第65章   第17代/履中天皇記(1)

 第16代/仁徳天皇 崩御された後 仁徳天皇と石之日売の命長男伊邪本和気の王 いざほわけのみこ
 
第17代/履中天皇りちゅうてんのう として即位された。
                        「仁徳天皇の子
 
履中天皇は 最初の宮難波の宮から 若桜の宮 わかさくらのみや (桜井市池之内)に移転して 天下を治めていた。
 移転した理由は 実弟墨江の中津王
すみのえのなかつみこ が起こした謀反 むほん から逃れるためでした。

 ☆
 履中天皇皇后
  
履中天皇と 葦田あしだ の宿禰すくね の娘である 皇后黒比売の命 くろひめのみこと 御子は三柱で
   兄忍歯の王 おしはのみこ  御馬の王 みまのみこ  飯豊の王 いいとよのみこ
  
末娘飯豊の王第22代/「清寧天皇 せいねいてんのう の時代には 次期天皇選出に大きく関与した人物です。
  
18代天皇と 19代天皇に即位したのは
  
18代/反正天皇 はんぜいてんのう には 第16代/仁徳天皇の三男水歯別の命 みずはわけのみこと 即位
  
19代/允恭天皇いんぎょうてんのう には 第16代/仁徳天皇四男男浅津間若子の命 おあさつまわくこのみこと が即位した。
   つまり 履中天皇の子
忍歯の王 おしはのみこ 御馬の王 みまのみこ も 皇位に就くことは ありませんでした。
   とくに 忍歯の王は 後に ある人間の讒言
ざんげん に依り 大長谷の王に殺害された
  似たような名前  名前が似ていますが もちろん 別人です。
  第17代/履中天皇
りちゅうてんのう 皇后黒比売の命 くろひめのみこと という名です。
   第16代/
仁徳天皇
にんとくてんのう には 黒日売 くろひめ という名前の妃が おりました。
  この黒日売
くろひめ は 仁徳天皇の
皇后石之日売 いわのひめ うわなりねたみ」を受けたことで
  恐れをなして
 実家に泣き泣き逃げ帰った妃です。
  履中天皇実弟 墨江の中津王 すみのえのなかつみこ の謀反                  「大嘗祭 だいじょうさい
  履中天皇が まだ 難波の宮で政治を行っていた頃 新嘗祭 にいなめさい 豊明りの酒宴開催したその日
  天皇は 祝いの酒を飲みすぎて深酔いして その晩はグッスリと 眠ってしまった。
  すると
実弟墨江の中津王天皇の寝室大殿に火を付け天皇を殺害しようとした。
  しかし 真っ先に異変に気づいた
家臣
阿知の直
あちのあたい 泥酔したまま目が覚めない天皇を抱きかかえ
  外へ逃げだし馬に乗せて 大和に逃げのびたのでした。
  馬を走らせ やがて 多遅比野
たじひの (大阪府羽曳野市 はびきのし に着いた頃 天皇が目を覚ましビックリし
  
ここはどこだ?私はなぜここにいるのだ 家臣阿知の直 あちのあたい に聞いた。
 
家臣阿知の直が 答えます。

 
「殿が就寝の後 中津王が謀反を企て 大殿にを放ったのです。 
  
深く眠ったままの殿を私が馬に乗せて この多遅比野
たじひの まで逃げてきました。
  殿のお命が助かって 大変 嬉しゅうございます。
 では これから大和へ向かいます」
 
阿知の直の説明の後 天皇は 多遅比野の丘から難波の宮の方角を見ると 赤々と炎上するが見えた。
  この事件を機に 天皇は難波の宮の地を離れ 若桜の宮へ移られたました。
  さて 大和へ向かって進む途中 大坂の山
おおさかのやま の穴虫峠あなむしとうげ の入り口付近では
  向こうからやって来た若い
乙女が 天皇に申し上げた。
 
天皇さま 武器を持った兵隊が多勢 山の麓に待機しています 当岐麻道 たぎまち へ迂回する道が 安全でしょう
 大和へ行く一番近い道穴虫峠 あなむしとうげ の道なのだが 峠の麓ふもと では 実弟中津王の軍隊が
  天皇の命を狙って待ち伏せしているので
当岐麻道たぎまち へ迂回する道が安全と 教えてくれました。
  天皇と
阿知の直は 乙女の言葉を信じ 当岐麻道を廻って進み 無事に大和に到着しました。
  大和に到着した
履中天皇そのまま石上神宮 いそのかみじんぐう (天理市布留)に お入りになられた。
 
履中天皇 りちゅうてんのう は 地元の乙女に救われたのでした。       よかった!よかった!
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