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雪に捨てたバレンタイン





星空の下で、さよなら  ― 8 ―








情けないことに、あたしはほとんど今日の科目に手をつけられず、気がついたら空が明るくなっていた。
カーテンを開けると、眠れなかった瞳に痛いほどの光りが突き刺さってきた。
空は桃色と紫の境界線で白い光りを放っている。

頭の中でキィンという張り詰めた音が響き・・・それはガムランボールの音色のようで。

その度に胸が苦しくなり・・・眠りは、ついに、訪れてくれなかった。

何故、直人が持っているの?

彼が、ぎゅっと握り締めたガムランボールと、その直人の視線が、あたしの意識を凌駕していた。




「おはようっ・・・・って、塔子ちゃん、そのクマ凄いよ?まさか全然寝てないの?」
電車に乗り込んできたあたしを笑顔で迎えた司さんは、でも、あたしの顔を見てぎょっとした声で訊いた。
「なんだか眠れなくて。」
あたしはちょっと笑って、いつものように司さんに促されるまま座席に座る。
「今日のテストって、そんな苦手な教科なの?」
心配そうな声に、あたしは頭に今日のテストを思い浮かべる。
「古典と、グラマー、それと生物・・・だったかな・・・」
数学がなかったことにほっとしながらも、あたしはグラマーのノートを取り出して広げた。
今頃焦ったところで、頭に入るわけではない。
それでも、一応少しは役立つかもしれない。
あたしの気持ちを隠す程度には。

「・・・昨日、何かあった?」

どきっとして顔をあげた。
やっぱり、そんなに酷い顔をしているのだろうか?

司さんはメガネの下の優しい眼差しを不安げに曇らせ、あたしを覗き込んでいる。
「えっと、なんにもないですよ?大丈夫・・・です。・・・・・・・あー、でも。」
「何?」
「昨日の電車!あのぎゅうぎゅう詰めには、参りました。」
今日は図書館で勉強をして、時間をずらそうと思って。
あたしはそう言って、またノートに視線を落とした。
そうしていても、ちっとも頭の中に入りはしないとわかっていたけど、勘のいい司さんに気づかれてしまうことが怖かった。
司さんは何か言いたそうにあたしを見ていたけど「眠くなって、図書館行けないんじゃないの?」と、くすっと笑った。

それからまた少し考えて、窓枠に寄りかかるとそっと目尻に触れた。

「・・・・腫れてる。泣く時は擦ったらダメなんだよ?」
「・・・!」

司さんはぽんぽんとあたしの頭に手を載せて、それから無言で頭を撫でた。
あたしはまたちょっと、涙がでそうになってぎゅっと手を握り締めた。
だけど・・・心はほんの少し、楽になった。




あたしは試験期間中、図書館で勉強をすることにした。
期末試験は5日間。
今日でほとんどの教科が終わった。
明日でラスト。
そう思うと、少し気が楽になる。

図書館には学習ルームがあって、資料を広げて何かを書き写している人や、老眼鏡をずらしながらメモする人など、色々な年代の人たちが思い思いに利用していた。
試験中ということもあり、様々な制服を着た高校生が、数人でグループを作ってノートや参考書を広げている。
学習ルームは30人前後の人が利用できるようになっていて、同じような部屋が5部屋ほどある。
地域のサークル活動などにも利用されているらしく、今日は子連れのお母さんが多かった。
教室や塾とはまた少し違った雰囲気で、あたしはここの雰囲気がなんだか好きになっていた。

家では、直人のことをどうしても考えてしまうから。
あまりに、直人との接点が多すぎて・・・。

物凄い影響力だと思う。
あたしには、直人に対してそんな力はないのに、なんで直人にはあるんだろう。
だけど、それがわかったところで。
――今は、どうすることもできない。
あたしは、これからどうしたらいい?

出せない答えを焦って出そうとしている自分に気がつき、頭を振った。
この間から、こんなことの繰り返しだ。

直人のことを考えるのはヤメよう。
今はとにかく、明日で終わる試験と、2日後に行われる選考試験のことだけ考えなくちゃ。

ここは皆、目的があって訪れているようで、その中に紛れ込んでいるだけで、あたしは、今しなくちゃならないことをやるんだ、という気持ちになった。

明日で試験は終わりだけど、夏休みも来ようかな。

あたしは階段から一番遠い、第1学習室の扉を開け、入り口近くに空いていた一角にカバンを置き、サンドイッチを持って廊下に出た。

「喉、乾いちゃったな・・・。」
財布を覗き込むと、あいにく小銭は30円しか入っていなかった。
自動販売機の前で、あたしはちょっと考えて、千円札を取り出しお金を入れようと手を伸ばした。
あたしの指が投入口にたどり着く前に、誰かが背後からお金を入れる。
「あ、」
「どれにする?奢るよ」
振り向くと、そこには笑顔の司さんが立っていて、「ん?」と首を傾げている。
「司さん」
「何がいい?ほら、待ってる奴もいるから」
指で自分の後ろを示す。
「なんだよ、司、図書館でナンパ?」
「テスト期間中だぞ〜!」
「って、ウチ(敬稜)の子だよ。このコ。」

司さんの友達?・・・2年生だろうか?自動販売機を囲むようにして、男の人が立っていた。

「あれ、一年生?」
「じゃあもしかしてこのコが・・・?」
「ほら、こいつらうるさいから。早く決めちゃって。」
「あ、はい。」
あたしは慌ててカフェ・オレのボタンを押して、出てきた缶を持って「すみません」と脇によけた。

「ここだったんだね。僕もずっとここで勉強してたけど、気がつかなかったな。どの部屋に居たの?」
「第1です。」
「ねえねえ、君、もしかして"塔子"ちゃん?」
司さんの肩に手を置きながら、あたしを珍しいものでも見るかのように覗き込んでいる先輩が尋ねる。
「羽鳥 塔子です。」
「あ、やっぱり!坂本が君の話よくするから」
先輩は「俺、樋口ね。」と笑う。
「俺たち司と一緒、テニス部なんだ。」
その先輩は安東と名乗った。二人ともよく日焼けしている。

「僕たち第3に居たから・・・っと、もう一人、山崎、マネージャーなんだ。」
言われてその視線の先を追うと、ショートが物凄く似合う、手足の長いモデルのようなスタイルの女の人が立っていた。
「羽鳥です。」
頭を下げると、山崎先輩は「どうも」と不機嫌そうに言った。
その目はとても好意的とはいえず、あたしはなんとなく、彼女があたしをどう思っているのか察しがついた。
司さんもそれに気づいたようで、苦笑しながら「ごめんね」と囁いた。
「ホントは一緒に勉強しようって誘いたかったんだけど、嫌な思いさせそうだから、やめておくね?」
安東さんと樋口さんが何を飲もうかと話している後ろで、山崎さんが面白くなさそうに鋭い目つきで見つめている。

それは拒絶の瞳。

こんなこと、前にもあったような気がして、あたしはカフェ・オレに視線を落とした。手に感じる冷たい水滴より、心の奥がキンと冷えていく。

・・・ああ、泉峯の体育祭で、直人があたしに向けた目と同じだ・・・。

そう思い当たって、あたしは急に胸が痛んだ。
山崎さんは、きっと司さんが好きで、あたしが現れたことがイヤだったんだろう。

ここのところ、あたしは誰かを不愉快にさせることが多い。
なんだか悲しい。
そんなつもり、ないのに。
あたしの何がいけないのかな・・・

「あ、でも、第1ってことは誰かと一緒?」
司さんの言葉に、はっとして顔を上げた。
「いいえ、一人ですよ?あの、気にしないでくださいね。それより、奢ってもらっちゃって・・・明日の朝返しますね?」
司さんは「ほら、また」と苦笑した。「遠慮しなくていいって。」
あたしも苦笑して、なるべく早く山崎先輩の、笑ったら凄くキレイだろうと思える顔に笑顔を戻したくて、あたしは一歩後ずさった。
「帰りは?何時の電車?」
だけど、司さんは一歩前に近づいて、聞く。
「あ、多分、17時の電車です。」
あたしが言うと、どこかほっとした表情を浮かべて、司さんは「電車でね」と手を振った。



図書館を出ると、急に湿気が押し寄せてきて、あたしは苦笑した。
知らないうちに、体が冷えていた。
じんわりと湿気に体が包み込まれて、少しずつ汗が纏わりついてくる。
ふと腕時計を見ると電車の時間まであと少しだった。
「うわ、どうしよう」
どうやら、図書館の学習室にある時計が少し遅れていたようだ。 あたしは慌てて走り出し、駅に向かった。
バス乗り場のスペースを抜けて近道して、あたしは定期を出して改札を抜けた。
「塔子ちゃん」
改札の内側で司さんが待っていて、あたしたちは発車ベルが鳴り始めた電車に駆け込んだ。

「よかった、間に合わないかと・・・」
「ギリギリセーフ。」
二人でドアに寄りかかって、思わず笑った。
「遅いから、迎えに行こうかと思ってたとこだった。」
僕たちが帰る時、まだ学習室に居たからね。

「学習室の時計が遅れていたみたいで、さっき自分の時計見てびっくりしました。」
「第一の時計って、なんでか少しだけ遅れるんだって。」
「そうなんですか?」
「あれ、知らない?あの図書館の噂。」
あたしは悪戯っぽく笑っている司さんの顔を見上げながら、首を振る。
「知らないです。あるんですか?七不思議みたいなこと?」
「七不思議、じゃないんだけど・・・」
「?」
あたしが頭に疑問符を浮かべるのを楽しそうに見ていた司さんは、ふっとオトナっぽく笑って声を小さくした。
「あのね、第1って恋人たちがよく使うんだよ。ほとんどそうじゃなかった?」
片手で口を隠し、内緒話みたいに話す。
「そう言われてみれば・・・」
「もう少し一緒に居たいっていう、そんな気持ちが、あそこの部屋の時計を遅らせる・・・って、去年司書の人が言ってたよ」
「ホントですか?」
くすっと司さんが笑うから、真剣に聞いていたあたしも思わず笑ってしまった。
「イヤ、でも、聞いたのは本当。第1は恋人同士、第2は友達同士、第3は団体さんって、何となく決まってるんだよね。」
「そうだったんだ」
あたしはそんな暗黙のルールがあったことや、第1の時計の謎について訊かされ、なんだか面白いなって思えた。
人が集まる場所って、いろいろなドラマがあるんだな、なんてことを感じてしまう。
時計の遅れすら、憎めなくなるから不思議だ。
一人関心していると、司さんはまた耳元で囁いた。

「・・・だから、塔子ちゃんが一人で、ほっとした。」

あたしが顔をあげると、司さんは今まで見たことのないようなちょっと切羽詰った顔で、あたしを見下ろして。
「誰かと一緒じゃないって訊いて、ほっとしたんだ・・・」
「司さん?」
あたしは、今までさりげなくあたしのどきどきを回避してくれていた彼が、そうしなかったことに驚いた。

「今度は、第1で・・・一緒に勉強しようか?」
メガネをゆっくり外して、司さんは笑った。

遠いところで、シャラランという、あの音色が聞こえた気がした。


2007,7,9


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