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step by step   − 11 −







私に向けた課長の言葉は、まるで他人事のような気がするほど、私の思考は停止していた。

メール、メール・・・・メール。

それでも課長の言葉を拾い上げ、やっとのことで頭を再起動させる。
ややあって、ようやく私は木曜の夜に開いたメールを思い出した。
課長がフランスから送ってきたメールだ。

【理子に言ったこと、今では後悔してる。わかってやれなかったこと、理子の気持ちを理解してやれなかったこと・・・】
【この企画が通ったら、もう一度やり直して欲しい】

仕事の指示と一緒に送られたきたその文章に、確かにどきんとした。
今頃になって、あの日の夜のことに触れてきたから。


「心から好きな人としかキスもセックスもしたくない。」
もっと上手な言い方があるのかもしれないけど、私はあの時、ストレートに言った。
他の言い方なんて考え付かなくて、それでも、自分に嘘はつけないし、課長にはわかって欲しいって思った。

『いつまで夢みたいなコト言ってるの?』
『じゃあ、なんで付き合うのOKしたの?・・・・君がそんな少女趣味だとは知らなかった』
『26歳にもなって、そんなオトコ好きそうな顔して、経験ないフリも大概にしろよ!』

課長はそんな私に呆れて答えた。
26歳にもなって、あれだけ噂が(その詳しい内容は金曜の夜に初めて知ったんだけど)流れてて、まして自宅に招き入れて、だ。
呆れられても仕方ない。
「待って」
どころかきっぱりと拒絶した私は、稀有に映っただろう。

私は課長が求めたようにはできず、結局、フラれた。
キスもしたことがなくて、もちろんセックスなんて考えられなくて、ただ私は、もう少し時間が欲しいと願ったのだけど・・・。
あなたを好きになる時間をください。
だけど、それは理解してもらうのが難しくて。
今まで付き合った人たちがそうであったように、課長も私に背を向けた。

それでも、その後課長は理性的に対応してくれていたと思う。
仕事上のパートナーである私に対して、つとめて冷静に、あの夜のことに無関心に、プライベートは持ち込まずに。
ぎくしゃくした空気や言葉の端々に、やりづらいんだろうなって感じたけど。
だから、"やり直す"という言葉は。
"仕事のパートナー"として、やり直そうということだって、そう思った・・・
相変わらず、そこに恋愛要素が絡むと、間抜けな答えを出してしまう。
今だって、頭の中は動きはとてつもなく悪い。

私が働きの悪い頭でぐるぐるしていると、課長は大きな溜め息をついた。
きっと、そんなぐるぐるした表情でなく、あたしは顔色一つ変わっていないだろう。
こんな話題になると、あたしの表情は、いつもそうだから。
「もしかして・・・《そういう》意味だと、思わなかった?」
「はい。」
私があっさり答えると、課長はがっくりと肩を落として脱力した。

さすがに、なんだか申し訳なくなってきた。
帰国したばかりで、疲れているだろう。
今回の商談は、厳しいものだったから。
フランスからわざわざくれたメール。
私が抱いた想いとは、違う感情でいたのね。
とことん、間抜けだわ・・・私。
そうか、だから家まで行ったりしたんだ。

私がまた一人でそんなことを考えていると、課長は声をあげて笑い出した。
「・・・・・そうじゃないかと思ったよ。」
どこか可笑しそうに、自嘲気味に笑う彼に、私は小首を傾げた。
「あんなことを言った僕だからね。理子のことを上辺だけで判断してた。」
「それは・・・」
仕方ない、と思う。
今まで、そういった噂を否定してこなかったし、私自身に欠陥が――恋愛という感情に対して――あるのだから・・・。
私を理解してくれているのは、世界でただ一人、唯だけ。

そう思った瞬間、胸がきゅっと苦しくなった。
これは、一体どうしてだろう?

「理子?」
私を覗き込んで、課長は腕を掴んだ。
その強い力に、私は驚いて彼を見上げた。

「もう一度、言うよ。僕は、君のことが好きだ。」

「付き合って欲しい。今は僕を好きじゃなくても、少しずつ僕を好きになって欲しい。」

「あ、あの・・・」
「答えは急がないよ。僕の気持ちは変わらないから。」
課長はそう言うと、はっとしたように私の腕を掴む手を離した。
「痛かった?」
「いえ。」
私が首を振ると、課長は大きなプロジェクトのプレゼンを終えたときのような、安堵した表情を見せた。
だけど、また心配そうな顔をして私を覗き込んで尋ねた。
「・・・もしかして、もう僕は嫌われてる?」
今まで見た事もない、不安そうな瞳に、私は思わず微笑んだ。
「尊敬してますよ。」

それから、私たちは桜の下をゆっくりと歩いて「また明日」と言って別れた。
別れ際、課長は私の頭にそっと口付けて「これくらいは、許される?」と悪戯っぽく笑った。
私はなんとなくくすぐったくて、「これくらいは」と同じように笑った。



* * * * * * *



エレベーターが5階について、私はバックから鍵を取り出した。
扉が開くと、私の部屋の扉に誰かが寄りかかっているのが見えた。
白いVネックのニットにジーンズというラフな格好にもかかわらず、人目を惹くのは、私の贔屓目のせいかな?
「・・・唯」
私が呼びかけると、唯はゆっくりとしなやかに身体を起こした。
「おかえり、理子」
唯は不機嫌そうな声で言って、扉の前から一歩ずれて立った。
鍵を左手で玩びながら。

金曜の夜に別れてから、何日も経っていないのに、随分長い時間が過ぎたように感じる。
懐かしくて、嬉しくて、どこか切なくなるのはなんでかな?
こんな気持ちになるのは初めてで、私は慌てて駆け寄った。

「中で待ってればいいのに。」
「そういう訳にはいかないでしょ」
私が鍵を開けドアノブを回すと、唯は小さく呟いた。
「・・・帰ってこないかと思った」
「?・・・そんなわけないでしょ?」
私が中に入ると、唯も続いて中に入った。
ソファーの横にバックを置いて、ジャケットを脱いだ。
「メール、気づかなくてごめんね。3時前まで電源切ってたんだ。」
唯はソファーに座り、出しっぱなしのアルバムを膝の上で広げた。
「・・・・仕事?」
「そう。」
「ふーん」
面白くなさそうに呟いて、隣に私が座るとアルバムを閉じた。
ソファーに並んで座り、私は妙な安心感と胸のざわつきが同時に起こって首を傾げる。

――おかしい
いつもはただ唯が一緒に居るだけで、心が休まるのに。

「なに?」
私のどこかしっくりこない様子に、唯は前を向いたまま尋ねる。
「ううん、なんでもない」
言葉にして説明するのは難しそうで、私は膝を抱えてソファーに沈み込んだ。
唯の左手はソファーのへりに添って置かれていて、私の頭が触れると何気なく髪に指を絡めた。
びくっと体が跳ねて、私は自分の反応に驚いた。
私は髪の毛先まで神経って通ってたんだっけ?と間抜けなことを考えてしまう。

ええと、いつも・・・こんなことしたっけ・・・?

「で、課長って、理子が追い出した"課長"サン?」
髪に、唯の指先に、全ての神経が集中していた私は、慌てて唯を見た。
「そ、そう。私が追い出した・・・・って、違う違う、出て行った、課長」
「どっちでもいいけど。それで、その課長サンってフランス行ってるんじゃなかった?」
唯は頭をソファーに預け、目を閉じて質問を続ける。

それにしても、やっぱり唯は可愛い・・・ううん、キレイだ。
すっと通った鼻筋に髪がかかっている。カタチの整った唇はなんだか美味しそうに見えた。
こうして目を閉じている姿は、まるでキスを待つ白雪姫のよう・・・。
って、私はおじさんか?

「フランスから帰ってきたの。会社に居たら、課長が来てね。」
それで近くの公園で桜を見てきたの。
「それだけ?」
抱えていた足を床に伸ばし、頬杖をついて唯の顔を眺めていたら、唯はぱちっと目を開けて、天井を見つめた。
どきんと胸が跳ねる。

これってなんなの?

「それだけって・・・・わけじゃなかったけど。」
私は思わずつま先を見つめた。
「なんかあったの?」
「んーーーーー。」

私は課長に言われたことを唯に話した。
妙な胸のざわつきを考えないようにしているうちに、これはチャンスなのかな、と思えた。
唯が安心できるように、私がまともな恋愛をする為に。

話を聞きながら唯は腕を引っ込めて、両手をジーンズのポケットに突っ込んだ。
触れられていた髪先が、寂しいって訴えているのに驚いた。
だけど、そんなわけないと小さく頭を振った。
「・・・・で、ね。返事はしてないんだけど・・・」
私がちょっと考え込んでいると、小さく溜め息を吐いて、唯はゆっくりと言った。
「付き合おうかなって思ってるんだ?理子。」
私はこくんと頷いた。
「どう思う?」
本当は、もう自分で考えなくちゃ、と思っていたけど、私はやっぱり聞いてしまった。
「理子は課長サンを好き?」
「嫌いじゃない。」
「そっか。」
唯はまた溜め息を吐く。
「・・・・・どういう心境の変化?」
それまで私の方を見なかった唯が、ゆっくりと視線を私に向けた。

思わず息を飲んだ。
唯の瞳が、とても攻撃的に見えたから。

「いい加減、私も唯から卒業しなくちゃかな・・・って・・・」

これが一番いい方法じゃないかって、思ったけれど。
あれ?私また何か間違えてる?

唯にドキドキして、頭がパニックしていた。







2007,7,5




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