第71章  安康天皇(2)

  7歳の眉輪の王まゆわのみこ が 父親の仇安康天皇の寝込みを襲い 刀で首を刺し殺害してしまった。
  安康天皇の
大長谷の王
おおはつせのみこ
黒日子の王 くろひこのみこ 白日子の王 しろひこのみこ も二人の兄に
  天皇の仇討ちをしようと 持ちかけた。
  だが 二人の兄は 共に
自分たちの兄の仇討ちなのに 俺には関係ないという素振そぶ を示したのでした。
  他人ごとのように 白々
じらじら しい態度の 不甲斐無い二人の兄たちでした。
  自分の実の兄
あに である
安康天皇が殺されたという一大事なのに 無気力な知らんぷりを装う二人の兄。
  この二人の兄の態度に激怒した
大長谷の王自分一人で 仇討ちを行うことを 決意して
 
二人の兄を 次々と 切り殺してしまいました。
                     
気持ちは分からなくもないが 大長谷の王は なんて 気が荒い人なんだ‥‥‥ボサツマン
  眉輪の王都夫良意富美自害する
  仇討ちに加わらない二人の兄を ぶった切って殺害した大長谷の王
おおはつせのみこ は たった一人で
  眉輪の王
 まゆわのみこ が 天皇を殺害後 逃げ込んだ 都夫良意富美つぶらおおみ の家に 殴りこみました。
  都夫良意美の屋敷でも 軍備を構え 待ちうけていました。
 
大長谷の王は たった一人で 矛ほこ を振り回し盾たて 飛び交う矢を躱かわし 相手の軍隊を蹴散らかし
  威風堂々とした度胸で 家の中へと突入した。
 この度胸極まる行動に驚いた
美は
身に帯びた刀剣を捨て
八度の拝礼はいれいを行い申しあげた。
 
大長谷の王よ あなたさまより 賤いやしい身分の私は 力を尽くして戦っても あなたさまには勝てません。
   しかし
今の私は お世話になった主君の可愛い眉輪の王 身捨てることはできません。
   葛城の五カ所の屯倉 みやけ を差し上げ 私も眉輪の王も 共に自害する覚悟でございます。
   その後
我が
訶良比売
からひめ を あなたの妃に向かえてください ぜひ 私の願いを叶えてください」。

 
これ以上 大長谷の王と戦っても無理だと判断した都夫良意富美は 訶良比売を妃にして欲しいと伝え
 まもなく 眉輪の王と都夫良意富美は 自害しました。

 安康天皇の家臣 根の臣の
讒言
ざんげん が発端となった 無意味な殺し合いは やっと終了しました。
  この事件で ハッキリさせねばならないことは 誰が一番悪党なのか ということです。
  そいつは 大日下の王から 敬意の印
しるし として献上された 「玉蘰 たまかずら を ネコババしたあげく
  さらに 天皇に嘘の報告
讒言した
にっくき 根の臣ねのおみ の野郎です。 ‥‥‥‥ボサツマン 吠える
  だが この讒言野郎のその後については 記がありません。   う〜 悪党をノサバラセテはならん
……ボサツマン

  この事件から
しばらくたった頃 大長谷の王が忍歯の王を殺害する讒言事件が また勃発した。
                                    
また 大長谷の王が関与しているのか……ボサツマン
  ある時 近江の国の
韓嚢 からぶくろ という者が 大長谷の王に 申し上げた。
 「大長谷の王さま 淡海の蚊屋野
かやの には数多くの猪や鹿がいます。 角は枯れた松のように見えるほど
  その立つ足は 林が広がっているように見えるほど 無数にいるのです。猪
鹿狩りは 楽しいですよ」。
 さっそく 大長谷の王 17代/履中天皇の皇子で 従兄いとこ にあたる忍歯の王 おしはのみこ を誘って
 家臣を多数引き連れて
淡海の国
蚊屋野
かやの の地へ 鹿狩りに出向きました。
 蚊屋野かやの の地へ到着した 二人の従弟
いとこ 別々に仮宮の宿を造りました。

 忍歯の王の父親は 17代/履中天皇です。 大長谷の王の父親は 19代/允恭天皇です。
 
この履中天皇と允恭天皇は兄弟で 父は 16代/仁徳天皇にんとくてんのう です。
 
つまり 大長谷の王と忍歯の王は従兄・いとこ・の関係です。      「仁徳天皇の御子」:「履中天皇の御子

  狩りが大好きな忍歯の王
朝早く起きて 大長谷の王の宿の前で 馬上から 仮宮の前の門番に
  「
王は まだお目覚めではないのか ハハハ もう朝であるぞ」と 朝の挨拶として ひと声かけた。
  そして 狩り野へ向かって 一目散に馬を走らせた。
 
忍歯の王朝の挨拶を聞いた門番だったが 聞き間違えたのかあるいは 何を誤解したのか
 
「まったく 嫌味な言い方をする人です。 王 武装して出かけたほうが良いですよ」と 大長谷の王に報告した。
  言葉は聞いた側の人間が 誤解を生じやすいものです。
 この門番の話を 深読みした大長谷の王は ”兜””鎧”かぶとよろい を身に纏まと帯刀たいとう し弓矢を背にして
  馬に乗り込み
”ムチ”を入れ 忍歯の王追いかけ 狩り野へ向かって突進していきました。
 
大長谷の王は 忍歯の王に追いつくなり いきなり矢を抜いて 忍歯の王を射ぬいた
  さらに 馬から落ちた忍歯の王の身にまたがり 止
とどめを刺した。 さらに その身を斬り刻んで
  馬の飼葉桶
かいばおけ に入れて 草叢くさむら に 誰にも気づかれぬように 埋めてしまったのです。
                アヤヤヤ!またまた なんでこうなるの 忍歯の王は朝の挨拶を言っただけでしょう!
                  
言葉のとり違いは恐ろしい
それにしても 大長谷の王は 気性が荒過ぎる ‥‥‥ボサツマン
 諺に 「口は禍の元」とあるように またも 讒言の犠牲者が出た
  だが この事件は 最初から仕組まれていた計略であったという 伝えがある。
  というのは 安康天皇は 次の世継ぎを 忍歯の王に考えていたらしい のです。
  そこで 次の天皇になりたかった大長谷の王忍歯の王殺害を 計画したという説もある。

 忍歯の王の二人の子 播磨へ逃げる
 
殺された忍歯の王おしはのみこ の 二人の子たちは 自分たちの身に危険が及ぶ前に すばやく 逃げだし
  安全な土地を求め 丹波の国を抜け ようやく 播磨
はりま の国(兵庫県南西部)まで 辿り着きました。
  まだ幼い二人の兄弟は
17代/履中天皇の”まご”なのです。 皇族の身分なのです。
  しかし この兄弟は身分を隠して逃げまわるしか 生き延びる方法がありません。

  そして この土地の長 おさ 屯家
みやけ 朝廷の倉元を担っていた 「志自牟」しじむ の家に雇われました。
  幼い二人は名を隠して住み込み 馬や牛の世話や下働きの仕事をして 働きはじめました。

  ところがです
捨てる神あれば 拾う神あり」。 ヤッパリはおりました。
  神は
この二人の兄弟を 身捨ててはいませんでした
  神は
第23代/顕宗天皇 けんそうてんのう に即位する 相応しい人を 考えておられました。
  そして 二人の兄弟のうち 弟の
袁祁おけ の命みこと」が 「顕宗天皇 けんそうてんのう に即位されたのです。
  命からがら 播磨
はりま の国へ逃げた弟が まさか!天皇になるとは……人の人生は神のみぞ知るです。
                          
世の中には 登り坂も下り坂も まさか もあるのです……ボサツマン
  崩御: 安康天皇は 御年56歳で崩御された。 御墓は 菅原の伏見の岡(奈良市宝来町)    合掌
     
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