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slowly slowly slowly

step by step   − 4 −







視界にどうしても入る"蒼"は、賑やかに話をするわけでも、オンナノコに特別優しいわけでもなかった。
馴れ馴れしくすることもない。
外されたままの視線はどこか儚げで掴み所がないような気がする。
それが女心をくすぐっているのだと、向かいに座った蒼くんを後輩たちが耳打ちした。
「あんな綺麗な瞳で見つめられたら、私、心臓もたないと思いますよ!」
弥生ちゃんの一つ年下の川名さんが胸を押さえて呟く。
「川名さんの目が綺麗だから、そう見えてるだけですよ?」
蒼くんは不意に水割りを作る手を止めて、川名さんを見つめてそう言うと、困ったように笑う。

話を聞いていなそうで、それなのにちゃんと欲しい言葉をくれて。

「蒼くんって、彼女と一緒の時もそんな感じなの?」
川名さんが頬を両手で押さえながら訊ねると、ちらりと私を見たから、心臓がどきんと大きく跳ねた。
しばらく考えるようにして、蒼くんは溜め息交じりで呟く。
「・・・・・・僕、彼女居ませんよ?」
ね?
と、蒼くんは私をまた見て、確認するかのように小首を傾げた。
「ほんと!?」
「えーそうなのー!?」
弥生ちゃんや川名さんたちのはしゃぐ声や蒼くんの声が、フィルター越しのように感じるくらい遠くに感じた。

確かにね、唯には特別な女性の存在を感じたことはないけど。
・・・・・・・。
蒼くんの言葉に胸が苦しくなるのは、なんでなんだろう?

「ああ、でも、大切な女性はいますよ。何よりも大事で、僕にとっては宝物のような人です。あんまり綺麗だから、僕は手を出せないんですよ。」
はっきりと告げた言葉は揺るぎなく、蒼くんの言葉にみんなが思わず赤面していた。
「彼女じゃないのに?」
弥生ちゃんが不思議そうに訊ねた。
「彼女じゃないけど。」
「そんなんじゃ、誰かに宝物盗られちゃうんじゃない?」
「それは・・・困る・・・な。」
苦笑する蒼くんは、瞳を伏せた。
そんな姿は、まるで傷付いた、いたいけな少年のよう。
「誰にも、渡すつもりはないんだけどね?」
静かに、けれどはっきりと呟かれた言葉。
クールに見えるこの人の中で、どんな熱がくすぶっているのか、そんな好奇心と誰かわからない蒼くんの想い人への憧れを瞳に湛えて、みんなが見惚れている。

私は蒼くん━━唯の想い人にあたりそうな人を思い起こしていた。
かなりの時間を一緒に過ごしていたけれど、唯をオトコとして見てこなかった私には、まったくその姿を垣間見ることができなかった。
一体、どんなヒトなんだろう?
私はあんなに相談したのに、唯は話してくれたことはない。
寂しいじゃない・・・?

「弥生さんの彼氏は?」
ヒロくんが訊ねると、そこから恋愛談議が始った。
私はこれが始ると参加できない。
それでも、最初の頃の気まずさは、アルコールの所為か随分消えていた。

ピアノのことは、後で聞いてみればいい。
きっと私が聞かなかったから、答えなかっただけだろう。
唯はいつだって、私の話に耳を傾けてくれる。
私に内緒にしてたわけじゃない・・・よね?
だから、悪いように考えるのはやめよう。
歓迎会で悩むことじゃない。
・・・でも、これって支払いいくらなのかな?
ああ、明日休みだし唯と映画行きたかったんだけど・・・こりゃ二日酔いかなぁ・・・・。

空になったグラスにワインを注ごうと手を伸ばすと、気がついて先にボトルに手を伸ばしたヒロくんを制して、蒼くんがボトルを奪った。
「・・・こういうトコ、苦手でしょう?注がれるの嫌いだもんね?」
囁きかける口調は、蒼くんではなく、唯として。
私は小さく頷いて、蒼の手からボトルを奪おうと指先を伸ばした。
「知ってるんだから、それ貸して。自分でする。」
「ここは、こういうお店なの。大人しく注がれていなさい。」
「私は自分のペースで飲みたいだけよ。」
くすっと笑いながら、蒼くんは私の手にグラスを握らせると、さらに小さな声で呟く。
「これも練習だよ。」
そんな仕草が、妙に大人っぽくて悔しい。
「なんの練習よ・・・」
私が渋々グラスに注がれるワインを見つめていると、川名さんが振り向いて言った。
「そうだ、理子さん、さっきの電話、なんだったんですか?まさか仕事?」
「ええ、まあ、そんな感じかな・・・?」
あれは仕事とはいえない。
確かに上司からの電話ではあったけど。
「まさか、紺野課長ですか!?」
私が小さく勝ち誇ったように笑う蒼くんを横目で睨みつけてからグラスに口を付ける。
「そのまさか、ですよ?」
すると、川名さんが「やっぱり〜!」と頬を紅くした。
「フランスから電話だなんて!やっぱり、高瀬さん、付き合ってるんでしょう!?」
「えっ?」
気がつけば、みんな私のことを見つめている。弥生ちゃんが、身を乗り出して瞳を輝かせている。
「今、みんなで言ってたでしょ?もう!理子さんとぼけないでよ!紺野課長と付き合ってるよね?」
「へっ?」

ちょ、ちょと待って!
いつの間に私の話になんかなったの?

「別れたってのは、やっぱりガセだったんだぁ〜」
「外企の紺野さん、今フランスだけど、帰ってきたらじっくり見に行くといいよ!仕事できるし、イイオトコだよ〜」
「いいなー。紺野さんって優しそうですもんね〜」
「待って!私、課長とは・・・」
「理子さんてば、何にも言ってくれないんだからー」
弥生ちゃんがちょっとふてくされたように、唇を突き出して言う。
「でも、秘書課でも有名ですよね。高瀬さんと付き合うと、みんな出世するってぇ」
ええと、名前は忘れちゃったけど、あなた、それは事実と違いますよ〜っ・・・!
「すぐ別れちゃうんだけどね!だから"恋多き"なんて言われちゃうんですよね、理子さん」
弥生ちゃんの一言で、私はなんだか場外に吹き飛ばされてしまった気分だった。
私があんまりのことに口を利けないでいると、恐ろしい速さで現実とは違う私の恋愛遍歴が(私だって初めて知ったわよ!な) 飛び交っていた。
ぐったりとしてソファーに寄りかかると、川名さんがうっとりと見つめてきた。
「紺野課長って、素敵ですよね。いいなあ、高瀬さん」
「・・・私、課長に振られましたよ?もう、ずっと前にハキョクしてます」
あの日のことを思い出して、なんとなく蒼くんを見た。
参加するでも、参加しないでもなく、弥生ちゃんたちの話を聞いている蒼くんは、ちょっと不機嫌そうに見えた。
私がそんな気分だから、そう見えただけかもしれないけど。

その唇を見つめて、急に胸がざわめきだす。
甘く痺れるような、あの心地よいキスを思い出してくらくらした。

「本当ですか!?私、紺野課長いいなあって、ずっと想っていたんですっ」
川名さんはさっきよりも勢いづいて、私の手をとった。
「今度、相談に乗ってくださいねっ!」
蒼くんが、私から目を逸らしたまま溜め息を吐いたのを感じた。






* * * * * * * * 





クロークでコートを受け取って、まだはしゃいでいる後輩たちから離れてキャッシャーに居る弥生ちゃんの後ろに立った。
「給料日前に悪い遊び教えちゃったかなー。」
弥生ちゃんはくすくすと笑いながら、マネジャーだという黒田さんに耳打ちした。
黒田さんという人も、ホストと言っても疑わない。
多分40代前半くらいなんだろけど、とても品のある佇まいで、熟成された感じだった。
「サービスさせていただきますよ、いつでも。」
にっこりと笑うその営業スマイルに、弥生ちゃんは満足そうに頷いた。
ショウくんが駆け寄ってきて、弥生ちゃんの隣に立ち、いかにもさりげなく肩を抱いた。
「ごめんね、今日はゆっくり付き合えなくて。」
「ううん、ありがとう。楽しかったよー。また遊びにくるね。」
蒼くんは指名が入ったとかで、私たちが席を立つときにはもう違うテーブルに移っていた。
ショウくんは私と向き合うと、名刺の束をさし出した。
「ダメだよ、理子さん。名刺ぜーんぶ忘れていたでしょ?」
「あ、ホントだ。」
ごめんね、と受け取ると、ショウくんは私の手を掴んで耳元へ息がかかるほど唇を寄せた。
「僕の名刺、メアドと携番裏にあるから・・・興味あったら連絡して?」
「・・・多分、私もうここへは来ないけど?」
上客にはならないよ?
私が苦笑して言うと、ショウくんは困ったな、と呟いた。
「ホストとしてじゃないんだけどな」
「?」
私が何か言うより早く、ショウくんは川名さんたちに笑顔を向けて「またきてね」と声をかけている。
唯のことで、何かあるのかな?
「高瀬さん、もう来ないの?それは残念だなあ。」
風太くんがしょぼんとした顔で私を見下ろしていて、私はこれも営業なのかな?と思わず笑った。
「風太くんのダンスかっこよかったよ?」
「指名なんていいからさ、なんだか高瀬さんて、見かけによらず可愛い人なんだなって想ったんだよね。ゆっくり話をしてみたいなーってさ。」
だから、またきてよ。
風太くんはウィンクして、手を振った。



お店から出ると、風は少しも収まっていなかった。
「さーて、お疲れ様でした。どうする?どこか流れる?」
弥生ちゃんが後輩たちに声をかけて、まだまだ遊びたそうな雰囲気が伝わってきた。
そろそろ私は引き時だ。
「それじゃ、私はそろそろ帰るね?もう、眠くて眠くて。」
私が大きく伸びをして言うと、突風が吹きつけた。
弥生ちゃんが私のウェストにしがみついてきた。
「風が強くてやだよ〜。髪がめちゃくちゃになるよう〜理子さん、今日はありがとう〜!また遊ぼうね?」
酔っぱらった弥生ちゃんは、キス魔になるって、川名さんたちは知ってるから、大丈夫よね?
私はそんな風に考えながら、弥生ちゃんをわざと抱きしめて耳元で囁いた。
「楽しかったよ、ハニー。また遊んでね」
きゃあきゃあと歓声をあげる後輩たちにも「おやすみ」と声をかけ、私はタクシーを捕まえた。

携帯を出して、唯にメールした。

明日、映画行こう?
仕事終わったら電話して。
何時でもOKだから。    理子

送信してから、私はタクシーの窓から外を眺めた。
桜の花びらが、幾つも窓に張り付いていた。
頭の中は、飲みすぎた所為でくらくらしていた。
考えなきゃいけないことが、あった気がする。
ああ、私がどんな風にみんなに見えているのか、よくわかった気がした。
でも、見かけによらず・・・っても言われたわよね?
考えようとしても、思いがあちこちにいってまとまらない。

大丈夫。仕事を終えた唯が、携帯を鳴らしてくれるだろう。
そしたら、明日の予定を決めて、それで話をしよう。
唯ちゃんと、明日は、どこに行こう?何を観ようか?

カーステレオから不意に流れてきたメロディーに、涙が溢れた。
それは、唯とショウくんが連弾した曲だった。

もう一度、唯ちゃんが弾くピアノを聴きながら、眠りたい。
子供の頃のように。







2006,5,22




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