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slowly slowly slowly


step by step   − 24 −








起き上がっていることはまだ苦痛で、倒された助手席のシートでブランケットにくるまりながら、ハンドルを握る唯の横顔を見つめた。
男の人と意識してなお、唯はやっぱり"綺麗"で"可愛い"。

「私ねぇ、おばあちゃんがドイツ人なのよ」
唯のママ・・・おばさんは1/4欧州の血が流れていると、昔話していたことがある。愛くるしい笑顔で。
唯にも1/8、欧州の血が流れていることになる。
おばさんも可愛い人だったけれど、特別外国の血が流れているなんて意識したことがなかったのに、何故か唯は日本人離れした顔立ちをしていた。おばさんによく似ているのに、どうしてか不思議だった。それは淡い瞳の色とか、陶磁器のような肌の白さとか。髪の色だって、金色に近い栗色で・・・。
よくおじさんは「先祖がえりって奴かな?」と唯の頭を撫でていた。
あの頃はその意味がよくわからなかったけれど、とにかくフランス人形のような唯は、私から見たら天使のようで。

小さな頃から大好きだった。
一緒に居ると楽しくて安心して、離れていると寂しくて。
私の知っているどんな女の子より可愛くて。
何よりピアノが凄く上手で。
泣き顔ですら、愛しいの。
大きな瞳からぽろぽろと零れる涙は、ママが持っていたビーズにようにキラキラしてた。
だけど私が一番好きだったのは、はちみつみたいな甘くとろける笑顔。
見ている私まで溶けちゃうくらいの、天使の笑顔。
だけど。
いつの間にか、天使は大人のオトコになっていた――。




「着いたよ」

じっと唯の横顔を見つめていた私は、車がすでに停車していたことににも気付かなかった。
唯の言葉にはっとして、私を見つめる魅惑的な瞳と瞳がぶつかって、思わず息を呑む。
余程可笑しな顔をしていたのだろう、唯は私を少し驚いた顔で見つめて口端を緩やかに上げてくすくすと笑った。
ドキンと胸が跳ねあがる。
何度見てもきっと慣れることがない、オトコの顔――。
幼い頃の、天使の笑顔とは違う。
まるで魔王様のような凶悪な・・・美しい笑顔。

「理子・・・・・・間抜けな顔」

相好を崩して肩を竦める唯の言葉に、酷く恥ずかしさを感じる。

「ひどっ」
「可愛い」

ちゅっと音をたてて眉間にキスされ、私は絶句する。


「なっ・・・・!?」
何をするかっ!!
声に出せず、心の中で叫ぶ。
こんな唯は、慣れないんだってばっ!!!

一気に上昇する体温に、慌ててブランケットを目元まで引き上げた。
唯の車の中で、私は幾分頭がすっきりとしてきたんだと思う。
熱と初めての感情にうかされていた脳が、熱が下がってきたと同時にクリアになってきて――ありがたいこと、なんだけれど、唯への想いを自覚した私には、なんというか・・・衝撃的というか。
こういうスキンシップに過剰に反応してしまう。

「はい、ゆっくり息を吐いてー」

唯は真面目くさった顔で言って深呼吸を促した。
「っ・・・!」

私は呼吸まで忘れていたらしい。
唯に言われた通り、息を吐きだし「吸ってー」という言葉通りに息を吸い込む。
肺に新鮮な空気が入って、ほっとする。
呼吸を忘れるなんて、これも風邪の所為?
・・・そんなわけない、よね。
ちらりと唯を見れば、全てお見通しとばかりに微笑んで「楽になった?」と呟かれた。

醸し出される空気がやけに艶めかしい。
狭い空間で二人きり。
今まで気にしたこともないような距離なのに、心臓の音が聞こえてしまうのではないかと焦ってしまう。
そんな私の仕草のひとつひとつが楽しくて仕方ないとばかりに、唯は頬をなぞってくる。

「なんか、唯ちゃんっ、凄くえっちぃよっ!」

負けたくなくて(何になのかわからないけど)ジロリと一睨みすると、唯は「そりゃ、オトコですから」と肩を竦めた。
「えっちな生き物なんですよ。本来。」
理子が気付かなかっただけ。
内緒話を打ち明けるように声を潜めたそんな仕草が、また様になっている。
確かに、気づいていなかった。
自分自身の気持ちに。

唯の言葉が悔しいやらニヤけるやらで・・・口元が隠れててよかったと心底思った。
なのに、頬をなぞっていた唯の指がブランケットをずり下げた。

「うわっ」
「ニヤけてる。理子のがえっちじゃん。それに、"ちゃん"は禁止って言っただろ?」

ニヤリと不敵に笑みを浮かべた唯が近づいてきて、私はぎゅっと目を閉じた。
少し遅れて、私の唇に・・・唯の唇が重なる。
その瞬間、何度目かわからない甘い痺れに支配される。
一度、二度と繰り返されたキスは、胸の奥にとろりと甘いハチミツを流し込まれてるよう。
ゆっくりと瞳を開けると、嬉しそうな唯の顔が見下ろしていた。
鼻先にも口づけると、唯は運転席のドアを開けて優雅に車から降りた。
その背景が見覚えのあるものだったから、私ははっとしてフロントガラスの向こうを凝視した。

ここ、私のマンションの前だっ・・・!

単身者の多いこのマンションは、今くらいの時間(備え付けの時計によると20:13! )が一番帰宅者が多いのだ。
幾つかの人影が、車の脇を通り過ぎていく。
顔見知り程度のご近所さんが申し訳程度に存在するくらいだけれど、流石にこれは・・・!
フロントガラスの前を横切る唯の美貌に魅かれたのだろう、コンビニの袋とビジネスバックを片手に歩道を歩いていた男性の視線が唯を追いかけ、そして助手席で間抜けな面を曝しているはずの私の視線とぶつかった。

「いっ・・・・!」
いやーっ! と叫びそうになって、私は腿のところまで下げられたブランケットをがばりと頭から被った。
たいして交流があるわけじゃないけれど、それは紛れもなくこのマンションで何度か見かけたことのある顔だった。
顔が熱くなる。多分、火を吹いている・・・!
そりゃね、こんなシーン何度か見たことはありますよ!?
映画やドラマみたいなこと、人前でやっちゃえるんだーって具合に、そりゃもう、じっくり見ちゃってたりもしたんですけど。
でも、まさか自分がやっちゃったってのが、信じられない。

そんな私の心の悲鳴を知ってか知らずか、一度後部座席のドアを開けた唯はすぐに助手席のドアを開け、まったく気にした素振りもなく両手をシートと私の体の間に差し込んだ。
ま、まさか・・・! 
嫌な予感に体を強張らせると、「何緊張してるの?」と面白がるような声がする。
ここでそれをするの!? と慌てて顔を出すと、狙ったかのように顔を近づけ「やんちゃなお姫さまをお連れしますよ」と抱きあげられた。
やっぱりですか!?

「いや、あの、歩く! 歩くよっ」
「無理。靴ないって。」
「ええええええ」

"お姫様抱っこ"をされながら、唯の言葉にようやく、自分が靴を履いていないことに気付いた。

「でもっ」
「連れてく時もこうやって行ったんだから・・・今更、でしょ?」

記憶がない時と、今じゃ状況が違う!
ドアを閉め歩き出すと同時に、ぴっとドアロックがかかる音が背後で響く。
エントランスを抜け、エレベーターの前までくると、先ほどのサラリーマンが驚いた顔で私たちを見つめた。
なんというか・・・目を開けてることが照れくさくて、唯の胸に隠れるように顔を背け目を閉じた。
もう死んだフリ状態だよ。

「だ、大丈夫ですか?」
ブランケットで包まれている私を抱き上げているんだから、これは普通じゃないんだろうと彼も察知してくれたようで、チンと扉が開く音の後「何階ですか?」と親切に訊ねる声が続いた。

「ちょっと熱が高くて。すみせん、7階です。」
「たちの悪い風邪、流行ってるみたいですからね。」

当たり障りない会話の中で、唯が階を間違えて言ったことに気付いた。
私が言い直そうと目を開けると、見下ろしていた唯が無言で首を振った。
なんでだろう?
私の聞き間違いだった?

「あ、それじゃあお大事に。」
「ありがとうございます。」

親切な彼はそう言って先にエレベーターから降りて行った。
扉が閉まると、唯ははあっと息を吐いて不審な目つきで見ているだろう私に「理子、押して」と視線をタッチパネルに流した。

「5階で、いい・・・んだよね?」

7階で光ってるボタンを見て、不安になって訊ねてしまった。
そしたらまた、唯は溜め息。

「あのさ、彼はいい人だったと思うよ? でもね、正直に理子の部屋を教えるわけないでしょ?」
「そういうもの?」

気にしたことなんかなかった、なんて言ったらきっと唯は不機嫌になるだろう。
そう思って途中で止めたのに。
「・・・もういい。今まで無傷でよかったよねっ」
思いっきり不機嫌な顔で天井を見上げられてしまった。

「あー・・・ねえ?」
曖昧に答えた私になんて見向きもせずに、唯は「ちっ」と舌打ちしてる。
またやっちゃった!?
イライラさせたいわけじゃないんだけれど。
ああでも。
なんだか嬉しくなってしまった。
唯の不機嫌な顔も、私は大好きなんだもの。
そして、そんな顔をさせるのが、私だってことが・・・たまらなく嬉しい。

腕の中で小さく笑うと「何?」とようやく唯の視線が私に戻る。
怒ったような顔をしても、あー駄目。
こんな顔は幼い頃にだぶってしまうの。
ふにゃふにゃな気持ちになって・・・つい口が滑ってしまう。
「心配してくれるんだなぁーって思ったら・・・くすぐったくて」
言ってから、やけに恥ずかしくなってしまう。
唯が驚いた顔で凝視するから。

「ちょっと・・・いろいろ思い知ればいいよっ・・・・!」

心なし唯の頬に赤みが差したように思ったけれど、ちょうど5階に到着したエレベーターのドアが開いて、唯はまっすぐに前を見てしまった。
顎のラインを見上げながら、少し残念に思う。

まだ、私は知らないから。
唯のキモチ。

「鍵、上着に入ってるから。出して開けて。」
「はぁい。」

ああ、心の鍵も、こんな風に開けられたらいいのに。
私はそんなことを考えながら、抱かれたままの不安定な格好で鍵を差し込んだ。





* * * * *





理子は部屋に入ってすぐ、俺の腕から降りようとした。
お姫様のご要望通りにしたかったけれど、ふらつくことは容易に想像できたのでソファーに下ろした。
ベッドルームに連れて行っても大人しく寝ているなんて考えられない。
冷蔵庫いっぱいのいちごを扉を開けて見せれば、理子は満面の笑みを浮かべた。
鈴木さんが買ってきたいちごと俺が買ってきたいちごを一個ずつ頬張ると「美味しい」と頬を抑えて喜んだ。
その笑顔にほっとした。
もう大丈夫だろう。

「それじゃ、大人しくしてて。」
薬を飲むのを確認しながら、ずっと持っていた理子の携帯をテーブルに置いた。
マナーモードにしていたから、多分メールやメッセージが溜まってるだろう。

「・・・連絡しとけよ? 課長サンに。」
「そうね。弥生ちゃんにも"ありがとう"って言わなくちゃ。」
自分で名前を出しておいて、括りが佐倉さまと一緒だったことに安堵した。

しばらく言葉もなく見つめ合って、俺から視線を逸らした。
無防備な姿は欲望を増幅させる。

「鍵はかけてく。何かあったら電話して。帰りに寄るようにするから。」
「うん。」
「仕事はほどほどに。」
「ねえ、明日って仕事行っていいんだよね?」
「熱ぶり返さなきゃ大丈夫だと思う、けど。」
「よかったー」

この際、ゆっくりしようという気にはなれないようで、理子らしくて呆れる。
近づいて、理子の額に額をくっつけ熱の最終確認。
熱は下がったようだ。

そのまま引き寄せられるように理子に近づく。
唇を捕らえようとすると、理子が身構えたのを感じた。
流石に、焦りすぎだろうか。
だから軌道を上方修正して、額にキスを落とす。
理子は両手で額を抑え「また熱がでちゃう、よ」と小さな声で呟いた。

"思い知れ"なんて言って、思い知ってるのは俺自身だ。
まだ理子の前に立つ資格がないと思いながら、理子を前にしたらもっと欲しくなってしまう。
今まで培ってきた自制心なんて、なんの役にもたたない。
恋を自覚した理子は、なんて凶悪なんだろう。

「おやすみ、お姫様」

呟いて歩き出した俺に、理子は「唯!」と呼び止め、何か言いたそうにしていたけれど、諦めたように天を仰ぎ「ありがとう」と困ったような笑顔で言って手を振った。
何を言いたかったのか気になったけれど、俺は理子の部屋の鍵を閉めて特別なゲストが待つという treasure に向かった。
 

胸の中が理子への気持ちでいっぱいになっていた。
今なら、愛しい理子に捧げる音楽を奏でることができるかもしれない。
理子に触れていた指先が熱くなり、メロディーが押し寄せていた。
こんな感覚は久しぶりだった。



壊れてしまった音。
失ってしまった音。



理子の誕生日までにそれらを取り戻したいと強く願いながら、すでに賑やかなフロアーへ下り立った。
音哉が俺を見つけて手招きする。
一番奥まったスペース。


父さんのピアノが、弾き手もいないのに何故かライトアップされていた。









2009,11,1



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