば、それでなんとかなっていたのに、こうして対峙してしまうとどうしたらいいのかわからなくなる。
それでも。
「わあ、みんな!なんだか同級会みたいだね」
有菜が可愛らしく笑って小首を傾げると、直美も「ホントだね〜」と嬉しそうに答えた。
そんな直美も、手を繋いだままの二人の様子に、照れたように笑っている。
「お前らさ、テスト中もラブラブで・・・・余裕だなあ」
佐々木君がどこか羨ましそうに呟いて、直人の隣に並んだ。
有菜ははっとしたように直人を見つめ、繋いだ手を持ち上げると、真っ赤になって手を離した。
「こ、これはそんなつもりじゃなくて・・・!あんまり電車の中が混んでて、降りれなくなっちゃったから」
直人君がひっぱってくれたの。
そんな有菜を見ていると、先程まで忘れていた笑い方を急に思い出させ、私はようやく心から微笑んだ。
有菜が居ることで、あたしはなんとか距離を保つことができる。
「羨ましいからって、やっかむなよ」
直人が笑顔で言うと、修君が「見せ付けんなよ」と返した。
「しっかし、混んでるよな。」
「でも、一本前はもっと混んでたんだよ、な、直人」
二人の背後から関君が顔を出した。
やっぱりもみくちゃにされて疲れた表情をしている。
「車両増やしてくれないかな?」
「そりゃ無理だろう。」
「テスト期間だけだもんね」
「つーか、お前らくっつきすぎ!はい、離れて離れて!」
佐々木君が二人の間に入り込んで、直人を押しのける。
「とーこ、元気だった?」
不意にそう言われて、あたしは驚いて関君を見上げた。
「うん、元気だよ。」
「・・・ホントに?」
関君の質問が、言葉通りのものだけでなく、体育祭の日の、あの後、あたしが大丈夫だったのか?と尋ねているとわかり、あたしはもう一度「元気」と繰り返した。
「なんだかんだで、あれから遊んでないね」
「そうだね。あたしも部活あったし」
「大会予選が始まったから、日曜も出てたからな〜」
目の前で繰り広げられる光景は、ほんの4ヶ月前までは当たり前の光景で、あたしはその中でとても上手に生きていたつもりなのに、もう、そうすることができなくなっていることに気がついた。
離れてしまえば、変わってしまうのだ。
変わらざるを得ないのだ。
あたしは、もう直人の友人という場所も失くしたのだから。
「夏休み入ったら、予定たてようね?恒例の流れ星観測しよう。」
関君はいつもの人懐っこい笑顔で言う。
「ペルセウス・・・・」
「今年も見れるといいね」
あたしたちは、夏休みになると4人で流星群を眺めるのが恒例だった。
元々は、あたしと直人が小学生のときから毎年やってたこと。
夜、二人で電灯のない広場へ出かけて、数をかぞえた。
星空を眺めるのが好きだったあたしたちは、夏に限らずそうしてたけど。
中学になって、夏の流星群は4人で見るようになった。
あたしが声をかけて。
直人が好きな有菜と、有菜が好きな直人と、それを知っていてそれ以上の応援はできないあたしが、関君を巻き込んで。
「今年はキャンプでもする?」
「そうだね・・・」
あたしは言って空を見上げた。
雲がゆっくりと、風に流されていく。
あの雲はどこに行くんだろう?
去年までのあたしたちは、もう居ない。
そう考えると、やっぱり悲しかった。
もう、あたしが応援する必要はないんだ。
二人の気持ちを知っていて、伝えてあげられない自分がもどかしくて、だから、二人だけの時間を・・・一つ有菜に譲った。
そんなこと、もうしなくていいんだ。
二人は、二人だけの時間を手に入れたんだから。
あたしには、もう、譲るべきポジションすらないのだ。
ふと楽しそうに話すみんなの中で、あたしと同じように無理矢理笑顔を作ろうとする――香織が目に留まった。
気にしないように装いながら・・・香織は直人を何度も見た。
香織、直人のこと、まだ好きなんだね。
バレンタインに直人が雪の中に捨てたプレゼントの中には、香織が編んでいたマフラーもあった。
「直人君、久しぶり」
「ああ」
「今日のテスト、どうだった?」
「んー・・・まあまあ、かな」
こちらから見ていても、勇気を振り絞って話しかけているとわかるくらい、香織の手は震えていた。
直人はけして有菜には見せないような、素っ気無い笑顔で答えている。
それは、直人なりの・・・女の子に期待を持たせない為の牽制方法で、そうと知っていても、あたしはやっぱり胸が痛んだ。
今にも泣き出しそうに、香織の肩が震えている。
あたしはそれまでその光景を、直人の隣から見ていたのだ。
今は、対面に居る。
あたしも、こちら側なのだ。
足に打ち込まれた杭が外れたのを感じて、香織に向かって歩いた。
そして震える肩に手を載せて、明るく声をかけた。
「そろそろ帰ろっか。勉強しなくちゃ!」
はっとしたようにあたしを見て、香織は小さく笑った。
「そうだね、まだテスト初日だもんね。」
「これから帰って、勉強、勉強」
あたしは罪悪感を感じて、香織に肩を竦めながら微笑んだ。
直人が捨てた香織のマフラーを・・・あたしは拾い上げてあげなかった。
「それじゃ、お先に!」
もしかしたら、香織はそれでも直人の傍に居たいと思ったかもしれないのに、小さな声で「ありがと、とーこ」と呟いた。
「とーこちゃん!待って!」
有菜があたしの腕を掴んで、小さな紙切れを渡した。
「この前電話で話したでしょ?私、携帯持ったの。番号とメルアド書いてある。」
「了解」
あたしはそれを開いて目を通し、失くさないようにカバンに入れた。
「有菜、あたしにも教えて」
直美がスカートのポケットから携帯を取りだして言うと、有菜もカバンを開けて取り出した。
「とーこは?とーこ携帯持ってる?」
直美はあたしにも視線を向け、「持ってたら教えて」と笑顔を見せる。
「あたしは持ってないよー」
「そっか、持ったら教えてね。」
「うん」
苦笑して答えると、直美は有菜の携帯画面を覗き込んだ。
「何これ〜直人と有菜じゃない!あっつーい!」
「えへへ。雄介に撮ってもらったの〜」
有菜が舌を出して少し照れたように笑うと、直人も微笑んだ。
「あーはいはい、有菜ちゃん、俺にも教えてよ。って、そういえば、直人も持ったんだろ?お前、なんで俺に教えないんだよ〜!」
「うるせーよ、陽太。あ、有菜、そいつには教えなくていいからな。」
直人は笑いながらシャツの胸ポケットに入れていた携帯を取り出し、「ホント、ひでーよ。直人!」と喚く佐々木君と、すでに携帯を開いている修君の方を向いた。
みんな携帯にいろいろなストラップをつけている。
「それじゃあ・・・」
あたしは言いかけて、言葉を噤んだ。
「!」
あたしは自分の目を疑い、直人の手の中に在る携帯を凝視した。
「・・・・・・・・・・なんで?」
「どうかした?とーこ?」
あたしは思わず呟いて、慌てて口を手で押さえた。
関君が不思議そうに覗き込んでくる。
なんで?
どうして?
なぜ、直人が持ってるの?
大きな声でそう言いたくなるのを手で塞ぎ、あたしは直人の手元から目が離せずに居た。
ゆっくりと、直人が振り向き、あたしを見た。
そして、あたしの視線が何を追っているかに気づき、指先で・・・それに・・・携帯ストラップに触れた。
微かに金属片が舞うような透明な音がする。
「・・・!」
揺れた球体を指先に絡め、直人は携帯と一緒にぎゅっと握り締めて見せる。
「・・・!!」
まるで心臓を掴まれたみたいに、あたしは顔を顰めた。
ゆっくりと直人の顔に視線を移すと、直人は冷たい目であたしを見つめ返した。
「そ、れじゃ、み・・・な、テスト頑張ろ、ね。」
上手く言葉が紡げずに、あたしは思わず舌打ちした。
瞳の奥が熱くなる。
視界が、歪む。
「とーこ?」
不思議そうにあたしを見た香織の肩をぽんと叩き、「またね」と告げる。
何か言いたそうな関君に背を向けて、「バイバイ」と明るい声を出した。
「とーこ、またね」
有菜の声に手を振って、なんでもないフリで改札をくぐった。
足元がぐらぐらして、立っていられないような感覚になりながら、駅を出る。
こんなことって、ない。
あたしは半ばパニックに陥りながら、足早に歩いた。
とにかく、ここから早く離れなければいけない。
今日に限って、自転車で来なかったことを悔やんだ。
朝、出張に行くので早く出勤した父さんに、車で駅まで送ってもらったのだ。
なんでアレが直人の手元にあるのかわからなかった。
チョコと一緒に捨てたはずだ。
蒼白く輝く雪の中に、あたしは確かに投げ捨てた。
想いを断ち切る為に、ただの友達に・・・幼馴染になる為に。
あたしは駅のホームから見えなくなる場所まで走った。
そしてフェンスに寄りかかり、痛む胸を押さえて肩で息をした。
「な・・・んで?」
呟いて目を閉じる。
どうして、凍らせておいてくれないのだろう?
直人が携帯につけていたのは、あたしがあの日確かに捨てた、ガムランボールだった。
2007,7,4