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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 7 ―








「ガムランボール?」
「うん。」
あたしはそっと揺らして、直人の耳元に近づけた。
鈴とは違う、優しい音が聞こえる。
「聞こえた?」
「うん。」
「天使の羽の音みたいでしょ?」
言いながら、今度は自分の耳元で揺らした。

小学3年生の春、直人のお母さんは――他界した。

病弱だった直人のお母さんは、入退院を繰り返していたから、あたしもここ一年は2〜3度しか会ってない。
青白く痩せた顔なのに、どこかふんわりとしたものを感じた。
柔らかく微笑む、可愛らしいお母さんだった。
薬の匂いがしていたはずなのに、何故か甘い香りが印象に残っている。
直人の面倒はおばあちゃんが見ていて、両親が共働きで忙しく、同じようにおばあちゃんに育てられていたあたしたちは、本当に小さな頃から一緒に過ごしてた。


ビー玉ほどの大きさのそれは、細かな細工が施してあるが、星の光りだけではよくは見えない。
「おばちゃんがね、誕生日にくれたんだ。」
去年の誕生日に、送ってくれたの。
あたしは掌に転がして、星にかざした。
銀色のそれは星のように輝く。

直人のお母さんのお通夜。
大人たちは悲しみに浸るのを恐れるように、急がしそうにしてたから、あたしたちはこっそり抜け出して、いつも遊ぶ原っぱへ来ていた。
一昨日の朝からずっと涙を堪えている直人を少しでも励ましたくて、あたしは一番大事にしていた宝物を直人に見せた。

「おばちゃんて、外国に居る?」
「うん。」
直人の掌に乗せると、親指と人差し指で掴んで、あたしと同じ、星にかざす。
「ドルイドボールとか、ハーモーニーベルとか、エンジェルベルとか、言い方はたくさんあるみたい。」
「ふーん、キレイだな」
「昔の人はこれを聞いて自然と一つになろうとしたんだって。」
あたしはまたそっと揺らして、おばちゃんからの受け売りを話した。
「おばちゃんはこの音色が凄く好きになって、デザインをするようになったんだって。」
「へー。」
直人は瞳を輝かせながら、ガムランボールを眺めた。
「なんだか流れ星を捕まえたみたいな気持ちにならない?こんな音させながら、夜空を流れていくような・・・」
そっと揺らして、二人で耳を傾けた。
「とーこ、知ってる?流れ星って、誰かが死んじゃう時に空から落ちるんだって。」
「え?」
あたしは慌てて空を見上げた。
「願いごとが叶うんじゃないの?」
直人は首を横に振って、同じように夜空を見上げた。
この間、二人で見つけた流れ星に、直人のお母さんが元気になるようにって・・・一緒にお願いしたのに。
あれも、誰かが死んじゃったから落ちた、悲しい星だったの?
「・・・一昨日も、流れ星あったのかな。・・・母さんの星、どこかに落ちてるのかな?」
直人は掌のガムランボールに視線を落として、そっと揺らした。
「うん、ホントだ。流れ星の音だ」
そして、それが直人のお母さんの星であるかのように、直人は大切に握り締めた。
「優しい音、星の音だ」
「それ、直人にあげるよ」
あたしが言うと、直人は首を振った。
「とーこのだろ。宝物だって言ったじゃない。」
「でも」
「・・・・時々、聞かせて。」
「いつも持ってる。」
だから、お母さんに会いたくなったら、いつでも言ってね。




それから、あたしは星空を見る時には、いつもガムランボールを持ち歩いて、直人は時々その音を聞いた。
少しずつ、直人の顔にも笑顔が戻りだしたのは、夏休みが終わる頃だった。
夏休みの間、あたしたちはいっぱい遊んで、いっぱい喧嘩をして、いっぱい仲直りをした。
まるで兄弟のように。

それから、有菜が転校してきた。

有菜は両親の再婚で転校してきたんだと、関君が教えてくれた。
席が隣同士になったあたしたちは、すぐに仲良くなった。
でも、あの頃のあたしたちというのは残酷で、「転校生」というだけで、「本当のお母さんじゃない」というだけで、有菜は女の子からイジメられるようになった。
ふわふわとした綿菓子のように可愛い有菜に、ヤキモチを妬いていただけかもしれない。
靴を隠されたり、体操着が隠されたり、そんなちょっとした意地悪が有菜を迎えた。
それでも、有菜は泣いたりしないで、いつもみんなに笑顔で話しかけた。
まるで何もなかったように。
あたしはそんな有菜を守りたくて、当時女の子のリーダーだった直美と大喧嘩した。
一緒に意地悪されたりもしたけど、結果的に、有菜はその後すんなりとクラスに溶け込んだ。

溶け込むまでの1ヶ月くらい、あたしたちは隣のクラスだった直人のところで休み時間を過ごした。
あたしにとって直人と有菜は特別な存在だった。
直人にとっても、有菜の健気に思える笑顔は、いつしか特別なモノになっていたんだと思う。



あたしたちは、そのままの関係で、中学に進学した。


手を伸ばせば届きそうな星たちが、あたしたちの頭上で瞬いていた。
真っ暗な草原に風が吹き、ざざざざーっと原っぱの草を揺らし、吹き抜けていく。
まるで海の上に浮かんでいるように感じるのは、風が草を揺らし暗闇では波が寄せてくるように見えるからだろう。

「あ、あそこ!今流れた!」
あたしは慌てて草の波から視線を星空に戻した。
「どこ?どのへん?」
指差す方向をじっと見ても、星がちかちかと光っているだけだ。
「遅いよ。とーこ。流れ星発見」
あたしは勝ち誇ったようなその横顔をじろりと見て、「まだ時間あるもん」と、星空に目を凝らす。
「あと10分だぞ?あんまり遅くなると、また怒られちゃうからな。」
「わかってるよう。」
あたしが言うと・・・・直人はぽすんと草の上に寝転がった。

手を伸ばせば、そこに居る存在。
あたしはだから、あえて手を伸ばしはしなかった。

コオロギの鳴く音と風が渡る音しかしない。
どこかの犬が二回吠えた。

直人のお母さんを見送った夜、"流れ星は、誰かの死を伝えるもの"と話していた直人は、あの日からそれを口にしたことはなかった。
そのうちに、流れ星の仕組みを知り、夏に見る流星群を目の当たりにした。

直人はガムランボールを掌に転がしながら、あたしが必死に目を凝らすのをくすくすと笑った。

「・・・とーこ。」
「なーに?」
あたしはさっき直人が流れ星を見たという方角に狙いを定め、じっと見つめていた。
直人の声が、いつもより少し掠れてる。
「有菜って、好きなヤツいるのかな?」
「え?」
「いや、なんでもない。」
あたしが驚いて見下ろすと、直人はバツが悪そうに両腕で顔を隠した。
「・・・直人、有菜のこと好きなの?」
私が問うと、そのまま顔を隠しながら「違うよ」と答える。
あたしは・・・半分悪戯心で「好きなんでしょう?」と直人の腕を掴んでその顔を覗き見た。
「違うよ」
「白状しなさ・・・・」

「!」

直人は、今までみたことがないような・・・怒ったような照れているような泣きたいような、そんな顔をしていた。
こんな明かりのない、遥か彼方で放たれた光がほんの少し漏れているような場所でさえ、赤面しているのがわかるくらいに頬を染めて。

見なきゃよかった。

あたしは腕を解いてしまったことを後悔して・・・その顔を見てしまったことに罪悪感を感じて手を離した。

そんな風に、直人の気持ちを知ってしまったら・・・・

「・・・好き、とか、まだよくわかんない。だけど、とーこと一緒の時とは、なんか違うんだ。」
言われて、あたしは膝を抱えて顔を埋めた。
直人はそのまま星空を見上げている。
「とーこと一緒に居るのは"あたりまえ"で、有菜といると胸がドキドキする。この前、米倉に"好きです"って言われた時にも、ちょっとどきっとしたけど。」
それとも違うんだ・・・。

あたしは、なんとなく、気がついてた。
直人が有菜を見る瞳が、他の女の子とは違うことに。

「・・・それってさ、好きってことじゃないの?」
「そうなのかな?」
「・・・・わかんないけど・・・・」
直人は「よっ・・と」と起き上がると、背中を丸めているあたしに自分の背中を預けた。
「とーこは?とーこはドキドキすることある?」
直人の声がくっついている背中から直に響いてくる。
「・・・ないよ、そんなこと。」

嘘。
今、凄く、ドキドキしてるよ。
泣きたいくらいに。

あたしは身体を強張らせて、小さく呟いた。
「とーこって好きなヤツ居ないの?」
「いない」
ふてくされたような、そんな声になった。
直人はぐいぐいとあたしを背中で押して、「言ってみな?協力するから」と笑う。
「いない」
あたしがはっきり言うと、直人はまたガムランボールを鳴らす。
――シャララン
さっきまで心地よかったその音色は、今は天使の涙の零れる音に聞こえた。
顔を覗き込んだりしなければ、まだ心地よい音に聞こえたかもしれないのに。

「・・・・とーこ、もしかして、今ドキドキしてる?」
「・・・してないよっ」
いつの間にかあたしの前に移動していた直人は、「ホントに?」と尋ねた。
今度はあたしが腕をつかまれて、あたしは負けじと腕に力を籠めて抵抗した。
「やめてよ」
「顔、見せてみろ」
からかうような、それでいてどこか真剣な声。

見られたくない。
きっと、さっきの直人みたいな顔してる・・・!

「うわっ」
「いたっ!」
あたしたちはバランスを崩して、草の上に倒れこんだ。

風が、また波を起こして、あたしたちを残して吹き抜けていく。
思わず目を瞑ったあたしは、体の上に重みを感じて目を開けた。
直人があたしの上に覆いかぶさるような格好で、じっと見下ろしている。

心臓が、破裂しそうなほどドキドキした。
きっと、こんなに静かな場所じゃあ、直人に聞こえてしまう。

あたしはまたきゅっと目を閉じた。
涙が零れそうだ。

「とーこ、泣いてるの?」
「・・・・」
答えられずに、唇を噛み締めた。

あんな告白を聞いた後で、今更、直人が好きなんて言えない。
もう、きっと、言えない。
ずっと好きだったのに、先に言われてしまった。
こんなに直人を好きなのに。
ずっと、こうして、星を見ていられると思ったのに。
今日で、終わりだ。

しばらくそのまま動けずに、だけど直人は起き上がって、あたしの腕を掴んだ。
「・・・俺、この時間はずっと、とーこと一緒だ。」
まるであたしの心の中を読んだみたいに、直人は言った。
「とーこと俺は、ずっと一緒だろ?」
これからも、ずっと。
直人は、あたしの肩を掴んで「な?」と覗き込んだ。

あたしは頷くことができなかった。
突然訪れた関係の変化に、まだ心の整理がつかなかった。
堪えていた涙が一粒、草原に落ちていった。

そんなあたしを直人はそっと抱きしめて、「泣くなよ」と呟いた。
「とーこは、俺にとって、特別なんだから・・・」

その言葉をどう理解したらいいのかわからなかった。
でも、わかっていたのは、直人が有菜を好きだということ。
そして。
あたしが直人を好きだということを・・・直人は知ってしまったということ。

直人は肩を掴んでまたあたしを覗き込むと、額にキスをした。
「泣くな」

言ってしまえばよかったんだ。
あの日、ちゃんと、「あたしは直人を好き」って、言葉にすればよかった。
そうすれば・・・きっと、あたしは、ちゃんと失恋できたかもしれない。

「時間過ぎちゃったな。帰ろう?また明日、星を見に来よう。」
ガムランボールをあたしの掌に戻して、直人は微笑んだ。



あの日から、直人はあたしとの間に、見えない<ライン>を引いていった。
あたしの気持ちはそこに置き去りにして、動かすこともできないあたしをあの場所に留めて。

それがとても苦しくて。
だからあたしは、チョコと一緒に思い出の詰まり過ぎた、大事なそれを捨てたのに。


2007,7,6


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