novel top top

slowly slowly slowly

step by step   − 3 −







しんと静まり返った店内は、期待に満ちた眼差しと物珍しそうに見つめる瞳が一箇所に集まっていた。
腕まくりをして促すような視線を向ける青年と、その視線をわざと外すようにして静かにネクタイを緩めて隣に座る青年。
太陽のような笑顔を見せるショウくんと、月のような静かな笑みを湛える唯・・・ううん、蒼くん。
イイオトコと分類されるこの二人は、タイプこそ違えど、女の子が放っておかない人種であることは間違いない。
事実、店内はこの二人の圧倒的な存在感に支配されている。
私の心臓も脈打つ速度がいつもより速くなっていた。
でも、私にとって、【イイオトコ】が・・・心をざわつかせる原因なんじゃないって、わかってる。

唯に、手の甲にキスされたの・・・二度目。

一度目は、初めてキスをした、あの日。
それ以来、唯はもうそんなことしてこなかったけど。
お陰ですっかり忘れてた。
だから、唐突にあの感触を思い出して頬が熱くなった。
あの時は、触れた唇が柔らかで、キスを落とされた場所から大切に扱われていることを感じた。

今日は・・・儀礼的なキス。
挨拶のキス。
手の甲に二度目のキスを落とした後、混乱する私を置き去りにしたまま、唯はもう視線を合わせようとしなかった。

ずっと、ずっと、一緒に居たから、感情を見せまいとする伏せがちな唯の瞳に、動揺が走ったのを見つけていたけど。
ホストの仕事を見られるのがイヤなのかと思ったけど・・・・・・そうじゃないんだね?

なんで、ここに居るの?

そんな声が聞こえてくる気がする。
そうか・・・・私には知られたくなかったんだ?

ピアノの前に座った唯は、私の存在を消そうとするかのようにぎゅっと目を閉じた。

唯がピアノの前にいる。
その光景に私は瞬きを何度もして、これが夢じゃないことを確認してしまう。
一瞬、アイコンタクトした二人は息を吸い込んで、まるで真綿を押すように柔らかく鍵盤に触れた。

ほうっと溜め息が漏れるこの空間で、多分、私だけがまったく違う感情を抱いている。

━━ 唯、ピアノ続けてたんだ・・・。

流れるようなメロディーに、私は懐かしさで胸がいっぱいになって目を閉じた。

どこからか笑い声が聞こえてきた。
遠い昔の記憶が鮮明に浮かぶ。
ああ、あれは、私たちの笑い声。
二人並んでおもちゃ代わりに鍵盤を叩いていた。
そんな昔。
めちゃくちゃに鍵盤に触れて、めちゃくちゃな歌をうたって。
私たちはいつも一緒で。
優しい空間で、それがずっと続くんだと信じていた。
穏やかに、私たちがピアノで遊ぶのを眺めていた瞳たち。
大きくなるにつれ、私がピアノに触れることはなくなったけど。
それからも・・・ずっと一緒だった。
唯が上達していくのを、一番近くで見てた。
唯がピアノをやめたあの日まで・・・生活の一部のように流れてたメロディー。
5年ぶりに聞いた、唯のピアノの音色。
最後に聞いたのは、鎮魂歌(レクイエム)。
おじさんとおばさんの・・・唯のお父さんとお母さんの葬送のメロディー。
あの日を境に、唯はピアノを弾かなかったから。

つぅっと頬を涙が伝うのを感じて、慌てて頬を拭った。
見上げた先、唯の指先が繊細に鍵盤に触れている。
お父さん譲りの、繊細なタッチ。
ショウくんとの連弾は、息もぴったりと合っていて、彼もかなりの実力の持ち主なんだとわかる。
私には楽譜を読む力も、両手をバラバラに動かすセンスもなかったけど、唯の弾く曲がいつも最高の子守唄で、その音楽にくるまって眠るのが大好きだった。それが私に与えられた特権なんだって自負してた。
唯のお姉ちゃんだから、唯のこの音色は私だけのもの。
可愛くて、ピアノが上手くて、優しい唯。

・・・・・・唯が最愛の家族をいっぺんに失ってしまったあの時。
私はおじさんとおばさんに誓った。
『唯を家族のように大事にします。』
本当の妹のように。
今まで以上に。
私が、唯を守らなくちゃ!って・・・。

一昨日も、一緒にご飯食べたよね?
先週だって、映画に行ったよね?
だけど、唯はそんなこと言わなかった。
ううん、ホストを始める時も、大学を辞める時も、唯は私に相談なんてしなかった。
それでも、ピアノを再開する時には、きっと一番に言ってくれると、そう思ってた。
いつの間にか、唯は守られている【妹】なんかじゃなくなっていたんだ。
どうして、私は妹だなんて思ってきたんだろう。
可愛い唯は、しなやかで綺麗な大人のオトコになっていたのに。
ちゃんと・・・唯は悲しみと向き合って、立ち上がっていたのに。

私は、全然気がつかないで。
いつまでもお姉ちゃん気取りで。
唯がまたピアノと向き合えていたことさえ、私は知らなかった。

また唯がピアノを弾いているのが嬉しい。
何も言ってくれなかったことが悲しい。
相反する想いが胸の中でぶつかり合って、私の中で小さな嵐が起きていた。
整理しきれない感情が、子どものように溢れてしまう。

ソファーの上で指先が微かに震えて、私は両手を握り締めた。

そっと二人一緒に鍵盤から指を離すと、拍手が一斉に起こり、唯とショウくんはまたアイコンタクトして、そのままがらりと曲調を変えてアップテンポな曲を弾き出した。
あちこちからオトコノコが立ち上がって、ピアノの周りに集まった。
照明が明るくなったと同時に、オトコノコたちは元気に踊りだす。
後輩たちも立ち上がり、手拍子で盛り上げている。
クローク前に居た風太くんたちも、ピアノに合わせて踊っていた。
ジャケットを無造作に脱ぎ捨てると、驚く私に向かって笑顔で手を振った。
「ショウ!踊って!」
どこからか声が上がると、ショウくんが唯に何か耳打ちして椅子から立ち「了解!」と踊りの輪の中に入っていく。
それが合図になったかのように、オトコノコたちは、それぞれのテーブルからオンナノコの手を引いて行って、ダンスに巻き込んで行く。
弥生ちゃんや後輩たちも次々に参加して、店内は歓声と手拍子とピアノで一体となっていった。
「行きましょう?」
呆気にとられている私の前に立ち、風太くんが手を差し出した。
「踊れないよー。」
見てるだけでも楽しいよ?
私が笑顔で断ると、風太くんはぐいっと両手を引いて私を立たせた。
「嘘。さっきから足がリズムとってるよ?」
風太くんは私の爪先を指さして言うと、ピアノの傍まで私の手を引いて行く。
「これがこの店の売りなんですから、楽しんでもらわないと!」
言われて、たどたどしくステップを真似てみる。
「そうそう!いいカンジ!」

仕事ばっかりで、忘れてた。
思い切り体を動かしたの・・・久しぶりかも・・・。

フロアーは心地よいリズムに乗った人たちが、笑ってる。
唯のメロディーが私の胸を嬉しく弾ませ、なのに、言いようのない悲しさで包んでいた。

唯の力強いリズムが終わりを告げると、肩で息をしながらショウくんがピアノに向かい、今度は唯が椅子から立ち上がった。
ショウくんは深呼吸すると、スローテンポな曲を弾き始め、照明がまた少し落とされる。
途端に、互いの息がかかるほどに密着して、たゆうように踊りだす。
視線で誘いあいながら、体を添わせるオトコノコたちに、オンナノコたちはうっとりとさせられている。
私は手で火照った顔を仰ぎながら席に戻った。
ソファーに座ると視線が自然と唯を探した。
唯は弥生ちゃんと踊っていた。
弥生ちゃんが何か言うたびに、かがんでは耳元に囁いている。
ずきんと胸に痛みが走る。

あれは唯じゃない。
あれは"蒼"くん。

呪文のように何度も心の中で呟いて、私はやっと目を逸らすことができた。
それでも、胸の痛みは治まらなかった。

誰かに囁きかける唯なんて、今まで見たことがないから・・・。

私は苦笑する。

弟に彼女ができたら、やっぱり寂しいもん。
弥生ちゃんは彼女じゃないけど、これが"蒼"くんの仕事なんだけど。
でも、やっぱり。

ショウくんがゆっくりと鍵盤から指を離すと、照明が元に戻った。
弥生ちゃんが唯に手を振って、満足そうな上気した顔で戻ってくる。
「理子さん、どうでしたか?凄く楽しいでしょう?」
私は笑顔で「うん、楽しいね」と頷く。
「蒼くん、後でこっち来てくれるように言っておいたの。」
弥生ちゃんが後輩に嬉しそうに話す。

胸の中で、今まで感じたことのない、どろどろしたものが渦巻いているような感じがする。
醜くて、吐き出したくなるほど、この場から逃げ出したくなるほどの・・・・焦燥感・・・?
何に対して焦るのか、逃げ出したいのか、よくわからない。
ひとつわかっているのは・・・・唯が"蒼くん"してる姿は・・・・もう見たくないなってことだけ。
必死に逸らしたはずの視線は、どうしても"蒼"を捕らえる。
向こうのテーブルで、私と同じようなOLさんに肩を寄せるように、煙草に火を点けている"蒼"。
私は空になったグラスに自分でワインを注ぐ。オトコノコたちが「やりますよー」と手を伸ばすのを遮って。

ダメだ。私。
今日は仕事で来てるんだから。
唯を観察に来たわけではない。
これは歓迎会。

「ねえ、秘書課の課長さんって、有給申請した時の口癖がおもしろいのよね?」
弥生ちゃんたちが新人ちゃんたちに話すのを聞きながら、唯・・・蒼くんが見えないように、私は席を立ってショウくんの隣に移った。
「高瀬さん、楽しんでる?」
ショウくんが真顔で覗き込んできたから、私は驚いてまじまじとショウくんを見つめた。
「・・・楽しんでるよ?」
「その『・・・』の間が怪しいよね?」
「そんなことないよ?さっきのピアノだって。そうそう、ショウくんピアノ上手いのね。習ってたの?」
私が訊ねると、ショウくんはにっこり笑って「ありがとう」と言う。
「僕、音大だったから。ピアニスト目指していたはずなんだけどね。気がついたらこっちの世界に居たんだ。僕にはこっちの方が水が合ってたみたい。」
「音大・・・!」
私が唯と彼の接点に気がついたことに、ショウくんは意味深な視線を向けた。
「蒼はね、僕がスカウトしたんだよ?・・・・・・・・・・・・・ねえ、高瀬さん・・・・"唯"を知ってるんだ?」
"唯"という名前に、思わずショウくんの腕を掴んだ。
「ショウくんが、唯を?」
そんな私に、ショウくんは顔を近づけて耳元で声を潜めた。
「うん。僕です。ああ、そうか、高瀬さんが唯の"お姉さん"だね?」
ショウくんの長い指の中で、グラスの中の氷がカランと音をたてた。
「ショウ、ご指名だよ。」
頭の上から聞こえた声が不機嫌に告げて、私は慌てて掴んでいた腕を離した。
ショウくんはくすくすと笑って立ち上がると、肩を叩きながら言う。
「そんなに睨むなよ。蒼。」
唯はショウくんの耳を引っ張ると「生まれつきだよ!」と乱暴に言った。
「お前がそんな風になるなんて、ホント珍しいよね。」
「うるさいよ、早く行けって。」
じゃれあうようなその仕草には、二人が昔からの知り合いであることを裏付けている。
その表情は、私の知っている"唯"だったけど。
「蒼くんっ、あと少ししか居れないんだよー?来るの遅いよー!」
弥生ちゃんの隣に座ったのは、私の知らない、ホストの"蒼"と言うオトコノコ。

いろんなことが一気に起きてる気がする。
私のペースとは・・・無関係に。

春の嵐は、気まぐれだ。







2006,5,6




nextback


slowly x 3 top novel top

topへ





Copyright 2006-2009 jun. All rights reserved.