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slowly slowly slowly


step by step   − 12 −







照明を少し落とした店内は、女の子の笑い声とスタッフの盛り上げる声で賑やかだ。
俺にとっては、ここは異空間。
女の子の華やかさも、交わされる会話も、まるで他の星の出来事のよう。
アルコールの匂いと煙草の紫煙、そして香水が混ざり合う。
外界とは遮断された店内は、いつも笑い声と囁きが支配する。
甘い言葉や誘惑も、ここではゲームのようなモノ。
他の店に行ったことはないけれど、遊びに来る女の子が「ここは雰囲気が違う」という。
他所は、もっと活気に溢れているんだそうで、今でも充分騒がしく感じている俺にとって、想像できなかったりする。

音哉――ここではショウ、か――につれて来られたこの店で、"ホスト"を始めてもう3年。

"夢を売る"だとか、そんなことはまったく思ってない。
ただ、ここに来るゲストが何かに疲れて、何かに悲観して訪れたのだとしたら、お酒を飲んで話を聞いて、それで明日からまた歩いて行けるんなら、この仕事も悪くないかな、と思う。
これはショウの請け売りだけど。
現実逃避が悪いとは思わない。何かから逃げたくなる時は、誰にでもあるのだし、そこから現実に向き合う術を探ればいい。
いつまでも夢の中では生きられないように、だからこそ、夢のような世界を提供するのは悪くないのかもしれない。
元々、そんなに社交的じゃない俺にとっては、信じられない仕事ではあるけれど。

『ホストというよりも、この店の専属ピアニスト、というくらいに考えて』

マネージャーや支配人がそう言ってくれなければ、とっくにやめていただろう。
実際、俺が、またピアノを弾くようになったのは、この店のお陰だ。
一度は手放した父さんのピアノ。
ショウがこのピアノに引き合わせなければ、二度とピアノに触れることはなかったはずだ。

愛想もたいしてよくない俺のキャラクターを活かせばいい、なんて、ショウは笑って言った。
『お前みたいなキャラクターがたまらなく好きな女の子って多いんだから』
それでも、この仕事が自分に合っているとは思わない。

「それでNO.2とかって、本当にお前は厭味なヤツだね」
ショウがくすくすと笑いながら、俺の肩に寄りかかる。
「ショウくんと蒼くんて、本当に仲いいよね?」
「プライベートとかでも仲いいの?」
俺たちとたいして年の変らない女の子たちが、興味津々という顔で尋ねてきた。
この店は比較的安価で、過剰な接客はしないけれどカワイイオトコノコが多い!という口コミで訪れたらしい。

「仲いいよ〜中学から一緒にいるもんな?」
「重いから、寄りかからないで。」
俺がショウの腕を払うと、女の子たちは「うわ〜ん、なんだかキケンな感じ!」と色めき立っている。
なるほど、こういう雰囲気が好きな女の子たちのようだ。
多分、ショウはいち早くそれを察知して、いつも以上に絡んでくるんだな。
「蒼のことならなんでも、知り尽くしてるよ」
「きゃーーーーーーー!」
俺の隣に居るゲストが急に抱きついてきて、キツメの香水を思い切り吸い込んで、むせて咳き込んだ。
「やだ、蒼くん、大丈夫〜?」
「動揺してる〜?」
きゃあきゃあとはしゃぐゲストに苦笑して、ショウをぎっと睨みつける。
ショウはしらっとして、グラスを傾けている。
「ねえねえ、あのピアノで弾いてくれるって聞いたんだけど?本当?」
露出の高いワンピースの裾のレースを蹴り上げるように足を組み替えて、女の子はショウに笑いかける。
丹念にカールされた髪を指に巻きつけて、ショウは顔をぐいっと近づけた。
「弾くよ?何がお好み?」
ジャズ?ポップス?
ショウが瞳を細めたら、それであのコは陥落だろう。
「蒼くんは?蒼くんは弾けるの?」
俺の隣の、大きな瞳の女の子が胸をぎゅっと押し付けるようにして腕を絡める。
振りほどかずに、そっと腕を抜く。
「弾ける、弾ける。譜面ナシでなんでも弾くから。」
俺が答える代わりに、ショウが答える。
「クラシックでも?」
「もちろん」
ショウが請合うと、女の子たちはにこっと笑う。
「私たちピアノ講師してるの。・・・それじゃあ、実力見せてもらおうかな?」
「ショパンのスケルツォ op20 第一番・・・なんてどう?」
試すように挑むように、彼女たちは俺たちを交互に見た。
「楽譜ある?」
「あたし持ってる。今日課題に出したの」
なかったらクロークに預けたバックに入っているからと立ち上がりかける。
「あ、いいよ。楽譜いらない。」
ショウは笑って制して、俺の頭を指さして、「この中に入ってる」と言った。
「ホントに?」
まだ信じていない顔で、彼女たちは俺を見た。
(まったく・・・)
俺は溜め息を一つして、とりあえずこの3年で身につけた営業スマイルを浮かべて、立ち上がった。
「リクエストにおこたえして。」
ニヤニヤと笑うショウを横目で確認して。

今日はピアノを弾く気分じゃないって言ったのに。
スケルツォだなんて・・・
時に凶暴なまでの激情が現れる演奏を、この状況で弾けという。

深呼吸して目を閉じる。
鍵盤にゆっくりと指を滑らせると、どこかから溜め息が漏れ聞こえた。

いつの間にかシンと静まり返った店内の視線はすべてこちらに向けられている。
耳を澄まして、頭の中に流れるメロディーを追いかけるようにして、鍵盤に触れた。



* * * * * * *



「今日はやけに切なそうじゃない?」
ロッカールームで着替える俺に、音哉が鏡越しに声をかける。
マネージャーと来月の打ち合わせをしていた俺たち以外、もう誰も残っていなくて、音哉はソファーに座って可笑しそうにこちらを見てる。
俺は鏡に映るその姿に向かって、静かに答える。
「わかってて弾かすな。」
「だからいいんじゃん。」
音哉は悪びれもせずに、それでも肩を竦めてポーズを作る。

「唯はさ、そういう感情を溜め込みすぎなんだよ。」

言われて、図星だから、思い切り閉めようとしたロッカーの扉を、ぎりっと握り締めて、それからゆっくり力を抜いた。
「ピアノを弾くことで、お前の中にある感情が発散されてるって、知ってるだろ?」

逆だ、逆。
上手く隠している感情まで溢れさせて、自分自身を焦がしてしまう。
音哉はわかっていて、そうなる俺を楽しんでる。

「お姉ちゃん、か?」
くすっと笑って、音哉は長い足の上に両腕を乗せて、観察するようにじっと見つめている。
「お姉ちゃんじゃない」
そんな一言でも、今の俺は冷静さを欠いてしまう。
「怒るなって。理子さん、か。なんかあった?」
ロッカーのドアを静かに閉め、にやにやと笑う音哉の隣に座る。

――胸が苦しくて天井を仰いだ。




昨日、理子はいつもと違っていた。

いつも一緒に居て、誰より理子が"恋"というものに目覚めることを待っていた。
自分に向けられる理子の優しさや愛情は、家族に対するそれと同じで、だけど、その中に潜む、理子自身気がつかない部分で、俺を求めていることも知っていた。
理子自身が、恋に目覚めさえすれば、自分の気持ちが俺に対して家族以上のものだと認めてくれさえすれば。
焦る自分を何とか抑えて、恋に対してすごく慎重な理子を大事にしたくて。
妹だとか、弟だとか、そんな扱いにも、それでも理子が自分を求めていることに変りはないから、自分の中で大きくなる欲望を上手く飼いならしていたつもりだったのに。

「付き合おうかなって思ってるんだ?理子。」

理子の外見は、このクラブに遊びに来る女の子に見劣りなんてしない。
人を惹き付ける美しさを武器にするかのような外見。そんな外見とは裏腹に、ウブで恋にたいして臆病な少女のような内面。
大きなギャップ。
それを知るのは俺だけで。
だから理子が誰かと付き合いだしても、どこかで安心していた。
理子は本能で感じて排除してたから。

でも、本当は恐れていた。

「どう思う?」

不安そうに尋ねながら、本当はもう答えが引き出されていることを俺は知っていた。

「理子は課長サンを好き?」
「嫌いじゃない。」
「そっか。」

今までの理子に迫ってきた男たちとは違うようだ。
あんな拒絶をされて、その時は、男のプライドが傷つけられたような気持ちで怒ったんだろうけど。
そいつは理子の本当の姿をちゃんと見つけたんだろう。
俺よりずっと年上で・・・。
ピアノを再開したことさえ言えずにいた俺と違って、責任あるポストをしっかりこなしている、大人のオトコだ。

けど、問題はそこじゃない。
理子が、なんで急に"恋しよう"と思ったか、だ。
密かに彼に恋焦がれていた、なんてことは、ないと思う。
確かに、ゆっくりすぎる理子に変化を求めて、俺自身アプローチを変えてきてたけど、それにしても、今までの理子からしたら急展開だ。
"付き合って"と言われて付き合いだしても、そこに"恋愛感情"の前触れさえ感じられずに悩むような理子。
だけど、昨日の理子は自ら"恋しよう"としているようだった。

「・・・・・どういう心境の変化?」

金曜の夜には、そんな変化はなかったはずなのに?

「いい加減、私も唯から卒業しなくちゃかな・・・って・・・」
「卒業?」

自分の中で飼いならしていた感情が、ざわつきだす。

「・・・・・それって、理子には、もう俺は・・・必要ないってこと?」
「ち、違うよっ。そうじゃなくて、そろそろ私も、ちゃんと大人のオンナってやつにならなくちゃって」

理子は「あーもーなんて言えば言いのかなっ」って俯いた。
きっと、自分でもよくわからない気持ちでぐるぐるしているんだろう。

「唯、が。・・・唯が、大切な誰かと、一緒でも、大丈夫なように?えっと・・・私が今までみたいに、唯を独占しないように?」
「自分の言葉に、自分が疑問符つけてること、理子は気がついてるの?」
それに、独占されたいのは、俺のほう。
「昨日、朝まで、一緒に居た人、が・・・唯の好きな人なんでしょう?」
何を言ってるのかわからずに、俺はただ、切なそうに言葉を吐き出した理子に釘づけになって。
「だから、私も、紺野さんと付き合ってみようかなって・・・」

あんなに可愛いく理子を変えてしまったのがその紺野さんなら、俺には勝ち目がないような気がした。
――あれは、恋する顔だ。



「一気に形勢逆転。どう攻めていいのかわからない。」
思わず呟くと、音哉は「やりすぎたか?」と呟く。
「何が?」
「いや、こっちの話。・・・で、唯はそれでいいわけ?」
音哉の問いかけに、また溜め息が零れる。
みすみす渡すつもりはない。けれど、理子がそう決めたことに、俺がどうしろというんだ?
弟の唯が、狼に変身したら、理子はどうするんだろう?

「今は、どうやって動いたらいいのか、わからないよ・・・。」

情けない自分の声が、たまらなく惨めだった。







2007,7,12




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