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step by step   − 19 −








ひらひらと舞い落ちる桜の花びら。
家の門脇にある桜の木の下で、そよ風が舞わせる桜の舞に目を奪われた。
けっこう気に入ってる高校の制服の上にも、ひらりひらりと舞い落ちる。

「う、わぁぁ〜!」

自分の置かれている状況も忘れ、声をあげたその口のまま・・・つまり大口をあけたままで見惚れた。

いつもよりほわんとした気持ちなのは、素敵な朝だからだろうなあ。
なのに、カラダは違う。裏腹よ。
やけに重いの。
うーもしかして、私太ったのかなあ。
それとも春眠暁を覚えず、ってやつ?
こんな陽気だからこそ、体がぼーーーっとしてるのかな。

思うように動かない頭と体に、わけのわからない理由をくっつける。
桜の花を見上げながら、私が花びらになったみたい。
そんなことを考えてた。

いつも不思議に思うんだけど、花びら一枚一枚は、白に近い淡いピンクなのに、咲き誇る桜はなぜあんなに深い桜色を見せるのだろう。
ひらひら、ふうわり、落ちてくる花びらたちは、何故か心を弾ませた。
隣の家の開け放たれた窓から、盛り上げるようなピアノの音色が流れてくる。
ええと、なんだっけ?
一昨日、唯ちゃんが練習してた曲だよね。

「・・・えっと・・・ランゲの『花の歌』!」

すっごーーーく不機嫌な顔でピアノに向かったのに、鍵盤に指が触れた瞬間天使に変わった曲。
――あれ、なんで怒ってたんだっけ??

私は流れてくるメロディーを頼りに先日の記憶を手繰り寄せる。

確か・・・唯ちゃんがピアノに向かう前だったよね。



唯がメロディーを頭の中で奏でながら楽譜を眺めている横で、私はいつものようにソファーの背もたれに寄りかかっていた。
大好きな若草色のソファー。
ここで唯のピアノを聴くのが好きな私は、あたりまえのように唯のレッスン時間に定位置とばかりに陣取って座る。

『それで、理子ちゃんはOKしたの?』
ピアノの前で楽譜に視線を落としながら、唯がぽつりと呟いた。
『うーん、でもさ?よくわかんないんだよ?だって、今日会ったばかりなのに。それで"試しに付き合おう!"って言われてもね・・・。』

入学式の後、クラスメイトになったばかりの"はじめまして"な倉橋くんに。これまたここはどこ?という感じで中庭に連れてかれちゃった。
多分、とーーーーっても女の子のオトモダチが多いんじゃないかな〜?っていう感じの倉橋くんは、にこっと笑うと『そういうことで、俺の彼女になって』と言った。
そういうことってどういうこと??って首を傾げると、倉橋くんはじりっと私に歩み寄って、気がつけば壁際に追いこまれてて。
『焦らしなんていらないよ?』なんてますます?なことを言われたから、『よく知らない人の彼女になる無謀なことはしたくないなあ』と苦笑した。

それで言われたのが"試しに付き合おう!"だったんだけど。

『"なんで試すために付き合わなくちゃいけないの?"って言ったら、なんだか面白がられちゃったよ。・・・ね、唯ちゃん、私そんなに面白いこと言ってる??』

変に気に入られちゃって、OKした覚えはないのに、いつの間のかクラス公認の仲ということになってる。
倉橋くん、面白いんだけどね?

『無自覚すぎるんだよ、理子・・・は。』

その言い方が、なんだかとっても可愛くなくて、私はちょっとムッとした。
だけど、唯ちゃんに愚痴零してる私が悪いよね。
唯ちゃんは小学生だもん。
・・・小学生に言われる私ってどうなの??

『それに、"ちゃん"ってもうやめてよ。僕・・・俺だって、もう中学・・・』
『え〜"唯ちゃん"は唯"ちゃん"だよう。可愛いんだからいいじゃない!』

私がそういうと『もういい・・・』と呟いて、楽譜を閉じた。
それが始まりの合図。
唯ちゃんは深呼吸して、ピアノに触れた――。



その時弾いていたのが、ランゲの「花の歌」だった。

でも、この音は唯ちゃんじゃない。
唯ちゃんのピアノはもっと・・・こう・・・可愛らしい小さな花がいっぱい咲いてるような感じだった。
だから・・・多分、これは唯ちゃんパパだ。

「帰って来てたんだ!」

ヨーロッパに演奏旅行に出かけてるって、唯ちゃんが話してたけど、そっか、帰国してたんだ。

奏でられるメロディーは、明るい春の日差しの下で揺れる花たちを思わせるのに、何故か胸の奥がキュンと疼くような甘さが感じられた。
なんだか、色っぽい「花の歌」だ。
同じ曲、同じピアノで弾いているのに、こんなにも違う。

文句なしに素敵な演奏だったけれど、私は唯ちゃんの弾く可愛らしい「花の歌」も大好きだな。
まるで唯ちゃん自身が花の精になって、小さな花の中で寝転んでいるような音だった。

「あぁ、でも、やっぱり"さすが"・・・」

唯ちゃんパパのピアノは、人を酔わせる力がある。
暗い曲目を聴いた後は、一日気分が滅入ってしまうくらいの威力を持ってる。
・・・って私が言ったら、それから唯ちゃんパパがこちらにいる時には、そういった曲はあまり聴かれなくなった。
凄く凄く、贅沢よね。

私は軽やかで華やかなその音色に浸りながら、また桜を見上げた。
随分歳をとった桜の木で、その木の下にいると満開の桜の隙間から青空がちらちらと見えた。
老体に鞭打つように、見事な花を大きな枝いっぱいに咲かせ、そのくせ「重い」「重い」といって篩い落としているかのように、薄いサクラ色の花びらが落ちてくる。
唯ちゃんパパのピアノの世界に引きこまれるように、私は舞い落ちる花びらに手を伸ばして目を細めた。

「理子!電車の時間、大丈夫なの!?」

家の中から母さんの声が響き、まるで桜の老妖と語りあっていた気分で陶然としていた私は、弾かれるようにして腕時計を見た。
8時…過ぎてる!?

「ダメ!間に合わない!!」

思わず叫ぶと、通りの方から可愛らしい笑い声が響いてきた。
その笑い声の方へ視線を向けると、真新しい制服を着た女の子が視界に入った。
白いブレザーに紺のプリーツスカート。
音大付属の制服だ。

あの無駄に真っ白っ白いブレザーを見るたびに、音大付属のコたちって、心もからだも真っ白なんだろうな〜なんて思ってしまう。
だってさ、私だったら毎日着る制服が真っ白って、汚しちゃったらどうしようって思ってしまうから。
けっこううっかり者って唯ちゃんによく言われるような私なんて、すぐシミつくったりしそう。
それだけで気後れしちゃう。
その制服を選んで入学するこたちも(もちろん、制服の為なんて人もいないだろうけど)、その制服を着こなしている在学生たちも、心が澄んでいて、も〜一日中音楽のこと考えてるような・・・そんな感じ。
って、言ったら大笑いされたんだけどね。
『そんなわけないでしょ!』って。
唯ちゃん爆笑してた。

リボンってことは、中等部?
高等部は、確かタイだったよね。
でもさ、やっぱり真っ白でさ、天使みたいだよ?

私がじろじろと見たせいで、その子は可愛らしい口元を慌てて抑えると、ぺこりと頭を下げた。
腰まである亜麻色のまっすぐな髪が、さらりと前に落ちた。
私もつられて頭を下げる、と、大きなため息が聞こえた。
ん?これって。

「唯ちゃん?」

頭を戻して、可愛らしい女の子の後ろに立つ人影に視線を向けた。
あ、やっぱり!

「って・・・わあー!真っ白天使ブレザー!」

女の子と同じブレザー姿の唯が呆れたように目を細めてた。
あれ?ってことは、もしかしなくても・・・

「唯ちゃん、音大付属だったのぉ!?」
「今頃、なんだ。やっぱりね。・・・そんなことだろうと思った」

諦めたような拗ねたような声。
何よ、なんにも言ってくれなかったじゃない!って言ったら「俺が中学行くってことすら忘れてたみたいだったけどね?」と肩を竦めてる。
「そんなことない!」って言えない。
忘れてた。私は高校生になって、ということは唯は中学生になったんだ。
唯ちゃんパパが活動拠点のドイツでなく、ここに家を買ったのは、音大付属の卒業生だからだって聞いたことがある。
大学は留学しちゃってかたら、ここが母校ってわけじゃないらしいけど。

「め、面目ない・・・」
深々と頭を下げて、だけどすぐに顔をあげて唯に近づいて"真っ白ブレザー"姿の唯を見つめた。
まだ馴染んでいるとは言い難い制服だったけれど、うん、似合ってる。
まるで唯のためにデザインされたんじゃない?って感じだ。
隣で興味深そうに私を見ている女の子も似合ってると思う。
だけど、唯の方が、断然可愛い!
桜の花びらが白いブレザーの肩に落ちて、画的にも最高だわ。

「ああ、うん、唯ちゃん可愛い!さすが私のいもう・・・」
「理子ちゃん、時間!」

抱きつこうとした私の腕を掴んで、時計を目の前に押しつけるようにしながら唯が言葉を遮った。

「えぇぇっ!!遅刻しちゃうっ!」
「唯くん、この方が"理子さん"?」

私の名前が聞こえた気がして、走り出そうとして思わず振り向いた。

「そう、だよ」
「なんだか、唯君の話していた通りの人だね。」

唯が私のことを話したの?

こくりと頷く唯が、心なし赤くなっているように思えた。
なんだか嬉しそうに微笑んじゃって!
あれ?唯ちゃんたら、あの子のことが好きだったりして!?

そう思ったら、何故か胸が小さく痛んだ。

「??」

そっと胸を押さえて首を傾げる。
なんだろう?これ。

「理子ちゃん?本当に時間、大丈夫なの?・・・というより、今日なんだか・・・」

背後からかけられた怪訝そうな唯の声に、私はまた悲鳴をあげる。
なんだろう、今日は本当にどこかおかしいよ。
わかってるのに、注意力散漫になっちゃう。

「大丈夫じゃない〜!!」

再び叫んだ私に、私よりずっと身長の低い・・・唯ちゃんに並ぶとなんだかめちゃくちゃお似合いに思えてきた女の子がくすくすと笑った。
改めて見ると、めちゃくちゃ美少女だわ。
「本当に、理子さんって可愛いね」
随分年下に言われた一言、だけど、私は思わずその子を抱きしめて「ありがと!名前教えて?」って微笑んだ。
こう、なんでか胸は痛むんだけど、嫌いじゃないんだもの。むしろぎゅって抱きしめてあげたくなっちゃうの。
可愛い妹のお友達だしね?

「ありさ、日比野 ありさです」
「ありさちゃんね」

突然の抱擁に驚くかと思ったのに、ありさちゃんは嬉しそうに名前を告げた。
「理子ちゃん!」
驚いた(というより、焦ってたのかも)のは唯だったようで、声が切羽詰まっていて、私は「ありさちゃん、唯をよろしくね」なんて囁いて腕を解いた。
ありさちゃんはにっこり笑うと「もちろんです」なんて頷いてる。
・・・う〜ん、なんでまた胸が痛いのかなあ・・・?

「それじゃ!」って、私は駅に向かって駆け出して・・・いたはずだったんだけど。

「理子ちゃん!」

またしても唯の声。

私はあろうことか道路にぶっ倒れてしまった、らしい。
"らしい"ってのは、私がちゃんと覚えてるのは唯が私を呼ぶ声までだったから。

・・・熱出して、倒れちゃったんだよね。
おかげで、その後2日寝込んだの。
しかもね、唯の真っ白天使ブレザーを汚しちゃったのよ。
まだ何回も着てないはずの、新品を。

やだな、あんまり進歩ないなあ。

ただ、唯の腕の中はとても心地よかったのは・・・覚えてる。

まだ私より身長も低くて、中学生になったって言っても、ついこの間まで小学生だった唯が。
身長差15cmくらいあったんだよ?当時。
だけど、唯は抱き上げたんだって。
一瞬だったらしいけど。
すぐにありさちゃんの「理子さん!」って声に、異変を感じた家の母さんやおじさんとおばさんも駆けつけてくれたらしいんだけど。
ちゃんと覚えてないのは・・・ちょっと残念。

あの時、私は胸の痛みを"風邪ひいてたから"って処理しちゃったんだけど。
・・・そうじゃなかったのかも。





抱きあげられた感覚に、私は重い瞼をゆっくり開けた。
毛布に包まれたまま、私はとくんとくんと脈打つ胸の音を聞いていた。
そっと・・・見上げた唯は、中学になりたての唯じゃなくて、今の唯だ。
綺麗な顔立ち。
見ているだけで、ぞくぞくしてくる。・・・悪寒じゃなくてね。
こう、胸の奥がうずうずして・・・何か熱いものが競り上がってくるような・・・。
得体のしれない馴染みの薄い感覚に、心許なくなって・・・。
唯の鼓動に・・・胸に、頬を擦り寄せた。

「理子?」
起きてるの?って、唯は立ち止って私を覗き込んだ。
瞳が限りなく優しい。

「・・・重くない?」

掠れた私の声に唯は眉を顰め、「重くないよ」と答えた。


あのとんでもない桜の日も、同じことを聞いた。
『重くなかった?』
唯は『ピアノやってるから』と事もなげに言って・・・それどころかちょっと誇らしげに見えた。

『・・・制服汚しちゃってごめん。』
ブレザーを脱いでる、ベスト姿の唯にしゅんとして言った。

真っ白天使ブレザーを汚してしまった私は、唯の心まで汚しちゃった気がして凄く凄く反省した。
やっぱり、だよ。
ありさちゃんと一緒の唯を見て、胸が痛んだりしたのは・・・きっと醜い感情が私にはあるんだ。
だって、ついこの間まで、小学生だった唯ちゃん、だよ?
それなのに。

『ブレザーより、理子ちゃんの方が大事だよ』

その一言に、きゅんってなった。
・・・確かになったの。
だけど、それは醜い感情だよね?

だから、あの時の私はあれも、それも、これも、全部、熱の所為にした。

こんなぐちゃぐちゃなのは、熱の所為。
それに、ピアノやってるから心配なんだよ?
重いものなんて持っちゃダメなんじゃないの?
私なんてすっごく重いんだから。

でもね。
華奢に見えるその腕は実はしっかり筋肉がついてて、軽くはないと思う私でも抱き上げてしまえるんだって知った。
ピアニストは繊細なだけじゃないんだ。
唯だって"女の子みたい"って言われていたのに、中学入ってからは言われなくなってた。
少しずつ少しずつ、唯は子供から少年に変化していった。
なのに、私はそれまでよりもっと、唯を"妹"扱いした。
可愛くてきれいな唯ちゃん。
・・・大好きな、大切な。


新しいシーツに取り換えられたベッドに横たえられ、私は身体から離れる唯の腕を寂しく感じた。
もうちょっと、抱っこされてたい。

「・・・今ね」
「うん?」
「唯に初めて抱きあげられた日のこと思い出してた。」
正確には、抱きあげられた"らしい"だけど。

唯は私の言葉に少し考えるように首を傾げたけれど、すぐにくすっと笑った。

「あの日は、遅刻どころか、欠席になっちゃったね?」

優しい笑顔。
胸が跳ねる。
きゅうんって苦しい。
あの日、おじさんが弾いてた「花の歌」を思い出す。

「唯」
「なに?」
「私、熱でおかしくなったのかな?」
「なんで?」

吐き出す息が熱い・・・のは熱の所為。
だけじゃない。

「――唯の腕の中が、一番落ち着くんだって、気がついちゃった。」


言って、その言葉がすとんと自分の胸の中に落ちてきた。


そうなの。
唯の腕の中が、一番落ち着く。
心地よくて、安心して・・・一番好きな場所。
そして、落ち着くはずのその胸の中は、同時に私の胸を高鳴らせる。

「唯」

言いながら、私は軋む腕を懸命に伸ばして、驚いた顔のまま動きを止めた唯の手を掴んだ。







2008,8,25




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