常不軽菩薩品のまとめ
  この品は
人間が住み暮らす普通の社会を舞台にした 身近な感覚で説いています。
 登場する比丘
比丘尼優婆塞優婆夷とは 出家者 信仰者 及び 社会のすべての人間を示唆しています。
 
常不軽 じょうふきょう という1人の修行者が 世間の人々からバカにされながらも
  ”
人間礼拝”という美徳行 びとくぎょう 来る日も来る日も行っておりました。
  その美徳行の功徳の因縁で常不軽の生命が延び
多くの仏のもとで修行を積んで衆生に解説げせつ して
  法華経の教えを説くという
浄行 じょうぎょう を行なっておりました。
 
世尊
 「私
(世尊)はこれまでに 五種法師ごしゅほっし を行じなさいと 繰り返し説いてきました。
  そして 同時に 五種法師の行の
広大無辺こうだいむへん な功徳 説いてきましたが
  普通の凡夫は
とうてい自分には完全にはできそうもないとか まあ形式的にやるだけでいいとか
  こういう安易な気持ちや
低きに流れる自分をあっさりと認めてしまう気持ちを 捨て切れていません。
   
                   残念ながら オイラもその程度なものです……すいません…… ボサツマン
  凡夫の修行は
すぐ挫折しやすいので (世尊)
 
凡夫を叱咤激励しったげきれい の目的で 常不軽という普通の人間の話をしたのです。
  つまり
常不軽という過去の人間のお手本を 示したのです」。
               
それにしても 常不軽菩薩 世尊の過去世だったとは もうビックリした‥‥ボサツマン
 いままでの各品では 世尊と衆生は 天と地ほどにかけ離れておりました。
  この品で世尊は
自分の前世の姿を示しながら 凡夫の身近な普通の人間常不軽を登場させたのです。
  我々凡夫にとっては
大きな励みとなり 新しい勇気がふるい起きてくるのです。
  世尊は衆生に
まづ常不軽の真似から始めればいいのだ と教えている品なのです。
 常不軽菩薩品の教えの要点  この品は 人間礼拝を教えています。
  第1の要点
 自分の仏性を発見すること。
  他人を拝むことは
その人の仏性ぶっしょう を拝むことであると 教えています。
  この品は
仏教の原点である 一切衆生悉有仏性 いっさいしゅじょうしつうぶっしょう を説いています。
  一切衆生悉有仏性とは
すべての衆生は皆仏性がある という意味です。
  自分にも仏性がある
ということを心の底から自覚し 魂の奥深く覆い隠れている内面の仏性を
  明るみに引きだして
育てあげることで 生き生きした人生が送れると 説いています。
  声聞
縁覚の境地が 自分の仏性を発見する第1歩の段階と 説いているのです。
  仏の教えの基本は
人は皆仏性があるのだから 自分も他人も共に大切にすることです。
   
        仏教とは人を大切にする教えなのですね いい薬です 太田胃酸 …あ違った いい教えです……ボサツマン
  第2の要点
 人の仏性を拝み出すこと。
  常不軽菩薩が
来る日も来る日も出会った人に あなたは仏になる人 と拝んでいました。
  ”
人の仏性を拝み出す”こと これが菩薩行の大眼目だいがんもく です。
  世尊は
罪業ざいごう の塵ちり ほこり にまみれている魂にも 仏性は必ずある と説いています。
 
仏性とは灯りである。 この一点の灯りを持たない人間はいない 皆必ず有るということです。
  
                                 素晴らしい教えです ‥‥ ボサツマン
 
 経文にある而も是の比丘 専らに経典を読誦せずして 人を礼拝すとは ← 「ここの1節
 
意味:
 常不軽菩薩
じょうふきょうぼさつ 専心せんしん に教典を読誦どくじゅ することなく 人を拝んでばかりいた。
  ここは
読誦は必要でないという意味では ありません。
  世尊は
像法ぞうぼう の世の 形式的な読誦の流れの無価値を 説いているのです。
  形式的に行う読誦
どくじゅ 読経どっきょう よりも 人の仏性ぶっしょう を拝みだすことの方が大切なのである。
 
それが仏教の生命であるのです 世尊は強調して説いているのです。
  常不軽菩薩は
あらゆる人に対して わたしはあなたを敬います なぜなら あなたは仏に成る人だからです
  あなたは仏に成る人だから
あらゆる人の仏性を礼拝しつづけました。
  人間の実相
じっそう は仏性
ぶっしょう である と 常不軽菩薩は知っていたのでした。
  常不軽菩薩は
人を心から褒める順化じゅんけ という方法を 人を教化する手段に用いたのです。
  順化
じゅんけ の方法とは 寿量品じゅりょうぼん で説いている己事こじ を示すことと同じことです。
                                       
己事阿弥陀如来阿弥陀仏の話
  人を褒
めるということは 心から純粋に その人を讃歎さんたん することです。
  おべっかを使った
うわべだけの褒めではいけません。
  純粋に人を讃歎する行為は 聞く人の心の琴線
きんせん に触れ その人の魂の窓が開くのです。
  常不軽菩薩に拝まれた人々たちは
  最初のうちは
バカにしたり 腹が立ったり 怒ったり 罵ったり 石をぶつけたり 棒で叩いていたが
  常不軽菩薩は
そんなひどい暴力行為にも 決して怒りませんでした。
  ただ
 あなたは仏になる人
 といって拝むだけでした。
  やがて
街の人は 変わった坊主だが べつに気嫌いすることもないか と気持ちに変化が出てきました。
  街の変わった名物坊主と評価が定着し
世間の人が少しづつ親しみを感じていって やがて
  この坊主はどこか偉いところがある信頼できる坊主へ
変化していきました。   つづく  この品の教訓