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slowly slowly slowly


step by step   − 14 −







ロッカールームから出て、携帯を取り出して開く。
22時。
音量をLev0に設定して、閉じかけた画面をじっと見つめた。
あれから1週間。
理子からの連絡はない。
――俺からもしてない。
仕事が忙しい時はこんなことはよくあることで、大きなプロジェクト抱えた時なんかは、平気で2週間くらいは連絡寄越さなかったりする。
メールくらいはくれるかな、と思っていたけれどそれすらなかった。
俺も大人気ない。
気になるのに自分から連絡できないなんて、中学生じゃあるまいし。
溜息を吐いて携帯を上着のポケットに入れる。
自ら理子を遠ざけていた頃もあったのに、今の俺はあまりに情けない。
理子が誰かに恋する姿を見て居たくない。
だからといって、このままじゃ本当に理子を奪われてしまうかもしれないのに。

苦しくてもう一度息を吐いたところで、背後からポンと肩を叩かれた。
「蒼、指名だよ」
風太が笑顔で声をかけてきた。
髪色は生まれつきのカッパー(明るい赤銅色)だとかで、少し長めの髪も重く見えたり軽すぎて見えたりしない。
彼の笑顔が魅力的だ、とゲストの間ではとても評判だ。
先月から働き出した彼は同い年で、明るくみんなを盛り上げるのが上手く、人付き合いが上手いとはいえない俺にも気軽に声をかけてくる。
「佐倉様だよ。」
「珍しい・・・まだ・・・10日くらいなのに?」
常連と言っても、一月に1度がせいぜいのお客様だから俺は思わず呟いた。
理子が一緒だった新人歓迎会からまだ幾日も経っていない。
「・・・なんか荒れてるんだ、お連れの方が。」
「へぇ・・・」
佐倉様は明るく楽しいお酒を飲むのが好きな方だ。
理子の会社の人間だって、実はずっと前から知っていた。
「だったらショウの方がいいのにね?君と同じで周りの空気を楽しくするのが上手いのに」
「そのショウがね、蒼を指名してるんだよ。」
面白そうに笑って、風太は視線をフロアーに向けた。
苦虫を噛み潰すって表現、ショウ―音哉に対して作られた言葉じゃないか?と最近思う。
「何か・・・」
「企んでそうだよね?」
俺の言葉に続けて風太が呟いて、思わず互いに顔を見合わせた。
仕事以外で付き合うことはないけれど、俺は風太とは気が合うだろうって確信した。


その席では、弥生さんと、同僚の・・・確か川名さんという、大人しい印象の女性が座っていた。
そんなにお酒を飲むわけでもない。
羽目を外すこともない、いつもうっとりと見つめてくるようなオンナノコだ。
しかし今日は「それでね〜聞いてくださいよ〜」とショウの腕を強引に引っ張り・・・かなり酔っているのがわかる。
弥生さんはといえば珍しく真剣な表情で「まだそうと決まったわけじゃないでしょう?元気出して」と川名さんを励ましていた。
そこはさながら女子高生の恋愛相談室のような空間になっていて、俺は思わず後ずさりした。
「おそ〜い!蒼、早く来てよ」
ショウが川名さんを宥めながら、俺を見つけて手をひらひらと振った。
逃げるなよな、と瞳がからかうように細められる。

嫌な予感がした。
ショウのあの表情は、面倒なことが起きるのを楽しむ目だ。

しかし、弥生さんと川名さんが勢いよく俺を見たので、引きつりながらも「こんばんは」と歩み寄った。
「蒼く〜ん」
弥生さんが少しずれて、俺を隣に座らせると困ったように苦笑した。ショウの腕をしっかり掴んでいる川名さんにも「お久しぶりです」と声をかける。
「蒼君、慰めたげて〜。」
ショウが困ったような顔をして、その実、瞳の奥では楽しんでいるのを隠しもせずに俺に言った。
「・・・どうされたんですか?珍しいですね。いつも可愛らしい笑顔を見せてくださるのに」
新しいグラスにミネラルウォーターを注いで手渡すと、川名さんは縋るような目で俺の手ごとグラスを両手で包み込むようにして握ってきた。
「あ、蒼君・・・」
言葉にならない様子で、そのままぽろぽろと涙を零す。
「川名さん・・・?」
「私、失恋したんですぅ〜ふえ〜ん・・・!」
手を握られたまま泣き崩れられて、俺は「ええと」とショウに助けを求める。
ショウは優しく川名さんの手をほどき、ソファーに深く腰掛けされるとよしよしと肩を抱いて慰めた。
「蒼君、理子さんって覚えてる?この間一緒に来たヒト。」
弥生さんの言葉に思わず身構えてしまい、すぐには返事ができず、考えるような素振りをした。
「・・・・・・」
「ちょっと派手な感じの美女だよね?」
ショウが可笑しそうに囁いて、ちろりと俺を見た。
唯の大事なヒト
そう言ってるのが聞こえる気がする。
「そうそう。今日ね、その理子さんが会社で倒れちゃったの」
「ぇ・・・・・」
思わず大きな声を上げそうになって、ぐっと両手を握り締めた。
俺のそんな態度を見ていたのはショウだけで、俺は目を閉じて小さく深呼吸した。

「倒れたっていうか、熱出してたのに気がつかないで仕事してたらしくてね。退社しようとして身支度整えた私たちがエレベーターに乗り込んだら、理子さんが課長・・・あ、理子さんの上司ね?その人に抱きとめられていたの」
いろいろな感情が急に押し寄せて、俺はなんとかそれらを無視しようとして弥生さんのグラスにワインを注いだ。
ロゼのほのかな色合いが、グラスの中で小さく揺れる。
(まったく、理子は何してんだ!)
苛立ちと心配とで焦れながらも、まだ話が繋がっていない、と自分を落ち着かせた。
「理子さん凄い熱だったし、私たちもお手伝いしますって、タクシーで彼女のマンションまで行ったの。課長も"着替えとかどうしようと思っていたから、助かったよ"ってほっとした顔して・・・」
弥生さんはどこかうっとりするような口調で続けた。
「理子さんを軽々とお姫様抱っこでベッドに横たえたときは、ちょっとぐっときちゃった・・・・とととと・・・」
そこで川名さんが「ひっく」としゃくりあげて、恨めしそうに弥生さんを見て「それでぇ・・・」と会話を引き継いだ。
「私たち、理子さん着替えさせて。やっぱり凄い高熱だったんです。体温計とか見当たらなかったから、わからないですけど」

体温計・・・きっと食器棚の引き出しだ。
理子は普段使わないものはあそこに入れちゃうんだよ・・・。
思わず頭を抱えて呻きたくなった。
理子は熱を出すと高熱を出す。
水分たっぷり摂らせて、あとは目覚めるまでひたすら眠らせるしかない。
熱が下がるまで、何も食べられなくなってしまうことが多い。

「私たち"課長はどうぞお帰りください"って言ったんです。"私たちがついてますから"って・・・なのに、"僕はどうせ仕事しなくちゃいけないから、このままここで仕事させてもらいながら様子みるよ"って言うんですよ・・・!それはそれは愛しそうに理子さん見つめながら・・!」
「そしたら川ちゃん暴走しちゃって。"でも、紺野さん、理子さんとお別れしたって聞きました!"なんて言っちゃってねぇ・・・・・・。」
ショウが大きな溜息を吐きながら「そしたら"今、またアタックしてるんだ"って言われたんだって」と、肩を竦めて見せた。
「あんな優しそうな笑顔の紺野さん初めて見ました〜。うわあん。」
「だから、まだそう決まったわけじゃないでしょう?理子さんだってなんて答えるのかわからないし」
「・・・それで、彼女を慰めようとここへ来たってワケ」
ショウはハンカチを取り出して川名さんの頬を伝った涙を優しく拭き取った。

心臓が、おかしくなるんじゃないかと思った。
今、理子は男のヒトと二人きりなんだと思うと指先が冷たくなっていくような気がした。

「でもさ、その課長サンだって、まさか熱出して倒れてるヒトに手出したりしないでしょう?」
ショウがさらりと言う。川名さんは「そういうことじゃないんです」とワインを一気に口に流し込んだ。
空になったそのグラスにまたワインを注ごうとするショウからデカンタを取り上げて、川名さんの手に先ほどミネラルウォーターを注いだグラスを握らせた。
「飲みすぎだよ。明日仕事でしょう?」
俺の言葉に、川名さんは一瞬思考を取り戻そうとするかのように目をぱちくりさせ、こくんと頷いた。

「何か弾いてあげようか?」
ふっと自嘲的な笑みを零したショウが呟いて、立ち上がった。
そして俺の腕をぐいっと掴むと「蒼は今日休みの予定だったんだよな?」と、唐突に言った。
「え〜蒼くん帰っちゃうの!?」
弥生さんが残念そうにソファーの背もたれから身を起こした。
「な?」
「忘れてんの?今日は休みたいって言ってただろ。ほら、後は俺に任せて。マネージャーには言っておくから」

ウィンクなんかして見せて、俺の背中をトンと押す。
今行っても、その課長サンが居るのに?
それに、一応仕事中なのに。
いい訳めいた言葉だけが浮かび、ぐずぐずするキモチと、やりきれない切なさに似た感情がせめぎあった。

ショウは「弥生ちゃん、川名さん、どんな曲がいい?それとも僕じゃ役不足かな?」と極上の笑顔を見せて跪いている。
「・・・さんきゅ」
小さく呟いた俺に、川名さんの手をとって手首に口付けたショウが悪戯っぽく笑ったのがわかる。

貸しだからな、貸し

無言の言葉に苦笑する。
二人はショウの姿に釘付けになっていて、俺は「失礼します」と頭を下げてそこから離れた。

「あれ?どうしたの?」
パウダールームへゲストを案内したらしい風太が驚いた顔で呼び止めた。
「やっぱり何かあった?顔が真っ青だよ!?」
「今日は欠勤」
唸るようにそれだけ言うのがやっとだった。
口の中がカラカラで、頭の奥が痛む。皮膚の表面は冷たく冷え切っていくのに、胸の中は自分の熱で燃えてしまいそうだった。
俺はそのまま裏口のドアを開け、大通りまで出るとそこからタクシーに乗り込んだ。





* * * * * * * * 





ゆらゆらと足が揺れる感覚と、何かに包み込まれるような感覚。
そんな感覚と共に今度は全身を駆け上がる寒気。
ずきずきと痛むこめかみに、次には篭るような熱。
そんなものをいったりきたり、まばゆさと暗闇を往復しているうちにカタカタと聞きなれた音が大きくなり、私は瞼の向こうの明るい空間に意識を合わせる。
ひんやりとした柔らかな感触を額の上に感じながら、私は天井を見つめた。
淡いベージュの見慣れた天井だ。
「・・・あ・・・れ?」
思わず声に出して再び目を閉じる。
この香りは、私のベッドだ。
肌になじんだ寝具。
沈み込むような感覚、体中が痛い。
そして・・・異常に熱い。

・・・っ!?・・・・私、会社で仕事してたんじゃなかった・・・?

「・・・理子?起きたの?」
心配そうな声にはっとして目を開けた。

そうだ、私エレベータで・・・!?

声のする方に頭を捩る。額に載せられていたタオルが枕に滑り落ちた。
「課長・・・!?」
私は慌てて起き上がろうとして、あまりの頭の重さにくらくらと目が回ったような気がした。
「無茶するなよ。寝てなさいって。ひどい熱なんだから」
たしなめるような声に、私は力なく枕に倒れこむ。
課長が枕に落ちたタオルを拾い上げ、歩いていく音がして、ほどなく水道水の流れる音が響いた。
私はなんとか首だけ動かし、開け放たれたリビングの机の上に書類とPCが開かれているのを見つめた。

思考はまだ半分壊れたまま。
見えていることだけしか判断できなくて、ぼんやりしてしまう。

スーツの上着を脱ぎ、Yシャツの袖をめくった課長が歩いてきて、また額にタオルが乗せらた。
冷たさが心地よい。
「もう寒くない?さっきまでガタガタ震えたりしてたんだ。震えてる間は冷やさなかったけど、暑いって言い出したから・・・」
ベッドサイドにしゃがんで、課長は大きな掌で私の頬に触れた。
「・・・熱いなあ・・・何度くらいなんだろう?ねえ、体温計どこ?」
眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「・・・ええと・・・」
考えようとしても、頭の中がぐちゃぐちゃで答えることができない。
体温計、熱を測るヤツ・・・白いケースに入ってて・・・
唯が買ってきてくれたんだよね、一人暮らしハジメタトキニ・・・・・
体温計、いつ使ったっけ?
私が答えられずに居ると、「いいよ、いいよごめん」と苦笑した声が届く。

「何か飲む?佐倉さんたちがスポーツドリンク買って来てくれたよ?おかゆも作ってくれたけど」
「弥生ちゃ・・・?」
「覚えてない?理子、エレベーターの中で倒れて、ちょうど乗り込んできた秘書課の佐倉さんと川名さんと一緒に運んだんだけど・・・」
言われて、私は身に着けているものも着慣れた部屋着なことに気がつく。
「コレ着替え・・」
「あ、それは!彼女たちがしてくれたんだ。僕は誓って触れてないよ。向こうの部屋に居たから・・・!」
真っ赤になって取り乱す課長が可笑しくて「信じてますよ・・・」と思わず笑った。
顔にも力が入らず、ほにゃほにゃな感じ。
課長はそんな私を見て、ぎゅうっと目を閉じて「参ったな」と呟いた。
私はその言葉の意味が理解できなくて、ただ課長の向こう側を見つめて訊ねた。
「・・・それで、弥生ちゃんと川名さん・・・は?」
私の問いに、課長は「帰ってもらったよ?」と悪戯っぽく笑った。

「水分、摂ったほうがいいよ。」
起こそうか?
私は目を閉じて、あえぐような感じで呟いた。
「・・・甘いの、ほしくないです。」
「何がいい?水?」
「はい」
また気配が遠のく。

課長、仕事あったのに。
・・・罪悪感がこみ上げる。
それも長くは続かない。考えようとしても上手くまとまらない。

熱出して、倒れた。会社で・・・みっともないなー。
弥生ちゃんたちも一緒に運んでくれた。・・・れ?川名さんって課長好きって言ってたような・・・?
誰かが抱き上げてくれたような・・・あ、あれ夢じゃないのね・・・・え、か、課長・・・・・!?

「起きあがれる?」
耳元に課長の声が聞こえて、私は驚いて目を開けた。
凄く近くに課長の顔があって、頭がパニックを起こしそうだ。
課長は片手を枕の間に滑り込ませ肩を掴み、ベッドの端に座りながら私を抱き起こした。
自分で自分の体が支えられず、こてんと課長の胸に頭を預けてしまう。
うう、情けない。

「あ、の、課長、ごめ・・・なさ」
「仕事以外では"課長"はナシにしよう?せめて・・・紺野さんじゃダメかな?熱出してる時に卑怯かな、こんなこと言い出すなんて。」
ベッドサイドに置いていたコップを持ち、私の口元にそっと寄せて、彼は苦笑した。
こくんと一口水を含んで飲み込む。
「紺野さ・・・ん、だいじょーぶですから」
私が言うと、課長は嬉しそうに目を細めて、でも首を横に振った。

「帰れっていうことなら、聞かないよ?僕だって鬼じゃないからね。こんな理子残して帰れる訳ない。・・・仕事させてもらいながら、理子に付き添っている。どうせ帰ったって、気になって仕事なんて手につかないんだから。」
「・・・いちお・・・オンナの一人暮らし・・・」
「だから放っておけないんだって」

もう一口、とコップを優しく押し付けられ、素直に口に含む。
また暗闇と光が頭の中で回り始めた。
「唯にまた言われちゃうな・・・」
「え?」

ここまでしてもらっているというのに、私は課長じゃなくて唯のことを考えていた。

『オトコはさ、やっぱり部屋に入れてもらえたら期待するでしょ?』

これ、課長にフラれた時に唯に言われた言葉。
でもさ、今日のこれは不可抗力だよ?
・・・・
あれ、でも、じゃあ唯は?

「妹じゃない」って言った唯は?

期待してた?
期待してたの?

嘘みたいに胸が苦しくなった。
唯がそんな風に思うわけがないのに、それなのに、そう考えて切ないくらい・・・嬉しく思う。
熱の所為。
熱出すと、弱気になる。
だけど不思議、甘えたいのは・・・唯にだけ・・・?

課長がゆっくりと私をベッドに横たえて「何かあったら呼んで」とリビングを指差した。
頬にまた指が触れる。
私はぎゅっとベッドカバーを握り締めた。

その時、ドアチャイムが鳴った。









2007,12,17




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