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slowly slowly slowly
step by step − 13 −
会議室の空調、なんかおかしくない?
寒くなったり暑くなったり、なんだかいやな汗かいた。
会議室だけかと思ったら・・・あれ?フロアー全体がおかしい?
息苦しささえ感じて、私はファイルを抱えたまま思わず壁に寄りかかった。やけにファイルが重い。
いつもとかわらない量なのに、何か重い資料でも挟んでたかな?
小さく息を吐く。
「どうした?」
背後から声をかけられて、ファイルの山が上から半分以上減った。
声の主を見上げると、紺野課長がファイルを抱えて真剣な顔で私を見ている。
「いつもこれだけ資料そろえるって、凄いよなあ」
「持たせちゃってスミマセン」
「資料室?それとも君のデスク?」
「あ、デスクで。」
「了解」
課長に荷物持たせるってどうよ?って思ったけど、今日は甘えることにした。
素直にありがたかった。軽くなった腕が・・・というか足がほっとしてるのがわかる。
会議が始まる前に持ち込んだ資料は、部長に渡したファイルも数冊あって、軽くなっているのに?本当におかしい。
自慢じゃないけど、それなりに力あるはずなのに・・・。
先ほどから背中に感じる嫌な汗が背筋を伝って、ぞくりとした。
空調を恨めしく見ながら、備え付けてある時計に視線を移した。
課内のほとんどの人間が残っているけど、すでに定時は2時間ほど過ぎている。
会議が長引くのはいつものことだけど、今日は私の説明が悪くて長引いたようなものだったから、思わず舌打ちしたくなった。
今まで時間を失念していたことにも。
こんなことって、今までにない。
「高瀬がどもるの初めて聞いた気がするよ?」
私のデスクに資料を下ろしながら、課長が言った。
まさにそのことを反省していた私は、そのまま座り込んでしないそうになりながら「すみませんでした」と頭を下げた。
なんでか涙が出そうになる。
ちょっと待ってよ。私、そういうキャラじゃないでしょう?
「いや、謝るほどのことじゃないだろ?実際、上も納得して・・・上機嫌だったんだし。僕が言いたいのは、そうじゃなくて、君が仕事で、しどろもどろになる姿なんて、転勤してきてから初めてだったから。いや、今日はいいもの見せてもらった。なんか得した気分」
「嫌味ですか?」
「まさか。高瀬が・・・理子が可愛かったんです」
「!」
心臓が跳ねる。
ちらりと課長を見上げれば、悪戯っぽい笑みを浮かべてる。
可愛いという表現をされなれていない私には、くすぐったいような響きだ。
からかわれてるのか?
「課長はっ、そんな風になること、一度もないですね。私、まだまだですね。可愛いなんて言われてちゃおしまいですよ。」
私がちょっと拗ねた気持ちでそう言うと、課長はぽんと肩を叩いた。
「理子の前ではとくにカッコつけたいからね。やりがいがあるんだよ。」
小さく耳元で囁く。
私が絶句するのを可笑しそうに笑って、課長はデスクに戻った。
「最近、課長変わったと思わない?」
椅子を引いて座る私に、隣のデスクの吉原クンが私のデスクに椅子を寄せて、ひそひそと言った。
吉原クンは私の1年後輩で、入社してきた時からずっとお隣さんだ。
あまり私を噂と重ねたりせずに付き合ってくれるありがたい異性の同僚だ。
噂に左右されないのは、彼の観察眼からだと知っているから、内心ぎくりとしながらも「そう?」って首を捻ってみせる。
以前課長とお付き合いした時は"付き合う"といえるほどの親密はなかったし、別れた後のぎくしゃくも、表面上は上手く隠せていた。
「なんだろうな〜フランスから帰ってから・・・もしかしたら行く前からそうだったのかもしれないけど・・・」
「ふ〜ん・・・って何が?」
資料を整理しながら答えると、吉原クンは一人「ああ、そうか」って納得したような声をあげて、またひそひそと私に呟く。
「俺ね、係長の送別会の夜、課長と二次会で同じテーブルだったんだけどさ・・・その時、高瀬のこと聞いてたんだよなあ。そういえば。」
「へ〜?」
「・・・うん。課長っていいと思うよ?仕事できるし、人格者だと思うし。」
「何?急に。」
話が見えてこなくて、私は吉原クンに不審な目を向ける。
一人納得した様子だけど、私にはさっぱりわからない。
「ん?や、なんかわかった。うん。」
「だから、何が?」
「課長、定時過ぎたり仕事片付くと、雰囲気が柔らかくなったなって思ったんだ。うん、仕事中は鬼だけど。」
吉原クンは椅子ごとデスクに戻りPCの電源を落として私を見た。
「それって、高瀬のせいかなって思ってさ」
「へ?」
間抜けな声をあげた私に優しく笑いかけて、俺もうあがるねって、吉原クンは立ち上がった。
思うように腕が伸ばせなくて、吉原クンを掴み損ねる。
「お先失礼しますー」
「さよなら」「お疲れさまー!」
フロアのあちこちから声があがってる。
「ちょっと、吉原クン!?」
私が慌てて声をかけても、吉原クンは笑顔で帰っていった。
ああ、そういえば今日彼女の誕生日だって言ってたっけ。
私は一つ息を吐いて椅子の背もたれに体を預けた。
なんとなく課長のデスクのほうに視線を移すと、PCから顔を上げた課長と目が合った。
ふっ、と柔らかく笑う。
会議中の隙のない表情とは違う、プライベートな表情。
最近知ることが多くなった、彼の優しい表情だ。
私もつられて笑った。
――ちくんと胸が痛い。
吉原クン、いいとこ突いてる。
『僕は、君のことが好きだ。』
『付き合って欲しい。今は僕を好きじゃなくても、少しずつ僕を好きになって欲しい。』
私はあれから課長に返事をしていない。
『答えは急がないよ。僕の気持ちは変わらないから。』
課長はそう言ってくれたけど。
『だから、私も、紺野さんと付き合ってみようかなって・・・』
唯にああ言ったものの、やっぱり自信がなかった。
本当の私を知ってる人と付き合うって、実は凄く勇気がいることなんだって今更感じてた。
噂が一人歩きしていた今までは、"付き合う"ってことも"どうせ本当の私を知らないんだから"なんて諦めてるところがあった。
でも、じゃあ課長は?
――もう私を知ってる。
それなのに、踏み込めないのはなんで?
知ってほしかったはずなのに、それに課長は私の気持ちを待つって言ってくれたのに。
望んでいたのは、こういう展開じゃないの?
・・・みんな凄い。
私以外のオンナノコは、みんな凄い。
強くて、しなやかで。
恋にむかって真っ直ぐだ。
私なんかとは大違い。
って!!今仕事中だよ〜!
私はファイルに頭を押し付けて、自己嫌悪な溜息を吐く。
表情には出ていないだろうけど、なんてこと考えてるんだろう。
頭がぐるぐるした。
考えなくちゃいけないことなのに、いや、今はもちろん考える時じゃないけど・・・
「・・・暑い〜。もー空調どうにかならないかな・・・」
今日はどうしちゃったっていうんだろう?こんなんじゃ体調崩しちゃう。
・・・あれ?でもみんな快適そうな顔してる・・・?
向かいの住田さんも渡部さんも、汗かいたりしていなかった。
「高瀬、今日はもう帰ったら?」
課長の声にはっとして、握り締めていたファイルから顔をあげた。
「オーバーワークなんじゃないの?昨日も残ってたって聞いたけど?」
今日の会議の資料を集めてたんですよ。それに・・・
「課長だって昨日は接待で遅くなったって聞きましたよ?青木さんに。」
「・・・それとこれとは話が別。」
「!」
不意に身近に声を聞いて、私は驚いて振り返った。
課長はいつの間にか私のデスクの後ろに立っていて、腕を組んで眉を顰めている。
「か、」
ちょう、と言葉にする前に、彼の大きな手が私に伸びてきて、ぴたりと額にあてられた。
「ひゃっ」
その手があんまり冷たくて、私は椅子の上で数cm飛び跳ねてしまった。
「こらこらこら・・・!」
課長は手を引っ込めると、慌てて椅子にかけてあったジャケットを私にかけて、自分のデスクに戻る。
「・・・か、課長?」
私は何がなんだか訳がわからず、PCの電源を落としてブリーフケースに書類を詰め込む姿を呆然と見つめた。
課長はあっという間の速さで帰り支度を整えると、私のバックを持って「今日は持ち帰りなし」と言い聞かせるように言って、腕を掴んで私を立たせた。
「や、あの、まだ資料検討した・・・」
「残業禁止」
びしっと一言浴びせられ、私があうあうと口をぱくつかせると、課長は大きな声で「お先に」と言った。
引きずられるような私と課長を不思議そうに見つめながらも「お疲れ様でした」と同僚たちは送り出した。
何が起こっているのかわからないって顔だ。
私が一番わかんないんだよー!?
心の中でそう叫びながら、私はエレベーターの中に引きずり込まれた。
* * * * * * *
「理子、顔色がわかんないのは、化粧してるから仕方ないとして・・・」
エレベーターの扉が閉まるとすぐ、課長は片手を壁にあてて溜息混じりに呟いた。
「どうりで会議でもおかしなはずだよ。そんな熱あるんだから、仕事なんてしてちゃダメだろう?」
言われて私は「あ」と思わず声をあげる。
「空調が壊れてたんじゃないんだ・・・!」
「・・・」
合点がいった私が妙に晴れ晴れとした声でそう言ったものだから、課長はがくりと肩を落とした。
そっか、それで課長慌てて帰り支度したんだ。
私が熱あるから・・・
あ!!!明後日、またプレゼンあるんじゃなかった?
ダメだよ、何私甘えてるの。
バックを持ってくれている課長の左腕のジャケットを掴んで「ごめんなさい」と謝りながら、俯いている彼を覗き込む。
呆れられてるだろう。いい大人が、自分の体調もまともに把握してないんだから。
「全然気がついてなかったんです。ご心配おかけしてすみません。一人で帰れるので、課長どうぞ仕事してってください。プレゼンの準備!私は、タクシーでも・・・・っ・・・・。」
熱があるって自覚したせいだ。
足元がぐにゃりと曲がった。
頭が急に重くなる。
「ああほらっ!」
腕を回された感覚はかろうじてあった。
「弱ってる理子、放っておけないよ」
チンとエレベーターのドアが開く音。
「わー!紺野さんっ、どうしたんですか!?」
「ちょっと!理子さんっ!?大丈夫?」
覚えのある声が幾つか耳に飛び込んできた気がする。
社会人になって、体調管理もできないなんて情けない。
真っ暗なのに、真っ白な世界に閉じ込められる。
あーこりゃ、私の熱でた時の典型的なパターンだー・・・・
そんなことを思いながら、誰かの力強い腕に抱きしめられるのを感じていた。
「唯・・・?」
思わず、自分の唇から零れたその名前に、私はきゅっと胸が苦しくる。
あれから1週間も会ってないよー・・・?
記憶があるのはここまで。
唯の怒ったような顔を見た気がした。
だけどそれは現実でだったのか、夢の中だったのか、私にはわからなかった。
2007,12,10