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step by step   − 18 −








電話の向こうで『きゃーーーー!日浦さん、それって!』と妙に興奮した声が響いて、思わず耳元から携帯を離した。
耳をつんざく、とは、こういう声を言うのだろう。
痛いくらいに鼓膜が震え、ぐわわわんと耳鳴りがする。
どこにこんな声量を隠していたんだろう?

開け放たれたままのベッドルームから「ん・・・」と理子の苦しそうな声が聞こえて、俺は少しでも距離をとろうとキッチンまで移動した。
普段大人しい感じの彼女の甲高い声は、携帯を耳から離しても聞こえてきて『じゃあじゃあ、やっぱりカノジョいたんじゃないですかぁ〜!!』と非難めいた言葉を続けた。

「ちょっ・・・丸谷さん?」
『知りません!知りませんよう!日浦さんなんて、明日店長に怒鳴られちゃえばいいんです!』

彼女の言葉に今は思い出したくない人の顔が浮かんで、思わず溜め息が零れた。
俺の代理は多分あの人がするんだ。
怒鳴られはしないだろうけど、面白がられるのは・・・避けられない。

「・・・とりあえず、今日は休みます。迷惑かけて申し訳ないのだけれど、レッスンの方、代理宜しくお願いします。」
俺がそういうと、携帯の向こうで『う〜・・・!』と唸る声が聞こえ、ついで『わかりましたぁ・・・お大事になさってくださいね・・・?』と最後は心配の色を滲ませた声で呟いて、電話はぷつんと切れた。
次に彼女に会う時には、また同じように叫ばれるのかな。
終話ボタンを押しながら眉を顰めた。

「"カノジョ"って言えたらいいんだけど。」
呟きながら携帯を上着のポケットに戻し、温かなタオルを持ってベッドルームに向かう。
湯気をあげるタオルの温かさが、手のひらから胸の奥にまで染み込んでくる。
胸に込み上げる愛しさと融合して、体中が熱くなる。

たまらない気持ちになってベッドの中で苦しそうに息を吐き出す理子を見下ろした。
その端に座る。
小さく沈んだベッド、理子の頭の隣に右手を置き身を捩るようにして左手で髪を一房掬った。
そっと唇を寄せる。
そのまま、弱々しく息を吐き出す理子を見つめて目を瞑る。
押さえ込んでいる劣情が膨れ上がる。
さっき触れた唇の感触が蘇る。

熱く、甘い。

「・・・理子、汗拭こう?タオル濡らして来たから。」
髪を梳きながら言葉を落とすと、閉じられた瞼が微かに震え眉根を寄せた。
「ん・・・」
タオルをベッドサイドに置き「起きれる?」と耳元に囁く。

「ゆ・・・ちゃ・・・ん」
「ちゃんはやめろって」
「からだ・・・いた・・・」

薄っすらと開けた瞳が歪み、首を小さく横に振る。

「だめ・・・無理・・・」
「起こすから、自分で・・・」
「脱がせて、汗・・・キモチワルイよぉ・・・」
「脱がせてって・・・・」
「・・・唯」

俺の気持ちなんておかまないしで、理子は呻くように名前を呼んで目を開けた。

その言葉の意味するところなんて、俺がどんなに耐えてるかなんて、まったく想像できないんだろう。
ただ熱で潤む大きな瞳で「おねがい」と訴えてくる。
熱出してるんじゃなければ(もちろんそうじゃなかったら、流石に理子だってこんなこと頼みはしないだろうけど)、俺の中で随分細く脆くなってきている鎖じゃ、理性を保つことなんてできなかった。

おじさんがこんなとこ見たら泣いちゃうだろ・・・!
おばさんは・・・うん・・・まあ・・・喜びそうだな・・・。
理子そっくりなおばさんなら、あの廊下の影からワクワクした顔で覗いていたとしても驚かない。

俺は理子の両親を思い出しながら、なんとか心を落ち着かせようと息を吐いた。

頭ではわかっている。
理子は汗を掻いて、今着てる部屋着はびしょびしょで。
せめて体を拭いてさっぱりしたいだろうなって、タオルも用意した。
熱で体中が痛むんだってことも。
もしかしたら背中拭くくらいはしなくちゃだろうって考えてた。
起きていられないかもしれないから、着替える間背中を支えていてやろう、とも。

でも、だからって。

「着替えさせて、唯・・・」

これはいくらなんでも・・・ヒドイだろ?

「・・・理子、わかってる?俺、弟じゃない、よ?」

少なからず傷つきながら、それでも理子の願いを叶えるべく、上掛けをずらして呟く。
理子はぶるっと体を震わせて体を丸めながら「うん?」と小さく答える。

「オトコ、だよ?」

タオルで顔を拭いてやりながら、ヤケクソのように続ける。
理子は熱で上手く機能していない頭で「うん」と答える。
ほにゃ、と笑顔まで浮かべて、どこまでも信頼しきっている顔で「唯、だもん」と。

いつもこうだ。
理子は俺に最高の褒め言葉と、最悪のポジションをくれる。

「理子のことが、好きで好きで、たまらない・・・オトコなんだけど」

嬉しくて悔しくて、どうせちゃんと理解していないんだから、と思わず本音を零す。
理子はぱちぱちと幼い子どものように瞬く。
何を言ってるのか、わからないって顔で。

そんな理子から視線を逸らし「ほら、袖、脱がすよ」と声をかける。
「ふぁい」
気の抜けたような声に苦笑して、上着の袖をひっぱり片手を引きずり出す。
「くぅっ・・・」と呻く声が、どれだけ辛いのかを物語る。
横になっている体を抱えるようにして真っ直ぐにして、「今度はこっち」と、下になっていたもう片方の袖を掴む。
両袖を抜いて、今度はそれを丁寧に首から抜く。

「さ、むいよ・・・」
「すぐ着せてやるから」
「ブラ、も・・・」

ここでまた、溜め息が漏れた。
経験がないわけじゃないから、オンナの裸だって初めてなわけじゃない。
まして理子の下着姿なんて、見慣れている。
それでも、溜め息が漏れる。
熱でほんのり上気した肌が艶めかしくて、舌打ちしたくなる。

「弟でも、こんなことしてやらないと思うけどっ」

毒づくように言って腕を回して・・・そっと半身を起こす。
そして背中のホックを外した。
ほっと理子が腕の中で息を吐く。

何度も泣きたくなるような悔しさを味わったけれど、多分、今日のはその最上位に値する。
そんな風に思いながらも、回す腕はどこまでも気を使ってしまう。
流されそうな大きな欲望に、つい指先に力が入りそうになるから。

壊れないように、そっと。

ぐったりとしたままの理子の体が腕の中に納まる。
苛立ちよりも、ほっとする感情が勝る。
腕の中に居るという安心感。
だけど、腕から伝わる体温の異常なほどの熱に、大きく上下する胸の膨らみに感じる欲情よりも、保護欲の方が勝る。

早く替え、着せてやらなきゃ。

タオルで体を拭く手が震えそうなほど、大切で。
頼って甘えてくることが、やっぱり嬉しくて。

「・・・こんなんだから、オトコ扱いしてもらえないんだよな」

思わず呟いた言葉には、ただ切なさだけが篭る。
手早くパジャマを羽織らせ腕を掴んで袖を通す。
これが一番辛いのだろう、唇を噛み締めている。
胸に抱きとめながら、ボタンをはめた。
ワッフル地のそれに包まれて、安心したのは俺の方だ。

「下は・・・?」
「お・・・願い」
「了解」

もうここまできたらイジケル気持ちも半減していた。
とにかく、理子が早くよくなってくれればいい。

「下着だけは、ごめん、替えられない」
おどけた口調でそう言うと、「ふぁい・・・」と小さな返事。
自分で意識して力は入らないのに、痛みであちこち変な風に力が入っている体。
声にならない悲鳴をあげているように見える。

「早くよくなれ」

着替えを終えると、俺は理子を毛布に包んで抱え上げた。
「え・・・?」
リビングまで歩くと、不安げに名前を呼ばれる。

「?・・・ゆ・・・い?」
「シーツも交換するから、ソファーで寝てて。」
「あ・・・」

肌に馴染むソファーにそっと降ろし、ブランケットから顔を覗かせた理子に「水飲む?」と訊ねる。
熱が移ってしまっていたベッドに比べて、ソファーはひんやりとするのだろう。
クッションに頬を押しあてて、気持ちよさそうに目を閉じている。
「ん」と頷く前にすでに冷蔵庫に向かって歩いていた俺は、コップとミネラルウォーターの入ったペットボトルを持って戻り、テーブルに置いた。
こぽこぽと音をたててコップに流れ落ちる水をじっと見つめていた理子は、再び抱き起こす俺の腕の中で小さく呟く。

「あり・・・がと・・・ね?」
「何、今更。」

くすっと笑うと、胸に寄りかかる理子が小さく頭を振る。

「唯じゃなきゃ」
「ん?」
「・・・言えない、よ。」
「え?」
「唯じゃなきゃ・・・」

ミネラルウォーターと一緒に飲み下された次の言葉は。

「・・・理子?」

俺にとって、どんな意味をもっているの?


理子は俺の腕の中で、眠り姫よろしく瞳を閉じた。







2008,6,29




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