常不軽菩薩品第20 じょうふきょうぼさつぼん
世尊 キリット顔を引きしめ
「得大勢菩薩 とくだいせいぼさつ よ そして 大衆の皆さん 今 しっかりと悟るときなのです。
法華経を行じる衆生は 六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が清浄になり 広大無辺の功徳が授かるのです。
法華経の教えを受持し五種法師を行じる 「比丘/比丘尼/優婆塞/優婆夷」に対し もし ある衆生が
悪口を言って罵ののし るならば また 欠点を指摘して詰め寄ったり 責めたり したならば
その衆生は 大きな罪の報いを受けることになります。
私の今までの説法を聞いてきた多くの衆生のほとんどが 仏の真意を理解できたことと思いますが
まだ 少数の衆生たちは 未だ弱気心のまま自分には法華経を実行できる自信がないと思っているでしょう。
また ある衆生は 五種法師の行を形式的に行うことでもいいのだ と思っていることでしょう。
このように ごくごく少数の衆生を除いたほかの 皆さんの多くは
五種法師の行を一生懸命修行し 神通力を得て世の人々を救いたいと願う気持ちを強くもっているのです。
そこで ひとつの話を聞かせましょう。
無限の過去の時代のことです。離衰りすい という時代に 大成だいじょう という国がありました。
その仏国土ぶっこくど を治めていたのは 威音王如来 いおんおうにょらい という仏ほとけ でした。
威音王如来は その国で衆生に法を説いておられました。
「声聞/縁覚」しょうもん/えんかく を求める衆生には 「四諦の法門」したいのほうもん と 「12因縁の法」いんねんのほう を説き
菩薩の境地に達した衆生には 最高の悟りを得る道である 「六波羅密」ろくはらみつ を説いていました。
威音王如来の滅後も 正法しょうぼう の時代 ー真理の法が実行された時代ー が 長くつづきました。
その後 正法の時代の数倍も長く 像法ぞうぼう の時代 ー仏の教えが形式として残っている時代ー がつづきました。
やがて 末法まっぽう の時代 ー真理がまったく身失われた時代ー の時代になると
再び 威音王如来 いおんおうにょらい が現われて 前と同じように 同じ真理を説きました。
過去世から 二万億の威音王如来が教えを説きに出現され その仏の教えは脈々とつづいています。
さて 仏の教えが形式として残る時代である 像法ぞうぼう の時代では
仏の教えを研究材料にしたり 形式的な戒律だけを重んじる風潮が蔓延はびこ るようになり
我は「阿羅漢」あらかん なりと 肩で風をきって歩く横柄な態度をとる 増上慢の輩やから が多くおりました。
そんな像法の時代に 常不軽じょうふきょう という名の 風変わりな一人の菩薩修行者がおりました。
この修行者が 常不軽じょうふきょう と呼ばれるのには ある理由がありました。
この修行者は 出家人・在家人など関係無しに 誰にでも どんな人にでも 両手を合わせ礼拝して必ず
ー私はあなたを軽んじません あなたを敬います なぜなら あなたは仏になる人ですからーと讃歎の言葉を言っていました。
経典は読誦しない
常不軽は 経文は唱えずに ただ人を見れば 礼拝するばかりでした。そして必ず
”わたしは あなたを軽んじません あなたを敬います あなたは必ず仏になる人なのです” と唱え合掌するのでした。
ところが 心が濁っている大勢の衆生たちは
”うるさいわ 俺たちが仏になる訳ないだろう デタラメを言うな この馬鹿な比丘びく 野郎”とバカ者扱いして
こぶしを高く振り上げ 石を投げつけ 大声で怒鳴りまくるばかりでした。
怒鳴られても 石をぶつけられても 常不軽は挫くじ けることはありませんでした。
長い年月の間 罵ののし られながらも 何も変わることなく 人に出会う度たび に必ず 拝みつづけるのでした。
来る日も来る日も 人を見れば ”あなたは仏になる人です”と 唱えつづける毎日でした。
仏の教えを知らない群衆は 棒で叩いたり 石をぶつけたりして‥‥本気で怒りだす始末です。
そのたびに常不軽は 遠くへ走って逃げて 又 振り返って
”わたしは あなたを軽んじません あなたを敬います あなたは必ず仏になる人なのです” と 大声で叫ぶのでした。
やがて 世間の増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷たちは
いつも ”あなたを軽ろんじません あなたは仏になる人です”と 言いつづける菩薩修行者を
常不軽菩薩 じょうふきょうぼさつ という名でよぶようになりました。 つづく さて この常不軽菩薩が‥‥